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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第二章 貴族令嬢の彼女がいかにして民の光となったか
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第18話 悲壮な決意

「ぐえぇ」

「……大丈夫ですか?」

「ゆれる……」


 父とベルさんとともに館を出た私は、マリアーナを出てすぐの白百合騎士団駐屯地で借りた馬車に乗っていた。貴族だからか、あるいは父の持つ英雄としての名声だろうか、彼女たちは馬どころか馬車まで貸してくれたのだ。

 初めは乗馬術を修めている父とベルさんが馬に乗って、父が荷物を、ベルさんが私を一緒に乗せる形で王都を目指す予定だったらしい。

 けれど私はいつか乗ってみたいと話していたはずの馬をいざ目の前にして、尻込みしてしまったのだ。これが軍馬だからというのもあるのだろうが、本物の馬は思っていたよりもずっと逞しく、何かの拍子で踏まれたり蹴られたりでもしようものなら、私などひとたまりもないのは考えずともわかった。

 そうして怯えながらも諦めかけた時、騎士団のお姉さんが言った荷馬車もお貸し致しますよ、という言葉は、正に絶望に差した一筋の光だった。

 戸惑う父とベルさんを置いて、私は喜々として荷物とともに馬車へ乗り込んだ。

 ……までは良かった。


「うぅ……」

「や、やはりこちらへ乗られますか? アリス様」


 茶色の毛並みの馬に跨がって馬車を牽くベルさんが、黒いサイドテールを揺らして振り返った。

 単身先導する父も私を気にしているようで、手綱を引いて馬の速度を緩めた。


「うぅん……だいじょうぶ」

「そうですか……もう少しで隣町ですが、ご気分が悪くなられたらすぐに言ってくださいね」

「うん」


 私は半ば意地になっていた。素直にベルさんに乗せてもらえばいいのに、どうしてもこのまま荷馬車で揺られて王都まで辿り着くのだ、という謎の決意をしていた。

 その決意は最初、ただ馬に乗るのに怯えているがゆえのものだった。

 でも今も頑なにそれを貫いているのには、別の理由があった。

 酔うまいと必死に馬車の揺れから気を逸らす中、ある約束を思い出したのだ。


「……さいしょは、とおさまのがいい」


 ……そう、初めての乗馬は、先日ベルさんとした、一緒に父の馬に乗せてもらうという約束で果たしたくなったのだ。


「ぐえぇ……」

「ア、アリス様」


 いや、そもそも、これは人が乗る用のものではないのだ。本来は物資運搬用のもの、車台の上に大きな木製の箱が乗っかっているだけで、当然乗り心地の良さなんて考慮されていない。

 ちゃんと人の乗るためのものなら恐らくもう少しマシなのだろうが、馬車というのは案外揺れるらしい。これは慣れるのに時間が必要そうだった。


「ひびく」


 ガタガタ。ガタガタガタ。車輪が小石を蹴飛ばして、凸凹の道を乗り越える感覚が直接体に響く。揺れもそうだが、酔いそうになっている一番の原因はこの振動だった。長くこれに晒されていては、下手をすれば腰を痛めてしまうかもしれない。

 しかし馬に乗れば乗ったで、上下の動きで結局負担がかかるように思える。それはベルさんや父も当然わかっているはずで、怪我が治っていなければきっと、今こうして王都まで行くことはなかったのだろう。


「あやめのおかげ。……そーだ」


 もちろん手入れなどはされていないので、もふもふとまではいかないものの、なかなか抱き心地の良かったアヤメのことを思い出して、振動が響くのなら間に何か柔らかいもの、クッションになるものを挟めばいいのだと思い至る。


「やわらかい、やわらかい」


 自分の周囲の荷物に目を彷徨(さまよ)わせて、それを果たせそうなものを探す。

 けれど荷物といっても飲食物がほとんどで、出先に着替えを持っていくような文化もないらしく、布物の類はほとんどない。唯一馬の餌用の草は重ねればなんとかなりそうだが、頑張って私たちを運んでくれている馬の食料をそんなことに使うのはさすがに気が引ける。


 何か、何かないのか。

 やはりこのまま振動に(なぶ)られ続けねばならないのか。


 半分諦めかけたその時、私は気づいた。

 ぎゅう、と抱き締めた、この柔らかい物体はなんだ。

 私の半分ほどの大きさをした白いもふもふをハッと見て。


 ――――“俺を使え”。


 その黒いつぶらな瞳が、確かにそう言っているような気がした。


「――――あいぼー……!」


 い、いや、でも……。

 それでは、相棒が辛い思いをすることになる。

 別に破けはしないだろうが、子供とはいえ人一人の体重に潰され、かつ激しい馬車の振動を受け止め続けるのはどう考えても地獄だった。

 何より、ずっとそばにいてくれた友を踏むというのは、それだけでこの上ない苦痛だ。


「くっ」


 ……だが、だがしかし、けれど、だ。

 私は、約束を果たさねばならない。

 なんとかこの苦境を乗り越え、ベルさんとともに父の馬で“初めて”を迎えなければならないのだ!


 相棒。

 私は涙を堪え、目を合わせた。

 気にするな、とその口が不敵に弧を描いた。……気がした。


「……あいぼー」


 “ここは俺に任せて先に行け”と彼は言った。……気がした。

 すまない。本当に、すまない!

 私は私の使命のため、相棒を文字通り踏み台にさせてもらう。


「きみのぎせいはわすれない」


 決して、決して私はこのことを忘れないだろう。

 夢のため、約束のため、自ら犠牲になってくれた相棒のことを……!

 潤む瞳を拭い、私は相棒を……。


「――――アリス様! 見えますか? あれがマリアーナの隣街、ヴァルヴラですよ!」


 相棒を。


「えっ」


 ばっと上げた視線の先には、マリアーナよりも数倍大きな街並み。

 たっぷり十数秒遅れて、中継地へ到着したのだというのをようやく理解して、すごすごと相棒を胸に戻し。


「……えっ」

「アリス様?」


 きょとんと首を傾げたベルさんに、私は微妙な気持ちを押し殺しながら渾身の演技をした。


「ぁ……ぇと、わ、わーついたーやったー!」

「……アリス様?」


 悲壮な決意(アホなこと)をしているうちに辿り着いたその街で結局、気を利かせた父が柔らかい敷物を買ってくれて。それから王都までの約三日間、私は振動を気にせずに済んだのだった。











「姫えええぇぇッ!!」

「わ、わっ」


 指示通り、王都第一街道入り口にて姫御一行をお待ちしていた私は、およそ二週間ぶりの姫の姿を認めると周囲の注目も気にせず、ほとんど叫びながら走り寄った。

 なぜか荷馬車で荷物とともに揺られている姫は、その声に私を見つけて驚いたようにぬいぐるみを抱き締めている。ぶんぶんと手を振ると、控えめながらも小さく振り返してくれて。

 それだけでここ最近の苦労が全て報われた気がした。


「ああ、ミランダ。急な連絡ですまなかった」

「いえ、ハッティリア様。幸いラブリッド将軍が五日分の生活費を融通してくださったので!」


 五日間の肩身の狭い生活と、それから手紙を読んだ時の絶望と焦燥をたっぷり込めて、あえて笑顔でそう返した。彼は少し怯むと、ようやく気づいてくれたようで。


「……すまなかった」


 心底申し訳なさそうなその姿に、私は溜飲を下げた。

 ハッティリア様はいわば主の主。ならば姫直属の親衛騎士とはいえ、指示に従わぬわけにもいかないのだ。

 そもそも、私がもう少し余裕を持ってお金を持ってきていれば済んだ話だし、姫が襲われた事件のこともあったので、あれだけ忙しければどこかでうっかり抜けが生じてしまっても仕方のないことに思えた。

 むしろ彼の仕事上でそれが出なかったことに安堵すべきである。


「冗談です。こうして姫の顔を見られたので、終わりよければなんとやらです。もう少し多く持っていくべきでした」


 唐突に自分のことが絡んだのにきょとんとする姫に癒やされながら、でれでれに(たる)みそうになる顔をキリッと引き締め……。


「おつかれさま、みら」

「ふへ」


 引き締めたかった。


「みら?」

「いえ、アリス様。あれは仕方のないことなのです。放っておいてあげてください」

「う、うん」


 ノクスベルさんが瞳に理解の色を宿しながら、姫にそう補足してくれて。いつものように目を合わせてうんうんと頷き合った。仲間外れにでも感じたのか、姫は若干不満そうだった。可愛い。


「かわいい」

「ミランダさん、漏れてます」

「……はっ!?」

「お気持ちはわかります」

「こほん。失礼しました、姫。マム」


 姫への愛を叫んでしまいそうになるのをなんとか抑え、自分でも見惚れてしまうような流麗な動作で頭を下げた。

 それから未だ馬車の上でぼうっと王都に圧倒されている姫に手を差し出す。私が言うのも変だと思ったが、その様子を見ているとどうしても言わずにはいられなくなって、戸惑う姫に歓迎の言葉を紡ぐ。


「――――王都へようこそ、姫」


 瞬間、確かに姫の瞳が煌めいたのがわかった。


「すごい!」


 素直な感想を、珍しく大きな声で叫んだ姫にノクスベルさんとハッティリア様がクスリと笑って、周囲の人々も姫を見て微笑ましそうにしている。

 それに気づいた姫はまたぬいぐるみを抱いて顔を隠してしまった。


「……ぁう」

「かわいい」

「ミランダさん」

「はい」


 また漏れてますよ、とノクスベルさんに諭されながら姫を抱き上げて降ろして差し上げる。

 人ごみが怖いのか、きゅっと手を握ったまま離さないのに愛らしさと悲しみを同時に覚えた。

 やはりあの日のことは、そう簡単に忘れられるものではないだろう。


「馬を預けてきますね」

「いや、いい。私が行ってくる。ベルとミランダはアリスを見てやっててほしい」

「ですが……いえ、畏まりましたハッティリア様」

「ああ、すぐ戻る。この辺りにいてくれ」


 二頭の馬を連れて馬小屋に歩いていくハッティリア様に礼をして、姫に目を戻す。

 その幼い顔は、どこか怯えてる風な目をしながらも、きょろきょろ物珍し気に周りを見回していて、好奇心も窺わせる。


「姫、何か気になるものはありますか?」

「たくさん」

「よろしければ私が説明しますよ!」


 チラリとノクスベルさんが私を見た気がした。

 申し訳ないけれど早い者勝ちである。姫に街の案内をするのは私だ!

 ノクスベルさんがどれだけ王都のことを知っているのかはわからないけど、少なくとも今のこの第一街道については私の方が詳しいと自信を持って言える。

 なんせ一週間くらいここを彷徨い歩いて時間を潰していたのだから。


「ん……じゃあ、あれは?」


 姫が最初に指を差したのは、透明なものから色の付いたかなり高級なものまで、様々なガラスを扱う店だ。きっとマリアーナの教会で見たものと同じようなものが売られていることに興味を示したのだろう。


「あれはガラス屋です、姫」

「がらすやさん」

「はい。とても私には買える金額ではないので中は覗いていないのですが、いつも魔導師や貴族の使用人の方で賑わっていて、評判が良さそうですね」

「そなんだ。きれい」

「はい、とっても綺麗ですね」


 確かに、店の前に展示された色取り取りのガラスが太陽に照らされて輝いている様はとても美しい。だが、何よりもそれを見てうっとりしている姫の(かんばせ)が美しい。


「とっても綺麗です」

「……みら?」

「なんでしょう、姫」

「その……おかお、ちかい」

「失礼しました」


 ノクスベルさんは姫に案内するのは諦めたのか、一歩後ろで周囲に気を払いながら見守っている。あの事件で警戒心が強まったのは何も姫だけではない。

 かくいう私も、利き手はいつでも腰の剣を抜けるように自由にさせていた。


「みら、みら、あれは?」

「あれは貴族方御用達の服飾屋です。姫ならどれでも似合いそうですね」


 今度はドレスの立ち並ぶ店に関心が向かったようで、ぐいぐいと私の手を引っ張りながらまた指を差す。

 仕草一つ一つがいちいち琴線を刺激してくる。勘弁してほしい。崩れそうになる顔と理性を堪えるのに必死で、正直もう限界である。


「どれがいちばんにあう?」

「そうですね、あの真っ白な花の装飾のものなんてどうでしょう」


 姫は私の示したドレスをじっと見て、そしてほんのり顔を赤くして。


「……そ、そう?」

「くふっ……」


 上目遣いでもじもじと見上げてきたのに思わず気味の悪い笑みを漏らしてしまう。

 それは背中から体の横までが大きく露出していて。つい本能に従ってしまったが、これでは姫に露出を迫るただの変態である。


「ミラさん」

「はい」


 振り返った先のノクスベルさんは空気も冷えるような底知れない笑顔をしていて、私は直立不動で謝罪した。……やり過ぎはいけませんよね。

 今、口を開けばどうしても姫への愛が暴発してしまいそうで、ここはしばらく黙っていようと悲壮な決意を固めた。


「アリス様が一番お似合いになるのは、あの桃色のドレスだと思いますよ」

「ほんと?」

「はい。フリルやリボンがたくさん付いていて、きっとあれを着たアリス様はこの世の何よりも可愛らしいです」


 続けてノクスベルさんが選んだのは、よっぽどもとが良くなければ確実にドレス負けしてしまうだろう、かなり可愛らしい装飾のあしらわれたドレス。

 ふと店の前を通りがかった、きっと高い身分の少女がチラチラと横目で見ては悔しそうに通り過ぎていった。姫には及ばぬものの整った顔立ちだったが、可愛らしいというよりは綺麗の部類で、確かにあのドレスは似合わないだろう。

 若干本人の趣味の混ざったように思える選択と当然とばかりのベタ褒めに、姫はまたもじもじと気恥ずかしそうにして。


「……ぁ、ぁりがと。べる」

「――――ぐっ……!?」

「ノクスベルさん」

「はい……」


 どうやら必死に頬の緩みを堪えているのは私だけではなかったらしい。誰もが羨む理想の完璧メイドとて、姫の前では形無しのようだった。


「待たせた。それじゃあ学園に……なんだ、何があった?」


 姫がぬいぐるみで顔を隠し、ノクスベルさんは空を見上げて、私は自分の頬を(つね)って、戻ってきたハッティリア様がポカンと口を開けていて。

 それから目的の王都学園に辿り着くまで、それぞれがそれぞれの理由で沈黙していた。

次回更新は明日の12時です

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