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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第三章 貴族令嬢の彼女がいかにして友を見つけたか
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第8話 知らない言葉

「さて、君たちは魔法と聞いてまず一番に何を思い浮かべるかな」


 一人だけ時間の止まった私をおいて、そんな問い掛けから祖父の授業は始まった。その問いは危惧していたような難解な、知らない用語だらけの専門的なものではなく。そのすべての前置きとして根本的に魔法とは、という話をするつもりらしい。


「炎、水、身体強化……ああ、それから“光”も、かの」


 私たちがみんな考え込んだのにじっと待って話し始めた祖父は途中チラリと私の隣、ルーンハイムさんに目を配りながら。ふん、とそのオッドアイが睨んで返したのに微笑ましそうにすると更に続けた。


「そのどれもが正解で、不正解じゃ」


 それにきょとんと首を傾げたのは私だけではない。誰もが目を丸くして疑問を抱えた。ならば何なのか、と。私が浮かべたのは勿論、あの氷の魔法だった。次いで浮かんだのが祖父も言及した炎などの魔法。それ以外にもっと有名な魔法があったりするのだろうか。


 祖父は一様に不思議な顔をする私たちを見回して。うむ、と答えを繋いだ。


「魔法とは、即ち“時間”なのじゃ。どの魔法も、遥か昔から続く血……君たちの体を流れる血が重ねてきた時間の結晶じゃ」

「じかん……」


 なるほど、そう言われてみれば、確かにその通りなのかもしれない。今私たちが持つ魔法は、遺伝と適応を繰り返してきて出来上がったもの。それはある種の歴史、時間と言えるかもしれない。

 母の魔法については結局詳しくはわからず終いだが、あの時のベルさんたちの反応からして何か似たようなものであるというのは確かだろう。祖父も母の魔法は知っているはずで、ここに私がいることもわかってそう言っているのだ。ならば私もそれに漏れず、氷の魔法もまた“時間”であった。


 隣を見ると、ルーンハイムさんも少し納得したような表情を浮かべていて。誰も否定の声はあげなかった。


「……誰か、ワシの魔法を知っておる者はいるかの? 」


 唐突にも思えるその質問に答えようとして、あれ、と。そういえば、祖父の魔法が何なのかは私も知らない。家族だから知っているような気がしたが、よくよく考えればまだ教えてもらっていなかった。

 しばらくの沈黙。誰も知らないようだと祖父に目を戻そうとして、隣で手が挙がった。やはりというか、ルーンハイムさんは知っているらしい。


「……“喚起”。世にも珍しい、喚起の魔法だと聞いたことがあります」

「その通り」


 あ、流石に学園長ともなると敬語なんだ、とどうでもいい感想を抱きながら。はて、喚起。喚起とはなんだろうか。字面のまま受け取るなら、何かを喚び起こすもの。眠っている何かを目覚めさせるもの。


「聞いたこともない者も多いじゃろう。それもその筈、この魔法はワシに流れる、マウリスタ家の“血”の中でしか発現したことがない。喚起の魔法は知らなくとも、そういった魔法をなんというかは聞いたことがあるのではないかな? 」


 何人かがあっと同意の態度を取った。いや、何人かというか、私以外のほぼ全員がそんな反応をした。一人置いてけぼりな雰囲気に居心地が悪くなりかけて、一瞬祖父と目が合った気がして。


「そう、俗に言う――――“継承魔法グリモアデペズィグリー”というものじゃの」


 ……継承魔法。初めて聞いた。私のあの魔法もきっと、それに入るのだろう。いや、待て。祖父は自らの魔法が“喚起”だと言った。


「ワシの魔法について説明しておくと、言葉通り、対象に眠る何かを喚起する魔法じゃ。潜在能力を目覚めさせる、と言えばわかりやすいか。まさに教師に打って付けの魔法だ、はっはっは」


 私を含め、全員が“喚起”を理解した様子に祖父はまた優秀じゃの、と一言嬉しそうにして。けれど私の中では、それと同時に浮かんだ別の疑問がどんどんと大きく確かなものになっていって。或いは祖父は、私が気付くと知っていて、教えようとしているのかもしれない。


「さて、このことからわかることは何かな」


 不意に笑顔を落ち着けた祖父が何を言いたいのかが、なんとなくわかって。思わずそれが言葉となって口から零れ落ちる。


「じか、ん」


 祖父は私に目を向けると、より一層笑みを深めて。小さく頷くと、またその口を開く。即答した私に注目が向いて、けれどそんなことは気にならなかった。


「その通り。時間。どういうことと思うかね。先ほどワシは、魔法とは血の重ねた時間の結晶だと言った」

「つまり、歴史……血の、歴史」


 今度はルーンハイムさんが声をあげた。その通り、とまた何度目かの言葉が響いて、祖父はほんの僅か、いつもより大きく目を開いた。


「そうじゃ。例えばワシのこの魔法からは、これが必要な状況、即ち、ワシの古い先祖は何かを教えるような位置に就いていたというのがわかる。これが王女殿下の言った血の歴史、時間というわけだの」


 気付けば誰もが祖父の授業に熱中していた。頭を捻り、耳を傾け、机の上の教科書のことも忘れて話に集中している。学園長というのは、伊達ではないのだろう。しかし私は、別のことが聞きたかった。それを確かめたかった。祖父に必死に目線で訴える。


「長々と話してしまったが、つまり君たちにはこれを念頭に置いて欲しいのじゃ。――――魔法の探求とは、即ち過去と現在、そして未来の探求。その本質とは自分というものを探ることである、とな。……今までの話で、何か質問はあるかね? 」

「はい、ありますっ! 」

「先生、私も! 」


 感嘆したような溜め息が幾つも聞こえて、それから次々に質問が飛び出す中。祖父が静かに私を見て、私も祖父を見つめて。そうしてやがて、手を上げた。


 ……祖父は、自らの魔法が喚起だと言った。父が魔力を持っていない以上、私の魔法はすべて母から受け継がれたもののはずで、引いては祖父の魔法でもあるはずだった。

 しかし、私の魔法は氷なのだ。きっと継承魔法であることは間違いないものの、どうにも喚起とは関連性を見い出せない。……だから、私は聞きたかったのだ。



 ――――もし。もしも、“二つ”の継承魔法が引き継がれた時。……その子の魔法は、どうなるの?









「……ああ、そう、そうじゃの。やはり気付いたか」


 “アリス”の放った質問に、私は頷いた。確かにそのような事象については、私も学んだことがなかった。王女とはいえ、まだ八歳を数えたばかりであることは事実。そのような専門的な、かつ不確かで有効性も怪しいような知識は教えても仕方がないと判断されたのだろう。従者兼教師でもあるステラは、基本的に実用性を好む人物なのだから。


「それを説明するにはまず、別種の魔法を持つ者同士が結ばれた時、その子供の魔法がどうなるかから話せなねばならないのう」


 こくりと大人しく聞く姿勢を見せた彼女に、学園長はよろしい、と静かに語り始めた。まあ、私以外にその知識のある者は少ないだろう。同じアイリスのクラスメイトとはいえ、所詮は新入生。幼き頃から王女として教育を受けてきた私の知識量とではそもそも比べるまでもないのだ。


 ……しかし、そういえば彼女は先ほど学園長を見た途端、何やら取り乱して“おじいさま”と叫んでいたが、もしや本当に祖父と孫の関係だったりするのだろうか。フェアミールとマウリスタに血の繋がりがあるなんてことは聞いたことがなかった。


 これはそもそも、フェアミールというのが戦争によって突如成り上がって家名を持ったというかなり特殊な貴族な所為だろう。そんなポッと出の、元は庶民であった者の周囲の人間関係までを正確に把握している者などおらず、英雄として名を馳せ始めた時には帝国との戦争の真っ最中。当然そんなことに労力を割いている場合ではなかったのだから。

 そして更に戦争後、王国中枢部は庶民上がりの彼を筆頭に、現体制に反感を見せた者のほとんどをマリアーナに移封してしまった。マリアーナは中立とは名ばかりの、隔離地帯なのだ。況してやその中枢部の連中が全員危ないものは遠ざければ安心だと信じきっているお花畑な頭をしているともなれば、マリアーナの、そしてその領主を務めるフェアミール家の情報が簡単に手に入るはずもなかった。勿論彼の親族や配偶者についての情報など知るわけもなく、むしろ、マリアーナに関しては庶民の方が詳しいとまで言える。事実彼女、アリスを見るまで、フェアミールに娘がいるということすら知らなかったくらいである。


「アリ、……フェアミールは、どう思う。それぞれ両親から別の魔法を持つ二つの血を受け継いだ時、その魔法は何か変化すると思うかな? 」

「うん……じゃない、はい。まざって、かわったり、とか」

「ふむ」


 彼女がそう言うのに、周囲の他の生徒も頷いていた。その瞳からはなんでこんな幼い子が、という訝しげな色は抜けていないけれど、とりあえず言っていることには同意らしい。だがこんな可愛らしい見た目では侮ってしまうのも仕方がない。その歳にまったく見合わぬ聡明さに気付いている私ですら、先の学園長の問いに“時間”だと即答したのには驚いてしまったのだから。

 それはともかく。しかしいくら彼女でも、流石に知らないことまですべて当てられるわけではないようだ。かくいう私はと言うと、両親がそれぞれ違う魔法を持っている場合での継承、その答えは知っている。これも既にステラから学んだこと。

 学園長は一拍置いて、やがて語り始めた。


「間違っているわけではないが、そうだな。それは極めて特殊な事例じゃ」

「とくしゅ」

「うむ。両親から引き継いだそれぞれの魔法が、混ざって別のものに変化するということはほとんど起きないのじゃ」


 そう、基本的にその場合において魔法は、どちらか片方のみが発現する。母か父か、より色濃く引き継いだ血の方の魔法が優先される。ここでいう血というのは、どちらにより似るかという話だ。厳密には、子は産まれた時点では両方の魔法を引き継いでいる。

 しかし魔法がその使い手に適応するものである以上、その子の言動、つまり性格に合った方が発現するのだ。例えばそれぞれ炎と身体を硬化する魔法を扱う両親のもとに生まれたとして、それぞれの特徴とされる情熱的な性格と慎重で保守的な性格というのが、両立することは合っても完璧に均衡が取れることはない。どうしてもどちらかに寄ってしまうものだ。そしてその寄った側の性質の魔法がより適しているということなのだから、自然と発現するのはそちらの魔法になる、ということらしい。


「だから、二つの性質が混ざった新しい魔法が誕生するということは滅多に起きない。だが、絶対に起きぬわけでもないと、そういうことじゃ」


 学園長の説明と記憶のそれを照らし合わせて、違っているところがなかったのに少し安堵しながら。学園長は大方全員が納得の表情を浮かべたのを確認してから続けた。


「フェアミールの言う通り、稀に上手い具合に双方が混ざり合い、別の魔法を使えるようになる場合もある。先天的に新しい魔法の特性を持つ場合と、後天的に今まで使っていた魔法に加えて新たな特性が使えるようになる場合があると言われておる。前者は王国どころか帝国にすらおらんが……後者は僅かながら確認されている」


 過去を辿れば前者もいたとされているがそのすべては伝承として伝えられてきたもので、どれもが眉唾、事実上御伽の存在とされていた。それこそ、その代表格がかの有名な“聖女様”であるのだから。


「あたらしくつかえるようになるほうが、えっと、すごい……ですか? 」


 まるでその聖女様のような白く美しい髪をした彼女が拙い語彙で尋ねた。


 確かに一見、事実上二つの魔法を使えることになる後者のほうが色々と重宝されるように思える。けれど、実はそうでもない。その“新しい魔法”の程度や規模が、前者と後者ではまったく違うとされているのだ。前者の魔法はそのまま御伽噺に出てくるようなものと言えば、その違いがわかりやすい。要するに現実的に有り得ないようなものばかりだということ。


 彼女はそれを興味深そうに聞いていて。いえ、興味というより、何かを確かめるような……?


「後者で有名なのは“警告”の魔法などかの。聞いたことがあろう、あれは炎と知覚強化系統の組み合わせのもとで生まれる可能性が高いようじゃな。継承魔法でも、理論上は同じことが起こる。じゃが、これは……うむ。今まで一人も、確認された例がない」


 なるほど、継承魔法とはいえ、魔法は魔法。その性質は他の普通の魔法と大して変わらないらしい。持参の羊皮紙に解説を書き殴る者もチラホラといて、私も頭の中にしっかりと書き留めた。

 けれどその隣で、彼女はそうですか、と答えを受け入れながら。それでもまだ疑問が冷めないようだった。臆病で引っ込み思案なように見えてその実、好奇心はこのクラスの誰よりも強いのかもしれない。


「……じゃあ、あたらしいまほうをもったひとのこども、は、どうなりますか」

「基本的にそのまま引き継がれている。じゃが、前者の場合は……」


 と、そこで学園長は言い淀んだ。当たり前だ、前例が無いのだもの。もしかすれば、その秘めたる知性とは別のところで歳相応に御伽噺を信じて夢見たりしていたのだろうか。彼女は顔を俯けて。学園長の表情にも少し陰が落ちた気がした。


「ああ、わからない。……わからないのじゃ。だから、尚更、魔法を学ばなければならん」

「うん……じゃない、はい。がんばり、ます」


 どうやら、祖父と孫という関係は本当らしいというのは、そのやり取りの様子から察することができた。一連の質疑応答は、彼女らの間では何かそれ以上の意味が含まれていたようで。……別に、私には関係ないことなのに。


「……ふんっ」


 何故だか彼女の――――アリスの、その不安気な表情が妙に気になって、仕方がなかった。

次回更新は明日の12時です

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