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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第二章 貴族令嬢の彼女がいかにして民の光となったか
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第19話 再世の夢

「はえー」

「私も内部は初めて目にしましたが……」


 学園の門を潜ったその先は、まるで一つの小さな国だった。

 建物と門で街から区切られた広場の中心では、凝った装飾のオブジェが一定の勢いで水流を噴き出してはキラキラと水滴を散らしている。

 知識上だけの存在だった、恐らく噴水と呼ばれるものであるそれを始点に、奥と左右、そして私たちが立つ門の入り口まで、四方に石材で舗装された道が伸びている。噴水というものは確かポンプを使って水を打ち上げる仕組みだった気がするが、あれもそれに準ずるのだろうか。それとも魔法で動いているのだろうか。

 父とベルさんが門番らしき人物と何やら会話をしているのも目に入らず、私はミラさんと並んでその安らぎを感じさせる見事な光景をぼうっと眺めていた。


「きれい」


 休校日なのか、それとも授業中なのか、学園はとても静かだった。耳を澄ませば離れた街道の喧騒まで聞こえてきそうなくらいだ。

 ぱちゃぱちゃと跳ねる噴水の音を聞きながら癒やされていると、どうやら手続き的なものが終わったのか父とベルさんが後ろから門番を連れて歩いてくる。


「すぐに案内の担当を呼んできてくれるそうだ。……ああ、噴水か。確かにあれはとても綺麗だ。魔石を使うものだから、王国でもここと、後は王城や一部の貴族の館、それと教会本部くらいにしかないな」

「そっか」


 やはりというか、あれは魔法で動いているらしい。どのような原理かはさっぱりだが、それもきっとここで学べばわかるようになるのだろう。そもそも私は魔石のことさえ魔力の宿った資源であるということしか知らない。人によって魔法の性質が変わるなら、魔石にもそれぞれの性質があり、それを使い分けたりしているのだろうか。魔法に関する興味は尽きる気配がない。


「お待ちしておりました、アリス・フォン・フェアミール様。担当の者を呼んで参りますので、今しばらくお待ちください」

「こんにちは。ありがとう、ございます」

「……いえ、そんな。仕事ですので」


 受付も兼ねているらしい門番の――――いや、どちらかと言うと門番を兼ねているという方が正しいのだろう――――その女性は少し驚いたように目を開いて、それから柔らかに微笑みを零すと向かって正面、奥の建物へ走っていった。

 門の方へ振り返ると、今度は青年が詰め所から出て彼女と入れ替わるように門の前に移動した。治安の良さそうな王都といえど、警備に抜かりはないらしい。

 私はそれだけでこの学園の信頼を上げることができた。

 少なくとも門番はみんな業務に忠実であるようだった。


「アリス様、手を繋ぎますか?」


 ふと視界の端でベルさんが言ったのに、注視を解く。尋ねるその瞳に心配の色を見つけて、その目線を追った先、私の手はわずかに震えてしまっていた。

 もうこれは意識の外、あるいは深く、無意識の領域に刻まれてしまっているらしく、心の表面上で感じることはなくとも私は未だこういった、他人の気配のする見知らぬ空間というのに怯えてしまっているらしい。先ほどの街道でももしかすれば震えていたのかもしれない。

 ……いや。


「にてる、から……?」


 私はこの空間が、マリアーナのあの市場と重なるレイアウトなのに気がついた。

 広場を中心に、周囲を囲むように建物が並ぶ。そしてその中にはきっと大勢の人がいて。

 なるほど、知らずのうちにそれを認識して、条件反射的に怯えているのだろう。

 けれどそれがわかったからといってどうにかなるわけでもなく。私は素直にベルさんに甘えることにした。


「うん」

「畏まりました」


 遅れて悟った父とミラさんにも心配そうに見られてちょっぴり居心地の悪い気もしながら、ベルさんの華奢で綺麗な手をおずおずと、そしてしっかりと握る。


「大丈夫です、みんなそばにいます」

「うん」


 なんだかこんなに静かな学園の中心で甘えていると、建物の中から誰かに見られているような気がして恥ずかしくなってしまって。そんなことはないとわかっているのに、つい顔を俯けた。


「アリス様……」


 すると何やらいかにも沈痛、といった風の声音を出したベルさん。

 ああ、俯いたのを別の理由に勘違いされてしまっただろうか。


「だいじょ――――」

「無理はなさらないでくださいね」

「えっ」


 きゅっ、と。言葉と同時に繋いだ手の指の隙間が埋められた。

 指と指の間にベルさんの指が入り込み、私の五指がベルさんの五指と絡みあうようにがっちりと、深く、ふかーく繋がれて。


「べ、べるっ……!?」

「はい、アリス様?」

「その……これ、きしさまと、おひめさまのおはなしの……」


 じっと目を見て待ってくれるベルさんに繋いだ手を示しながら、それでも二の句を紡げず。散々迷った挙げ句、ひどく迂遠(うえん)な言い回しをしてしまう。

 何か言おうとしたベルさんを遮って、ミラさんが慌てたようにほとんど叫んで言った。


「そ、そうですノクスベルさん! それではまるで……こ、こいびとのような……うらやまし――――ではなく、学園の人に誤解を!」

「……。……あ!? い、いえ、そんなつもりはっ!?」


 数秒の沈黙を置いて、ベルさんはハッとしたように上擦った声を出した。どうやら今気がついたらしい。私が意識し過ぎただけだろうか。

 二人してリンゴのように赤くなっていると、それを見ていた父が笑った。


「はははっ……まったく、仲睦まじいとはこのことだな。ベル、アリスを娶る時はきちんと私を説き伏せてからだぞ」

「は、ハッティリア様っ……!」

「くくっ、ふ……、はあ。いや。すまない。冗談だ。これでアリスが十を数えるくらいの歳であればあるいはそう見られることもあるかもしれないが、精々勘繰って仲の良い姉妹くらいにしか見えないさ」

「私は、アリス様を安心させようと! うう、いえ、失礼しましたアリス様……」


 まったく、これでは別の理由で手が震えてしまうところである。

 そうしてもとの形に戻ろうと離れかけたベルさんの手を。


「……アリス様?」


 私はなぜだか、強く握って止めてしまった。


「ぇっ……あれ?」

「このままがよろしいですか?」

「ぇ、えと……」


 自分で自分の行動がわからず、戸惑う私をベルさんは優しく撫でてくれて。何やら納得したように、とっても嬉しそうに微笑んだ。

 父とミラさんはなぜだか自分の頬を抓っていた。


「姉妹、というのが気に入ったのだろうか。それとも……いや、無粋だな。しかしベルとアリスを見ているとなんというか、和むな」

「……悔しくも姫の魅力を一番引き出せるのはノクスベルさんだと、私もいつも思うことです」


 そうしてミラさんはいつもベルさんとするように、今度は父と頷き合った。やはり私は置いてけぼりである。でも、今日はベルさんも一緒だった。


「……ふふ。畏まりました、アリス様がお望みとあらば、私は姉にもなりましょう?」


 冗談っぽく言ったベルさんに、思わずクスリとつられて。

 結局なぜ引きとめてしまったのかはわからないけど、確かにベルさんが姉というのはとっても“しあわせ”そうだ。ならば私もその冗談に乗っかろう。


「べるおねえちゃん」

「――――ぐふぁあっ!?」

「ベル」

「はい」


 ついさっきも聞いたようなやり取りを父とベルさんがしているのに首を傾げながら、門番の女性が入っていった噴水の向こうの建物を見た。

 きっともうそろそろ、案内の人が来るだろう。


「姫、私も一回だけお姉ちゃん……いえ、お姉様と呼んでくれませんか」

「えっ」

「ミランダさん」

「失礼しました」


 そのやり取りは流行っているのだろうか。今日一日でもう四度は目にしている気がする。

 もしかしたら何か王国固有のテンプレート的な会話ネタなのかと若干本気で疑い始めたところで、ちょうどその考えを遮るように、ぎい、と扉が開いたのが見えた。


「来たみたいだな」

「わくわく」

「アリス様、お気持ちが漏れてしまっています」

「えっ」

「……いえ、そちらのことではなく」


 スカートの下を確認しそうになって、ベルさんの否定にホッとする。

 危うくおむつに逆戻りかと思った。


「お待たせしました、こちら」

「アリスや! 待たせたの、さあじいちゃんが案内してやろう」


 戻ってきた門番の女性の紹介に明朗に被せたのは……。


「ってじいさまっ!?」

「ああ、じいちゃんじゃぞ。どうした?」


 なんじゃなんじゃ、と目を丸くした祖父はやがて、ああ、と手を叩いて、それから父を見た。

 その父はというと、あっ、と声を出して、祖父は呆れたように額を抑えた。

 門番の人はそのやり取りに苦笑しながら、静かに詰め所へ戻っていった。


「さては、また伝え忘れていたな。ハッティリア」

「……てっきり、義父上が言ったものと」

「いや、そうだな。ワシが伝えておくべきじゃった」

「え、えっ?」


 混乱する私を、ベルさんが苦笑しながら撫でる。

 なぜ、ここに祖父が?


「改めて、アリス。ワシはマッグポッド・マウリスタ。アリスのじいちゃんで、ここ……」


 私の疑問を込めた目線に祖父は胸を張って。


「“ルーネリア王立魔法学園”の学園長じゃ!」

「……、えぇ……!?」


 どうやら祖父は、私を驚かすのがよっぽど好きならしい。

 道理で、いろいろと融通の利くはずである。

 そもそも学園の見学というのは、私は他にもたくさん見学者がいるものだと思っていた。

 しかしいざ学園に来ると、ここにいるのは私の一行だけで、そういうわけでもないようだった。

 希望者から申し出があるたびに実施しているのかとも思ったが、それではさすがに非効率であり、不定期に見学者が来るようでは生徒も集中できまい。

 ならばなぜ、私がそんな、特に一般的に広くやっているようでもない“見学”とやらに来られたのか。その理由がようやくわかった。


「がくえん、ちょー……」

「ああ、学園長じゃ」

「えぇ……」


 もう、そう言葉にもならぬ、呆れにも似た驚きを漏らすので精一杯である。

 となればなかなか強引にこの見学を捩じ込んだのだろうか。

 学園長が身内であるというのは安心だが、同時になんだか気恥ずかしいというか、周囲の反感を買いそうで不安である。現にこの見学が既に贔屓と言われても反論ができない。

 あるいはベルさんとミラさんが同伴するというのも異例なのかもしれない。


「いい、の? その……」

「……ああ。確かに少々強引だったが、まあ貴族の子が見学を申し込んできて案内するのは時々あることじゃ。ワシがそれをするというのはほとんどないがの」

「だめじゃん」


 ダメじゃん。

 やっぱり半分贔屓のようなものらしく、どうも申し訳ない気分でいっぱいだ。

 すると祖父はふっと、今まで見たのとは違う笑い方をして。


「もちろん、孫だからという理由だけでこうしたのではない。それでは他の生徒たちに示しがつかん」

「じゃあ、どーして?」

「アリスに、そうしてまで入学させるに足る才能があるからじゃよ」

「さいのー……?」


 もしかして、“本当の魔法”のことを知っているのだろうか。

 けれど、それは父にすら秘密にしているはず。


「聞けば、四つの頃に税の話を理解したという。それだけではない、その他にもおおよそアリスの齢では考えられぬことばかり聞いた。ワシはあの日実際にアリスと話してみて、確信したのじゃ」

「かくしん?」

「ああ、確信じゃ。この才能が腐らぬように育てずして何が学園か、と」


 ……どうやら、祖父は私に“才能”というのを見いだしたらしい。

 確かに、確かにそれらは全て身に覚えがある。税の話をしたのも、恐らく普通や平均とは外れたことをしてしまっていた自覚もある。


「でも」


 けれど、それらは全て、偏に前世という経験があったからである。

 私の、少なくとも才能と呼ばれるようなものではないのだ。


 ――――そうして俯いた私の頭を、祖父はそっと撫で付けた。


「卑屈に、なるでない。何に悩んでいるのかはワシではわからぬ。……じゃがの」


 その声に見上げた祖父は、とても悲しそうな顔をしていて。

 いなくならないでください、と泣いていたベルさんを思い出して。


「それがなんであれ、アリスはアリスじゃ」


 ハッと、一つ氷が砕けた。


「例えば、他とは違う色をした、まだ実ってもいないマリアンを。……アリスは食べられないかもしれないからと言って、捨てるかの?」


 静かに諭すように言ったその瞳は好意と愛情で満ちていて、その言葉がストンと、私の奥深くに沈んでいった。


「じいさま……」


 ……そうだ。ちょっぴり他とは違うことがあるからといって、それがなんだというのだ。

 確かに、今までのことは全て、記憶や経験というものから来たものかもしれない。

 でも、その記憶や経験は誰のものだ。

 私のものだ。

 ならば、それが私なのだ。


「すてない」

「そうじゃろう。もしかしたら、とんでもなくおいしいマリアンかもしれん。最悪を想像して備えるのと、全て悲観的に諦めるのは違うのじゃ」


 ――――『貴族や庶民など関係なく、アリス様が大好きですよ?』

 ベルさんはいつか、そう言ってくれた。

 “私”が好きだと、そう言ってくれたのだ。

 なら、間違いなく私の一部である、前世のことを否定的に考えるのは、すなわちその想いの否定だ。


「それに、ワシが言った才能とは、何もその賢さだけを指して言ったのではない」


 笑顔になった祖父が続けて。

 後ろでみんなが見守っていてくれた。


「最近、王都の庶民の間でどんな噂が広がってるか知っているかの?」

「うわさ……?」

「ああ、噂じゃ。……飢えた恐ろしい金狼から庶民を庇って、さらにその金狼まで救おうとした、まるで聖女のような貴族の少女がいる」

「えっ……」


 ……それは、きっと。

 背中に父とベルさんの暖かな視線を感じて。

 やはり、とミラさんが目を見開いた。


「その少女は白銀の髪をしていて、人を癒やす魔法を使うらしい」

「それは……」


 驚いて固まった私を、祖父はもう一度撫でた。

 それからきっと、学園長でも祖父でもない、ただ一人の老人として微笑んで。


「誰かのために立ち上がれるのも、立派な才能じゃよ。それも何よりも尊い、な」


 私はようやく、“私”になれた気がした。

 前世というものに、無意識のうちでこの世界からの疎外感を抱いていたのかもしれない。

 ……もしかすれば、ベルさんはそれを感じ取って遠慮と言っていたのだろうか。

 繋いだままの手の温もりに、学園入学についてのものとして顕在化した将来(これから)への不安が溶けていった。


「ありがと、じいさま」

「なに、ワシはアリスのじいちゃんだからの!」

「えへ」

「ぐはぁっ!?」

「義父上」

「はい」


 威厳台無しである。

 誰からともなく笑って、さて、と祖父が場を仕切り直して。

 私は相棒をしっかりと抱き直した。


「さあアリスや、じいちゃんが案内してやろう!」

「……――――うんっ!」


 その後、二日に分けて学園を回りながら授業や施設の説明を受けてから、マリアーナの(おうち)に戻るまで。

 私はずっと、二度目の学校生活に思いを馳せていた。

次回更新は本日18時です。

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