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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第二章 貴族令嬢の彼女がいかにして民の光となったか
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第17話 光と手紙と

「どこか痛かったり、気分が悪かったりはしないんだな?」

「うん」

「そうか」


 しっかり私の目を見ながら答えたアリス、その隣で控えるベルに無言で確認して、小さく頷きが返ってきたのにホッと安堵の息を吐いた。

 ベッドにちょこんと座る愛娘は、普段は心配なくらい落ち着いた振る舞いだというのに、たまにこういった無茶をする。それも、いつも大人しい分の反動だろうか、びっくりするくらいの行動力を伴って、だ。


「まったく……」


 どこの子供がほとんど初対面と変わらぬ者を金狼から庇い、挙げ句襲われて怪我をした直後にそれを飼うと言いだすのか。きっと世界中を探したってこの()くらいだろう。

 それで実際当の金狼はアリスに懐いているというのだから、もう呆れるしかなかった。


「なんと言えばいいか」


 アリスはびくびくと判決を待つ罪人のような顔で、怯えながら私を窺っている。

 怯えたいのは私の方だ。ついこの間も事件にあったばかりの娘が、また命の危機に瀕したというのだから。そういうものに巻き込まれやすい体質でもしているのだろうか。

 ……アリシアのことを考えればないとは断言できず、洒落にもならなかった。


「ごめんなさい」

「ああ……いや、そうだな。お前が傷つけば、みんな悲しむ。気をつけなさい」


 と、一応は言っておくものの、何もアリスが悪いわけでもないから困ったものだ。

 もちろんベルやカルミアの話を聞くに自ら金狼に向かっていったらしいことは、叱るべきだろう。

 だがそれも人を守っての行動だったようで、それがゆえに頭ごなしに怒るわけにもいかず、もっと自分を大切にしてくれと釘を刺すくらいしかできない。

 そもそも襲われたのはまったくの偶然なのだから。


 ……しかし夜行性で、かつ森の中からほとんど出ずに群れで暮らす金狼がなぜ、真昼間の草原に子供一匹でいたのかは気になる。後で騎士団に調査依頼でも出しておこう。

 それはさておき。襲われた後どう収拾がついたのかは、やれアリスが完璧な動きで噛み付きを避けただの、抱き締めて魅了しただの、説明が混乱していてよくわからなかった。確かなのは、どうやら最終的に件の金狼を手懐けてしまったらしいということ。


「飼う、飼う……なぁ」


 金狼を飼うなどという話は、聞いたこともない。

 つくづく普通や平均という言葉からは離れた娘らしい。

 ……いや、別にそうである必要はない。そういったものや遠慮などに囚われずに、ありのままの姿を見せてくれるようになったのは私としてはとても嬉しかった。

 だんだんと心を開いていってくれているように思えるからだ。


 しかし。


「飼いたい、か」

「うん。あやめ」

「アヤメ?」

「なまえ」

「名前」


 飼う気、満々である。

 もう名前まで付けているらしい。


 そこはもう少し、ほんの少し、こう、普通とか平均とかが欲しかったかもしれない。

 これが例えば、他の貴族の子供のように馬が欲しいとねだっていたなら二つ返事で応えてやれた。莫大な費用こそかかるだろうが、払えない金額でもない。

 それでアリスの笑顔が増えるのなら、なんなら馬車も一緒に買ってやったっていい。少し食卓は寂しくなるかもしれないが、まあ、アリスはマリアンさえあれば気にしないだろう。


「金狼か……」


 いきなり金狼を、それも自らを襲ったものを飼いたいと言われては、戸惑ってしまうのも仕方のないことだろう。報告とともに相談しに来たベルだってかなり困惑気味だった。当たり前である。

 ベルの言う通り、仮に許可するにしてもしばらくは人を襲ったりする様子がないか見定める必要はあるだろう。それについてはアリス曰く、どうしようもないから生きるために襲っただけ、らしい。私の娘はいつから狼の言葉を解せるようになったのだろう。

 ふと浮かんだそんな冗談を、現実逃避にそのままぶつけてみる。


「アリスはその金狼……アヤメ、だったか。その言っていることがわかるのか?」

「わかる」

「ほう。なら父さんが狼の鳴き声をするから何を言っているのか当ててみろ」

「まかせて!」


 クスリと苦笑するベルを視界の端に収めながら、思いのほかノリノリなように気分を良くする。

 じぃっと真剣に耳を澄ませるアリス。父の威厳は一旦忘れて、両手を顔の横で曲げて狼の真似をする。


「ガルル~~っ!」

「むむむっ……」

「どうだ?」


 するとアリスは目を瞑って腕を組み、しばらく考え込むようにしている。その姿がおかしくも愛らしくて、思考の邪魔になるとはわかっているが、頭を撫でてやった。

 崩れた髪が掛かった片目は閉じたまま、もう片方をなぁに、とばかりに開けて見上げてくる。


 まあ、そのアヤメという金狼はひとまず預かってくれているらしいメリーランド農園に任せ、しばらく様子見して人に危害を加えないと判断できたなら、館で飼ってやるのもいいかもしれない。もしもうまく調教してくれれば、アリスの心強い護衛になるだろう。

 幸い、ハングロッテは狼を連れて狩人をしていた経験があると聞く。


 いや、もちろんアリスに怪我を負わせたのはやはりとても許せることではないが、噂話とされていた金狼の癒やしの魔法で全ての怪我を治したというのを多少の贖罪と見てやらなくもなかった。ベルの確認によると、まだまだ完治する様子のなかったあの背中の傷まで治っていたようだから。

 ……さすがに、痕は残ったようだが。


「とおさま?」

「何だ、わかったか?」

「うん、わかった!」

「よーし、言ってみろ」


 何も考えずにした戯れの鳴き声にどんな意味を見つけたのか、と少し意地悪な笑顔を浮かべる。

 ふふん、と得意気に胸を張ったアリスはびしぃっと指を立てて。


「こまってる!」


 簡潔、明快。捻りのない素直なそれに、存外的を射られた気がして。開いた口を、そのまま笑いに変えた。


「ははは、そりゃそうだ。正解!」

「いぇーい。さすがわたし!」


 その嬉しそうに威張る無垢な顔にどうも、“わがまま”を断る気が削がれてしまって。

 ふっと息とともに力が抜けて、ポンポン、と優しくその頭を撫で付けた。


「……よし。わかった、いいぞ。でも、絶対にアリスやみんなを襲わないとわかってからだ」

「ほんとっ……!?」

「ああ、本当だ」

「ありがとう、とおさまっ!」


 その変化のわかりにくい瞳が確かにキラキラ煌めいたのがわかって、感極まって抱きついてきたアリスをしっかり抱き返しながら宥める。

 そもそも、アリスにあんな、切なそうな顔で頼まれて断れるわけもなかったのだ。

 きっとベルもカルミアもアレにやられたのだろう。


 ある程度興奮が収まったらしいのを見て、そっと体を離す。

 首を傾げたのにもう一度頭を撫でてやって、名残惜しさと罪悪感を押し殺す。

 もっと、昔からこうしていれば。

 いや、過ぎたことは今更考えてもどうにもならない。今とこれからの一緒にいられる時間を、できるだけ作ることに全力を尽くすべきだ。

 そのためにも、ここ最近のドタバタは一刻も早く終わらせなければならない。まだ書斎の机には書類が山積みだった。


 そうだ。

 積まれた書類の中に、また義父上からの手紙が届いていたのを思い出した。


「それと、アリス。学園の話だが……とりあえず、“見学”に行ってみないか」

「けんがく?」

「ああ、義父上……おじいちゃんからまた手紙が来てな。学園がどんなところなのかを見ることができる。どうだ?」

「ひとり……?」

「ああいや、もちろん父さんやベルと一緒だ」

「んー」


 アリスは胸に抱くぬいぐるみに向かって少し悩んだような顔をすると、もう一度顔を上げて。


「――――うん。いく」

「……そうか。それじゃあお出かけの準備をしないとな」

「うんっ」


 アリスが最終的にどう決断するのかはわからないが、実際に学園の中の様子を見るのと見ないのとでは話は全然違うだろう。どうやらアリスもそれは同じ考えのようだ。

 しかし、学園の見学となると、王都か。

 久しぶりに愛馬に顔を出してやるのもいいかもしれない。

 なんにせよ、行くならば早速準備を始めなければいけない。少なくとも、税に関する書類は今日中に一段落させねば。


「よし……ごめんな、アリス。父さんはもう少し仕事がある」

「おしごと」

「ああ、おしごとだ」


 するとアリスは、不意に私の頭に手を伸ばした。

 そしてポンポンと、私がしたように。その小さな手が頭を撫でて。


「がんばれ、おとおさまっ」


 すっと、疲れが抜けていく気がした。

 ……ああ、娘とは、こんなにも愛らしいものなのか。


「……よーし。待ってろアリス、王都に行ったら父さんの馬に乗せてやる!」

「ほんとっ!? うん!」


 ハッティリア様、と礼をしてくれたベルに頷きを返して、すっかり軽くなった体で立ち上がる。

 手を振ってくれたアリスに振り返して、扉へ。


「ところでアリス様、お願いがあるのですが」

「おねがい?」

「はい。その、私も金狼の言葉がわかるか試してみたいのです。ですので、今度はアリス様が狼の真似をして話してみてくれませんか?」

「……えー」


 相変わらず、アリスの一番は揺るがないらしい。今だってベルにもらったぬいぐるみを片時も離そうとしていないのが、その信頼と好意の証だった。

 私にとってベルは従者だが、同時に血の繋がっていない娘のようにも感じていて。だからこうしてアリスと二人戯れているのを見ていると、歳の差こそあれ、本当に姉妹のようだ。


「お願いします」

「べる?」

「お願いします」

「う、うん……」


 さて。まずは回収分の税の整理をしよう。

 ああ、ミランダにもそちらへ行くと手紙を送らねばならないな。

 主従という言葉が良い意味で当てはまらない、そんな微笑ましいやり取りを背中に、私は部屋を後に――――。


「えと……がおーっ!」

「――――ぐふあぁっ!?」


 ……後にした。










「報告は以上であります、将軍」

「ご苦労。……なるほど。少し厄介なことになった、というべきか」


 使いも介さず、突然軍の本部へやってきた事態に何事か察した将軍は、私が何も言わずとも時間を作ってくれた。数日宿に泊まって待つことになってしまったが、それは仕方ない。

 そして迎えた今日、人払いの済んだ将軍の執務室に入室した私はまず報告書を手渡し、それからカルミアの助言通り口頭で姫の魔法について伝えた。

 緊張に飲まれそうになりながら、将軍以外に聞かれぬようできるだけ小さな声で全てを話し終わって、けれど直立は崩さぬまま返事を待つ。

 将軍は額に指を当てて目を瞑り、深く考え込んでいる様子だった。


「アリシアの娘なのだからわかっていたことだが……素直に発現を祝ってやりたかったものだ」

「姫……アリス様の母君も、何かそのような魔法を?」


 将軍の予想はしていた、というような口調に、思わず許可されてもいないのに質問をしてしまう。ハッと口を押さえて謝罪しようとして、将軍がそれを止めた。


「構わない。どの道アリス嬢の魔法を知っているのならいずれ気づくこと。……それにミランダ、今回の任務に貴官を選んだのはカルミアから聞いた人となりと、そして私自身があの訓練の期間で直接見定めた結果だ」

「誠に光栄であります、将軍」


 すなわち遠回しに信頼を置いていると言ってくださったのを理解して、一瞬間を空けてしまいながらも敬礼とともに感謝する。


「アリシアの魔法については、おいそれと口にできるものではない。知っているのは私と、アリス嬢を除くあの館の住人、後はアリシアの両親くらいのもの。……だが、今後あそこに深く関わる貴官に何も教えないわけにもいかぬ」


 わかっているな、と確認する鋭い目に“訓練”を思い出す。

 うっ、と苦い表情をしそうになるのをなんとか堪えて、頷く。

 二度としたくはないが、あの訓練のおかげで痛みや苦しみに対してかなりの耐性を付けることができた。あれは諜報任務に関わる者ならみな通る道らしい。


「姫のためとあらば、たとえどんな状況に放り込まれようと口は割りません」

「……よろしい。その覚悟を信じて、一つだけ教えておこう」


 すると将軍は改めて念入りに周囲を確認して、さらに耳を貸せと手招きする。それに従って耳を寄せると、それでも聞き取れるか聞き取れないかくらいの小さな声で。


「……アリス嬢は――――」


 そうして伝えられたことの意味が最初はよくわからなくて、首を傾げ、そして遅れてそれに思い至った時、私は驚愕のあまり言葉を失った。


「それは、つまり……」

「そうだ。伝承は真実……そして今はまだ、その時ではない。貴官なら、わかるな?」

「はい、将軍。教えていただけたこと、誠に……本当に、ありがとうございます」


 その衝撃は、やがて純粋な感動や歓喜になって。よりいっそう、姫の親衛騎士だという事実が誇らしくも重く肩にのしかかる。私は今、もしかすれば騎士として最高の栄誉を授かっているのかもしれない。

 いや、もしかしなくとも、だ。


「……気持ちはわかるが、泣くのは一人の時にするように。なんだ、私とて、目の前でそのように少女然と泣かれると困る」

「はい、はい、申し訳ありませんっ……」


 子供の時に憧れた、夢のようなお話。育っていくたびに憧れの形の変わっていったそれは、しかし現実だったのだ。そして今、自分がそれに触れられているのだと考えると、感動に涙が溢れて仕方がなかった。


 そうして将軍は困ったようにしながらも、黙って私が落ち着くのを待っていてくれた。


「……落ち着いたか?」

「はい。失礼しました」

「よい。……ああ、そうだ」


 思い出したように言った将軍は、何やら懐を探ると一枚の手紙を取り出した。

 それをそのまま私に渡したので、戸惑いながら受け取った。


「ハッティリアから貴官宛だ」

「ハッティリア様から……?」

「私も何も聞いていない。つい先日私宛ということで届いたのだが、一文目に貴官に渡してくれと書かれていたのでな」


 王都に向かったことは知っていても今どこにいるかは当然向こうからはわからず、だから行き先の将軍に直接送ったのだろう。そこまでするということは、何か早急に、確実に伝えたいことがあるということだ。

 ……何だろう。

 紐を解いて、その羊皮紙の文面に目を走らせる


「ええと……」


 確かに最初の一文には将軍への気の知れた挨拶と、私に渡してほしいという旨が書かれている。

 将軍もその先は読んでいないのか、内容が気になっているようだ。将軍を介して送っているのだから、将軍が中身を知っても問題ないのだろう。

 私はそれをそのまま読み上げていく。


『突然ですまない。アリスの学園の見学でそちらに行くことになった。そのまま王都で待機してくれ。五日後に王都第一街道入り口で会おう。ハッティリア』


 なるほど、姫たちがこちらに。


「えええぇっ!?」

「はっはっは。なるほど、これまた突然な話」


 将軍は愉快そうにしているが、全然笑い事じゃない。報告をしてすぐに戻るつもりだったので、後五日も王都で宿泊するほどのお金なんて持ってきていないのだ。もちろん万が一のために少し多めに持ってきてはいるが、それでも三日分くらいの宿代しかない。

 ……野宿。

 そんな言葉が頭をよぎった。


「細部まで気が回らないのはあいつらしいというか。いや、アリス嬢で頭がいっぱいなだけか。……ミランダ」

「は、はい……」


 この頃、悉く手紙に翻弄されているような気がする。

 げんなりとする私に、将軍は友がすまんな、といつもとは違う砕けた様子で笑って。


「待つ間の宿代や食事代くらいは私が出してやろう。後でハッティリアのやつに請求してやる」

「しょ、将軍……! いいのですか!?」

「ああ、構わない」


 闇を貫く一筋の光……!

 今の将軍には後光さえ差している気がした。

 やはり将軍は英雄なのだ。


「ありがとうございます!」

「なに、報告もそうだが、大事なものを運んできてくれた礼だ。気にするな」


 そうして将軍がひらひらと揺らした、可愛らしい文字で書かれた手紙の中身を知っていて。

 私はその送り主(カルミア)に今日一番の感謝を捧げるのだった。


次回更新は本日18時です。

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