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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第三章 貴族令嬢の彼女がいかにして友を見つけたか
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第15話 snow drop

「さて、皆既に知っておると思うが、近々学園祭というものがある」


 マリアンで気力を大幅に回復した翌日、授業もそこそこに祖父はそう切り出した。昨日ベルさんに聞いていなければ、私はえっ、としばらく驚いていたことだろう。隣のルーンハイムさんも勿論知ってたわよと無反応な態度で示していて、いや、自分の通う学園が毎年やっている行事のことくらい知っていて然るべしだろう。普通は。


「例によって、アイリスは劇を披露することになるのじゃが……今日は残りの時間を使って、それを具体的に決めたいと思う」


 道理で授業の流れが早かったわけだ。口ぶりからして恐らくクラス全員で意見を出し合うような形で詳細を決めるのだろう。といっても私は前例も知らなければ、どんな原作があるのかもわからないのでろくに口を挟めはしないだろう。自分が難しい役をすることにならないようにだけ気をつけて成り行きを見守ろう。主役級はたぶん、ルーンハイムさんがすることになるのかな。


「まずはどんな劇をするかじゃな。去年は魔物退治の話じゃった」


 魔物退治の話。きっと私の想像したものと大きな剥離はないだろう。どこの世界でも冒険譚というものは人々の心を掴んで離さないのだ。やはり主役と魔物役を決めるときには揉めたのだろうか。基本的に名誉を重んじる彼らからして、役とはいえ(やられ)役を務めるのは遠慮したいところだろう。私としては、むしろそっちの方がわかりやすい役どころで有り難いようにも思えるけれど。


「誰か提案はあるかな」

「でしたら……」


 と、祖父が尋ねたのを待ってましたとばかりに一人の少女が声を挙げた。そういえばクラスメイトは女性の比率が高い。偏見かもしれないが、心躍る冒険譚よりは煌びやかな恋愛などをメインに据えたものが推されそうだ。


「かの有名な“待雪物語ペルス・ネージュ・ムール”なんてどうでしょうか」

「ほう。王道の悲恋の物語じゃな」


 なんだそれは。……とは勿論口には出さなかった。周囲の反応からするに、よっぽど有名なお話なのだろう。ここでそれはなんですかと尋ねるのは自ら無教養を露呈するようなものだ。かといって知らぬものを聞かないのもまた愚か。詳しくは後でベルさんかミラさんに聞こう。

 そんな内心を知ってか知らずか、祖父の補足によってどうやら恋愛ものであるらしいというのは、なんとなくわかった。それも悲劇的な類だという。


「他にはあるかね」


 見回すような目線に、けれど誰も反応はなかった。概ね賛成ということだろう。若干青年たちは不満気な表情だったが、数的に不利なのを悟ってか覆すつもりはないらしい。ふむ、と祖父は長い髭をしゃくって。


「なら、今年はそれでいこう。……一応、話の内容をおさらいしておこうかの」


 不安な表情が漏れていたのか、チラリと私に目を配ると祖父はそう言った。よかった、役決めであわあわする必要はなさそうだ。ほっと胸を撫でおろしながら、目でありがとうと返した。僅かに微笑んだ祖父から、簡易なあらすじが語られる。


「とある詩人が夢を見て、不思議な庭園を外から眺めていると、一人の真っ白な少女を見つける。すると目のあったその少女が彼を庭園の中に招き入れて、彼はその瞬間少女に一目惚れをしてしまう」

「ふむふむ」


 確かに、どこかで聞いたような気がするほど王道な物語のようだ。まだ導入もいいところだが、漠然と先を予想できる。タイトルと真っ白な少女、悲恋の物語ということからして、少女が亡くなってしまう、或いはもう二度と会えないというような結末になるのではないだろうか。


「それから毎日詩人は夢の中の世界で少女と逢瀬を重ねる。しかしある日、彼は少女に告白をすると決意するのじゃ」


 逢瀬を重ねる、と省略されてはいるが、その日々は甘酸っぱく描かれているのだろう。いや、もっと耽美的な風に描いているかもしれない。そして、きっとその告白がクライマックスなのだろう。まさに雪のごとく儚い終わりを迎えるに違いない。


「彼は拒絶の恐怖に怯えながらも、なんとか少女に想いを伝える。……少女はしかし、それを断るのじゃ。それは、彼が好きじゃないからではない。むしろ、少女も同じ、いや彼以上に好意を抱いている」

「ど、どうして……ぁぅ。こほんっ」


 などとわかった風をしながら、その実あらすじにも関わらず物語に惹き込まれていて。ぼそぼそと呟きが漏れるのをルーンハイムさんの目線に抑える。両手を口に当ててこくこくと頷くと呆れたような溜息が返って来た。はずかしい。


「少女は実は、雪を司る天使だったのじゃ。雪を降らせるために下界に降りる間、詩人の夢の世界を借りていた。だから、雪を降らせた後はすぐに天に戻らなくてはならない。次に雪を降らせるのはいつになるかわからない。それは一年後に来るかもしれないし、彼の生きている間には来ないかもしれぬ」


 あぁ……それは、それはなんて悲しいお話なのだろう。互いが互いの傍にいたいと望んでいるのに、それが望むように叶えられることはない。しかも、断じて不可能なわけではなく、不完全に叶う可能性があるのだ。ずっとは無理だが、もしかすれば、もしかすればまた会うことが出来るかも知れない。それは私には、二度と会えなくなることより残酷に思えた。


「ぐすん」

「ち、ちょっと……ほら、しーっ」

「ぁえ……は、はいっ」


 つんつんと腕を突かれたのに隣を向くと、ルーンハイムさんが必死に指でジェスチャーを送ってくれていて。また声が漏れているのにようやく気付いた私は慌てて口をつぐんだ。右隣から一瞬視線を感じたのは気のせいだということにしておく。


「少女は、だからあなたと恋仲になることはできないと俯いてしまいながら言う。しかし詩人は、それでもいいと、涙を流しながらそれでも好きだと叫んだのじゃ。いつか、また雪が降る日が来るまで、ずっと待っていると」


 私の目頭がとうとう熱くなって、祖父の声にも確かに熱が篭っていた。大小はあれど皆じーんと改めて物語に浸っているように見えた。そんな中、ルーンハイムさんだけは泣きそうな私をちらちらと気にしてくれていて、物語を聞くどころじゃなさそうだった。私も声が漏れそうになるのを抑えるのでそれどころじゃなかった。


「そして最後に二人は口づけをして、彼は夢から覚める。翌日、すべての地面を埋め尽くすほどの雪が真っ白に積もったその夜から、少女はもう夢に現れなかった。その後数日間詩人は泣いて泣いて、やがて雪が溶けていく様をその心情と共に詩に書き起こした。彼は今もその詩を(うた)いながら、少女と会える日を待っている……という、お話じゃの」

「ぱちぱち」


 変な注目を浴びるのをわかっていながら、私は拍手をせざるを得なかった。これは確かに、偉大な悲恋の物語だ。広く親しまれもするだろう。そして案の定多数の目線を向けられつつ、潤んだ目を拭った。この物語を聞くのは、皆からしてみればもう何度目かのことなのだろう。だから何をそんなに感極まっているのか、といった意図の目線なのはわかる。けれど、私はこれが初めてなのだ。初めてこの悲しく儚い、素敵な物語を聞いたのである。ざっと流れを聞いただけでこうなのだから、きちんと全部を読めばもう人目もはばからずに号泣してしまうだろう。それを考えればこの場ですべての内容を聞かずに済んでよかったのかもしれない。


 ……そういえば、ホールのある舎には確か図書室なんかもあったはずだ。


「よし」


 私はこの後すぐにそこに行って“待雪物語”を探すことを決意した。そも、劇をするのに元を知らなければ演じられないのだ。これは何としても元の本をきちんと読まなければ。理解できる語彙の範囲だと良いのだけど、もしわからなければ周りを頼ろう。娯楽として楽しめつつ言葉の勉強にもなる。一石何鳥だろうか。百害あって一利なしの逆パターンである。


「で、役決めじゃが……」


 それはともかく。そうだ、問題は誰がどの役をするかということである。聞いた限り、物語の登場人物は少女と詩人だけ。後は精々一人二人モブがいるくらいだろう。となると、明らかに役の数が足りてないという事態になる。アイリスの生徒は少ないとはいえ、それでも私とルーンハイムさんを含め十二人ほど。どうしても主な役が二つでは数が合わない。


「そうじゃな、丁度元の話が六章にわかれている。章ごとに入れ替わりで全員が演じられるようにしようか」


 なるほど、それなら二かける六で十二、ぴったり全員に役が回る。男子生徒が五人しかいないので一度だけ詩人役が女性になってしまうが、仕方のないことだし観る側もそれくらいは許容してくれるだろう。

 にしても、こうなると目立たない役をするというわけにはいかなくなった。詩人、天使の少女、どちらにせよ必ず主役級が回ってくるのだ。私としてはあまり喜べない結果である。まあ文句を言っても仕方がないので、黙っておく。


「各々、どの章を演じたいか聞こうかの」

「では私は第一章を! 」

「僕は三章が演じたいです」


 祖父のその言葉を皮切りに、それぞれの演じたい場面を挙げる声で教室が埋まった。爆発するような、とまではいかなくとも、中々に白熱し始めたそれに怯えるように私は身を小さくした。


 ……さて困った。どの章を、と聞かれても私はどの章も知りません。別に、最後に余ったところでも構わないのだが、動きが少なくただつまらないという理由で残ったならまだしも、演技が難しくて残ってしまうパターンの場合が怖い。であれば出来そうな部分で、と本来は考えるところだが、ここで元を知らない故の弊害が出てくる。私以外にも同じように困ってる子はいないものかと見回すも、誰もがきちんと各章の内容を把握しているようだった。

 流石に、祖父も家族とはいえ、今この時は一人の教師である。私一人に大きく配慮を利かせるのは当然難しいだろう。となると、私が今頼れるのは。


「――――わかってる。私に任せなさい? 」


 ああ女神(るーんはいむ)さま……。

 するりとつい目線を向けた先、ルーンハイムさんがパチリと一つウィンクをして。唇だけでそう呟くと、何かのタイミングを伺い始めた。私のそんな不安などは簡単に見抜かれていたらしい。そして、それをどうにかしてくれるという。王女様という身分のこともあり、恐らくその考え、提案はすんなり通ってくれるのだろうということも予想できて。少し狡いような気もするが、ほっと安堵してしまう。

 いや、それにズルと言っても、何も一番美味しい場面を奪おうというわけではないのだ。むしろ何もない場面に割り振られたいのである。きっとそれは彼ら彼女らの思惑と一致するはずである。もしも同じような考えの人がいれば申し訳ないことこの上ないが、それはもう友だち特権というやつである。いやまったく、なんと有難いことだろう。ふと打算的な感じがして、そんな考え方は良くないと自分を戒めながらも、ルーンハイムさんに感謝した。


「あの……ありがとう」

「ふ、ふんっ! 別に、私のしたいこととあなたのそれがたまたま合致しただけよっ。……気にしないで」


 少し遠まわしだが、要するにルーンハイムさんが言いたいのはきっと、最後の一言なのだ。だから気にしないで、と。なんて優しいのだろう。もう治まったはずの涙がまた瞳に滲みて来そうになる。そしてルーンハイムさんは咳払いをしてから、何でもないようにいつも話すくらいの大きさの声で。しかしそれだけで、教室の喧騒は嘘のように静まった。


「私は、最後の章をしたいわ……それと、もう一つ」


 まずは、自分のルーンハイムさん自身の要望だ。勿論物語のラスト、一番良いシーンを飾るには彼女が相応しいだろう。それは考えるまでもなく、現にその最後の場面、つまり第六章を志望する声は私の認識した限りでは無かった。誰も、いくら何でも王女様を差し置いてまで一番の華を獲る気にはならなかったのだろう。これはもう予定調和のようなもの、そして、次に発せられる“もう一つ”がきっと私を……。



「――――この子。友人のアリスと一緒に演じたいわ」



 ……私を。簡単な場面に……推してくれ、る……?


「えっ」


 どうやら私の耳はおかしくなってしまったらしい。ああまったく、せっかくルーンハイムさんが助けの手を差し伸べてくれたというのに、酷い聞き間違いだ。まさかそんな……。


「あら。“私の”アリスに何か不満でもお有りかしら。真っ白な、雪のような少女、という表現に、これ以上当てはまる方が他にいらして? 」

「お、王女殿下……それは」

「……えっ? 」


 反対意見を封殺するような言い方をしたルーンハイムさんを、祖父は流石に動揺しながらも咎めて。けれど再び凛と鳴った声はそれすら一蹴した。何か途中凄いことを言われた気がするが、そこに思考を回す余裕はなかった。


「……王女である私と、物語の少女の容姿にぴったり一致するアリス。年齢も唯一釣り合いが取れる組み合わせ。最後を飾る上でこの他に相応しい役当てがあるでしょうか。加えて麗しいご令嬢方はさぞ嫌がられるであろう、唯一の男性代役の枠を先に埋めてしまえるのです」

「む……」


 祖父はその堂々とした説得に暫し考え込んで、やがて納得したように頷いた。……頷いてしまった。いやお祖父様。押し負けてどうするんですか。


「ふむ。確かに、そう言われれば、演出としての観点からは反論の余地がないな」

「ですわ」


 ちょっと待って。誰か、誰でもいい。何か反論を!

 このままでは、ルーンハイムさんと共に最後の場面を演じるというとんでもない大役を任されることになってしまう。た、助けてくれるのではなかったのですかルーンハイムさん……


「どうやら反対はないようだけれど? 」

「少しやり方は強引じゃが……まあ一理ある。反対がないならそれもいいじゃろう」


 祖父も当然、王女様の提案に真っ向から反対できる生徒などいないのはわかっているのだろう。そしてそれは教師ですら、祖父ですら完全な例外ではない。これが論理の伴わないただの命令であればまた違ったのかもしれないが、なまじしっかりと理由もあるだけに否定できない。そして反対は当然出ないのだから、受け入れるしかないのだ。


「じゃあ、決定ですわね。第六章の詩人役は私が、少女役はアリスが」

「えっ、えっ」


 未だに混乱したまま、何故だかそういうことになってしまって。一人呆然とする中、苦笑した様子の祖父と、ふふんと何処か満足げなルーンハイムさん。そして再び残りの場面を奪い合って始まったクラスメイトたちの騒ぎ声に、私は“穏便な学園祭(楽をするの)”を諦めるしかなかったのだった。

次回更新は本日18時です。

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