第4話 いずれ菖蒲か杜若
「んーと……」
隣席の王女様を意図的に意識から外しながら、必死に問題を読み解く。
一応私や王女様に配慮されているのか、問題文は比較的簡単な言い回しで綴られていた。それにしても、周囲に比べて問題を理解するペースが遅いのは仕方ないだろう。
わからない文はわかる単語から推察して、なんとかここまでは解けている。合っているかは別として、特に詰まるような問題は今のところなかった。
例えば魔力が先天的に影響を与える体の部位を挙げよ、とか。答えは髪、のはず。どれもベルさんに教えてもらったものばかりだ。
「ふん」
王女様もきっと幼い頃から教育を受けているのだろう、スラスラと用紙にペンを滑らせている。私が解けるようなものばかりなのだから、王女様にとっては簡単すぎるのかもしれない。つまらなそうに鼻を鳴らしていた。
いけない、また王女様に気を取られている。時間は……まだ五十分もある。試験の残りは見たところあと三分の二くらい。難易度が劇的に変わりでもしない限り余裕を持って終われるだろう。
さあ次の問題だ。えーと。
“魔法検査に使われる用具一式は何か”
ああ、これもわかる。実際にやったし、クロリナさんが説明もしてくれたのだから。
天秤と感応水、と。慣れないペンで不格好に解答する。文字が震えて読みにくいのは許してくれると信じよう。まともに文章を書いたのはこれがほとんど初めてなのだから。
何度かベルさんに見守られながら文字、文章を書く練習はしたが、流石にまだ王女様のようにスラスラと書くことはできない。
もう一問もあっさり解けて、更に次の問題。
「ん……んん? 」
“炎の魔法に適用される効率化共通式を選べ”
と、選択肢式の問題。式、といっても私の知っている計算式のようなものではなく、所謂“魔法陣”のような絵が四つ並んでいる。炎の魔法を使える者がこれに魔力を注げば火が飛び出すのだろうか、だとすれば結構危ない。
……なんて現実逃避をしてみるも当然問題に変わりはない。問題であるのだから解かねばならない。のだが。
「しらない……」
自分にしか聞こえないくらいのか細い声で、弱音を漏らした。
そう、知らない。魔法式なんて教えてもらっていないのだから知るはずもない。むしろそれを習いに来たのである。
まあ、選択式ならまだ希望はある。とりあえず後回しにして次へ進もう。
“水の魔法に適用される効率化共通式を選べ”
「……えっ」
嫌な予感がゾワゾワと背筋を巡って、私は更に次の問題、その次の問題にまで目を走らせる。
“硬度強化に適用される――――”
“速度強化に適用される――――”
――――絶望である。
更に数問それが続いている。いや、確かにこの魔法式とやらの問題は、どう考えてもそれぞれの魔法の性質を持つ人が有利だ。炎の魔法を生まれ持った人は当然両親などに炎の魔法について、例えばこの魔法式なんかもきっと教えてもらっているのだろう。
なら大凡すべての魔法を問題にして差を埋めようという考えはわからなくもない。わからなくもないが……私には絶望である。だって全部わからないんだもん。どうしよう。
「うぅ」
情けない声を零した私をチラリと王女様が見た。煩かっただろうか。いや、試験中に隣でぼそぼそ唸られては確かに鬱陶しい。小さく頭を下げながら目線で謝罪して、考える。
この魔法式に関する問題は残りの問題の内、半分以上を占めているようだ。単純に考えてこれをすべて落とすとかなり大幅の減点である。だからといって知らないのだから正攻法で解くのは不可能である。
……いや、待て。もしかして――――
「……やっぱり。これ、ならっ」
私はすべての魔法式の絵をさっと見比べ、小さくガッツポーズをした。
何とかなるかもしれない……!
一問目の魔法式の絵は、やはりほとんどの問題で重複していた。ならばこれはきっと、正解の一つを除いた残りの三つの式は何の魔法も関係ない、完全に不正解の魔法式ではないはずだ。どれかの魔法の式なのだろう。ということは、同じように重複しているものを見ていけば、消去法で正解がかなり絞れる。
「ふふんっ……! 」
絶望に差した一筋の光。私は出題者のミスであろう、この裏技とでも呼ぶべき解き方に気付いた自分を褒めてすらやりたいくらいだった。
まずは一つ目、すべての絵から炎の魔法式の問題の“選択肢にない”絵を探す。選択肢には必ず正解が含まれているはずだから、それらは少なくとも炎以外の魔法式であるということになる。
これを繰り返して、正解の式を絞っていくのだ。
「これと、これと」
すべての問題でそれを繰り返していくと、自ずとそれぞれの候補が浮かび上がってくる。
ほとんどが三択以下に絞られ、中には確定したものまである。まずは確定したものから答え、二択以上は勘に任せた。
……よかった。これで少なくとも、確定させたものはきっと正解だ。他のだって四択をそのまま勘で解いたよりかは遥かに正答率が高いはずである。
「ふぅ……」
そうして安堵の息を吐いていると、ギロリ、と擬音が付きそうな鋭さでまた王女様が私を睨んだ。ごめんなさい。でもこれは仕方ないんです。本当にピンチだったんです。
届くはずもない言葉を視線に乗せて平謝り。許してくれたのか、それとも呆れたのか、王女様はまたふんっと鼻を鳴らして目線を手元に戻した。くるくるとペンを回して暇そうにしている。もしかして、もうすべて解き終わったのだろうか。
「あっ」
すべて、というところで、試験がまだ残っていることを思い出す。慌てて時計を見ると、残りは十五分。まずい、かなり時間を使ってしまっていたらしい。
急いで次の問題を読む。何やら短い問題文の下に、かなり大きな解答欄。記述問題だろうか。
“魔法の成り立ちを説明せよ”
ああ、よかった。これなら知っている。これもベルさんに教えてもらった。
“きんいろのねこ”が、前にも増してお気に入りの絵本になった瞬間である。
「よしっ」
次。どうやらこれが最後の問題らしい。残り時間はおよそ七分。間に合うだろうか。
いや、間に合わせるのだ。
“魔法とは何か”
「えっ」
なんだその問題。……いや、なんだその問題。
二度重ねてそう思うほどの混乱が私を襲った。問いかけが漠然としすぎている。それに内包されるものが多すぎて何を答えればいいのかがまるでわからない。一体何を聞きたいのだろう。
流石に魔法の仕組みなんてかなり踏み込んだ専門的な知識を聞いているわけではないだろうし、解答欄もそれを答えるにはやけに小さい。
何を、何を……私は何を答えればいい?
そうしてうーん、うーんと頭を捻って悩んでいる内にも、カッチ、カッチと時間は無情にも過ぎていく。残り五分、四分……。ダメだ、時間がない。このままでは埒があかない。とにかく何か答えよう。
「まほう……」
魔法とは、何か。
難しく考えるのはやめだ。それだけを、ただそう問われて感じた素直な気持ちを、そのまま解答として書こう。何も答えないよりはマシである。おまけ点くらいくれるかもしれない。
それで、私にとっての魔法って、何?
「……うん。そだね」
誰に対してでもなく、強いて言うならその“浮かんだもの”に、笑顔で応えて。
私はギリギリ、すべての問題に解答して試験を終えたのだった。
「では、試験用紙を回収します。しばらくそのままお待ちくださいね」
試験官の人が用紙を次々回収していくのを見守る。もう今から書き直すことは出来ないというのに、ついついケアレスミスがないか解答を見直してしまって、結局それが回収されるまで私の目は試験用紙に釘付けだった。試験前は他のことに気を取られて集中出来ないかもなんて悩んでいたのに、いざ終わってみれば思いの外集中して解けた気がする。
時々王女様の目線にビビってしまうのはもう仕方なかったとして、独り言の癖は治したほうがいいかもしれない。場合によってはトラブルを起こすことにも成りかねないというのは、今日のこの試験でひしひしと感じたことだった。実際王女様は不機嫌そうに見える。ちゃんとごめんなさいをしておこう。
「あの……」
「何かしら」
やたら反応の早い、被せるような返事にびくりとまた体が震える。いや、これも失礼である。一々怯えられてはきっと良い気はしないだろう。
一呼吸置いて、しっかりと目を見て。
「その、ごめんなさい。うるさかった……ですか? 」
「うん? 」
すると考え込むようにした王女様はああ、と手を打って。ちょっとだけ和らいだような気のする表情で、癖なのかまたふんっと鼻を鳴らした。
「別に。私はあんたみたいなちっこいのが問題を解けるのかと思っただけですわ」
「そ、そう……ですか」
どうやら王女様は、声にイラついていたわけではなかったようだ。安心である。試験が解けても王女様に嫌い認定されてはこの先はとても安泰とは言えないのだから。
そんな、ホッと目に見えて安堵する私を王女様はまたじーっと見て、何やら口をもごもごさせている。何か言いたいことがあるらしい。その尖らせた唇から批判や罵倒が飛び出してこないことを祈りながら、身構える。
「で、どうだったのかしら」
「……うぅ? 」
「だから、試験。解けたの? 」
「えっ」
えっ。
飛び出したのは予想外の言葉で、それは好意的に解釈すれば気遣いとも取れそうなもの。思ってたものとかなり違うのに困惑しながら、返事をしないのも当然無礼なのでひとまず答える。
「う、うん……じゃない。はい。ぜんぶ、なんとか、かけました」
「へぇ? 」
すると王女様は目を丸くして、また考え込むようにして。
その手でペンを回しながら、再びの質問。
「あの魔法式の問題は? 到底私以外の新入生に解けたやつがいるとは思えないのだけれど」
「えっ」
「あんなの、それこそ学園で基礎を抑えた後に習うものだわ。入学初頭の試験で出るような問題じゃない。でしょう? 」
でしょう、と言われても、そうなんですかとしか返せません王女様。
くい、と王女様が顎で示したのに耳を澄ませてみると、聞こえてくるのは確かに魔法式の話ばかりだ。
「ねえ君、あれ解けたかい? 僕はわからなかったから、全部直感で答えたんだけど……」
「ああ、よかった。あなたもなのね。私もそうしたの。あんなのわかるはずないわ、お父様にも教えてもらっていないのだもの」
「……ふぅ、そうだよね。もしかしたら他の皆はわかっていて、僕が知らないだけなんじゃないかって、とても不安だったよ」
「ええ、私も。……ところで、あなたは? 」
「挨拶が遅れたね、僕は――――」
と、続く自己紹介は無粋なように思えるので聞かないようにして、王女様に目を戻す。ね? とばかりの目線にコクリと頷いた。
なんだ、よかった。あの問題がわからないのは私だけではなかったようだ。聞いてみれば周囲の誰もがその話をしている。中にはなんでこんな問題をと憤慨している青年もいる。試験官の人は抗議を恐れてか否か、結果は明日発表ですとだけ残してそそくさと教室を去っていった。
「確か、フェアミール……あなたの父は魔法を使えないはずよね。何処で魔法式の教育なんて受けたのかしら」
流石王女様というか、私が何も話さなくても家名だけである程度の情報がわかるらしい。
しかし王女様は何やら勘違いをしている。私は別に魔法式の教育は受けていないし、パッと見ただけでそれがどの魔法式かわかるような天才でもない。
過分な評価をされたのにこそばゆくなりながら、きちんと否定しておく。こういうことで見栄を張ってしまうときっと後で弊害が出る。
「ううん。まほうしきは、わかりません」
「は? 」
お嬢様然とした口調を崩して、王女様はポカンと口を開けた。
やがて止まった時間が戻ってくると訝しげに私を睨んだ。
「……まさか、裏口――――」
「ち、ちがいますっ! 」
賄賂か不正を疑われたのに一瞬私も時間が止まって、直後ぶんぶんと首を振る。そんな勘違いで学園生活が詰んでしまうのはご遠慮願いたい。
「なら、どういうことかしら。知らないなら勘に頼るしか解けるわけがない問題よ」
「えっと……」
若干の後ろめたさと共に、私は自分の解き方を伝えた。初めは首を傾げて聞いていた王女様は、私の説明が進むに連れて驚いた表情に変わっていく。そんな狡い真似を本当にするなんて、と思われたのだろうか。
しばらく固まっていた王女様は何故だかくっくっと笑い始めて、それに怯える私。何か退学に追い込む策でも思いついたのかもしれない、自然と瞳は涙で潤んだ。
ああ、ごめんなさい皆……私は失敗したよう――――
「くふ、あっはは……! まさか、そんな抜け道があるなんてね。いえ、抜け道ではなく、それに気付けるかを試す問題だったのかもしれないわ。馬鹿正直に解いた私が間抜けに見えるわ、あははっ」
「お、おうじょさま……? 」
さっきまでの凛と尖った雰囲気は何処へやら、心から楽しそうに笑う王女様。
綺麗という印象が強かったその顔ばせ、そこに笑顔が可憐に咲いたことによって柔らかな愛らしさが同居していて。私は一瞬、ぼうっと見蕩れてしまっていたことに気付いた。
「いいわ、ええ。私が間違っていたようね。親の見栄張りなんかじゃない、あなたにはその歳で学園へ通えるほどの才覚がある」
「えっ」
一転真剣な表情になった王女様の瞳に囚われる。その神秘的な輝きは、私の奥底を覗こうとしているように思えた。そうして数秒、ふっと肩の力を抜いたようにして。
「ふん。認めてあげるって言ってるのよ。周囲の凡愚とは違うと」
「ぼ、ぼんぐ……? 」
「……語彙は年相応、と。チグハグね、まあいいわ」
長いドレスのスカートをふわりと揺らして、立ち上がった王女様は背中を向けて。
教室の後ろから従者の人たちがそれに合わせて此方へ歩いてくる。その一歩後ろをベルさんとミラさんも続いていた。
そうして扉へ向かいながら、王女様は首だけ振り向いて。入学式の時からずっと退屈そうに結んでいたその唇は、いつの間にか不敵な弧を描いていた。
「――――アリス、だったかしら。あなたと同じクラスになるのを、楽しみにしているわ」
学園生活初日、クラス分け試験にて。何が何やら、頭が追いついていないけど。
――――どうやら王女様に、気に入られたようです。
次回更新は明日の12時です