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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第一章 奴隷労働者の彼がいかにして貴族令嬢になったか
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第6話 ベルさんの王国語教室

「――――さて、と」


 朝食の後片付けを終えて厨房を出る。小さく伸びをして、廊下の奥の扉を出て広間に。そのまま大階段を上がって突き当たりを曲がり、資料室へ。

ハッティリア様は書斎だったと思うけど、念のためノックをして声を掛ける。


「失礼致します」


 静かに扉を開けると、羊皮紙と紙の混ざったなんともいえない匂いが鼻を擽った。

 やはり誰もいないようだ。


「えぇっと、絵本は……」


 ずらりと並ぶ書物に目を走らせ、絵本を探す。

 そういえば今朝他のメイドがここを整頓していたのだった。本の配置が少し変わっていた。


「あった」


 絵本は部屋の奥、小さめの本棚にすべてまとめられていた。しゃがんで視線を合わせ、アリス様の好みそうなものを探す。

 聖女の御伽噺(おとぎばなし)なんてどうだろう。あの白銀の、まるで雪のような髪は伝承上の聖女様そのもの。ピッタリだ。


「ふふ……」


 本を読み聞かせている時のアリス様の、(わず)かに煌く瞳を思い浮かべて微笑ましくなる。普段あまり感情を表に出さない分、そうした少しの機微がより一層愛おしく思えるのだ。

 稀に見せてくれる微笑みなんか、もう。


「おっと……あまり待たせては拗ねてしまわれますね」


 とても豊かとは言えないが、その分余計に大切な表情たちを胸の奥へしまい、もういくつか本を見繕って胸に抱える。

 立ち上がって、ふと一輪の白い花が目に入った。マリアーナ・アイリス。この地方でのみ見ることができる希少な花だ。陽に照らされた鮮やかな白が上品に、けれど儚く映えて。どうもその姿はアリス様を彷彿とさせる。

 そして、花言葉は。


「使者、か……」


 もしかしたらアリス様は天の使いで、本当に聖女様なのかもしれない。


「なんて。ふふ、まさか」


 自分ながら突飛な考えに笑ってしまって、けれど私の中でアリス様は正しく聖女様だ。幸せとは程遠い、とまではいかなくとも、幼き身にして辛い境遇に置かれてきたというのに、一従者にすぎない私にさえ溢れんばかりの優しさを見せてくれる。

 例えば、さっき冷めたスープを交換しようとした時だ。普通の貴族の家ならきっと、さっさと取り替えろと冷たい反応をされるのがオチだし、主人と従者というのはそんなもの。

 だというのに、アリス様はそのままで良いという。さらにあろうことか、私が作って“くれた”から、なんて言うのだ。ハッティリア様も然り、主従というのは、この館においてのみ世間一般と大きくずれた関係を指すらしい。まったく世の権力者たちも見習って欲しいものである。いや、本当に。

 ……特に、今代の王家なんかは。


「昨年の税収は……と、ああ、ベルか」

「本日も朝からお疲れ様です、ハッティリア様」


 振り返って扉へ進もうとして、その扉が独りでに開く。入ってきたのはハッティリア様だ。緩んでいたのか、内心慌ててしまったのを表に出さぬように気を張り直して礼をする。


「何かお探しですか?」

「いや、去年の資料が欲しくてね。なんでも今年は凶作だと聞く。去年の同時期の税収を基準に、少し引き下げようかと思ってな」

「なるほど、寛大なご配慮に領民もきっと喜びますわ」

「はは、皮肉か?」

「い、いえっ! まさか! 本心でございます」


 優しいといえば、ハッティリア様もである。ここまで民を重んじるというのは、最近蔓延している庶民蔑視の風潮の中ではかなり、というか極めて異端的だ。貴族など権力者階級への庶民の反感が強い中、それでも比較的良好な感情を向けられているのがその証左。

 なにせ、凶作だろうとなんだろうと、王国は一律で税を徴収する。たとえその結果民が飢餓に喘ごうとだ。所詮、“庶民”だからと容赦なく切り捨てる。そして払えなかった者は国からの支援と称してさらなる労働を強いられる。その様はまさに奴隷だ。

 スラム街の住人はどんどん増えているという。いつしか今代の王の治世を指して暗黒時代と呼ばれるようになったのは、当然の成り行きだろう。

 そしてそんな中で、かつての戦争の結果帝国との中立地帯として設定されたここマリアーナは、唯一自治が認められている。

 戦争で名を馳せたハッティリア様の影響が王国中枢部にまで拡大するのを恐れた今代――――キャピタリア王が厄介払いと帝国への威嚇を込めて彼に貴族の地位を与え、ここに移封したのだ。


 私と同じく、元々スラム出身であるハッティリア様は庶民に寄り添う領政をしてきた。アリシア様を亡くして塞ぎ込んでいる時でさえ、その姿勢は変わることがなかった。他地域の庶民の間ではここを羨む者も多いらしい。


「ははは、悪い。少しからかっただけさ。……それは?」

 

 と、ハッティリア様の目線が抱えた絵本に行く。


「はい、アリス様が言葉をもっと学びたいとのことでしたので、絵本を使おうかと」

「……なるほど。確かに、少したどたどしい、な。……閉鎖的な環境だったから」


 その声色は暗い。やはり、まだ後悔が強く心を占めているのだろう。アリス様が恨んでいないというのは、あるいは恨まれるより苦しいことだったのかもしれない。


「……はい。ですが、」

「わかっている。ただ悔やむより、今、そしてこの先、できるだけのことをしてやりたいと思っている」


 ハッティリア様は前を向いていた。もう後ろばかり見るのはやめて、その根源の記憶と、そして娘と向き合うことにしたのだ。父娘が二人揃って、前に進もうとしている。血は似るのだろう、なんて尊い姿だろうか。


「……ありがとうございます」

「礼を言うのは私の方だ。ベルがいなければ、ずっと顔も出せないままだったかもしれない」


 アリス様の寂しそうな姿をいつも見てきた私からすれば、そのことに感謝を伝えずにはいられなかった。なにせあれ以来、夢に(うな)される姿を見ることは減り、逆に笑顔をよく見せてくれるようになったのだから。これほど喜ばしいことはない。


「……仕事を片付けたら私も顔を出す。伝えておいてくれないか」

「承りました。ですが、何も伝えずに訪ねても、きっとアリス様は嫌がりません。むしろ、待っているのではないでしょうか」


 きっと二人の時間が必要だから。

 私が必要ないなんて言わない。それは私を求めてくれるアリス様やハッティリア様、従者たち。そして私を家族として受け入れてくれたアリシア様への最大の否定だ。

 けれど、私はあくまで“ノクスベル”。“フェアミール”ではないのだ。長い隔絶という壁を壊そうとしている今のお二方には、きっと二人きりの時間が必要なのだ。


「そうだといいな……いや、そうだな。父親が娘を構うのに従者の言伝(ことづて)を挟むというのも、変な話だ。もう少し自分から顔を出してみよう。だが、今日はひとまず伝えておいてくれ」

「はい。他に何か御用はございますか?」

「問題ない。……ああ、資料も自分で探すから構わない。アリスのそばにいてやってくれ」

「畏まりました。では、アリス様が拗ねてしまわれる前に行かなければなりませんね」

「はははっ、そうだな。引き止めて悪かった、また後で」


 と、私を見送る主に深く礼をして。


「主に仕えるのを至上の喜びとする完璧なメイドですので」


 本音混じりの軽口を残しつつ、アリス様の待つ三階へ歩みを早めた。











「ふむふむ」


 ベルさんが戻ってくるまでの暇つぶしも兼ねて、まだそこまで読み込んでいない絵本を読み漁っていた。羊皮紙製のものが半分以上を占める中、この本は珍しく紙製だ。高価なものなのだろうか。

 反れた思考を絵本に戻す。言葉がわからぬといっても、簡単な文章を読んで聞いて理解することはできる。ただ、喋ることがまだうまくできない。内容を声に出して、発音の練習を進める。


「むかしむかし、ありゅ……あるとこおに」


 昔話や童謡ではありがちな始まり方だが、こちらの世界でもこれがスタンダードらしい。ページを捲ると自然豊かな平原に、それぞれ何かの動物の皮を羽織り、石器を持った人々が集落のようなものを築いている。


「どうぶつたちといっしょにくらすちいさなむらがあいまひた」


 それなりの規模の住処を築いていることから、遊牧民族ではなかったらしい。物語は進み、彼らの集落はどんどん大きくなっていく。ついには平原一帯にまでその版図は広がり、それまで集落を率いていた族長らしき人物が民の前で王冠を戴くシーンが象徴的に記されている。


「かれはおうさまとなり、くにをつくりました」


 この時代から魔法は存在していたみたいだ。そしてその中で、それぞれ建国や内政に大きく貢献した者たちが“貴族”、研究によって学問や技術を進歩させた一団が“魔導師”、外部との抗争や狩りで力を発揮した人々が“騎士”、それ以外の民衆が“庶民”と、自然に区別されていくようになったようだ。

 かといって、この時代では身分という概念はまだ曖昧で、皆あくまでリーダーである王に付き従う民という、共通認識、あるいは同胞意識を持っている。それぞれの立位置はほとんど平等で、一丸となって国を繁栄させていった、という風に描かれている。


「おうはこのくにをるーな……“るーねりあ”となづけ、ひとびとはしあわせにくらしまいた」


 めでたしめでたし、とお決まりの文句で終わった絵本を閉じる。これで読んだのは何回目だろうか。高価そうで傷つけるのが怖く、あんまり読んでいなかったこの絵本でさえ内容をはっきり覚えている。これ以外のものに至ってはもはや脳内で完全再現できそうなくらい明瞭である。

 さて、きっとそろそろベルさんが戻ってくるだろう。絵本をベッド脇に積み直して、ぬいぐるみを抱えてぼうっと扉が開くのを待つ。すると都合よく足音が聞こえて、ノックとベルさんの声。


「アリス様、失礼致しますね?」

「ぁい」


 静かに扉が開いて、微笑みかけてくれたベルさんの手には、ベッド脇に積まれたものの半分くらいの量の本。たぶん全部絵本だろう。


「遅くなって申し訳ありません。今回は聖女様の絵本をお持ちしましたよ」

「せー、じょ……?」

「はい。国が危なくなった時に、天から舞い降りてみんなを助けてくれるんです」


 なるほど、御伽噺の類だろう。そういえば、この世界でも宗教は存在するのだろうか。前世世界では反乱の芽になるとして、最終的に権力者に都合の悪いものは全て否定されていたが。


「さて、じゃあ早速それから読みましょうか」

「うん。おねがい」


 ベルさんは机に持ってきた本を置くと、そこから一冊の絵本を選ぶ。綺麗な白い長髪の少女が天秤のようなものを抱えて空に向かって祈っている様子が描かれた表紙。これも紙製だ。やはり高価なものなのだろう。


 いつものようにベッドの端に腰掛けたベルさんは私の髪を一撫でして、そして読み聞かせが始まる。その鈴とした透き通るような声で紡がれる物語は、壮大で、そして少し哀しいお話だ。


 両親を亡くした少女が天に向かってそれを嘆くところから物語は始まる。庇護者をなくした彼女は今日を生きるのにも精一杯で、幼き身には過酷な労働に従事し、乾いたパンをかじり、お世辞にも綺麗とは言えない水を啜る。

 けれど文句の一つも言わずに彼女は働き続け、やがてともに働く人々や、それを見かけた人たちから好感と同情を抱かれていく。ある時一人の老人が労働中に怪我をして、心優しい彼女はそれを見て涙を流す。すると、その涙の触れた傷跡はみるみる治っていき、彼女の魔力が発現する。


「そしてある時、大変なことが起こったのです。大きな黒い嵐が、国にやってきたのです」


 黒い嵐というのは反乱か、疫病か、恐らくそれらに類するものを御伽噺的にしたものだろう。


「そんな時、少女は立ち上がって、みんなを襲おうとする嵐に向かって言いました。なぜ、こんなひどいことをするの?」


 物語も佳境だろうか。目と口の付いた黒い竜巻のようなものに、少女が問答を始める。


「嵐は答えました。おまえたちの命が、おれの糧になるのだ」


 なんともわかりやすい悪役である。そして、王や貴族たちへの風刺の意味もありそうだ。


「少女は言いました。けれどそうしてみんなを食べた後で、きっとあなたは一人ぼっちになってしまいます。食べるものもなくなってしまいます。寂しく、ないんですか?」


 少女と嵐の言葉は続く。最後には、それでもおまえたちを食べないと生きていけないんだ、と泣きだした嵐を彼女が慰めて、


「争いは、争いしか生みません。あなたが生きていくために命のちから――――魔力が必要だというのなら、私の血を毎日あげましょう。あなたが寂しいというのなら、私とともだちになりましょう。だから、こんなことはしないでください。いっしょに、手を取り合って、みんなで生きましょう?」


 それを聞いた嵐は少女と約束をして、血を分けてもらうと去っていく。そうして国の危機を争いなく防いだ彼女は聖女と呼ばれ、民や嵐と、みんなで一緒に幸せに生きていきました、と締めくくられた最後のページには、登場人物全員が手を繋いで笑っている絵で綴じられている。


「めでたし、めでたし」


 ぱたん、と閉まった絵本の背面をしばらく余韻とともに眺め、ぱちぱちと拍手をする。


「ふふ、ありがとうございます。どうでしたか?」

「……すき」


 特に最後の絵には、心惹かれるものがあった。そこには確かな幸せがあって、皆が笑顔だった。きっとここまで物語に引き込まれたのは、前世と重なるところがいくつもあったからだろう。


「良かったです、きっとお気に召すと思っていました」

「せーじょさま」

「はい、アリス様も同じ白銀の髪ですね」

「んふふ」

「照れた姿もお可愛らしい。……それと、後でハッティリア様がいらっしゃるそうですよ」

「おとおさま?」

「はい。仕事が終わったら来るそうです。私は少し用がありますので、ハッティリア様がいらっしゃったら失礼致しますね」

「ぁい」


 父娘二人水入らず、というベルさんの配慮だろうか。

 まったく自分にはでき過ぎたメイドである。

 父が来るなら、そうだな。何をしようか。うん、引き続き絵本を読んでもらおう。言葉を学べて、かつコミュニケーションもできる。それがいい。

 となると昼食は三人で、ということになるのだろうか。初めてのことなので、ちょっぴり楽しみだ。その光景を想像して、思わず頬が緩む。


「ふふ。では、次の絵本を読みましょうか。どれになさいますか?」

「うーん……」


 と、机に積まれた絵本を一つずつ手に取って表紙を眺める。

 ふと騎士とお姫様が並んだ絵が目に入った。前世の休憩室がフラッシュバックして、今のこの何気ない時間がどうしようもなく愛おしくなる。

 そうだ、さっきの聖女様の絵本に載っていた最後の絵。なぜあんなに惹かれたのか。それは今の私が欲するもの、夢をそのまま具象化したような情景だったからだろう。死ぬ間際、神に願った幸せで優しい世界。まさにそのものだった。案外、世界は私という存在に優しいのかもしれない。


「これ」

「騎士物語ですね。ふふ、アリス様もきっと騎士様に迎えられるようなお姫様に育ちますわ」

「そぉ?」

「はい、嘘は吐きませんとも」

「ぁいがと」


 たまにベルさんは本気で言ってるのか、お世辞なのかよくわからない時がある。今回はきっとお世辞だと思ったが、というか自分がお姫様だなんて自画自賛も過ぎるし、一応男だった身としては多少受け入れ難い部分があるので、否定の意味も込めての疑問形なのだがどうもベルさんは本気でそう思っているらしい。嬉しいといえば嬉しいけど、さすがにちょっと小っ恥ずかしい。


「いえ、本心ですので……やっぱり父娘ですね」

「んん?」

「いえ、流れは違えど、先ほどハッティリア様とも似たような会話をしましたので。ふふふっ……」

「そぉ」


 それはともかく。

 科学が発展して、荒廃しきった救いのない世界に生きていた前世では、当然そんな非科学的存在というものを信じる余裕などなかった。

 だが実際、自我を保ったまま別の世界へ、なんて摩訶不思議な体験をした手前、そういう事象や存在について以前より大分見方が変わった。ともすれば神様と呼べるような存在も本当にいるのかもしれない。

 所詮人間は、それを直接実感しなければ何も信じることができないのである。


「では、物語のはじまりはじまり、です」

「ぱちぱち」


 もしもそんな存在と対面できる機会があれば、感謝の一つは述べたいところだ。

 さて、父が来るまで精一杯貧弱な語彙を鍛えるとしよう。ベルさんや父ともっとコミュニケーションを取れるようになるために。


「むかぁしむかし、あるところに――――」


 紡がれる物語は、やっぱりどこかで耳にしたことがあるような王道の御伽噺で。人はどの世界でも変わらないんだな、と、ほんのちょっぴり感傷に耽るのだった。

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