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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第三章 貴族令嬢の彼女がいかにして友を見つけたか
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第17話 目は口ほどに、耳よりも

「えっと、だからね、ふたりでうたうの」


 教室のあちこちで、各章のペアに分かれて演技の練習が行われる中、私はルーンハイムさんに必死の説明を続けていた。


「詩を歌にする……?」

「うん」


 幾度目かのそれに、やっぱり首を傾げたルーンハイムさん。まあ、そうだろう。詩は詩であって、歌ではない。いきなり、最後の詩を曲にして二人で歌おうなんて言い出せば訝しげな目にもなる。いや、王国において誌曲というものは実はそこまで珍しいものではない。吟遊詩人という存在がおり、まだ社会的にメジャーではないものの演奏に乗せて詩を吟うという文化は今まさに発展している最中で、それなりに広まっているようだ。勿論、ルーンハイムさんもそれは知っているだろう。


「よくわからないのだけど……それは吟遊詩人(メネストレル)の真似事を私たちがするということ?」


 そう言ったルーンハイムさんの目には、少しだけ否定の色があった。それもそうだろう、吟遊詩人がいるとは言ったが、彼らの存在は、主に庶民の中でも更に下、例えば奴隷に近いような最下層の身分の人々がなんとか糧を得ようとしてそういった技術を身に付けたことに発端を置く。故に貴族など上流階級の人間がそれを楽しむことはあっても、貴族自身がそれをするなんて話は誰も聞いたことすらないという。ルーンハイムさんは他の貴族のように庶民やそういった人々を苛烈に見下すような人ではないと思うが、それでもやはり上流の生まれ、それも王族である。どうしても少しばかりの抵抗はあるのだろう。


「んー……ちょっと、ちがう」

「じゃあ、どういうことかしら」


 しかし、私が思いついたのはそれではない。私が詩を歌にすると言ったのは、そのままの意味なのだ。原作の詩を元に歌詞を作り、それをメロディに乗せて歌う。メロディを用意する必要があるが、それには考えがあった。

 私が知っている既存(前世)の曲、それもまだ王国の文化にはないような現代的な歌のメロディを少しずつ拝借して、なんとか一つの似非オリジナル曲を作る。……まあ、ぶっちゃけて言えば、パクリである。パクリではあるが、一曲丸々すべてお借りするよりは幾分か心情的にマシだった。

 音楽にも検閲がかかるので歌詞こそ支配者階級の賛美やら労働はしあわせやら酷いものだったが、その“音”にはやはりかなりのバリエーションがあり、それら無数の完成された音の中から好きなメロディを抜き出して、合うようにツギハギすれば一曲くらいはなんとかなりそうだった。ついでにこれをベルさんとミラさんに約束してしまった最高傑作、ということにしておこう。考えれば考えるほど酷い話である。言葉を取り繕わずに言えば私ったらサイテーね! といったところだろう。

 それはともかく、だから吟遊詩人の真似事かと聞かれるとまた少し違うのだ。……真似事には変わりないけど。


 曖昧に首を振ると、ルーンハイムさんが今度こそ露骨な困惑の表情を浮かべて。私は更に補足した。


「えっと、えんでぃんぐ、みたいな」

「えんでぃ……なに?」


 そう、つまり、前世で言うところの映画など、映像的な娯楽作品で必ずと言っていいほど流れる“エンディングテーマ”として詩を使ってはという考えなのだ。演技と歌を混ぜたような、いわばミュージカルに近いような形で最後のシーンを飾ってみるのはどうかということを提案したい。しかし王国にはまだミュージカルの文化などは当然ない上、かといってこの通り私の語彙ではそれを上手く伝えることが出来ず、ただいたずらにルーンハイムさんを困惑させているというのが現状であった。


 というか別に、ルーンハイムさんと話す中で何か最後を飾るに置いて面白い提案はないかと尋ねられてふと思いついただけのことであって、そこまでこれをしたいというわけではないのだが。……上手く伝えられぬ歯痒さのせいか、少し意地になってしまっているのだろう。


「んーと、んーと」

「うーん。何回も説明してくれているのに悪いのだけれど、やっぱり言葉ではよくわからないわ」

「ぐぬぬ……」


 言葉をあまり多く知らぬというのもあるが、どうも私は人に何かを説明するのが下手である。ずっと自分の中で完結してきた弊害なのだろう。むしろ、自分の考えを話すことなどは基本的に許されなかったのだから。

 その情けなさにぷくーと頬を膨らませて、諦めようとして。しかしそれを遮ったのは、私が困惑させていたはずのルーンハイムさんだった。


「だから、実際にやって見せて頂戴? それならきっとわかるわ」

「えっ」

「えっ?」


 何か問題でも? と心底不思議そうなオウム返しにまたえっ、と続けそうになるのを喉に押し込めながら。言葉でわからぬなら身振り手振りで、まったく当然の帰結である。けれど困った、羞恥心もさることながら、肝心の歌がない。昨日一日掛けて読み込んだ甲斐あって、大体のセリフや詩そのものは頭に入っていたが、私とて歌にしようというのは今思いついたのである。実際に再現できるほどの準備など出来ているはずもなかった。


「う、うん。そだね、やってみる……」


 空気に圧されて、迂闊にもやってみる、なんてことを言ってしまって。

 何かないか何かないか、何か、何か……脳内は完全にパニック状態である。


「……もしかして、歌そのものはまだ何も考えていないのかしら」


 察してくれたルーンハイムさん。なるほど、と納得したように呟いたのに、こくこくと音速を超えそうな勢いで頷いた。それを口実になんとかなかったことに出来るかもしれない。そんな淡い期待はしかし、一瞬で泡と消えた。


「なら、何か別の歌でも……とにかく、どういった風なことをしたいのかがわかればいいの」


 気遣いの利いた、無慈悲な提案である。とはいえ、元はと言えば提案したのも変に意地になってこの結果を招いたのも私。責任は自分にある。それに、これ以上ルーンハイムさんを困らせるのは申し訳が立たなかった。ここは一つ、羞恥心なんて忘れてしまおう。そうして冷静になると、すぐに例にできそうな別の歌を思いついた。


「じゃあ、えっと、やってみるね」

「ええ」


 一旦目を閉じて周囲のことを忘れる。恥ずかしさを追いやって、それだけに集中する。完全にアドリブなので演技は大雑把にしか出来ないが、具体例として見せるだけならそれで構わないだろう。記憶を辿って歌詞をしっかりと思い出し、反芻する。大丈夫、しっかり覚えてる。

 再び目を開き、すぅ、と深く息を吸って……。


「――――つきのひかりのそのもとで、ああわがともよ。らんぷをかしてくれないか。てがみをいっつう、かきたいんだ」


 選んだのは、あの歌。ちょっぴり切なげな歌詞に、わかりやすい山なりの音程。いつかベルさんが歌ってくれた、あの子守唄だ。それを口ずさんでいくに連れて、次第に感情が溢れてくる。世界に浸っていく。子守唄というだけなら、他にも覚えているものはあった。けれど、私が子守唄と聞いて一番に思い浮かべるのはこれなのだ。これは私にとって特別な歌。あの日の、あの市場でのことの後、何日も眠ったままだった私を呼び覚ましてくれた歌。自然と、歌詞に合わせて体が動いた。


 項垂れながら手を伸ばし、扉をノックするような動作をして。指をペンに見立てると空中に文字を書き連ねる。


「ろうそくはよるにとけきえて、もうひはきえてしまって」


 よよよ、と消えてしまった“(だれか)”を抱えるように泣き崩れる。ぺたりと力なく床に座り込んで、ずーんと重く頭を垂れ下げてみる。絶望の闇の真っ只中。


「おねがいだから、そのとびらをあけておくれ……」


 ああ、と友人に助けを乞うように、闇の中に差した一筋の光の方へ手を伸ばすイメージで。左手で胸を抑え、もう片手で天井を仰ぐ。悲痛な表情も忘れずに。そのまま歌の余韻と共に上げた手を胸に戻していき、それに合わせてゆっくりと俯いて何かを胸に抱きしめるような姿勢で沈黙。


「……おしまい」


 ふ、と糸の切れた緊張を零れる吐息に変えながら、役に没頭して閉じてしまっていた目を開いた。

 演技というのは、難しいのと気恥ずかしさから気が進まなかったのだが……なんだ、案外、やってみると楽しいものだ。私の演技が周囲からどう見えるかはさておき、自分的には役に没頭するというのが心地良かった。考えてみれば、内的世界に引きこもるというのは私の得意分野であった。上手かどうかは別問題として、ふと外にさえ意識が向かなければ、役になりきるということ自体は割と向いているのかもしれない。


「アリ、ス……」

「はえ」


 ルーンハイムさんの声にパッと顔を上げて。何やら様子がおかしい。わなわなと震えている。いや本当に手が震えている。どうしたのだろう、具合でも悪いのかもしれない。慌てて立ち上がって傍に寄る。


「だ、だいじょう、ぶ……!?」

「ああ……なんて、なんて」

「どうしたのっ」


 ぼうっと、遂には目を瞑って苦しそうに胸を抑えてしまったルーンハイムさん。無礼だとか、そんなことは忘れて肩を揺する。何故誰も此方に気づかないのか。祖父を呼ぼうと教壇の方を向いて、助けを求めようとして……。


 私は固まった。


「えっ」


 祖父は気づいていなかったのではない。じっと、私の方を眺めていた。その髭をしゃくりながら、興味深そうにふむ、と私を見つめていた。そして、“目”はそれだけではない。青年も、少女も、クラスメイト全員が、教室中の誰もが私に注目していた。そのほとんどが呆然と驚いたように固まっていて、何がどうなっているのかわからず。演技ではなく本気で友人に助けを乞うべくルーンハイムさんに向き直って。


「――――なんて、美しいのかしら!」

「えっ?」


 しかし差し伸べられたのは慈悲の手ではなく、歳相応に、少女然ときらきら輝く、綺麗な紅と深緑の瞳だった。ルーンハイムさんのそれを皮切りにわっと歓声が上がった。誰も彼もが撃たれたように拍手を鳴らして、沈黙に満たされていた教室が途端に音で溢れかえった。


「フェアミールさん、すごい!」

「素敵ですわ!」


 その海も赤くなるような万雷の称賛は、すべてが私に向けられたもので。爆心地で一人、先程までとは逆転して今度は私が呆然と時を止めた。祖父が微笑ましげに頬を緩めて、目線を再び前に戻すとルーンハイムさんは満面の笑みで言った。


「これが、アリスのしたかったこと……なるほど、まさに劇と歌の融合。素晴らしい、本当に凄かったわ! 何より、完璧に重なり合った演技と歌声がもう見惚れてしまうくらいに、いいえ、気付けばあなたの世界に囚われていたの!」

「え、えっと、うんっ!?」


未だ混乱冷めやらぬ中、ルーンハイムさんはますます興奮したように舌を早くする。こんな様子の彼女は一度も見たことがなかった。そしてそれはルーンハイムさんだけではないのだ。皆、同じようなことを言って私を褒めちぎってくれる。こんな状況への耐性なんて勿論持ち合わせていない私は、ただ飛んできた言葉に頷き返すことしか出来ない。ありがとうの一言も出てこないのだ。完全に頭がショートしていた。


「これを二人で、ですって? 私にできるかしら……いいえ、できなくちゃダメね。こんなに素晴らしい、斬新な発想を埋もれさせるわけにはいかないもの!」

「るー、るーんはいむさん」

「ああ、何か光景を記録しておけるような魔法があればいいのに。もう一度今のをじっくり見てみたい。惚けてしまって細部を見逃してしまったのよ」

「るーんは」

「ところで今のは即興なのよね? 本当に? 以前から入念に準備していたとしか思えない素晴らしい出来栄えだったわ」


 ひたすら早口で捲し立てるルーンハイムさん。まるで会話に応じぬほどの弁舌の勢いに圧されながら、その内容からようやく事態を呑み込めてきた。どうやらこの状況は私の、先ほどのミュージカルもどきが作り出したものらしい。確かに、なんとなく決まったような手応えはあった。自分で満足を感じるほどだったのだから。しかし、手応えはあった、あったが……


「る」

「本当に、いくつ天性の才能を持てば気が済むのかしら。それに、見てごらんなさい? もうここに、あなたに嫉妬を向ける人はいないわよ。圧倒的な魅力で以て負の感情をねじ伏せたのよ。これは歴代の王ですらそう簡単に出来ることではないわ!」


 ここまで大きなことになるとは、思っていなかった。最早私では収拾が着かない。こういう時に頼れるルーンハイムさん自身が興奮しきってしまっているのだから。祖父も微笑むばかりで、何故だか止めようとしない。わたわたあたふた、もうダメ、と目を回しかけて……。


「姫ぇーッ! どうかされまし、た……かっ……、て。あれ?」

「これは……一体、何が?」

「ええと……状況がよくわかりませんが。とりあえずその大きくお開けになったお口をもう少し閉じましょうか、ルーンハイム王女殿下様。はしたないですよ」


 バーン、と勢いよく扉が開かれて。その先に並ぶのは、ベルさんとミラさんに、ルーンハイムさんの従者のステラさん。その更に後ろに護衛の騎士の人。隣の部屋で待機していた、従者の面々だった。きっと、突然天地がひっくり返るような騒ぎが起きたのに慌てて飛び込んできてくれたのだろう。

 ちょっと方向性は違うが、また二人がピンチを救ってくれたのだ。


「べる、みらあぁ……」

「あ、アリス様っ……!?」


 じわーっと心の底から湧いた安心感が体を包んで、私は情けなく二人に駆け寄った。褒めてもらっているというのに失礼なことだが、動転してしまうほどびっくりしてしまったのだ。


「どうされましたかアリス様。大丈夫です、ベルはここにいますよ」

「……おのれ、姫を泣かせたのは誰ですか!」


 何やら勘違いしてしまったらしいミラさんに慌てて事情を説明しつつも、ベルさんの手をきゅっと握って離さず。その後なんとか場が落ち着いた頃には、教室中の目線はすべて微笑ましいものを見るようなものに変わっていて。授業の間、ベルさんに預かってもらっていた相棒に、いつもの如く。赤くなった顔を、隠すのだった。

次回更新は本日18時です。

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[一言] 王女様大興奮! 顔がお見せできない状態になってそうw
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