第5話 ともだち?
「どきどき」
「あんまり急いでは危ないですよ、アリス様」
試験が終わって翌日、結果発表の日。昨日は試験会場であった教室で発表される結果を確認するため、私は朝一でベルさんとミラさんと一緒に中央の建物、そのまま“学舎”と呼ばれているらしいそこへ向かった。
逸る気持ちからつい早足になってしまい、それをベルさんに諭される。気持ち少しスピードを落として、噴水の広場を抜けて開いた状態で固定された扉を潜り、学舎の中へ。まだ学舎の開放時間丁度というのにも関わらず、やはり考えることは同じなのか廊下は既に同期の新入生たちで賑わっていた。教室の方角からは絶えず悲鳴や歓声が響いている。出来れば私も歓声の方を上げたいところである。
「ちゃんと、あってたかな」
「例え今回の試験の成績が低くても、これから学べば大丈夫ですよ。それに、姫ならきっと……いえ」
今度はミラさんにフォローを貰いながら、きっと一人では他の子たちとの体格の差で弾かれてろくに動けなかったであろう廊下を何とか進む。先導してくれているミラさんは穏やかでありながらも警戒を怠っていないのは、その隙なく周囲に意識を配っている様子から読み取れた。親衛騎士というのはみんなこうなのだろうか。何にせよ、頼もしい限りだ。
ミラさんへの護衛としての信頼を上げながら、ようやく教室の前までたどり着く。中も外も同じく結果を確認しに来た同期たちで溢れていて、身長のせいで教室の中が上手く見えない。ベルさんに助けを求めると抱き上げてくれて、ぐんと高くなった視界で中を覗く。するとベルさんが教室の後ろを指差して。
「どうやらあそこで尋ねるみたいですね」
昨日は付添い用の椅子が並べられていたそこには、今日は幾つかの小さな机も一緒に並べられていて。ここの教員だろう、何人か大人がそれぞれその傍に立っている。誰もが我先にとそこへ殺到する横で、項垂れている子もいれば笑顔で語り合っている子もいた。
はたしてそう呼んでいいのか疑問なくらいぐちゃぐちゃではあるが、そうして自然と出来上がっている“列”らしき何かの最後尾、教室の扉のすぐ手前の青年の背中に急いで並んで、直後私たちの後ろにも長い列。学舎の開放と同時になだれ込もうとまではしなかった残りの大多数の同期たちだ。彼らはきっと、それなりには自信があるのだろう。不安でいつもより一時間も早く目が覚めた私とは違って。
「よし、よし……! やったわ、“リリウム”よ! 」
「くそ、あんなの解けるわけないだろ……」
列の先頭では新たに結果を受け取った二人の男女が対照的な反応を示している。更に続いていくそれぞれの反応に私も期待と不安を交互させながら、そのまま待つこと数分。ついに列の先頭は私になった。
「ふー……」
「大丈夫ですか? 」
微笑ましそうに案じてくれるベルさんに目で大丈夫と返しながら、一つ深呼吸をする。
入学式での事前の説明によれば、クラスは三つ。それぞれ授業内容の難しい順に“アイリス”、“リリウム”、“コクリコ”に分かれる。どれも花の名前からとったものだろう。
コクリコでは学園で最低限必要だと設定された知識を、リリウムではそこから少し発展したものも学ぶ。アイリスは直接国政などに関わるようなかなり専門的なところまでやるらしい。
私としては、リリウムが第一志望である。領内だけとはいえ庶民の環境の改革も考えているのだから万全を期すならアイリスクラスなのだろうが、過ぎた高望みは身を滅ぼす。かといって最低限を学ぶのだというコクリコでは心もとない。なら、リリウムが最も目的と自身の限界に釣り合いが取れていると考えたのだ。
それぞれの基準の試験成績がどれくらいなのかは知らないが、どうにか上手くリリウムに達していることを願うばかりだ。一応解答欄はすべて埋められたとはいえ、答えられたのとそれが合っているのかはまた別の話なのだから。
「次の方、こちらへどうぞ! 」
前の青年が満足そうに扉から出て行って、彼に結果を伝えていた若めの女性が私を見て言った。周りに聞こえているんじゃないかと心配になるくらいにどきどきと鼓動する胸に相棒を抱き抱えながら、彼女の机の前へ。
ベルさんとミラさんはその一歩後ろで止まって私を見守っていてくれている。
「お名前を聞いてもいいですか? 」
「ぁ……ありす、ふぉん、ふぇあみーる、です」
「ありがとうございます、ちょっと待ってくださいね」
彼女はそう言うと机の上の羊皮紙の束をめくり始めた。どうやら結果は一枚にまとめてあるわけではなく、個別に用意されているらしい。きっと試験の成績も一緒に書かれているのだろう。
「あ、これですね、と。まあ……!?」
「えっ」
呟きとともに束から一枚が抜き出されて。彼女はそれに目を通すと、何やら上品に口を抑えて明らかに驚いている。
……どうしたというのだろう。よっぽど酷い点数だったりしたのだろうか。そういう反応は期待と不安が同時に高まるので勘弁して欲しい。
「本当にアリス・フォン・フェアミールさんで間違いないですか? 」
「う、うん……」
信じられないとばかりに尋ねる彼女に若干怯えてしまいながらも頷く。後ろでミラさんがボソリ、無礼な、と憤慨したのが聞こえて。当然ベルさんに目線で咎められていた。
視線を戻すと、彼女は興奮したように大きく息を吸って……。
「おめでとうございます――――“アイリス”ですよ! 」
――――ぴしり、と周囲の空気が凍った。
今までのざわめきが嘘のように静まって、誰もが私を見ているのがわかった。
ついでに私も固まった。たぶん誰よりも衝撃を受けていた。遅れて声になったそれが、静かな教室に響く。
「……えぇっ!? 」
それとともに、ぶわっと沈黙の前以上の話し声があちこちで起こる。きっとどれも私の話だろう。どう見ても自分より遥かに小さい、幼いと表現すべき子どもがよりにもよって最上級クラスの“アイリス”に組み分けされたのだ。騒ぎが起こるのも当たり前である。
戸惑う私を気遣ってくれたのか、それとも思いの外大声で言ってしまったことに責任を感じたのか、それを伝えた彼女は慌てて私にその結果の記された羊皮紙を渡すと、隣に積まれた箱の内一つを持ち上げた。
「こちらがアイリスクラスの授業で必要な教科書等一式です。無くしたり破れたりしてしまった時は担当の先生に伝えて新しいものをもらってください。勿論その分のお金も学費として計上されますので、大切に使ってくださいね」
どっしりとそれなりに重そうなそれを私の代わりにミラさんが受け取ってくれて。
あ、あいりす……あいりす? 私が? どうして?
「流石姫です! 絶対こうなると思っていました!! 」
「ああアリス様っ……、おめでとうございます……! 」
未だに硬直したままの私を、ベルさんはむぎゅうと抱擁して。
まだ理解の追いつかぬまま、私は機械的な動作でひとまず教室を出た。既に外に並ぶ同期たちにも話が伝染していたらしい、そこでも私は注目を浴びた。相棒を一層強く抱きしめながらそそくさと廊下を抜ける。
「あいりす……」
「あら」
呟きを落としたのとほとんど同じタイミング、列なんて知らぬとばかりに堂々と抜かしていく一行から声がかかった。王女様だ。
「おうじょさま」
「ええ、ご機嫌よう」
立ち止まった王女様はふふんと上機嫌に言って、慌てて跪礼をしようとしたのを手で制される。その隣でベルさんとミラさんも同じように下げかけた腰を途中で止めていた。従って顔を上げると向こうの従者の女性と小さく頭を下げ合って微笑み合っていた。昨日の試験の時だろうか、どうやら既に幾度か言葉を交わし合った後のような態度だ。
「もう結果は聞いたのかしら? 」
「うん……じゃない、はい。きき、ました」
「どうだったの? 」
やけに期待するような瞳。ええと、と私は言い淀んだ。私自身がそれをまだ上手く噛み砕けていないのだ。リリウムに通っていてくれとほとんど祈りに近い心境でいたところにアイリス行きだと言われればそれも仕方のない話である。
「……ぁいりす、でした」
次は疑いや驚きの声が来るのだろうと身構えて、しかしそれは杞憂だった。何故か、王女様は当然とでも言いたげな表情をしている。逆に私から驚かないのかと聞いてしまいそうになって、けれど王女様は満足気に言った。
「ふん。当たり前だわ。あなたがアイリスでないのなら誰がアイリスに入るというのかしら。それでは私の個別授業になってしまうもの」
自信満々である。
自分がアイリスクラスだということを微塵も疑っていないらしい。まあでも、昨日の試験の時の余裕からして実際そうなのだろう。時間が余って暇しているようにさえ見えたのだ。というか、明らかに私より頭が良さそうな王女様がアイリスに届いていないはずもなく、私もほとんど確信していた。
……それにしても随分な高評価である。王女様はよっぽど私のあの強引な解き方を気に入ってくださったらしい。流石に誰も考えついたことがないなんてことは有り得ないと思うが、それでも前世では所謂“消去法”と呼ばれていた類の、あの解き方は王国ではまだ広く知られているようなものではないようだ。
私は土壇場でそれが有効なことに気付いたことについては自画自賛していたが、解き方自体は別段誰でも知っている手法だと思っていただけに王女様の評価はちょっと歯痒い。存在しない功績を褒められたのとほとんど同じようなものだ。
「謙遜はいらないわよ。この私が認めてやってるの、素直に誇りなさい? 」
「は、はい。ありがとう、ございます」
しかしそう言われては黙って感謝を述べざるをえない。せっかく好意的に接してくれているのに態々自分からそれを崩しにかかることもないだろう。違うとバレた時が怖い気もするが、まぐれだったとでも言えばそれで済むはずだ。
王女様はまたふんと鼻を鳴らすと話題を変えた。
「……他にアイリスに組み分けられたのはいた? 」
王女様がそう尋ねたのに記憶を漁る。
いや、リリウムだと喜んでいた少女はいたが、アイリスという単語は自分の時以外に聞かなかった。緊張で聞こえていなかっただけの可能性もあるが、私の年齢のせいもあるとはいえあの騒ぎようではアイリスが出ただけで大きく騒がれているはずである。なのに一度も耳にしなかったということは、そういうことなのだろう。
「わたしがきいたなかでは、いませんでした」
「そう。まあ、流石に私とあなただけということはないでしょう」
でしょうね、と頷いた王女様の中ではやはり自身のアイリス行きは決定事項のようだ。従者の人もそれに困った様子はない。正直なところ王女様と二人きりの授業というのはちょっと勘弁願いたい。王女様が嫌いとかそういう次元ではなく、単純にプレッシャーで押し潰される。
「疑わないの? 」
「えっ」
と思っていたら、まさかの王女様自身からアイリスへの組み分けを疑わないのかとの質問。その表情はイタズラ気で、なるほど私は揶揄われているようだ。疑えるはずもないだろうに。
だからといって答えぬわけにもいかない。辿々しい敬語で返す。
「とっても、たいくつそう、だった……でした、から」
ともすれば不敬だと指摘されそうな下手な敬語にも王女様は機嫌を崩したような様子はなく、ぼそぼそと小さな私のそれをしっかりと聞き取ってくれて。
案外、優しい人なのだろうか。試験の後に出来を聞かれたのを他より一回りも二回りも幼い私を気遣ってくれたのかもと感じたのはあながち間違いでもないのかもしれない。
「私を見る余裕もあったのね。実はあなたも退屈だったのではないかしら? 」
「そ、そんなこと、は。とってもひっし、でした」
王女様を見る余裕があったのではなく、むしろどうしても気にしてしまったのもあって余裕がなかったのである。これはなんの謙遜からでもない、本当のことだ。私の様子に嘘はないと見たのか、王女様はまあどっちでもいいけれど、と話を流して。何やらもごもごと次の句が中々出ないのに従者の女性がクスリと微笑んで、王女様はそれをキッと睨んだ。
そのやり取りに首を傾げていると、彼女はこほんと咳払いを置いてから。
「改めて、よろしく。ええと……アリス」
「えっ」
まさかの名前呼び。私だけでなく、話が聞こえる位置にいた列の同期たちも固まっている。
だというのにベルさんとミラさんは特に驚いていなかった。まるで事前にこうなることを知っていたような振る舞いだ。
「……アリス様」
ベルさんの囁く声にハッと意識を取り戻す。なんだか今日は驚いてばかりだ。
数秒待たせてしまっただろうか、昨日に続いてまたも差し出された王女様の手を恐る恐る、けれどしっかりと握った。私の見間違いでなければ、王女様はほっと安堵したように見えた。
「よろしく、おねがいします。おうじょさ……」
「――――ルーンハイム」
「……ま?」
それを遮った王女様はじれったそうに、頬を掻きながら。
だから、と半分怒ったように続けた。
「ルーンハイムで、いい。一々王女様なんて、形式張って呼ばなくていい」
「ぇ、えっと……」
「ああもう、名前で呼べって言ってるのよっ! 」
「ひぃっ……!? 」
ぐわーとほとんど叫んだような剣幕に思わず相棒に逃げてしまって。するとはぁ、と息を整えた王女様はちょっぴりバツが悪そうにそのくるくるの髪を指で弄って。
「別に、あなたのことは認めてあげてるし、これから同じ教室で学ぶクラスメイトだから、一応、特別に名前で呼ぶくらいは許可してあげてもいいって、それだけよ! 光栄に思いなさいっ!」
「ぇ、ぁ、は、はいぃっ!? 」
勢いに押されて私の声まで大きくなる。それがまた周囲の注目を集めてしまっていた。
はやくおへやにかえりたい……。そんな切実な思いを胸に、ひとまず何も考えずにその光栄に預かることにした。
「る、るーんはいむ、さま」
「様もいらない」
「るーんはいむさん」
「……まあそれでいいわ。じゃあ、またね」
混乱の境地にある私を置いてさっさと逃げるように教室へ歩いて行った王女様を、従者の人たちが私たちに一礼しながら追うのを見送って。私は彼女の言葉を反芻した。
「あえ……? 」
これって、つまり。
「おめでとうございますアリス様、お友達が出来ましたね? 」
「初めての友人が王女殿下とは、流石姫です! 」
もう、何がなんだか。どうやら私は、王女様――――ルーンハイムさんに、少なくとも別れ際に“またね”と残すくらいの存在として認められたようだった。
「おとも、だち……」
その夜。明日から始まる授業のためと開いた教科書の内容がほとんど頭に入ってこなかったのは、きっと語る必要もない。
次回更新は本日18時です。