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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第三章 貴族令嬢の彼女がいかにして友を見つけたか
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第6話 水魚の交わり

「ぁふ……」


 ボヤける目を擦り、ぼーっと天井を眺める。今は何時だろうか。感覚的にはいつも通りの、始業のおよそ一時間から二時間前くらいのはずだ。

 あくびをいくつか零しながら背中を起こす。ぎぃ、とベッドが鳴った。


「おはようございます、アリス様」

「おはようございます、姫」


 すぐに聞こえた声にへにゃりと頬が緩んで。まだまだ部屋には慣れないが、ベルさんやミラさんがいるからだろうか、特に居心地の悪さを感じることはなかった。


「おはよぉ」


 寝惚けて間延びした声。クスリと微笑みが零れたのは気付かなかったことにしながら、手元に転がる相棒を抱き上げる。まだ頭のもやは晴れない。朝には弱いのだ。

 しかし、いつまでも惚けているわけにもいかない。今日は記念すべき初めての授業の日だ。幸か不幸かアイリスに組み分けられてしまったというのが大きな不安要素だが、それ以前に寝坊してしまっては元も子もない。鈍足な思考をなんとか働かせながら、背伸びをした。


「んんっ、ぁ……ふ」


 体の(ほぐ)れる心地よさになんとも言えない声を出してしまって。ふと視線を感じて向くと、ミラさんがじっと私を見ていた。なんだか瞳が血走っているように見えなくもない。


「なまめかし――――」

「ミランダさん」

「はい」


 何か言おうとしたのをベルさんが遮って、またミラさんが怒られている。相変わらずのやりとりはもう気にしないことにしている。……と言いつつもやはり気になって、髪が跳ねたりしていたのかと触って確認するもそんな様子はない。まあいいやと疑問を放り投げる。そのまま一瞬何気なく顔を下に向けようとして、その目が通り過ぎる途中で大きな肌色を見つけて。


「んあ」


 間抜けな声を漏らしながら改めて自分を見下ろした。寝巻きのゆるいワンピースが肌蹴て、右肩から脇の少し下までが完全に露出していた。妙に涼しく感じたのはこれのせいか。どうせ着替えるのだから、特に直しはしなかった。


「ミランダさん」

「まだ何も言ってません」

「失礼しました」


 二人の会話を目覚まし代わりにしながら、ベッドを降りる。無意識に相棒を抱えたままなことに気が付いて、少しだけ考えてから彼をベッドに戻した。


 ……とりあえず、相棒には授業が終わって帰ってくるまでベッドの番人になっていてもらおう。一応教室にも持っていけるらしいが、授業にまで持って行っては流石に浮き過ぎであろう。入学式で相棒を抱えたまま出席しておいて何を、とも思うが、あれは何故か没収されなかったというある種のハプニングである。……そもそも預けようともしなかったというのはひとまず置いておいて。


「おきがえしなきゃ」


 もう一つ大きなあくびをして、それから衣服を仕舞った棚に向かおうとすると二歩ほど踏み出した辺りでベルさんが素早く棚を開けて、ドレスとドロワーズを取り出して持ってきてくれる。今更といえば今更だが、本当に何から何まで甘えっぱなしである。


「今日は初めての授業ですね」

「うん」

「楽しみですか? 」

「んー……」


 もぞもぞと脱いだ寝巻きをミラさんが受け取って戸棚に直してくれる。なんとなくそれを見守って、ベルさんにされるがままに着替える。ドロワーズを穿き終わって、今度はドレス。半分巻きつけるようにして布がぴとりと体を覆っていく。背中に細くV字のスリットが入っていて、ちょっぴり恥ずかしい。

 だが、仮にも令嬢として公共の場に出るのだ。そして王国貴族的にはこういうデザインのドレスが一般的だというのだから甘んじてそれに倣うしかない。似合っているかどうかは私にはあんまりわからないけれど、ベルさんが選んでいるのだから間違いはないだろう。


 ベルさんは話を続けて。


「では、不安ですか? 」

「りょうほう」

「両方ですか」

「うん」

「大丈夫です。アリス様は試験の結果、アイリスに組み分けられたのですから」

「んー……うん。そだねっ」

「はい」


 背中でリボンがきゅっとキツくない程度に結ばれ、最後に細かな皺や着崩れを直して仕上げ。お似合いですよ、とミラさんも褒めてくれて。こくりと頷いて感謝を返す。目を逸らしながらだったので正確に届いているかは知らない。


「髪を整えたら、軽く食堂へ向かいましょうか」

「ぁ……うん」


 そう、食堂。食堂だ。こうしてベルさんに言われるまでまったく忘れていたが、これからの食事は主に学園備え付けの食堂で摂ることになる。別に外で食べたり買ったものを持ち込んでもいいらしいのだが、食堂の代金はあらかじめ学費に入ってるというのだ。それならなるだけ食堂を利用しなければその分が無駄である。

 そしてそれとは別に、単純に食べてみたい気持ちもあった。何せここは、その高い学費に加え、魔法の他に社交や算術なども学ぶ都合上、貴族や王族ばかりが通う学園である。ならばその食堂のご飯が美味しくないはずがなかった。噂では王宮で働けるような一流のシェフが雇われているとか。私はぼんやりと老年の紳士的なコックを想像した。或いは職人気質な無口系かもしれない。


「はい、これで完璧です。誰が見ても世界一可愛らしいお姫様ですね」

「ありがとっ……ぅえっ? 」


 と、期待を膨らませている間にベルさんは私の髪を梳き終わって。ふっと一歩離れて一瞥するとそんな歯の浮くような言葉を放った。余りに自然に言うものだから一瞬そのまま流してしまいそうになった。

 もじもじと照れを誤魔化していると、いつの間にか見慣れた騎士の格好に着替えていたミラさんもその隣に並んで、うんうんと頷いた。その手には今日の授業に必要な、魔法に関する教科書が数冊。私には少し重いだろうということでミラさんが運んでくれるらしい。


「やはり、姫がそこにおられるだけですべてが一枚の絵画のように思えてしまいますね! 」

「まったくです。同じ女性として嫉妬してしまいますわ。ズルいですよ? ふふっ……」

「……ぁう」


 ベタ褒めである。この体に流れる血のおかげか、確かにそれなりに整った顔立ちなのは自覚している。ある程度は素直に受け入れなければ謙遜ではなく嫌味に取られてしまうようなこともあるだろう。しかしそれにしても絵画は言いすぎである。

 そんな褒め方をするのはこの二人くらいで、そういった言葉にほとんど耐性のない私は毎度こうして頬を真っ赤に染める羽目になる。もうちょっと、自重して欲しい。身内贔屓ならぬ主贔屓だ。


「ぃ、いいから、いこっ! 」


 まだ何か言おうとする二人の手を――――とは言うものの“引っ張る”というには力が足りず、くいくいと必死に二人の袖を掴んだだけであった――――扉へ誘導する。

 何故だか急に震えたり顔を抑えたりして無言になったのに首を傾げて、けれどちゃんと着いて来てはくれるようなので無視することにした。


 部屋の扉をきちんと閉じて、廊下を抜けて階段を下る。

 道中ではちょろちょろと他の生徒の姿も見えた。私がアイリスクラスだというのは同期どころか先輩方にまで噂が広がっているらしく、そもそも一際幼いのもあってやはり注目を浴びる。遠慮はしてくれているのかジロジロと露骨に見られることはないが、明らかに視線は私の方を気にしているのだ。目立つのは少し苦手なのもあって、ついついベルさんやミラさんの後ろに隠れるようになってしまう。


「アリス様」

「……ありがと」


 そのおどおどした様子を見兼ねたのか、ベルさんはいつかのようにきゅっと指を絡めて手を繋いでくれて。ちょっぴり周囲に見られるのが恥ずかしくも、私の足取りは軽くなっていた。


「ららん、らららー」

「また新しいお歌ですか? 澄んだ朝にぴったりの旋律ですね」

「う、うん」


 勿論これも自分で作ったのでもなんでもないが、もうベルさんとミラさんにはそう認識されている上に特に良い誤魔化しも思いつかないので放置している。どの道私は将来作曲して二人にそれを聞いてもらうという、勘違いから生じた約束もしてしまっているのだ。自業自得とはいえ、改めて詰んでいる。


 まあ、それはさておき。そのまま寮を出て、噴水の広場へ。丁度反対側、ホールの建物へ向かう。あそこは寮と学舎以外の様々な施設がすべてまとめられている。見学の時はホールしか見せてもらえなかったが、その他に食堂や図書室、果ては音楽室なんかもあるらしい。前世より施設が充実しているというのは何とも皮肉な話だ。文明は進みすぎないくらいが丁度いいのかもしれない。


「ごはん、ごはんー」


 けれど今はそんなことより眼前の食事が大事だ。一体どんな料理が出てくるのだろう。

 (おうち)で食べたあのお肉よりも美味しいものもあったりするのかな。チーズは置いてあるかな。それと、何より気にしているのが……。


「まりあん……」


 これがなければ、絶望であると言っていい。そしてマリアーナの特産品のはずなので、幾ら王国最大の学園の食堂とは言っても、置いていない可能性の方が高い。これは私にとって死活問題だった。もはやこの体はマリアンなしでは生きていけないのだ。


「あったらいいな」

「マリアンですか? 」

「うん」


 するとベルさんは本当にお好きですね、と苦笑してから、人差し指をその薄桃の唇に当てて少し考えると言った。


「そうですね、もしここで扱っていなくても、ここは王都ですから。街に出ればきっと何処かで売っていると思います」


 確かに。学園の食堂にはなかったとしても、ここは天下の王都である。あの巨大な街並みのどこにもマリアンがないとは考えにくかった。きっと行商人によってここにも輸出されているだろう。

 あの黄金の果実は誰にでも……いや、そうだ。きっとマリアンは王都でも絶大な人気を誇っているはずである。ならば“売り切れ”ということも有り得るのでは。これは盲点だった。事ここに至っては父に手紙でこの窮状を伝えてマリアンを送ってもらうしかないのだろうか。


 ――――そうして手紙の文面を考え始めた、その時である。その暗雲を切り裂いた、一筋の光。まさに、危機に陥った姫を救う御伽噺の騎士様のように。


「あ、でしたら売っていそうなお店をいくつか知っていますよ」


 それを驕る様もなく、まるでなんでもないようにミラさんが言った。その碧眼はただ純粋な善意で満ちている。なんと誇り高い騎士様だろうか。私は思わず涙すら流しそうになったというのに。


「ほんとっ!? 」

「わあっ!? 」


 外面も殴り捨てて縋り付いた私に、わたわたとミラさんは慌てていて、ベルさんはあらあらとそれを傍観していた。じっと、顔を近付けながらきらきらと瞳を煌めかせる。


「お、落ち着いてください、姫っ……! 本当です、本当ですから」

「まりあん! 」

「はい、ちゃんと確認したわけではないので確実ではないですが、とある店で他の果物と一緒にマリアンも並べられていたのを見た覚えがあります」

「まりあん! 」

「姫……」


 テンションはもう鰻のぼりだ。例えこれで食堂にもマリアンがあったとしても、流石に毎日食べられるような量は確保していないだろう。その気になればいつでもマリアンを確保できる、これがどれほど幸せなことか。将来領主になった暁にはもっともっとマリアンの生産を拡大させ、改良に勤しむのがちょっとした夢になりつつある。


「まりあん、まりまりまりあーん」


 一気に上機嫌になった私は即興でまりあんの歌――――これを歌えずにマリアニストを名乗ることは許されない――――を口ずさみながら、開放されている扉を潜ってホールの入口を通り過ぎ、その奥へ向かう。その先の食堂は既に、多くの生徒で賑わっていた。一人で静かに教科書を開きながら食べている人もいれば、何人かで集まって楽しそうに話しながら食べている人もいる。その更に奥にカウンターのような一角があって、そこに一人の男性が立っていた。給仕係だろう。


「どうやら今朝はパンとスープそれと、魚料理のようですね」

「おさかな? 」

「はい、お魚です」


 魚か。前世の故郷は、昔は多種多様な魚料理が存在することで有名だったらしい。特に米という穀物と生の魚を合わせた“寿司”という料理は世界でも最高峰の人気があったそうな。

 ふとそんな話を恩師に聞いたのを思い出して、実際は食べたことどころか本物の魚を見たこともないというのになんとなく懐かしさまで感じてしまう。牛の肉はとってもジューシーで美味しかった。魚はどんな味がするのだろうか。


 未知のそれを舌の上に想像しながら空いていた席を見つけて座ろうとしていると、頼みにいく間もなく給仕の男性は私たちの方を見て微笑んで、一つ礼をして。そのままカウンターの奥、恐らく厨房の中に消えていってしまった。たぶん、料理を取りに行ってくれたのだろう。仕事が早い。


 ……しかし、そういえば。


「べると、みらは? ごはん」

「えっと……ああ、そういえばアリス様には特に誰も説明していませんでした」


 一瞬きょとんした二人は得心がいったと頷いて。

 私がベルさんの言葉に首を傾げると、ミラさんが心なし小さな声で説明してくれた。


「食事は付添いや護衛の人の分まで用意してくれるみたいです。これも学費の中の食事代として勘定されるみたいですが、金額自体は変わらないみたいで」


 それは、なんともお得な話だ。要するに実質払っているのは私一人分の金額だけで、なのに実際は三人分を提供してもらっていることになる。

 ……なるほど、これはきっと、そもそも付添い人がいるような生徒は誰か、ということだろう。それはつまり、王族など一部の、上流の中でも最上位に位置するような人物だということだ。その付添い人にも食事代等を請求するというのはがめつい、無礼などという話になるのかもしれない。


 そんな中私はちょっと特殊で、身分ではなく、あまりの幼さ故に付添いが許されている。学園側もどう対処するか判断を迷って、きっと最終的に祖父が贔屓してくれたのだろう。ちょっと後ろめたいが、黙っていれば別段周囲が気づくこともあるまい。せっかく三人で仲良く食べられるというのだから素直に喜んでおこう。


 そうしてこくこくと納得していると、男性が厨房からお盆を抱えて戻ってきた。いつもはベルさんがしているそれを、ベルさんやミラさんと一緒にされるというのは何だか新鮮だった。


「お待たせしました。今日の朝食はサーモンです」


 ことりと盆を置いて説明した彼によると、この焼いた魚はサーモンという種類の魚らしい。王国ではとても一般的で、簡単に漁れる沿岸地域なら庶民でも口にできることがあるのだとか。しかし海に接していない完全に内陸の王都ではれっきとした高級品のようだ。後は見慣れた野菜のスープにパン。残念ながらマリアンはなかった。わかっていたとはいえショックを受けながら、戻っていく彼を見送って。


「じゃあ、たべよー」

「はい、アリス様」

「魚料理は初めてです……」


どうやらミラさんも魚は初めてらしい。やはり沿岸部でもない限り、貴族の次に地位の高い騎士階級でも中々お目にかかれないような代物らしい。これの代金が含まれている学費が一体いくらになるのかを考えると背筋が寒くなる。父には、本当に感謝しなければいけない。そしてそれを無駄にしないために、今日から必死に授業を頑張るのだ。アイリスに尻込みばかりしていられない。


「いただきますっ」


 隣の席の少女に不思議そうな目で見られながら、私たちは揃っていつものように、しっかりと手を合わせてから。


「――――おいしい……っ! 」


 初めて食べる魚の味は、未知の美味しさに満ち溢れていた。

次回更新は明日の12時です

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