第16話 探しモノ
「えっと、えっと……」
するすると目を走らせ、目的のものを探す。授業という名の役決めの時間が終わって、昼食を済ませた私は食堂を出た後、部屋へは戻らずそのまま階段を上って図書室へ来ていた。待雪物語を細部までしっかり把握すべく、早速探しに来たのだ。しかし、図書室へは始めて来たが……
「おおい……」
まず驚いたのはその膨大な蔵書の数である。これだけで単独の公共施設として図書館を名乗れそうなものだった。なんでも、代々王族管理で詳細が不明の書庫を除けば、王国一の蔵書数を誇るのだとか。その内部はというと、ホールより一回り小さいくらいの広い部屋に、整然と本棚が並んでいる。前世でも、一部を除き本というもののほとんどがデジタライズされる以前はこのような光景が各所で広がっていたのだろう。
紙媒体の本というのは当然紙を始めとした資源を使う。既存のものはともかく、新たにそれらを消費して本を作る資源の余裕などなかったのだ。使い古されたボロボロの本たちは多くがコロニーの娯楽施設に乱雑に詰め込まれ、残った価値の高いものはコレクターアイテムとして支配者階級の間でのみ流通していた。そんな貴重な本がこうして読みきれぬほど並んでいるというのは、感動ものなのである。
まったく本に触れたことがないわけではないので、館で絵本を読んだり、ここで教科書類を扱う際はそこまで感動はしなかったが。しかし所狭しと本で埋め尽くされたこの空間は、それ自体が一つの大きな宝物のように思えた。
「すごい」
忙しなく端から順に背表紙を確認しつつ、それが余計に圧倒を生む。
……とはいえ、いつまでもこうして感動に浸っているわけにもいかない。まだ学園祭まで一週間以上もあるとはいえ、時間は有限なのだ。確かにその準備期間が示す通り、私のクラスの演劇含め、各クラスの出し物はそこまで凝った大きなものではないのだろう。あくまでこの学園祭は友人を作ったり、絆を深める切欠を作るためのイベントなのだ。
しかしそれも、例えば待雪物語のように全員が既知のものを土台にするために短期間で出来ること。貴族という横の繋がりがより強く意識される身分の性質上、各々が家で学んできたことというのがある程度共通しているのだろう。他の貴族が知っている“こと”や“もの”を自分が知らないのは侮られる元になるとかそういった考えが古くから続いているが故の、少し言い方は悪いが、いわば見え張りの副産物という風にも考えられる。誰かから直接そう聞いたわけではないが、学園で過ごす中で私がなんとなく掴んだ貴族という社会の雰囲気からの推測である。
ともかく、準備期間が短いのは恐らくそういった実状、前提があるからだろう。ならば、それに悪い方向で当てはまらない例外である私は周囲よりも準備の密度を高くしなければその最低限の水準に追い付けないのだ。だから、待雪物語を読むのに時間を使ってしまうのはまだしも、探す段階で大きな時間を取られるわけにはいかない、のだが。
「……おおい」
そう、多いのだ。納められている本の数がかなり多い。そこからたった一冊の本を見つけ出すというのは当然骨が折れる作業である。さっきは輝いてすら見えたこの本だらけの空間は、その本棚の高さもあって今はむしろ進む先に立ちはだかる巨大な壁である。
「アリス様、見つかりましたか? 」
ぐぬぬ、と本棚を見上げながら唇を噛んでいると、後ろから足音と共にベルさんの声。その手にお目当ての本はない。ベルさんが探してくれていた区画にも待雪物語はなかったようだ。
一応、娯楽系と学術書でそれぞれ空間が分けられてはいるのだが、逆に言えばそれだけである。本の数が少ないならその分け方でもいいかもしれないが、この量ならもう少し種別を細分化して整理してもらわないとあまり意味がない。二百が百になっても、十をするのが精一杯な私にとっては結局膨大な作業であることに変わりないということである。この辺は自分で調べる、探すということをする機会がほとんどなか、というか許されなかった前世教育の弊害かもしれない。
「ううん。まだこのれつのはんぶんしかさがせてないけど、なかった」
「そうですか。私の探した二列にもありませんでした」
「みらは? 」
「ミランダさんのところにもなかったみたいです。今は部屋の反対側を調べてくれています」
「そっか。ありがとぉ」
いえ、お役に立てず、と申し訳なさそうなベルさんに慌てて首を振って。むしろ、申し訳ないのは私の方だ。流石というか、当たり前というか、ベルさんやミラさんの方が私より探すペースは早い。現に、私が一列の半分をようやく探し終わる間にベルさんは二列を確認し終えているのだから。二人任せなようで本当に申し訳ないが、この調子なら全部の棚を調べる羽目になったとしてもあと一時間か二時間あればなんとか見つけられそうだった。
これでここには待雪物語を置いてないなんてオチだったら目も当てられないが、そこは大丈夫である。きちんと授業の終わり際に置いてあるかどうかの確認は取ってある。具体的にどの棚のどこにあるかまではわからないまでも何が保管されているかは正確に把握しているらしく、祖父は自信を持って置いてあると答えてくれた。
本の管理専門の部署なんかを作ればもっと楽に便利になるのではとは思うが、まあ私の贅沢だろう。もしくは生徒に自分で物を探すということを覚えさせるために態とこういった状態にしているのかもしれない。流石に考えすぎな気もするが。
「つづきさがさなきゃ」
「はい。では、私は一つ隣の棚から」
「ありがと」
そうしてベルさんが隣の列へ向かおうとして、部屋の奥の方から、ドタドタと急ぐ足音。それはどんどんこっちに近付いてくる。なんだなんだと音の方向を覗こうとして。
「姫ーっ! 」
「わっ……!?」
視界に飛び込んできたのは、一冊の本を抱えたミラさんだった。その目が棚の影から顔を出した私を見捉えると軽く走るように駆け寄って、私の前で急停止。余りの勢いにぶつかるかと竦んで固まっていると、すみませんとバツが悪そうにその水色の髪を手で落ち着けた。
「どうしたの」
「姫! 見てください、これっ! 」
興奮で若干敬語の乱れたミラさんがその手の本を掲げて、表紙がよく見えるようにしてくれる。遅れてその意味を理解した私はまさか、と確認して。次の瞬間にはミラさんと同じ笑顔になった。表紙に記されたそのタイトルは、“待雪物語”。
「あったー! 」
「ありましたー! 」
言葉にすれば本を探して見つけただけ、なのだが。結果的に割かしすぐだったとはいえ、この膨大な蔵書の中から目的のものを見つけられたというのが嬉しくて、見つけたのは自分じゃないとか、それはひとまずどうでもよかった。
「よかったですね、アリス様」
「うんっ。ありがと、みら、べる! 」
「いえ、私は姫の騎士ですから! 」
ミラさんと視線で喜び合い、ベルさんはしゃがんで私と頭の高さを合わせながら労ってくれて。しっかりと二人に感謝を伝えながら、小さな達成感を笑顔に変えて共有した。これで自主練習が出来る。ホッと安堵にも似たため息と共、肩の力を幾分か抜いた。
「では、お部屋に戻りますか? 」
「うん。おへやでよむ! 」
「畏まりました。では記入だけ済ませますので、少々お待ちくださいね」
「はーい」
と、ミラさんに手を引かれて一緒に部屋の出口に向かう途中、ベルさんは扉のすぐ傍に設けられた小さなカウンターのような場所へ。長めの机の上に筆記具と、何やら細々と本のタイトルと人の名前が書き込まれている大きな木の板が備えられていて。図書室に待雪物語を置いているかを聞いた時、祖父はこれに借りた本と自分の名前を書くように、と最後に一言教えてくれたのだ。これで本の出入りがわかるように管理しているのだろう、名前はそのまま“貸出板”というらしい。
借りたい本が見つからなければこの板で最後に借りた人の名前を探して、直接本人を訪ねるか、自クラスの担任の教師にそれを伝えるというシステムだと言っていた。けれどこれでは貸出板に何も書かずに本だけ持って行かれるようなことも起きてしまうのでは、と思ったのだが、それも生徒が全員貴族の子であるという事実が解決していた。
……簡単な話である。わざわざ盗るような必要がないのだ。確かに本自体が高価なもので、中には|紙製のものも混じっている――――この待雪物語も紙製で高級そうだ―――ようだが、貴族の権力、財力を以てすればどれも入手は可能である。要するに、彼らからしてみればそこまでして欲しい本があるのなら家に頼むか自分の小遣いで買えば済む話であって、自分はおろか家名すら貶めるような行為をするメリットがなかったのだ。得られる物に対して、負うことになるリスクが高すぎるのである。そういった事情があるが故、この貸出板システムは普通に成り立っているようだった。
「……っと。はい、これで大丈夫です」
「ありがと、べる」
そうこう考えている間にベルさんは書き込みを終えたようで、最後にもう一度書いた内容を確認すると筆記具を元に戻した。本来は自分で書くべきなのだが、何か変に文字を間違ったりしてもややこしいので今はとりあえず甘えておこう。次にまた何か借りることがあれば、その時は自分で。
「ちょっとだけ疲れましたね、姫」
「うん。ちょっとだけ」
「戻ったらマリアンでも――――」
「たべる」
「はやい」
その後マリアンを堪能しつつ、一日かけてしっかりと待雪物語を読みきった私は、案の定号泣しながらも、翌日から授業の時間以外でも自主的に練習を始めたのだった。
「やっぱり、少し強引だったかしら? 」
「いえ、私の聞く限り、正しい判断だったと思います。ルーンハイム様」
「なら、いいのだけれど……」
ステラがそう言って、相変わらずの能面で頷いたのに溢れる不安をなんとか抑えた。アリスを助けるためとはいえ、王女の権威を盾にしたのはやりすぎだった、というか、やりたくなかった。だけれど、ああする以外に思いつかなかったのだ。
あのまま放っておけば、どうなったことか。比較的マシとはいえ、アイリス内でもやはりアリスへの嫉妬の動きはある。アイリスに組み分けられるだけあって、それなりには頭が回るので、あの食堂のお間抜け令嬢みたいに表立った行動は取らないが、彼女らがアリスに向ける目線には確かに負の感情が混ざっている。その魅力のおかげで男子らからはむしろ好意を抱かれているのは救いだが、多数派の令嬢集団というのはいつだって権力を握るのだ。もしもここで彼女らの負の感情が表面化すれば、いや、しなくても、アリスはろくに意見も言えぬまま余った役、例えば誰もやりたくない男性の代役での詩人、それも一番動きのない場面に落とされていただろう。
「ありえない」
そうだ、そしてそれは、私にとってまったくありえない。アリスはそんな、押し付けられた汚れ役をやっていいいような子ではない。間違いなく演劇の“主役”であるべきである。私はおろか、国を傾けるほどの、と表現される母……王妃ですら敵わないその傾国絶世の可憐な容姿、小動物的な愛らしさと憂いを帯びた儚さ、無邪気で純粋無垢で、しかし知的で、相反するはずのそれらすべてを同時に感じさせるその振る舞いや雰囲気は神秘的にすら思える。加えてこのクラスの、いや、もしかすれば学園中の誰よりも聡い。あの歳で、だ。そんなアリスが主役でなくてなんだというのか。どう考えても、誰よりその位置に適している。そして何より。
「才能には機会が与えられるべきなのだわ」
彼女の秘める才能は計り知れない。ステラによる調査――――私たちが授業を受けている間の待機時間であのアリスの従者二人に色々話を聞いたらしい――――の結果、四歳の時点で税制について理解した、王国の二英雄を相手にジューウィタロットで勝利した、金狼を手懐けたなど、信じ難いようなことばかり。何なら稀代の作曲家でもあるようだ。
実際私もアリスの才能を幾つか見つけた。例えば算術の授業で、教師、学園長よりも深く理解しているとしか思えない発言をしていたり、パスキャローヌを応用したように見える簡易計算法、彼女いわく“筆算”というらしいものを授業中にさも当然とばかりに使用していたり。私が確かめた限り、そんな計算法は今まで発見されていない。つまり、彼女の発明であるということ。
……どんな偉人や天才とされる人でも、大体はどれか一つが突き抜けて優れているものだ。でも、アリスの場合は一つどころではない。知っているだけで算術、治政、音楽で飛び抜けた才能を持っている。更にあの金狼が懐いたということがただならぬ器と人柄の良さを証明している。
――――アリスを私と二人で目立つような役にさせたのは、まず第一に私の大切な友だちであるという事実を学園中に知らしめるためだった。
どうやら私がアリスをいたく気に入っているようだというのはそれなりに広まっているそうだけれど、所詮噂は噂である。大した抑止力は持たないのは食堂での一件でよくわかった。
そういった、孤立して排斥されかねない現状があり、それを防ぐために動くというのは、丁度あの直前にも学園長に話していた。今回のような少し強引なやり方が許されたのもそれゆえだ。
ともかく、学園中に噂を事実として認識させる。そうすれば、露骨に害されるような事態は防げるはず。私の目の届かないところでのちょっとした嫌がらせなどまではどうにも出来ないけれど、このままにしておくよりは遥かに楽だろう。そして、理由はもう一つ。
「……学園祭には、人が集まる」
ここルーネリア王立魔法学園の学園祭というのは、ただ学園内部でだけ行われる行事ではない。当日は門が開放され、王国中から見物人……といっても主に貴族、騎士、魔導師で庶民は王都在住の者や一部の行商人などが集まってくる程度だけど、ともかく王都の一大振興祭なのだ。
私たち新入生の出し物というのは入学して日が浅いこともあり、あくまで同期の結束を深めるための小規模なものだけれど、これが上級生になると話が違ってくる。彼らの場合は数ヶ月も前から入念に準備をして、大きなモノを形にする。生徒の親族、従者以外の見物人は大抵それを目当てにやってくる。それは勿論、娯楽としてもあるけれど、それだけが目的でない者も多くいる。各地の有力者たち、特に魔導師階級の人々。彼らが学園祭の見物に来る目的は次代の才能を探すことなのだ。
だから、私の大事な友人の、アリスの才能に機会を与えるという点でこれ以上に適した場はない。幸い彼女は目立つ。それが演劇の最後を王女である私と飾っていれば否が応でも興味を持たれるだろう。少し面倒も出てくるだろうことは心苦しいけれど、友人として、そして王女として彼女の才能を腐らせるわけにはいかないのだ。それは王国のこの先千年の喪失にすら値するかもしれない。それが、二つ目の理由。
そうして改めて考えを整理していると、こほんと咳払いが聞こえた。思索に沈んでいた意識を引き上げて。随分長い間考え込んでいたらしい。私がいつまで経ってもドレスを脱がないのに、着替えの寝巻きを抱えたステラは少し困ったように立ち往生していた。ああ、ごめん、と一言発すると、ステラはいえ、と一拍置いて。
「ルーンハイム様の素晴らしいお考えには同意致します。ですが、もう少し素直になられてもいいのですよ」
「うん……? 」
「役を言いわけにフェアミール様といちゃいちゃしたか――――」
「黙ってなさい」
とんでもないことを言い出した従者を問答無用で黙らせて。はあ、と溜息を吐きながら、ちょっとだけ頬が熱くなる。ステラは勿論、半分冗談として言ったのだろう。……けれど、もっと仲良くなりたい、触れ合いたいという欲求があるというのは。
「……アリス」
――――あながち、間違いでもなかったのだった。
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