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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第三章 貴族令嬢の彼女がいかにして友を見つけたか
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第10話 友だち

「よかった」


 走る勢いで寮を飛び出し、噴水の前までやって来た私はホッと息を吐いた。ルーンハイムさんはまだ来ていない。どうやら待たせずに済んだようだ。

 慌ただしい様子もあってか部屋から寮を出る道中でもかなり注目を浴びたような気がするが、そんなことに構う余裕もなかったのだ。とにかくルーンハイムさんを待たせないことがすべてという一点にのみ思考が絞られ、そこから解放されたのだからその安堵もまた一入(ひとしお)である。


「ところでアリス様、どうしてこういったお話に? 」

「んー……」


 どうして。どうしてだろう。ベルさんに尋ねられて、改めて思う。その疑問は尤もである。私も何故一緒に食事なんて話になったのかまるで分かっていない。唐突と言えば唐突な提案だったのだ。いや、隣席を勧めたり、私に向ける様々な言動から本当に気に入ってくれているのだというのはいい加減理解している。ここまで来てまだ悪意や謀略を疑うほど心が荒んではいないし、私もルーンハイムさんの人柄に絆されつつある。

 ……けれど、それにしても、だ。所詮会って二日かそこらの縁である。こんないきなり食事に誘ったりするものなのだろうか。それとも上流の付き合いではこの程度当然のことだったりするのだろうか。つい最近社交という言葉を覚えた私では到底見当もつかない。ベルさんの疑問は、むしろ私が一番聞きたいのである。


「わかんない」

「そ、そうですか」

「うん」


 まあでも、今後もしも他の貴族の子たちとの付き合いが出来た時に、同じような席があるかもしれない。それを考えれば、寛大で優しいルーンハイムさんに初めての経験をさせてもらえるというのは有難いことにも思える。なにせ王女様なのだから、そこで教わった礼法が、名目上は全員が同等である貴族同士の付き合いでは無礼にあたる、なんてことはないだろう。逆にそれが原因で格下に見られることはあるかもしれないが、そこは要勉強だ。それこそ、今後“社交”の授業で学んでいくことである。


 しかし食事のマナーを始めある程度はあの見学が終わってからの約一年でベルさんに教えてもらったが、上手くこなせるだろうか。差し当たっての問題はまず転けないかということである。こんなに高いハイヒールを履いたのは初めてなのだ。


 足元に一抹の不安を覚えていると、ミラさんが胸を張って言った。


「きっと姫に一目惚れしたんです。私と一緒ですね」

「ひ、ひとめ……? 」

「……一目惚れ、です。初めて会ったその瞬間に好意を抱いてしまうことですよ、アリス様」


 ベルさんがミラさんを目で咎めながら説明してくれた。


 また知らない単語だ。発音が難しい、が。意味はすぐに分かった。前世でも似たような言葉が有ったはずだ。そして恐らく、ベルさんが咎めたのはきっと、冗談でも王女様の心情を勝手な憶測で口に出すのはよくない、ということだ。

 これが誰に聞かれる恐れもない館の私の部屋なんかだったら別だろうが、しかしここは学園。誰が何処で聞いているかもわからないのだから。不用意にそういった発言をして誰かの耳に入ってしまったら、それこそ食堂なんかで交わす大きな話題の種になること間違いなし。そうして変な噂になってしまうのは当然、ルーンハイムさんやその従者の方は良い気はしまい。

 ベルさんはそれを危惧して咎めるようにしたのだろう。……たぶん。


「……ぁ」


 そして、そうだ。食堂で思い出した。ルーンハイムさんはそういえば、昼食を一緒にとは言ったが、どこでとは言わなかった。私はてっきり食堂で一緒に食べるのだと思っていたが、冷静に考えて王女様ともあろうお方が他の生徒に混じって食堂で食事をするのだろうか。もしかしたら学園の外の如何にもなお高い店へ連れて行かれるのかもしれない。その場合やはり代金は此方も自腹なのだろうか。或いは王女様の分も出すのが礼儀なのだろうか。そもそもそんなお金があるのだろうか。


「どうされましたか? 」

「え、えっと……」


 一気に不安な表情になった私に気付いたベルさんが首を傾げて、それにボソボソと返そうとして。カツン、と石材で舗装された道を叩く音がした。


「あら。早く来すぎてしまったかと思ったのだけれど、そうでもなかったみたいね」

「おうじょさっ……るーんはいむさん」


 反射的に王女様と言ってしまいそうになったのに鋭い視線が刺して、言い直す。ベルさんとミラさんが落ち着いて礼をして、向こうの従者の人も小さく返した。私も続いて跪礼をしようとして、ルーンハイムさんがそれを手で制した。


「堅っ苦しいのは今は要らない。今日は貴族としてじゃなくて、と、ともだっ……んんっ! 学友として呼んだの」

「ぇ、あ、はいっ」


 何やらもごもごと言い直したルーンハイムさん。実は緊張していたり……それはないだろう、といつも堂々とした態度をしていた記憶は否定するが、同時にさっき私を昼食に誘った時の照れた様子が肯定する。やはり会って短い。まだルーンハイムさんのことは何もわからない。そも、知っていても読み違える私である。下手な推測はよそうと顔を上げて。


 ――――見惚れた。


「きれい……」


 元より絶世の、と言って遜色ない容姿をしていたのが、ドレスや髪留めなどのアクセサリーで着飾られることによって更に上の、別次元のものへと昇華する。それは最早、芸術品に向ける“美しい”と変わらない気がした。一瞬固まったルーンハイムさんは何故だか俯いて。


「……ぁ、あなたの方が、綺麗、よっ」


 今度は私の頬が真っ赤に染まった。ルーンハイムさんを真似るように俯いてしまって。あらまあ、と従者三人が微笑ましそうに笑った。


「王女殿下。俯いていないで、きちんとお姫様を引っ張って差し上げないといけません」

「うっさい、あんたはちょっと黙ってなさいっ! 」


 お姫様はどちらかというとまさにルーンハイムさんのことなのでは、というツッコミは置いておいて。従者の人に茶化されて吹っ切れたのかそれとも空気を変えたかったのか、じゃあ行きましょ、と歩き出したのを慌てて追った。その足が門へ向かなかったのにお金の心配はしなくてよさそうだと安心しながら、確認するために尋ねる。


「あの……しょくどう、ですか? 」

「うん?……ああ。ええ、そうよ。学費で払っているのだもの。ここで食べないと損だわ」


 意外と庶民的ですね、というのは勿論口には出さなかった。特に庶民という言葉が魔力を持たぬ人という意味も含む王国では、王族にそれを言うのはどう考えても最大限の侮辱である。


「それに、下手な高級店より美味しいもの。ここ」

「たしかに」


 まったく、それには同意である。高級店の味というのは食べたことがないのでわからないが、この食堂のものより上の料理があるというのは中々想像が出来ない。まだ数度利用しただけだが、それでもこれが相当のものだということくらいはわかる。マリアンには及ばないが、食堂の強みは味が、つまり料理が変わるということだ。勿論これから卒業まで別の料理を出し続けるというのは無理があるだろうが、それなりにレパートリーはあるに違いない。一体どんな料理が待っているのか、今から楽しみである。


 ……そして、ついつい敬語を外してしまったのは見逃してくれるらしい。


「あなたは、苦手なものとか、あったりするのかしら」

「にがて……うーん、と」


 苦手なもの。はて、何かあっただろうか。今のところ、食べたものは程度の差こそあれどすべて美味しいと感じられたように思える。怪我の療養中に滋養のためと出されたあの緑で苦味のある、ピーマンのような野菜だってちゃんと食べられるし、嫌いじゃない。単体では、ちょっと遠慮したいかもしれないけど。とにかく、これといって目立って苦手な食べ物は思いつく限りはないはずだ。ルーンハイムさんは大きく好き嫌いがあったりするのだろうか。


「ない、です。るーんはいむさん、は……どうですか? 」

「私? うーん、特に。強いて言うなら会食の時に出る下品な料理かしら」

「げ、げひん……」


 てっきり王族の会食ともなれば、きっと立派なフルコースが振舞われるのだろうと思っていたのだが、どうやらルーンハイムさんにとってはそうではないらしい。しかし下品とはどういうことだろうか。まさかそのまま一般的な“下品”というわけではあるまい。


「あいつら、希少さばかりにこだわって味なんて考えもしないのよ。例えば、そうね」


 要は不味いと言いたいようだ。物の珍しさばかり求めて味は二の次というのは、料理という観点から見れば下品だとも言えるのかもしれない。ルーンハイムさんはんー、と頭を捻ると、見るからに思い出したくもないといった顔をして。


「見たこともないような変な鳥に香辛料(エピス)を山盛りにして丸焼きにしたものだったり、とか。あれは流石に吐いてしまいそうになったわね。周りは何ともなさそうに食べていたけど」


 信じられない、舌腐ってんじゃないかしら、とかなりの毒舌。よっぽど不味かったらしい。下処理も何もなくそのまま香辛料と共に焼いたということだろうか。……それは、確かに。あまり口にしたいとは思えない。


「まったく、ここの料理人を雇いたいくらいだわ。ええと、奥に座りましょうか」

「ぁ、はいっ」


 きっとルーンハイムさんの地位ならやろうと思えばそれも簡単に出来るんだろうな、なんて考えていたら、もう食堂の前だ。今日もお腹を空かせる匂いがする。それも焼いた時の独特の匂いだから、たぶん、肉料理だろう。時間が早いのか、私たち以外は誰もいないようだった。


 最奥の席まで歩いて、しっかりルーンハイムさんが座ったのを確認してから。私もベルさんに引いてもらった椅子に腰を掛ける。カウンターの目の前の席だ。給仕の人が静かに礼をして、私たちがひとまず落ち着くのを待っている。

 そういえばベルさんたちも同席するのだろうか、と浮かんだか否か、丁度ルーンハイムさんがステラというらしい従者の人を見て言った。


「ステラと、ええと……」

「失礼しました。改めまして、アリス様の従者のノクスベルと申します」

「同じく、親衛騎士のミランダ・キュリアと申します」

「そう。じゃあ、二人はステラと一緒に、隣の卓で食べていて貰えるかしら」

「いえ、そんな。王女殿下を差し置いて食事など」

「いいのよ。後ろでじっと控えられていてはゆっくり話もできやしないわ」

「か、畏まりました、では……」


 なんと寛大なこともあったものであるが、これはこれで、今度はベルさんたちが気が気でないだろう。従者の心情というのを完全に理解できるわけではないが、それでも自分の主と、よりにもよって王女様が食事をしている隣で自分たちも食べるのはかなりイレギュラーな事態だというのは何となくわかる。二人に同情していると、給仕の人が一区切り付いたのを見計らって。


「ルーンハイム・ロード・ルーネリア王女殿下、お待ちしておりました。すぐにお持ち致します」

「ええ。どうも」


 するとすぐに厨房に消えていった彼。口ぶりからして、もしかして。こういうことは聞かない方がいいのかもしれないが、それを思ったのを既に口に出してしまった後だった。


「……さき、に? 」

「え、ああ。じろじろ見られるのも嫌でしょう」


 ああ王女様……。ベルさん並の気遣いの良さである。ただの一貴族にすぎない私にここまでしてもらっていいのだろうか。なんだかこっちが申し訳ないような気がしてくる。ルーンハイムさんにしてみれば大したことではないのかもしれないが、私としては常に彼女は王女様であるという事実が付いて回るのだ。ここまでしてくれているのにそれを思うのはむしろ失礼、しかしこんな厚遇に預かっては恐縮してしまうのも無理のないことだろう。

 つまり、ルーンハイムさんはここを貸切にしてくれたのである。一体どのような手筈を使ったのかはわからない。けれど、なるほど、道理で他に誰もいないわけである。


「ありがとう、ございます」

「べ、別に、私は何も……」


 ……そろそろ本当に王女様なのか疑ってしまいそうである。とんでもなく失礼だろうが、どうも少し不器用なだけの心優しい少女にしか見えないのだ。

 もしかすれば、もしかすれば、だけど。きっと何か思惑があるのだろうとつい勘繰ってしまうこの昼食だって、本当にただ仲良くなりたいだけなのかもしれない。

 ついさっき、待っている間に話していた疑問が再び鎌首を擡げて。勘違いか自惚れでは、という考えが確信に踏み切る邪魔をする。かといって勿論、本当に友達になりたいのですか、なんて直接聞くわけにはいかない。


 このじれったい感覚はなんだろうか。理性では聞くべきではないとわかっているのに、どうしてもそれを確かめたくて仕方がない。


「うー」


 私は一つ、深呼吸をして。

 遠まわしに聞いてみることにした。


「あの、るーんはいむさん」

「何? 」

「その、きょうは、どうしてわたしを……? 」


 一瞬凍ったように見えたルーンハイムさんは、俯いたり首を振ったり、何やら忙しそうにして。やがて顔を上げると、目は逸らしたまま。


「――――と……“ともだち”、……でしょう? 」


 掠れるような声を、私はしっかりと捉えた。

 その言葉をたっぷり十数秒咀嚼して、飲み込んで。


 確かにまだ合って数日かもしれない。お互いの事をほとんど知らないかもしれない。けれど、それがなんだというのだ。そんなものはこれから深めて、知っていけばいいのだ。ああ、妙な感覚と誤魔化していたそれの正体に、本当は私だって気付いていた。……変な勘繰りも、過度の緊張も、言いわけはもうやめよう。彼女は王女様だけれど、それ以前にルーンハイムさんなのだ。何のことはない、私と同じ、“ともだち”が欲しい一人の少女なのだ。


 無意識に瞑っていた瞳を開けると、そこには拒絶に怯える、初めての友人がいて。


「――――うん、そうだねっ!」


 ルーンハイムさんが、私を見つけてくれた時から。

 私が、ルーンハイムさんを見つけた時から。


 ――――私は彼女と、友だちになりたかったのだ。

次回更新は明日の12時です

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― 新着の感想 ―
[良い点] えんだぁぁぁぁ え、違う? お互い正しく尊敬しあえる素敵なお友達になりそうですな
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