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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第三章 貴族令嬢の彼女がいかにして友を見つけたか
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第11話 伝統

「おはよう」

「おはよう、ございますっ」


 相変わらずルーンハイムさんは、私より先に席に着いている。これでも待たせぬようにとかなり早起きして、学舎の開放時間から半刻も経たぬ内に教室へ向かうのだが、その先には必ずルーンハイムさんがいる。

 退屈そうに頬杖を付いて窓から外を眺める姿を見つけると同時に、ルーンハイムさんも扉から入ってきた私に気付いて。互いに一言挨拶を交わしてからそっと隣の席に座る。時々今日の朝食はどうだの、昨日の授業でわからないところはなかったかだの、断続的な会話を繰り返しながら、ぽつぽつと他のクラスメイトが教室にやってくるのを授業の開始まで見守る。

 それがここ最近の私の朝の日常だった。


「きょうも、はやい、ね」

「そ、そうかしら」

「いつも、わたしよりさき」

「偶々よ、偶々」


 ルーンハイムさんはちょっぴり慌てたようにそう言って、(おもむろ)に教科書を開いた。私もそれに続いて、なんとなく教科書を広げる。今日の授業は魔法だ。

 算術や社交など、他の教科はベルさん始め周囲のサポートや前世の記憶でどうとでもなっている。やはり私が一番力を入れているのは魔法だった。こればかりは前世にはない、まったく未知の概念。一から地道に学ぶしかないのだ。


 そして、私は少し、いやかなり不安だった。今日は確か、先生……祖父が“実技”をすると言っていたはずだからだ。発動まではさせないが、魔法式の展開までを実際にするということらしい。その式、所謂魔法陣のそれぞれの特徴や理論はなんとか頭に叩き込んだものの、いざやってみるとなるとまた話が違う。加えて私に適した式というのはわからぬままなのだ。それに何より、本当の魔法を馬鹿正直に明かすわけにもいかないのだ。例え明かせるような状況になったとしてもそもそも対応する式が整備されているとも思えないし、かといってあの治癒魔法もどきは厳密には魔法ですらない。一体どうしたものかと悩むも答えなど出るはずもなく。結局、母の魔法を、そして偽りだが、私の魔法が治癒だというのを知っている祖父の機転に任せるしかなかったのだ。


「……どうかした? 」

「えっ、ぁ……えっと」

「実技が不安? 」

「う、うん、すこし」


 顔に出ていたのか、そんな不安を即座に案じてくれたルーンハイムさんに誤魔化しの笑顔を置いて。初めてで唯一の友だちにも本当のことを話せないのに憂鬱な気分にすらなる。黙り込んでしまった私を心配そうに見つめるルーンハイムさんは、よし、と何やら小さく頷いて。


「……ふん。なんとなく、察してはいたわ。先生の孫というのが本当なら、その血を引いているのだしね」

「えっ……」

「――――継承魔法、なんでしょう? あなたの魔法」


 図星を突かれた混乱、一瞬息が詰まったような気がして。けれどある種の確信を秘めたその瞳に、私は頷くしかなかった。授業初日に思わず口に出してしまったおじいちゃんという言葉。ほとんどのクラスメイトが忘れてくれた、気にも留めていないと思っていたそれを、ルーンハイムさんはしっかりと覚えていたらしい。


「それで、自分に適する汎用式がないからどうすればいいかわからない。違う? 」

「……うん。そうです」


 正確にはその魔法が世に明かせぬようなものだというのが大きいのだが、式がなくて困っているというのも次点の悩みである。少し間を空けてしまいながらも私は肯定した。ルーンハイムさんは教室を見回して、まだ他に誰も来ていないのを確認して。そっと身を屈めて顔を寄せたのに私も倣った。


「安心なさい。……そもそも魔法式なんていうものは、形だけのものなの」

「かたち、だけ? 」

「ええ。魔法を上手く発動するのに一番大切なのは、魔力を如何に自由に操作出来るか、即ち想像力なの」


 私は目を丸くした。授業で習ったことから、まるで外れたことを言っていたからだ。授業では式に使われる記号、紋様には魔法的な意味があり、それを組み合わせてそれぞれの魔法に最適な式を組み、その式を介して魔法を発動させることで効率的に魔力を事象へと変換するのだと習った。それが実は形だけのものと言われても、イマイチ意味が飲み込めない。困惑する私に、ルーンハイムさんは続けた。


「なら、どうして魔法式なんてものを教えるのか、よね」

「うん」

「それは、想像力の補助よ」

「ほじょ」

「そう。今、あなたが式が形だけと聞いて驚いたのは何故かしら」


 何故、何故驚いたのか……ああ、なるほど。なんとなく、理解できてきたかもしれない。

 私がそれに驚いたのは、魔法式というものが存在して、それが魔法の発動をより簡単で効率的なものにするのだと教えられていたから、そう“信じていた”からだ。


「つまり、式というのは本当は何の意味も持たないの。魔力を操作してどんな式を象っても、直接魔法に影響することなんて一つもない」

「じゃあ、ぜんぶ……」

「ええ。嘘よ、記号も紋様も、全部でっちあげ。それっぽく作ったものにそれっぽい説明を付けただけ。魔法式の本質はそこにない」


 ルーンハイムさんは、魔法で肝心なのは想像力だと、そう言った。そして式は想像力の補助だと。ここまでキーワードが揃えば、後は簡単だった。浮かんだ考えを一つ一つ確認するように、ルーンハイムさんの声に耳を傾ける。


「けれど、それが本当だと思わせるように教育する。そう習った人は当然、それが真実だと思う。この信じる気持ち、こうすることによってこの魔法が発動するのだという思い込みが、想像力を強化する。それが結果的に、魔法の発動を補助しているの」

「おもい、こみ」


 こういった話は、前世でも聞いたことがある。確かプラシーボ効果と呼ばれていたはずだ。本当は何の効果も持たないものを、あたかも効果があるように思わせることで暗示がかかり、実際に効果が出てしまうという現象。脳内のイメージによって知覚し、操作する魔力においてなるほど、これは大きな効果を齎らすのだろう。


「王宮の禁書蔵……王族のみ読むことができる歴史書や記録なんかが収められている部屋があるのだけれど、そこで読んだの。数百年くらい昔の、当時の国王がこれを思いついて実施、以来ずっと魔法式の存在と効果は真実だと王国に刷り込んできたと」

「ほえぇ……」


 なんと壮大な話だろうか。遥か昔から何百年もの時間を掛けて、王族以外の、王国に住まうすべての人に暗示を重ねてきたのだという。その結果はどうか。見ての通りだ、誰もが完全に式が存在すると信じきっている。いや、事実存在すると言えるのだろう。実際に効果が出ているのだ。だから皆信じている。嘘も積み重ねれば真実になる。時間の力というものを、私は目にした気がした。


「だから、魔法式なんてものは本当は意味がないのよ。式がなくても魔法は使える。勿論、あなたも知っているはずでしょ、聖女様? 」

「うん。……うん? 」


 ここだけの話だからね、と口角を上げて、微笑んでくれたルーンハイムさん。ああ、当然口外は無用だろう。だから禁書指定をされているのだし、そんな事実が世間に広まっては大混乱が起こるのは間違いなし、私は勿論ルーンハイムさんまで罰せられるようなことになるかもしれない。これは本当に、私を友だちとして、信頼してくれているから話してくれたことなのだ。それを裏切るような真似なんかするはずもなかった。

 ……と、いうのはいい。それはひとまず置いておいて、今ルーンハイムさんは何かとんでもないワードを口にしなかっただろうか。私の耳がおかしくなければ、今。


「……ごめんなさい。ちょっと不躾だとは思ったけれど、ステラにあなたの情報を集めて貰っていたのよ。で、庶民の間で広まっているあの噂。あなたなのでしょう? 」

「えっ、えっ」

「白銀の髪で、幼い貴族の少女、違うと言うには無理があるんじゃない? 」

「……ぐぅ」


 ぐうの音も出ない。いや出たけど。そもそも白銀の髪という時点でほぼ特定である。別に、隠しているつもりでもなかったが、私が聖女なんて烏滸がましいにも程がある。結果的に噂されているような行動を取ったのは否定できないが、その実自分勝手に行動しているだけである。

 私の情報を探っていたことにはまあ、特に嫌悪は感じない。私だって最近、ルーンハイムさんの今までが気になって探ろうとした心当たりが幾つもあるのだ。お互い様である。けれど、その噂だけは出来れば知られたくなかった。そんな風に呼ばれているというのを友だちに知られるなど、恥ずかしいことこの上ないのだ。


「まあ、実際どんなことがあったのかまでは流石に調べないでおくけど」

「ぁ、ありがと」

「聖女様、ねぇ? 」

「ううぅぅ」


 ニヤニヤと意地悪な顔が、じっと私の顔を覗き込んでくる。熱っぽい、きっと真っ赤なそれを隠そうと俯いて、あはは、と自然に笑ったルーンハイムさんがふと私を眺めながら。


「そう呼ばれるのもわからなくもないわね」

「えっ」

「……はっ!? い、いえ、何もっ。何も言ってないわ! 」

「そ、そう? 」

「ええ、ほら、そろそろ集まってくる頃よ! 」


 慌ただしく捲し立てるルーンハイムさん。何と呟いていたのかちょっぴり気になりながら、私もだらけた姿勢を正してピンと座り直す。もう二十分近くも経っていたらしい。言うとおり、そろそろ他のクラスメイトも教室に来始める頃だ。

 気付けば足がくっつくほどに寄っていた体をさっと離し、今更ながらその距離の近さにまた頬が熱を帯びて。ふと相棒が恋しくなるのだった。















「今日も何とか、ね」

「お疲れ様です、王女殿下」

「ん」


 寮の最上階、王族用に与えられた部屋で私は腰を落ち着けた。重いドレスを脱ぎ、ステラに投げ渡す。ドレスの皺が伸ばされるのを視界の端へ収めながら、ぽすんとベッドへ倒れ込んだ。


「はしたないですよルーンハイム様」

「あー、はいはい」


 ドレスを仕舞いながら言うステラを雑にあしらいながら、少しの間目を瞑って疲れを癒す。ドレスを脱いでベッドへ寝転がるこの時だけは、私は王女ではなく、ただのルーンハイムだ。ずっと王女然と振舞うのは疲れるのだ。ステラはそれを理解していて、王女殿下ではなくルーンハイム様と呼んだのだろう。怠い体を何とか起こして、一息。すると次に出る言葉をわかっているステラがすぐに傍に寄った。


「で、どうだったの」

「……ルーンハイム様の懸念通り、ですね」

「……そう」


 聞きたくなかった報告に、やっぱりと肩を落とす。まあ、無理もないのだろう。あの若さ、いや幼さでアイリスへ組み分け、更に聖女を彷彿とさせる白銀の髪に、その絶世の、と言って遜色ない可憐な容姿。おまけに継承魔法持ちとくれば、そうなるのも理解できなくはなかった。だが。


「くだらない」


 まったく、くだらない。どこまで腐っているのだろうか、この国の貴族は。親や周囲がそうしていれば自然と子にも伝染する。王国貴族の悪しき伝統。それは、“排斥”。


「……――――嫉妬、なんて」


 そう、嫉妬からの排斥だ。あの子の、アリスのあの神の恩寵を一身に受けたかのような恵まれた才覚、容姿、そしてそれに驕らない振る舞いは、多くの嫉妬を生んでいるのだ。私もまったくそんな感情を抱かなかったと言えば嘘になる。けれど、だからといって徒党を組んでのけ者にするほど私は落ちていないのだ。それは王族の誇り故に、そしてただ一人の友だちであるがために。


 今までで既に避けられていたというのに、加えて今日の授業で継承魔法持ちだということが明らかになった。正しく“王国の貴族”である彼ら彼女らの嫉妬が爆発しないわけがなかったのだ。ステラを始め従者を使って集めた情報は、主に食堂で飛び交う噂話などから伝聞し、それを示していた。そんなやっかみの感情で結束した貴族たちの間で、アリスを排斥する流れが起きつつある。

 私には王女であるという盾がある。しかし、アリスにはそれがないのだ。 


「私一人じゃ、限界がある」

「協力者を探しますか? 」

「いないから毎朝早起きする羽目になってるんじゃない」

「……そうですね」


 私はその流れが起こるのをずっと危惧していた。彼女に会ったその時からなんとなく、その八つ当たりとでもいうべき対象にされるのだろうと気付いていた。これがただクラスメイトというだけの他人であれば、嫌悪感を覚えつつも知らぬふりをすることは出来た。王女なんて肩書きがあるとはいえ、所詮数の力には抗えないのだ。巻き込まれては堪らない。


 ――――しかし彼女は、友だちなのだ。たった一人の、初めて出来た大切な友だちなのだ。私と同じように幼き身にして神童と呼ばれるような才覚を秘めてしまった、それ故の孤独や悩みを共有出来る、唯一無二の理解者なのだ。決して壊させるわけにはいかない。彼女の泣き顔なんて見たくない。


「とりあえず、様子見しつつもっと傍にいてあげるようにするしかないわね」


 私とて、何もしなかったわけではない。朝の、授業が始まるまでの教室、教師や従者たちの目がない時間。そんな場所に味方が一人もいないアリスを一人にして何が起こるかなんて考えるまでもない。だから、誰より早く教室へ来るようにしていた。私の目が届くように、席を隣にさせた。私がアリスを気に入っているのはもう誰の目にも明らかだ。流石に、王女のお気に入りに表立って敵意を向けるほど奴らも馬鹿じゃない。狡猾にバレぬように、しかし効果的に、排斥していく。直接的ではなく間接的に、嬲るように壊していくのだ。


 ……何が貴族だ。これの何処が貴い。


「変えなければならない。絶対に」

「……ルーンハイム様」


 王女ルーネリアとして、そして彼女の友だちルーンハイムとして、こんな現状に目を瞑るわけにはいかないのだ。無論、まだあらゆる力の足りない私に出来ることなど限られているのはわかっている、けれど。


 けれどそれでも、たった一人の友人くらいは守ってみせる。


 ――――“王女”ではなく、“私”の手を握ってくれた、あの小さな手を。

次回更新は本日18時です。

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