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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第三章 貴族令嬢の彼女がいかにして友を見つけたか
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第2話 アイネ・クライネ・ナハトムジーク

 マリアーナへと戻っていった父たちを見送って、案内されるままホールのある建物とは反対側、三つある校舎の内門を潜って右側の、建物全て丸々寮施設らしいそこの三階へ。

 私たちに割り当てられた個室は、廊下を歩いて一番奥にあった。


「……ひろい」


 そして、これから長く過ごすことになるその部屋の扉を開けて。

 初めに抱いた感想がそれだった。

 

 左開きの扉を潜ってすぐ右には、壁にぴったり寄り添うように置かれた大きな棚。

 部屋の中心に丸いテーブルと椅子が四つ。

 そしてその奥にそれぞれベッドと小棚、同じく小さな机が一つずつ、四セット。


 ……既に部屋としてかなりの充実具合である。


「べっどもある」

「私たちは三人ですから、一つ余ってしまいますね」

「ほえー……」


 ベルさんが有難いような困ったような曖昧な表情で微笑む。が、そこではない。

 そもそも、広い。部屋が広いのだ。


 個室を用意してくれるとは聞いていたが、それ用の部屋があるというわけではなく、単純に数ある通常の四人部屋の内の一つを専用として用意してくれたということらしい。


 流石に(うち)のあのやたら広い自室よりかは狭いが、四人部屋というだけあってか、それでも十分な広さだった。ベルさんとミラさんと三人で過ごすことを考えてもかなりスペースにゆとりがある。


 ……いや、恐らくこれもまた“記憶”によるズレた感覚なのだろう。そもそも個室どころか、ただ四角い箱の中で老若男女の区別もなく体を縮めてなんとか眠っているような環境だったのだから。

 それを基準にするのがまず、きっと間違っているのだろう。にしても特別扱いなことは疑いようもないが。


「とりあえず、荷物を整理してしまいましょう」

「うん」


 他の同期の子たちはこれでも狭いと不満なのかな、などと片隅で考えながら、早速部屋作りに取り掛かったベルさんに追従しようとして、それをミラさんが慌てたように止めた。


「ああ、姫! 整理は私たちに任せてお休みください。きっと式でお疲れになられたでしょう」

「えっ。だ、だいじょうぶだよ? 」


 振り返ったベルさんも、口には出さずともそれに同意のようで、心配そうな目を向けられる。

 確かに疲れなかったといえば嘘になるが、けれど自分の部屋作りくらい全部はできなくともせめて一緒にするべきことだろう。


「ですが……」


 それでも渋る様子のミラさん。その気持ちはとっても嬉しい。

 しかし、これから学園でずっと、授業などをこなしながら暮らすことになるのだ。入学式程度で疲れて残りの一日何も出来ないようであれば、それはもうここで学ぶと決めた意味がない。


「わたしのおへやでもある、から。いっしょにさせて」

「……いえ、出過ぎた真似でした。姫がそう仰るなら! 」


 ミラさんは少しだけ驚いたように口を開けて、すぐに納得したように了承してくれた。

 ベルさんを見上げると、ではこれをお願いします、と渡されたのはみんなの着替えの服。

 詳しい指示をもらう前に、ベルさんの視線が扉の横の大きな棚に向いて、きっとあそこに仕舞うのだろう。

 棚に近付きながら、半ば確認としてベルさんに尋ねる。


「このたなに、いれればいいの? 」

「はい、アリス様」

「あい」


 やはりそれで合っているらしい。

 私は何気なしに一番下の棚を開いて。


「一番上にアリス様のもの、を……」

「えっ、あ……」


 と、ベルさんが続ける前に、そこへ着替えのワンピースを一着仕舞ってしまった。

 誰がどの段を使うかなんてまったく考えていなかったことに気が付いてもう一度取り出そうとして――――


「アリス様……」

「姫……」


 二人が感動とばかりに潤んだ瞳で私を見つめた。


「ああ、アリス様……やはりご自分を一番下に考えておられるのですね……」

「なんと慎ましやかで、お優しい……」


 そのままベルさんとミラさんは目を合わせて二人で頷き合うと、何やら呟くようにして。それの拾えた一部の内容にすら、まるでついて行けない。

 また何やら変な誤解を生んでいるらしいということだけはわかった。


「えっ」


 そう、つまり私はいつも通り置いてけぼりで、やはり固まって疑問の声を鳴らすことしかできないのである。


 ……察するに、ベルさんとミラさんは私が自分の着替えを一番下の段に仕舞おうとしたことに言及しているようだ。特に何の考えもなくした行動だったが、王国の常識から見て変なことだったのかもしれない。


 例えばベルさんはそれを私が自分を一番下に考えてると受け取ったという。

 だとすれば。


「……かいきゅう? 」


 これはもしかすれば階級に関しての話だったりはしないだろうか。


 そもそも主従が同じ棚を使うというシチュエーションが起きることがほとんどないとは思うが、今みたいにそれが起きたとして、だ。


 従者のものよりも下の位置に、主のものがある。


 これがダメだったのではないだろうか。

 気にするほどでもない形式上のこと、本当に細かなことだとはいえ、この貴族至上の文化の中ではそんな小さなことでも無礼だ、などと大きな話に発展することも有り得てしまうのだから。


 そうだとすれば、なるほど、理解出来ないこともない。だからといって大手を振って受け入れようとはあまり思えないけれど。


「えっと、ほら……いちばんしたじゃないと、だしにくいから」


 あまり意味はないのかもしれないが、一応そういう意図ではないと否定しておく。

 もう手遅れな気もするけれど、ブレた過大な評価はどうも居心地が悪いのだ。

 すると二人は生暖かい目になって。


「ええ、わかっております。アリス様」

「そうですね、一番上だと出しにくいですもんね」

「……う、うん」


 当然誤魔化しだと判断されたのだろう。

 いや、事実誤魔化しではあるのだが。


 そんな優しく見守るような目線は見なかったことにして、逃げるように黙々と衣服を仕舞う。

 やがて自分の分をすべて仕舞い終わって、今度はベルさんの分。一つ上の段をそのまま開けようとして、ふと。


 ……段に序列が絡むなら、ベルさんとミラさんの分は一体どちらを上にすればいいのだろう?


 いつの間にか整理を再開していた二人にチラリと振り返って、ベルさんがすぐに応えてくれた。


「従者は“従者”、と一括りですから、どちらが上でも大丈夫ですよ」

「そっか」


 ベルさんの助言に従って、開きかけた段にそのままベルさんの衣服を並べていく。

 ふと、その中にプレゼントしたドロワーズがないことに気が付いた。

 渡したその日から、かなり大事に扱ってくれていたのは知っている。穿くことにすら躊躇していたような覚えがある。

 汚れないように館に置いてきたのだろうか、とまで考えて、後にしようと思い直す。

 ぼーっと手を止めていないで、今はとにかく部屋を整えよう。


「らん、ららん、ららららららー」


 なんとなく浮かんだ、有名なクラシックとされていたその陽気なメロディを口ずさみながら次々に積まれた服を棚の中に。勿論、きちんとわかりやすいように種類でブロックを分けながら。

 もう残り三分の一くらいだ。曲につられてか、心なし能率が上がっているような気がする。


「……とっても素敵な曲ですね」

「らーららー……うん? 」


 そのまますべて片付けてしまおうとして、ベルさんの声に歌うのを止めた。

 私の絵本を並べてくれていたミラさんも作業を止めて私の歌を聞いているようだった。


「いつも気になっていたのですが、それはアリス様がお作りになられた曲ですか? 」

「えっ」


 違う、勿論違うが、しまった。これは迂闊だった。

 あくまでこれらの曲が広く知られているというのは前世での話で、ここでは未知の音楽なのだ。似たようなものは存在するのかもしれないが、それをいきなり口ずさんでは私のオリジナルだと勘違いされるのは少し考えればわかる話だった。


 ……ど、どうしよう。

 違うのだけれど、違うと言ってでは何処で聞いたのですかと聞かれて前世でと答えるわけにもいかない。狂人扱い、いや、ベルさんやミラさんのことだ。大丈夫ですか、と物凄く心配されるに違いない。


「えっと、えっと……」

「ふふ。いえ、不躾でしたね。いつか楽譜にまとめて、発表してみてもいいかもしれません。きっと音楽の歴史に名を残せますよ」


 そりゃそうである。実際に別の世界にて名を残した偉大なる先人たちの曲なのだから、評価されて当たり前である。この世界で初めて歌ったのは私かもしれないが、だからといって作曲者を騙るのは言語道断、それは彼らの努力と情熱をすべて踏み躙るようなものだ。


「だ、だめっ……! 」

「姫、私もノクスベルさんと同じように思います。姫にはすごい音楽の才能がお有りで――――」

「だめなのっ! 」


 感嘆した、と称賛してくれるミラさん。話が大きくなり始めたのを止めようとして、声が荒くなってしまった。

 びっくりしたように目を丸くした二人は固まって、微妙な空気が流れる。

 私はもうパニック状態だ。


「も、申し訳ありません、姫」


 そう言ってしゅんとしょげてしまったミラさん。ただ褒めただけだというのに焦ったように声を荒げる私は、二人から見ればかなり奇妙で理不尽に感じているだろう。

 どうしよう、どうしよう。

 ずっとそればかりが頭を回って上手い誤魔化しが思い浮かばない。


 ぐるぐる目を回しそうになっていると、ベルさんが何やら納得したように微笑んだ。

 まさか前世の記憶があることに……いや、いくら察しのいいベルさんでもそれはない。そうであればもう完全に心が見えているとしか思えない。


「……なるほど。では、アリス様がご納得される出来のものが完成したら、その時はまた聞かせてくださいね」

「――――ああ、理解しました! 姫はもっともっと、ご自分の中で一番素敵な曲を送り出したいとお考えなのですね! 」


 やはり流石に違ったようだ。

 どくどく昂る心臓をホッと撫でおろして、遅れて脳が理解する。


 ……今度は、別方向にまずい。


「……えっ!?」


 二人はどうやら私がダメだと言ったのを曲の出来に納得していないからだと考えたらしい。

 いや、納得がいってないなんてそんな傲慢も甚だしいことは一ミリも感じていない。

 そもそも音楽の教育なんてまともに受けていないのだから、楽譜も読めなければドレミすらもあやふやなのだ。


「こんなに才能に溢れた姫の最高傑作……ああ、想像もできません」

「きっと王国中、いえ。帝国ですら親しまれるような曲になるでしょう」


 待って、待ってください。万が一何かの奇跡で曲が作れたとして、私ではかなりオブラートに包んでも“とっても前衛的ですね”と苦笑いされるようなものが精一杯だ。

 ああ、お馬鹿で考えなしなこの口をクロリナさんに縫ってもらいたい。


「とっても楽しみにしていますね、アリス様」


 黒い瞳を眩くキラキラと輝かせ、ぐっと胸の前で両手を握ったベルさん。心底期待してくれているのは聞かなくともわかる。

 ……不注意で落とした物を拾おうとしたら突然宇宙の彼方まで吹っ飛んでいった。何を言っているのかわからないが、まったくそんな気分である。


 どうやら私は後世まで音楽史に語り継がれるような曲を作らなければならなくなったらしい。

 どう考えても不可能である。


「つんだ」

「はい? 」

「なんでもない」


 本当になんでもなかったらよかったのに。

 ……いや、そう、そうだ。何にもなかった。何にもなかったのだ。


「ででででーん……ででででーん……」


 半ばヤケになって口ずさむ次の音は絶望の色。

 これが“運命”だというなら、恨むばかりである。


「ん、しょ……」


 旋律と悲しみに浸りながら先程より大分ペースの落ちた手つきで、けれどなんとか最後の一着、ミラさんの薄手の上着を仕舞って。その後ろでテキパキとミラさんに指示しながら効率良く動いていたベルさんは流石従者長といったところか、その頃にはもうほとんどの荷物が片付いていた。


「ひとまずこんなところですね」

「一瞬でした。今度整理のコツなんかを教わっても? 」

「はい、勿論です。ですが、ミランダさんも十分片付け上手だと思いますよ」

「ありがとうございます。何せ、姫のお部屋ですから! 」


 話す二人に寄って、会話が終わるのをじっと見つめる。私も終わりましたアピール。

 するとすぐに気付いた二人は微笑んでくれて。


「お手伝いありがとうございました、アリス様」

「うんっ」


 自分の部屋だから当たり前なんだけど、という言葉は仕舞っておいて大人しくベルさんに撫でられる。へにゃりと頬が弛みそうになるのを隠すように、新しいベッドへ腰を沈ませた。

 それから何度か跳ねて、ふかふか度を調べる。


「わるくない! 」


 ふふん、と何かのソムリエ風にカッコつけてみる。

 案の定微笑ましそうに笑われたのに相棒の力を借りながら、明日へ思いを巡らせる。


「しけん」


 入学式の最後で、明日はクラス分けの筆記試験を行うと言っていた。

 どんな試験が行われるのかはわからないが、恐らく魔法やその他の基礎的な知識についての、既にどれだけのことを知っているかというテストだと予想する。

 きっと、まったく何も知らない人と、ある程度を理解している人が同じ授業を受けるのは非効率的だという考え故の、クラス分け試験ということなのだろう。


「姫なら大丈夫ですよ」

「みら」


 ミラさんがしゃがんで視線を合わせてくれて、私はそれに頷いて。

 次いで見上げたベルさんも、同じく頷き返してくれた。


「教室の後ろで見守っていますね」

「姫、もしわからないところがあれば私に……」

「ミランダさん」

「はい」


 そう咎めるベルさんも、瞳ではミラさんと同じことを言っていて。

 やっぱりちょっと過保護な二人にクスリ、と思わず。

 そうして少し張り詰めかけた試験への緊張がいい具合に解れた気がして。


「……がんばる、ね! 」


 その夜使われたベッドは、一つだけだった。

次回更新は明日の12時です

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