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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第三章 貴族令嬢の彼女がいかにして友を見つけたか
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第9話 悪魔で天使

「では、本日の授業は以上で終了じゃ。明日は算術をする。教科書を忘れぬようにな」

「ありがとうございました、先生! 」


 祖父が数時間に及ぶ授業の終了を告げ、教科書を閉じて。別にそう決められてるわけでもないというのに、誰からともなく挙がった感謝の声で教室は溢れた。私も含め、全員が祖父の授業に魅入られていたのだ。わかりやすく、しかし教科書の内容をただなぞるのでもない。また、いきなりアイリス用の教科書から始まるのではなく、基本の方から丁寧に進めてくれるのが私にとってはとても有難かった。


「ふーん。中々……いえ。期待以上だったわ」


 綺麗に授業内容がまとめられた羊皮紙をくるくると巻いて、ペンを仕舞いながらルーンハイムさんは呟いた。若干つまらなそうにしている時もあったが基本的には集中して聞いていたように思える。時折脱線として話される実践的な知識は、彼女にしてみても興味深いものがあったのだろう。

 その隣で私も、下手な字で書いた拙い羊皮紙のメモを巻いて紐で止める。持ってきた時のように教科書を重ねて積み、その上にペンとインクを置いて一息。早々と寮へ帰っていく子もいれば、祖父に質問を飛ばしている子も多くいた。あの様子ではちょっと話せそうにない。諦めて帰ろうとして、視線を感じたのに隣を向いた。


「……この後、何か用事はあったりするかしら」


 ルーンハイムさんが微妙に目を逸らしながら、ボソリと言った。いや、特に用事はないのだが、どういう意図だろうか。まさかなにか気に入らないところがあってそれを……。


「その、よければ、一緒に昼食……なんて」

「えっ」


 えっ。頬が赤いから怒っているのかと思えば真反対もいいとこ、どうやら照れていたらしい。一緒に昼食に行かないかという、まさかのお誘いである。まるで予想外だったのもあって、私はたっぷり固まった後。


「……うん。じゃない、はい」

「そ、そう」


 なんだこれ。気まずい。非常にムズ痒い。恥ずかしい。

 ルーンハイムさんがついに顔ごと目を逸らした横で、私も俯いてしまって。ただ昼食を同席するだけだというのに、何故だかそれがやたらと気恥ずかしく思えた。それはルーンハイムさんも同じなようで、結局二人揃って沈黙してしまった。


 どうしよう、何か話題を出した方がいいのだろうか。それともこのまま黙っていた方がいいだろうか。ちらちらと様子を伺いながら不毛な堂々巡りに陥りそうになって、ふと背中から声が掛けられた。


「――――授業は終わったみたいですね、お疲れ様でしたアリスさ……どうされました? 」

「ぁ……!? 」

「アリス様? 」

「べるーっ!きゅーせいしゅ」


 その声の主はベルさんだった。勿論ミラさんも一緒。ああ、よかった……。本当に救世主である。このままでは気まずい沈黙のまま、ルーンハイムさんと共に金と銀の銅像になるところだった。私は周囲の目も忘れて、思わずベルさんに抱きついた。


「わわ、アリス様っ? 」

「ぎゅー」

「ぐっ……!? 」

「ああダメですノクスベルさん! 落ち着いてください! 」


 何故かミラさんに背中を摩られながら深呼吸をするベルさん。ふぅ、と何やら天井を仰ぎながら達成感の滲むような息を零して。その顔は何処か悟りを拓いたような満足そうな表情だった。


「べる? 」

「……ん、んん、こほん。いえ。それで、どうされましたか。アリス様」

「う、うん……えっとね、えっとねっ」

「はい、はい」

「おうじょさま……るーんはいむさんと、いっしょにおひるたべるの」

「そうですか。それはよかっ……えぇっ!? 」


 流石にベルさんも素で驚いたようで、微笑みが崩れるとそのまま口を抑えて目を見開いた。ミラさんは私を見つめながらポカンとしていた。いきなり王女様と一緒に食事をすると言われたのだ。そうもなるだろう。ああ、そうだ、しまった。


「るーんはいむさ……」


 ルーンハイムさんを一瞬放置してしまっていたことを思い出してハッと声を掛けようとして、途中で止める。同じく迎えに来た緑の髪のメイドさんと話していたからだ。邪魔をしては悪いだろう。


「それで、上手くいったのですか? 」

「ええ。計画通りよ」

「その割にはどうも微妙な空気になっていたように見受けられましたが」

「う、うるさいわねっ。ちゃんと誘えたわよ! 」

「それは失礼致しました、ルーンハイム王女殿下様」

「馬鹿にしてるでしょう」

「よくお分かりで」

「くたばれ」

「はしたないお言葉はいけません」


 何を話しているのかはよく聞こえないが、とても仲睦まじそうだ。その証拠にルーンハイムさんの表情は授業中の張ったような雰囲気から砕けて柔らかく、きっとあれが普段の彼女なのだろう。まったく、と憤慨した溜め息を吐くと私の方を向いて、目が合ったのに姿勢を正す。


「えっと、それで。教科書を持ったままだと邪魔でしょうから、一度部屋に戻って用意を済ませたら噴水の前まで来て頂戴」

「ふんすいの。わかりました」


 確かに、教科書や筆記用具をこのまま持って行っては邪魔だろう。部屋へ一度戻るべきだ。ルーンハイムさんの言葉を反復するようにしっかりと声に出して確認して、噴水の前というのを頭に刻み込む。そんな短時間の間に忘れることはないだろうが、逆にだからこそ、もし忘れて遅れてしまってはとんでもない無礼になる。振り向くとベルさんとミラさんが小さく頷いてくれて、二人も聞いていてくれたなら安心である。


「……ふん。待たせたら承知しないわよ」

「は、はいっ」


 ぷい、とそう残すとルーンハイムさんは従者の人と一緒にさっさと歩いて行ってしまった。私も急いで戻らなければ。王女様を待たせるのはまずいというのは考えなくともわかる。机の上の教科書を抱えようとして、けれど既にそこに荷物はなかった。あれ、と顔を上げると、いつの間にかミラさんがすべて持ってくれていた。


「ありがと」

「いえ、そんな。では急いでお部屋に戻りましょう、姫! 」

「うんっ」


 気付けば他のクラスメイトも祖父もとっくに教室からいなくなっていた。学園長と教師の仕事を兼ねるのはきっととっても大変で忙しいんだろうな、と心の中で祖父を労いながら、差し出されたベルさんの手を自然に握って。転ばないように気をつけながら早足で教室を出た。


「ふくは、だいじょうぶかな」

「服ですか? 」

「うん。ふく」


 広場の噴水を横切って寮へ向かいながら、今度は身嗜みに考えを巡らせた。大々的に会食をするわけではないとはいえ、王女様との食事である。少し豪華なドレスを着ていくくらいはした方がいいのではないだろうか。そんな考えを半ば独り言としてベルさんに尋ねると、ああ、と私の拙い文言に理解の色を示してくれて。


「それでしたら、ご安心ください。同期に王女殿下がご入学されるのは事前に聞いていたことですから、こんな場合に備えて相応のドレスは幾つか持ってきています」

「そっか」


 ……そういえば棚に仕舞った服の中に、普段着にしてはやけに豪華なドレスが混ざっていた気がする。恐らく父あたりから聞いていたのだろう。どうやらルーンハイムさんが同期だというのはベルさんたちにとっては周知の事実だったようだ。私は入学式で初めてそれを知ったというのに。

 予め教えていて欲しかったという不満が湧かないでもなかったが、よくよく思い出して見ればその時の私は学園に行く、寮で暮らすことになるということだけで頭がいっぱいである。そこに王女様が同期生だと伝えられて私はきちんと備えることが出来ただろうか。……否、むしろ余計に混乱して心の準備を間に合わせることも出来なかったに違いない。であればその情報を入手して、けれど敢えて私には伏せるように気遣ったのであろう父の判断は間違っていないように思えた。


 ともかく、服装などの懸念は杞憂として良さそうだ。問題は着替えてる時間があるかということだが……いや、そうだ。彼女は、“用意”を済ませてからと言っていた。私はその時はてっきり荷物が邪魔だからという点だけに思考が行っていたが、今考えればそういった着替えなども含めての用意、というつもりで言ったのだろう。寮舎の扉を潜りながら一人納得していると、ベルさんが思い出したように切り出した。


「……そうですね、最近は髪をふわふわに巻いたりするのが流行りみたいです。お着替えと一緒にアリス様もしてみますか? 」

「くるくるふわふわの姫ですか。それはまた、破壊力抜群になりそうです」


 顔だけ振り向いて言ったミラさんの褒め殺しはともかく、流行りというのは貴族の間でという意味だろう。言われてみれば確かに、ルーンハイムさんを始めアイリスの子はみんな大小の差はあれど髪を巻いていたような気がする。何だかんだ今の髪型に愛着はあるが、それが流行だと言うのならそうするのに別段抵抗はない。好奇心からそうしてみたい気持ちもある。しかし、どうやってあんな風にくるくるにするのだろう?


 ベルさんはそんな私の沈黙を不承と捉えたのか、慌てて付け足すようにした。


「勿論、アリス様の羨ましいくらい癖のない真っ直ぐな髪を巻いてしまうのは少し心苦しいですし、今のままで十分すぎるくらいにお綺麗ですが……」

「ぇあ、ううん。まくのはだいじょうぶ。でも、どうやってするの? 」


 前世でも髪型を弄るような文化はあったと言えばあった。とはいえ例に漏れず支配者階級の嗜みだったし、髪を巻いたりするのにはそれ専用の機械を使うと聞いた。勿論私に馴染みがあるはずもないのでどのようにして巻き髪を作るのかなどは知らない。

 しかし星全体の荒廃に行き着くまで重ねた時の中で育まれた“知恵”があっても、専用の機械を使うという結論になっていたくらいなのだから、それもなしに巻き髪にするというのは中々手間のかかることなのではないだろうか。持ち上げた指の間をするりと流れていくようなこの髪が、ルーンハイムさんを長く待たせずにくるくるになるとはどうにも思えなかった。


「元は偶然の発見らしいのですが、髪の毛は熱を加えれば簡単に癖を付けられるのです」

「ねつ」

「はい。なので、それを利用して髪を巻いたりするんです。専用の魔法具が必要なのですが」

「……ある、の? 」


 こくりと頷いたベルさんは、目線を先導する背中に向けて。その主、黙って話を聞いていたミラさんが、ちょっぴり照れくさそうに、前を向いたまま。


「……私が一応、と買っていたのです。こんなに早く役に立つとは、思っていませんでしたが」


 こんなこともあろうかと、ということらしい。本当に準備のいいことである。きっと、年齢のせいでかなり浮いた状態になるのが予想される中で、せめて身嗜みの流行でくらい周囲と合わせられるようにという配慮から来たものなのだろう。向けられている愛情の深さに涙が溢れそうにすらなるのを堪えて。


「ありがと、みらっ」

「い、いえっ……! そんな、偶然です」


 謙遜しながらも明らかに嬉しそうなミラさんに、ベルさんと微笑みを合わせて。

 そして、私の疑問に対する答えは簡単。世界が違おうと髪を巻くのに専用の道具を使うというのは変わらないようだ。魔法と科学という似て非なる方向なれど、人の考えることというのは同じらしい。まさかこんなことでそれを感じることになるとは思わなかったけれど。


「では、ドレスもそれに合うものを選びましょう」

「うん。おねがい」


 ミラさんがきぃ、と扉を開いたのに続きながら、私は既に背中のリボンを解き始めた。続けて靴を脱いだのと同時、ミラさんは自分のベッドの隣の小棚から何やら筒状の、全周が櫛のようになっている道具を取り出して、持ち手を握ると魔力を込め始めた。いつか館の厨房で見た魔法のかまどと同じような仕組みなのだろうか。


「この櫛の部分で巻いたり梳いたりして形を作るみたいです。火傷をしてしまうことがあるので直接肌に触れないように、と店の方が言っていました」

「畏まりました」


 十分な量の魔力を注ぎ終わったのか、ミラさんはそれを慎重にベルさんに渡して。ベルさんはそれをくるくると確認するように回して見てから、試しに自らのサイドテールの先の髪を一摘みだけ巻き付けた。数秒待ってから髪を離すと、巻きつけた毛は綺麗にカールがかかっている。


「すごい」

「ふふ。私も使うのは初めてなので驚きました」

「こんなに綺麗に巻けるんですね」


 三人揃って感嘆を挟んで。しかし私たちには驚いている時間もあまりないのだった。動かないでくださいね、というベルさんの指示に従って大人しく待つ。これを使うのは初めてだと言っていたが、ベルさんだ。不安などはなかった。


「アリス様は、完全に巻いてしまうより、少し巻き癖を付けてふわふわにする方がお似合いになりそうですね」

「そお? 」

「はい。とっても可愛らしいと思います」


 じゃあ、とそのまま提案を受け入れる。どの道私ではそういうのはあまりわからないのだから素直に聞いておく。目線の先ではミラさんが今度は大棚から黒を基調としたフリフリのドレスを取り出して、丁寧に皺を伸ばしていた。


「くろ」


 ……なるほど、黒いドレスか。いつも明るい色系統の服ばかりを着ていた気がするので、なんだか新鮮だ。ベルさんが選んで持ってきたのだから似合わないということはないのだろう。見た感じ肌の露出は少なめで、装飾がやたら多く見える。またお高そうなドレスである。


 そのままぼーっと髪のセットが終わるのを待っていると、ベルさんが梳く手を止めた。じーっと視線を感じるが、まだ許可が出ていないので動かない。黒曜の瞳と向き合っているとやがて満足そうに頷いた。そうして振り向いたベルさんにミラさんが今度は黒いドレスを渡して、それに着替える。というか着替えさせてもらう。人形に心があるならいつもこんな気持ちなのだろうか、なんてくだらないことを思いながら。最後のリボンが結ばれると二人は頬を緩ませながら私を見て。


「……何というか、抱きしめたくなりますね」

「いつもの姫が天使なら、今は小悪魔でしょうか」

「言い得て妙です」


 よくわからない言い回しは気にしないこととして、二人の様子から察するに、要は似合っているということらしい。髪型を変えたのも黒いドレスも初めてなのでなんだか少し恥ずかしいような気もするが、まあそうも言っていられない。私が思ったより早く準備が出来たとはいえ、ルーンハイムさんはもっと早く用意を済ませて既に待っているかもしれないのだ。


「いそがなきゃっ」

「あぁ、アリス様っ! 靴がまだ――――」


 扉に向かう自分のぺたぺたという足音とベルさんの声に頬を赤くして。それを隠すために相棒を抱えながら、心なし意気消沈気味にハイヒールを鳴らすのだった。

次回更新は本日18時です。

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