第19話 讃花の夢
「ふん。まあ、リリウムとしては良い演奏なのじゃないかしら」
「すごーい! 」
ついに迎えた学園祭当日。各クラスの発表が行われる場はやはり、入学式でも使ったこの広いホール。出番が次のために舞台裏で待機している私たちアイリスクラスは、ある意味特等席でリリウムクラスの出し物、合奏を聞いていた。
演奏曲は私も聞いたことがあるような童謡であったり、王国で一般的に有名なものばかりだ。音楽に関しては貴族や庶民といった階級に縛られず、有名な曲は普遍的に有名らしい。
「るーんはいむさん、これは? 」
「これは“貴族の原則”、数百年ほど昔に作られた、誉れ高き貴族とやらを表現した曲よ」
「ほへー」
言われてみれば、なんとなく貴族をイメージさせるような音楽、な気がする。呆れるほど自分が単純であるのに笑ってしまいそうになりながら、じっと耳を澄ませる。
「でも、だがっきはあれしかないの? 」
「打楽器? 」
「えっと、ほら、たんばりんみたいな」
と、言ってから失敗に気付く。タンバリンは存在する、というか目の前の演奏で使われているのだから問題ないだろうが、ルーンハイムさんの表情から察するに打楽器というものはまだ言葉として確立されていないくらいにマイナーな存在なのではないか。だとすれば、私がそれらを“打楽器”と称したのは拙かった。或いは王国の歴史の中で、今私が初めてそうジャンル分けしてしまったのかもしれないからだ。
「ああ……打って音を鳴らすから、打楽器、ね」
「う、うん」
「ふーん。なるほど、つまりアリスはああいった楽器がもっと発展すると考えているのね? 」
キラリと鋭くなったルーンハイムさんの視線におどおどと目を逸らしながら。けれど他に言い訳も思いつかないので、とりあえず頷いておくしかなかった。ごめんなさい、前世の偉人さま。
「確かに、ああいった拍を取るような楽器はもう少し増えてもいいかもしれないわね」
「うん」
しかもルーンハイムさんが納得してしまった。これがただの友人であればまだしも、彼女は王女様である。それを本当に発展させる土台を作るくらいの影響力は当然持ち合わせているのだ。ミュージカルもどきや向こうの歌を持ち込んだ時点で今更な気もするが、私は王国の音楽史に多大な影響を与えてしまうことになるかもしれない。
「ひえぇ……」
この不用意な一言が大事になっていってしまう明日の可能性に見て見ぬふりをしようとするも、あたふたと慌てる光景が離れずに怯えて。不思議そうな顔をするルーンハイムさんになんでもないと誤魔化す。いや、本当になんでもなくあって欲しい。
「ふん。まったく、もしもアリスの考えをすべて取り入れられれば王国の音楽はすさまじく発展しそうね」
「そ、そんなこと……」
ない、と言い切れぬのも辛いところである。私の音楽についての考えや知識というのは、即ち王国の水準から数百、数千年発展した先の音楽である。同じ発展の仕方をするとは限らず、また何が流行るかなんてことは当然違いがあるだろうが故に一概には言えないが、それでも先人たちが重ねた時間と努力、才能は嘘を吐かぬはずだ。ルーンハイムさんの言うとおり、かなり浅いとはいえ、私の持つ音楽の知識がそのまま反映されてしまった場合、少なくとも今の状態から大きく変化するというのは否定できなかった。
どんどん不安になる胸中は一旦置いて――――現実逃避ともいう――――、とりあえず今はこの学園祭を楽しもうと顔を上げた。すると何故か、ルーンハイムさんも私と同じ、先を憂うような表情をしていて。
「……もう少し、名誉が欲しいとか、思ってもいいのよ」
「えっ」
神妙そうに言われた言葉を反芻して、それでも首を傾げた。つまり、何が言いたいのだろう?
「えっと、それは……? 」
「そのまま」
そのまま。つまり、私はもっと名誉や称賛を求めるべきだと、そういうことだろうか。
……名誉、名誉か。いや、まったく考えなかったわけではない。私とて人である。そういったものが欲しいと思うこともある。しかし、それ以上に満足しているのだ。ベルさんやミラさん、ルーンハイムさんに、今ここにはいないけれど父やカルミアさんを始め、館とマリアーナの人々。時には悲しいこともあるけれど、みんなに囲まれて過ごすこの日常に満足しているのだ。何しろ、こうして学園で学ぶのを決意したのだって、それをこの先も守りたいがためなのだから。
「うーん……」
“名誉”がそのために役に立つのならいくらでもその努力はしてみるが、それで得られるもの以上に敵を作ってしまう気がしてならない。私はそれを、市場での事件と食堂の一件を経て確信に変えたのだ。自分より上のものへの羨みは簡単に妬みにも変わり、それが自分にも直接関わるともなればやがて憎しみと化す。庶民の人々の貴族への嫌悪がそれを体現しているだろう。だから、現状そんなリスクを取ってまで名誉というものは必要ないのである。
そんな考えが透けたのか、私が困っているのを察したルーンハイムさんははあ、と一つ溜息を吐いて、それから。
「……なんでもないわ。アリスにはアリスの考えがあるのでしょう」
うん、とちょっぴりバツが悪いように感じながらも頷こうとして、でも、とルーンハイムさんは続けた。
「あまり、それだけに凝り固まってはダメよ。躓いたりわからなくなったら、必ず周りを頼りなさい」
「ぇ、あ……」
その言葉にふと、一年ほど前のとある日のことを思い出した。そういえば、あの時も。
――――『けれど、だからこそ、それがお嬢様に向けられぬよう守ることは出来ます。ですから、辛い時は私たちを頼ってください。……約束です』
「くろりな、さん」
そうだ、クロリナさんも、同じことを言っていた。そして私は確かに約束をした。いや、彼女だけではない。思えばベルさんも、或いはミラさんも、みんなずっと似たようなことを私に言っていた。
私はそんなに、独り善がりだろうか。
「でも」
そんなことはない……はずだ。だって私はいつも、みんなに甘えている。これが頼っていなくてなんだというのだ。直近の食堂の件だって、ルーンハイムさんが助けてくれなかったら大変なことになっていたかもしれないし、その後ずっと凹んでいる私を慰めてくれたのだってベルさんとミラさんだ。私はもう、十分みんなに頼っている。
「たよってる、よ? 」
「……そういうことじゃないのよ、アリス」
「じゃあ」
どういう、と尋ねようとしたしたそれが、しかしルーンハイムさんに届くことはなかった。
わっと上がった拍手と歓声が声をかき消したのだ。そして、ということは。
「次は、アイリス第三十期の生徒たちによる演劇、“待雪物語”です! 」
ついに私たちの出番が、回ってきたのだ。歓迎の声を舞台袖で聞きながら、ゴクリと喉を鳴らした。何か開演前に全員で挨拶のようなことをするのかと思っていたが、どうやらそんなことはないらしい。もういきなり、演劇が始まるようだ。同じようにこの待機スペースで落ち着かなそうに椅子に座って控えていたクラスメイトたちの中から、第一章を演じる少女と青年の二人が舞台へと上がっていった。それと共にぱらぱらと拍手や声援が聞こえてきて、数秒ほど続くとそれも収まった。
いよいよ、私たち……第三十期アイリス生による、“待雪物語”の開演だ。
「……ああ、ここはどこだろう? 」
詩人役の青年が、物語の初まりを告げるその一言を静かになってよく声の通るホールに響かせた。私の出番はまだ遠いというのに、彼の緊張や浴びる注目を共有しているような気がして、ひどく胸が騒がしい。
……ああ、ダメだ、こんなにドキドキと心臓を鳴らしては。もしも音が漏れてしまったらみんなの演技の邪魔になってしまう。そんなことを思い、ぎゅっと両手で胸を抑えた。
「何だ、私は夢でも見ているのだろうか? それにしても……ああ、なんと美しい場所だろう! 」
どうしても反応が気になってしまって。舞台の袖からそろりと、対角線上の、壁に遮られていない位置の観客席を覗く。なんとか端の方の数人が少しだけ見えて、目を細めてその表情を確認する。
「……よし」
誰にも聞こえないような小さな声で一つだけそう呟いてひとまず胸を撫で下ろす。少なくとも私の確認した彼らは皆柔らかい表情を浮かべていて、隣席の人と時折言葉を交わしたりしているのを見るに今のところ楽しんでくれているようだ。流石に距離が離れているので何を話しているかまではわからないが、和やかな雰囲気を感じられるので悪いことを言われていたりはしないだろう。
「るーんはいむさん」
「なあに」
ちらちらと心配性に舞台の二人を見ては心の中で応援しながら、ルーンハイムさんの方へと体を寄せて、ぼそぼそ周囲に漏れないように囁くような話し方で。着慣れぬフリフリだらけのドレスの衣擦れの音に気を付けながら最後にもう一回だけ流れを確認したいと提案する。
「いいわ。でも、流石にここで練習するわけにはいかないから、確認するだけね」
「うん」
膝がピッタリとくっつくくらいに更に近寄って、じっと顔を合わせて確認しあう。最後の場面をあの歌で締める都合上、第六章は少しだけ原作と内容が変わっていた。
本来の第六章は二人が別れを惜しみながらもキスをして、雪の天使がいなくなって。夢から目を覚ました詩人が降り積もる雪を背景に詩を詠って終わり、という流れなのだが、より効果的な演出のためにキスのシーンが最後に来るような順序に変更されている。それは作った歌がお互いの心情を交互に歌うような構成だったことも大いに影響していて、結果として最初の別れを惜しむシーンはそのまま。その次のキスのシーンが、天使が夢の世界に降らせた雪を見て二人が悲しみと愛の心情を表した詩を歌う場面に変更され、そして歌い終わったら最後をキスのシーンを飾って、閉幕、といった内容だ。
「ちゃんとおぼえてた」
「ええ。むしろ、忘れてしまっていたら困る」
大まかなセリフなどもきちんと確認して、二人で頷き合った。それでもまだ湧いてくる不安を押し殺すように何度も何度もセリフや歌を心の中で確認しながら舞台を見守る。控えていたクラスメイトたちがどんどん席を立って舞台へ向かい、反対側の袖に消えていく。章の終わり毎に短く挟まれる拍手を聞いて、最後を失敗したら水の泡だ、なんて余計な不安で自ら緊張を煽ってしまっている間にもますます物語は進み、気付けばもう第五章の終盤。もう、出番は目の前だ。私は最後に、もう一度だけ。今度はきちんと本人に、それを確認しておくことにした。
「るーんはいむさん」
「なあに」
「……だいじょうぶ? 」
「うん? 」
何が、と首を傾げたルーンハイムさんに、言葉足らずだったと補足しようとして。ああ、とその唇が納得の形をしたのにそれを止めた。
「……うん、大丈夫よ。完璧に歌いこなすのは難しいけれど、でも音と歌詞はきちんとなぞれる」
「ぇあ……そ、それも、なんだけど」
「歌の話じゃないの? 」
「あの……さいごの、ばめん」
と、けれどやっぱり、直接言葉には出来ずに。熱い頬に若干顔を俯けて、ちらりと横目で視線を送りながら人差し指で自分の唇をふにゃりと潰した。何が言いたいのかを理解してくれたのか、ルーンハイムさんはちょっぴり恥ずかしそうにツンと顔を逸らして。
「……ふ、ふん。問題があるなら、最初から六章も、アリスも選んでないわよ」
「そ、そっか」
数秒の間、変な沈黙を挟んでしまいながら。その一瞬の静寂に聞こえてきた舞台の二人のセリフに、もう本当にすぐ出番なことを悟る。同じくしてルーンハイムさんもそれに気付いた様子を見せて、何を言うでもなく、ただ二人で見つめ合ってコクリと頷いた。
「大丈夫。私とアリスなら、なんだって出来るわよ」
「……るーんはいむ、さん」
そうして伸びた手が、自覚もなく小刻みに震えていた私の手をきゅっと握ってくれて。肌を通して伝わってくるその温かな熱が、不思議と心を落ち着けてくれた。
ありがとう、と見上げた先でルーンハイムさんが首を振って。
「――――ルナ」
「……え? 」
「ルナって、呼んで。アリス」
「え、えっ……」
そんな、友人とは言え王女様の名を略すなど、畏れ多い……なんて、浮かんだ言葉は。けれど彼女の、その瞳に。王女様ではなく、ただ一人のルーンハイムという少女として、私を求めてくれるその不安気で無垢な表情に。
「……る、な」
「っ……、アリ、ス」
恐る恐る声にしたその名は、私の大切な、たった一人のおともだち。左右で色の違うその宝石のような瞳が、うるうると煌めいていて。白い頬を紅潮させて心から喜んでくれるルーンハイムさんの――――“ルナ”の姿に。緊張なんてものは、とうに忘れていた。
「――――がんばろ、るなっ! 」
「うんっ、アリス! 」
深く繋いだ手の下で、やがて一歩、進むごとに二人で二歩ずつ、同じハイヒールの靴を鳴らして。
初めての“親友”と肩を並べ、胸を張って、舞台に上がった。
次回更新は本日18時です。




