第7話 異口同音
「そっちに、いるの? 」
「はい、姫。私たちはあの隣のお部屋で待機になるようです。けれど何かあればすぐに教室に飛び込みますのでご安心くださいね」
「うん」
初めての魚の感激を十分に噛み締めた私は、そのまま学舎一階、今期生のアイリスクラスの教室の前へ来ていた。どうやら付き添い人は隣の小部屋で待機となるらしい。生徒でない者に授業内容までは聞かせられないということだろうか。それが許されるならば寮施設の利用代は別として、学費を払っていないのに実質授業を聞けるという悪用の出来そうな状況になるのは当然学園もわかっているらしい。
しかしそれが出来るのが、私のような特殊なケースを除き、ほとんど王族など最上位の身分限定になるということを考えるに、この身分がすべての王国では大して批難を浴びることはなさそうなものだ。或いは、この学園は実はそういった身分による特権のようなものを比較的忌避しているのかもしれない。そうはいっても王族ともなるとそれなりの配慮をしなければならないのだろうが。
「ではアリス様。初めての授業、隣から見守っていますね」
「うん。またあとでね、べる」
ミラさんから運んでもらっていた教科書数冊を受け取って、思ったより重量のあるそれにバランスを崩しそうになりながら。ひらひらと手を振って隣の部屋に入っていく二人を見送った。両手が教科書で塞がって手を振り返せないのにちょっぴり寂しさを感じながら、気持ちを切り替える。
「よしっ」
さあ、初授業だ。魔法学園と銘されているだけあって、初回は魔法の授業らしい。算術なら周囲より多少のリードがあると自負しているが、魔法となるとサッパリ。ベルさんたちに聞き齧った知識しかない。基本は理解しているという前提で始まらないことを祈ろう。
不安をなんとか押し殺しながら、アイリスの花の紋章が刻まれた扉を潜る。教室の内装自体は、ここまで来る途中で見た他のクラスのものとほとんど同じつくりだ。違いは一回りくらい小さいというところ。ここに組み分けされるのは他より少数の生徒になるという判断だろう。
「えっと」
中には数人の生徒。先入観から来るものかもしれないが、流石にみんな利発そうだ。教室には長い長方形のテーブルが並んでいて、それぞれの列に椅子がおよそ五つずつ。彼ら彼女らは既にそこに座って思い思いに教科書を開いたり、隣の子と静かに会話していたり。その内容までは聞き取れなかったが、きっと如何にもな会話をしているのだろう。
「せき、せき……」
それはさておき、自分の席はどこだ。見たところ試験の時のように椅子にネームプレートが垂れ下げられているようでもない。自由席なのだろうか。
何か席の指定が示されたものはないかと教室を見回していると、廊下とは反対側の壁際、その先頭の席で一人退屈そうにしている金髪の少女を見つけた。王女様……ルーンハイムさんだ。宣言通り、彼女もアイリスクラスに組み分けられたらしい。声を掛けた方がいいのか迷っていると、彼女も私を見つけた。扉のすぐ傍でおどおど佇んでいる様子に察したのか、小さく私に手招き。従わぬわけにもいかないので、重い教科書を落とさないように気をつけながらすぐに駆け寄る。
「おはよう」
「お、おはよう、ございますっ」
慌てて頭を下げると、またいつものようにふん、と。すると続けて溜め息を吐いて。何か間違っただろうかと必死に思案していると、しかしルーンハイムさんは表情を和らげた。
「あなたに会った後だと、どうも。余計に他が凡庸に見えてね。退屈していたのよ」
「えっと……そ、そう、ですか」
相変わらず交友というものをバッサリ切り捨てたような発言に困ってしまいながら、今の発言が周囲に聞こえていないかきょろきょろと確認する。みんなそれぞれの会話に夢中のようで、こちらを気にした様子はない。よかった。
「それで、何処の席に座るかは決めたのかしら? 」
「いえ、その……」
ということは、やはり自由席なのだろう。なら、出来るだけ目立たない席に座りたいところだ。最後尾がいいだろうかと目を彷徨わせていると、なら、とルーンハイムさんが切り出したのに視線を戻す。彼女は私の後ろ、自分の隣を指差して。
「隣に座るのを許可してあげる。名誉なことね」
私の目立たない作戦は一瞬で水の泡である。無礼だとわかりながらも“えっ”と声が漏れてしまったのは仕方のないことだろう。近くの席に座れと言われるのを予想していなかったわけではないが、本当に言われてしまった。
いや、別に彼女が嫌いなわけではない。むしろ、ちょっとわかりにくいながらも好意的に接してくれていて、歳も他の子たちよりは近い。あわよくばこのまま友人になれたらいいな、なんて思っていたりもする。けれど問題は彼女が王女様だということで……まったく名誉なことである。
「何かしら、まさか嫌だなんて言わないでしょうね? 」
「そ、そんなことはっ……ありがとうございます」
機嫌を損ねる前にさっさと隣へ座る。すると此方を気にしていなかったはずの周囲の意識が私に向いているのを感じた。気にしていなかったのではなく、意図的に無視していたらしい。なるほど、下手に目があったりしてルーンハイムさんの機嫌を損なうのを恐れていたのだろう。だって既に彼女は不機嫌そうにしていたのだから。
それが自分たちより何回りも小さい童女が来た途端、そのしかめっ面が和らいで、何やら見知ったように話をしているともなれば注目も浴びようというものだ。
彼らも私の噂は耳にしているのだろうか。……ああ、そうでなくても私はこの歳のせいで既に目立っているのだった。最後尾に座ろうと目立たないというのは土台無理な話だった。
「……ん、んんっ」
「……こ、こほんっ」
……気まずい。
教科書の重さから解放されて隣に座ったのはいいが、非常に気まずい。
何を話せと言うのだ。いや、何か話さなければいけないわけではないのだが、どうも、こう。隣に座っておいて黙っているのも気が引けるというか、無言もまた失礼にあたるのではないか。
……けれど変に無理やり話題を振って失言してしまっては同じだし、そもそも王女様に振るべき話題なんてわかるはずないじゃん!
「……そ、そういえば! 」
「ひぃっ!? は、はいっ! 」
心の中で世の理不尽に憤慨していると、突然話しかけられたのに思いっきりびっくりしてしまう。どう考えても失礼である。一応咳き込むフリをして誤魔化してみるが、おそらくバレバレである。そうして恐る恐るルーンハイムさんを見ると……。
「き、昨日は、一度だけ、名前で呼んでしまったけれど、その。嫌だったりした……かしら? 」
「えっ」
失礼に怒るどころか、むしろ自分が非礼ではなかったかと伺って来た。嫌だったなんて、まさか。名前を呼ばれて怒ったことなんて一度もない。王族ですら気にするほど呼び捨てというのは大事なのだろうか。
「これは別に、そう、王女として一応礼を通すためだからっ、変な勘違いはしないで頂戴ね……! 」
何をどう勘違いしろと言うのだろう。まさか王女様ともあろうお方が私のような貴族の童女の名を呼ぶのを躊躇うこともあるまい。やはり彼女の言う通り、儀礼的に筋を通すためのやり取りなのだろう。それにしてはやけに慌てているが。
……いや、なるほど。きっとルーンハイムさんは、そういった一般常識すら知らなさそうな幼い私に、それを間接的に教えてくれているのだ。しかし王女として威厳を保つために周りにそれを悟られるわけにはいかない。それ故に慌てて勘違いするなと付け足したのだろう。
なんと優しいのだろう。彼女は一見高圧的に思えるが、それは王女様という立場や環境上仕方のないことで、その実中身はやはり心優しい少女なのかもしれない。
「もちろんいやなんかじゃ、ありません。ありがとう、ございます……!」
「……えっ? 」
その寛大さ、優しさにジーンと感動していると何故だか今度は彼女が首を傾げた。私の感謝がまったく何のことだかわからないとばかりに困惑していて。……また私は読み間違えたのだろうか。
「えっ」
「えっ……」
そうして疑問符のキャッチボールが始まった。現在ボールは私側。ルーンハイムさんの返球をしっかりと受け止めると再び手を振りかぶって、相乗効果で大きくなっていくそれを投げ返す。さあここからはチキンレース。どちらかが止めるまでこの投げ合いは終わらない!
「ま、まあ、それなら――――」
「とめたー! 」
「いぃっ!? な、なによっ……? 」
「ごめんなさい」
彼女はびくりと肩を跳ねさせるとほとんど涙目で尋ねて。いや本当にごめんなさい。
他者の心を推察するのが下手なのは今に始まったことではないのだ。いくらその酷い有様に自分のコミュニケーション能力を絶望したからといって、現実逃避に他人を巻き込んではいけない。ましてや彼女は王女様である。絶対にいけない。これで嫌われたりしては本当に洒落にならない。
「だめ、ぜったい」
どこかで聞いたような標語を口にして自分を戒める。もう手遅れかもしれないけれど。
僅かな期待を込めてルーンハイムさんを見ると、彼女は未だに混乱しながら。
「ふ、ふんっ。まあ、嫌じゃないなら、これからも名前で呼んであげてもいいわ! 」
「るーんはいむさま」
ああ、何たるご慈悲だろうか。こんなアホみたいな失態を彼女は聖母のような広い心で許してくれるらしい。無意識に様と呼んでしまうのも当然、なるほど、これが王女様の器。
「様は要らないったら……はあ、何だかあなたと話してると気が抜けるわ」
「ご、ごめんなさい? 」
溜め息にびくつきながら謝る私を見ると、ルーンハイムさんはクスリと小さく笑った。
その柔らかな微笑みに少し見蕩れてしまっていると、ふと机の上の教科書が指差されて。
「教科書はもう読んだの? 」
「すこし、だけ……」
他ならぬルーンハイムさんのことばかり考えてあんまり頭に入ってこなかったが、一応最初の方だけ目は通した。教科書は全クラス共通のものと各クラス毎のものがあって、共通のものには基本的な用語の説明や成り立ちについてが記されていた。知っていることもあったが中々わかりやすく、此方は問題なくついていけそうだった。問題はアイリス用の方で、やはりその共通の方の内容を理解している前提の内容なのだ。一人で読み解くには恐ろしく時間がかかりそうで、こればかりは授業を受けてみるしかない。基本からしてくれると嬉しいのだが、先生次第だろう。
そんな不安が顔に出たのか、ルーンハイムさんは目を逸らしながら。
「……何かわからなかったりしたら、特別に教えてあげてもいいわよ」
「るーんはいむさま」
もしや王女様ではなく聖女様なのではないか。そんな思いすら浮かび始める。またもや潤んだ瞳で見つめていると、何故かルーンハイムさんの頬はみるみる紅くなっていって。何かの蒸気すら発しそうになったところで耐え切れなくなったように咳払いをした。
「まじまじと人の顔を見つめない! 無礼よ! 」
「し、しつれいしましたっ」
言われてみればそのとおりだ。じろじろとひたすら見られて良い気はしない。この短時間で何度無礼をしたのだろう。王女様がもしもこのルーンハイムさんでなければ私は既に何度も無礼として処罰されているだろう。
……というより、ルーンハイムさんだから、なのかもしれない。理由はわからないが、何故だか私は彼女に親近感を覚えているらしいのだ。失礼をしないようにと気をつけているつもりなのに、いつの間にか気が抜けている。
長い付き合いならまだしも、彼女とはつい先日会ったばかりのはずである。だというのにこの妙に親しく、いや、親しくなりたいと感じる気持ちはなんなのだろう。歳が近いのもあるのかもしれないが、こんなことは生まれて初めてだった。
「あの」
「何? 」
けれど、その不思議な気持ちのことは置いておいて。まずは感謝だ。きっとどうしても授業でわからないところは出てくるはずなので、それを教えてくれるというのはとても心強かった。勿論ルーンハイムさんもわからなければ教えようがないだろうが、どうもそんな状況になるというのは思い浮かばなかった。昨日の結果もまだ見ぬ内からアイリスなのを確信していた様子や試験中の余裕そうな表情に引っ張られているのか、何でもそつなくこなしてしまいそうなイメージがあるのだ。
「ありがとう、ございます」
「……ふん」
まだ目を逸らしたままのルーンハイムさん。機嫌を損ねてしまったのかな、と少し心配になっているとガラリと教室の扉が開いて。目を向けた先にいたのは、同期の生徒ではなかった。白髪混じりの長い金髪を頭の後ろでくくり、同じく金色の立派な髭を鳩尾の少し上の辺りまで蓄えた、老年の男性。垂れ気味の眉と切れ長で細い目は弧を描いていて、笑顔を浮かべているように見えなくもない。
「――――ご機嫌よう、新入生諸君」
彼が一言そう発すると、教室中の話し声が嘘のように治まった。静かでしゃがれた、それでいてよく耳に響く声は見た目の印象通りで、朗らかさと厳しさを同時に内包しているように思えた。チラリと隣を見ると、ルーンハイムさんでさえ彼の佇まいにつられて姿勢を正していた。
「おお、優秀優秀……きちんと人の話を聞く姿勢ができるというのはそれだけで評価されるべきことじゃ。はっはっは」
感嘆したとばかりに一つ笑った彼はさて、とその手に持った使い込まれた教科書を教壇に置いて、黙って彼の言葉を待つ私たちを見回した。そうしてうんうんと何事か頷いて。
「入学式ぶりかな。改めて、ワシはマッグポッド・マウリスタ。君たちアイリスクラスの授業を担当する。……これからよろしくの」
誰もが目を見開いて驚いた。
それもその筈、入学式で彼は確かに名乗っていたのだ。そう、自らがこの学園の長だと……。
「――――って、おじいさまじゃん!? 」
思わず飛び出した私の渾身のツッコミは、当然なかったことにされた。
次回更新は本日18時です。