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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第二章 貴族令嬢の彼女がいかにして民の光となったか
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第13話 知った愛と、知らない愛と

「ぐすんぐすん」

「ごめん」


 会ってすぐの強面はどこへやら、半泣きで悲しみを言葉にした祖父に私は素直に謝った。

 備えなしでいきなり祖父と言われてどうも思考が停止状態に陥り、その事実を理解して受け入れるために何度も同じ質問を繰り返してしまった。

 すっかりしょげてしまったマッグポッドさん、いや、祖父を見ていると罪悪感に駆られる。自分が家族であるというのを何度も説明するというのは確かに、考えてみればなかなか虚しくなってしまいそうだ。


「おじいちゃん悲しい」

「ごめんね」


 祖父を慰める私を、その後ろで居心地の悪そうに見守るのはベルさんとカルミアさんだ。

 私が何も知らされてなかったゆえに起こったことであるから、伝えなかった自分を悔いているのかもしれない。

 けれど、父の不在などいろいろとタイミングが悪かっただけで、誰かが悪いということはない。強いて言うならたっぷり小一時間も固まっていた私である。


「マッグポッド様……その」


 するとついにその責任感を表層化させたベルさんが申し訳なさそうな顔で。

 けれど、それを見るとすぐに項垂(うなだ)れるのをやめた祖父が言葉を遮った。


「ああいや、悲しかったのは本当だが、半ば戯れよの。気にしなくてよろしい」

「はや」


 そう言ってコロッと平常に戻った祖父を見て、切り替えの早さに思わずツッコミを入れた。

 するとそれを責めていると勘違いしたのか、違うんじゃアリス、と弁明を始める祖父。なるほど、確かにその寡黙な佇まいからは想像もできなかったが、一度こうして話してみるとかなり気さくで話しやすいというのがわかる。


「ちょうどハッティリア様は騎士団駐屯地の方へ……」

「ああ、間が悪かったようじゃ。一応話は通してあったのだが……何しろあんな事件の後じゃ。頭から抜け落ちたみたいだな」


 祖父はあの事件、というところで私をチラリと見て、それからベルさんに視線を戻して。

 その事件というのが市場での襲撃のことを指しているのは簡単に察せた。


「だいじょうぶ、だよ」


 未だ彼が祖父であるという実感は湧かない。けれど、別にそれを否定するつもりはなく、受け入れようという思いはある。

 そしてきっと、彼もまた祖父として私のことを少なからず心配してくれているのだろう。話している最中に向ける目線にも、どこか気遣うような気配を感じるのだ。


「……もう少し、落ち着いた頃にと思ったのじゃが、どうも、ワシが落ち着かんくて」


 はは、と頬を掻いて誤魔化すように笑った祖父に、ふと何か懐かしい香りが匂った。

 それは母の部屋で感じたものと同じで、ならばきっと彼は。


「かあさまの……?」

「……なんと。これは驚いた。どこから気づいた、アリスや。髪の色かの?」


 少し真剣な顔になった祖父がそう尋ねて。私はそれに首を振った。


「ううん。そんな、においがしたの」

「……匂い。匂いときたか。はっはっは!」


 すると目を丸くしてやがて大声で一つ笑った彼はやはり母方の祖父らしく、誰かを懐かしむように広間の高い天井を仰いで。それが誰に向けられたものなのかは考える必要もなくて、私は胸がつまるような感覚に襲われた。


「なるほど、あいつの娘じゃ」


 そう呟いた顔はひどく寂し気で、何やら後悔をしているようにも見て取れて。

 あいつ、という呼び方からしても、祖父と母の間には何か確執のようなものがあったのかもしれない。


「……ぁ」


 何か妙な罪悪感に苛まれつつもそんな祖父をじっと見つめて、私は気づいた。

 その襟元に飾られたブローチは、見たことのある花の形をしていた。

 ローブのような、極力目立たぬように気をつけた風の服装の中、やけに目立つ、女物に見えるそれ。唯一唐突な印象を抱かせるそれは、けれどとても馴染んでいるように感じて。

 なればこそ、私は微笑んだ。


「あのね」

「……おお、すまぬすまぬ。どうした、アリス」


 詳しい事情は知らない。しかしもしも本当に、何か壁のあったまま離別したというなら、それほど悲しいことはない。本当の家族の意味を知った私は、改めてそう思うのだ。

 そして言葉を交わせなくなった今、それを解消できるとすれば実の娘である私しかいまい。


「わたし、かあさまのこと、おかおもしらない、けど」

「……アリスや」

「アリス様……」


 心配そうな声を漏らす祖父とベルさん、カルミアさん。

 しかし、違うのだ。私は何も、それを嘆こうとしているのではない。

 ……話したこともないはずの母の、祖父に対する想い。

私はどうしてか、それを明瞭に感じ取った。その残り香に温められさえしたのだ。


「かあさまはきっと、まっぐぽっどさん……ううん、じいさまのことを、ずっとすきだよ」

「……なに、を」


 ぐっと言葉を詰まらせた祖父に、私はまぶたを閉じて。

 ずっと前に見た、母の部屋を浮かべた。

 姿も知らぬ母の息遣いを感じられた、あの部屋で。

 窓から差し込んだ光に照らされる一輪の花。

 あの後、ベルさんに教えてもらったその名は――――。


「まりあーな、あいりす」


 ゆっくりと目を開いた私は、祖父の襟元のブローチを指差して。

 驚いたように固まった祖父。


「かあさまに、もらった。ちがう?」

「あ……あぁ、そうじゃ、が……」

「かあさまのおへや、おなじおはなが、おいてあったの」


 ハッと息を飲んだのはベルさんと、そしてカルミアさんだ。

 私とて、一度見聞きしただけのことをここまでハッキリと覚えているとは思わなかった。


「――――とっても、きれいにさいてたよ。きっと、ずっと」


 そう、とっても、とっても綺麗に咲いていたのだ。

 きっとあの花は、ずっと母の部屋にあったのだろう。

 その後訪れたベルさんの部屋で見た同じ花もまた、綺麗に咲いていて。


 そしてベルさんはいつか、それを母にもらったものなのだと教えてくれた。

 しかし、母にもらったということは、私を産んで亡くなる前にもらったということである。それから私があの花を目にするまで、少なくとも五年間、ずっと枯れずに咲いていたことになる。

 私の知識にある〝花〟とは、そんなに長く咲いているものではないはずだ。


「……ね、べる」


 ならば。

 私は、あの時優しい匂いとともに体を包んだ暖かい感覚の正体、なぜそれに母の影を感じたのか、思い当たるものがあった。


「かあさまのまほうって、なあに?」

「それはっ……」


 ベルさんの取り乱した様子に、私は確信した。

 だからベルさんは、傷を移した私のアレを本当の魔法ではないと考えたのだ。

 ……魔法が受け継がれながら変化していくものだと言うなら、逆説的に子の魔法が親と違い過ぎるということはないはずだった。

 氷、という存在、仕組み、あるいは概念に似たような性質を持つもので、花が枯れぬようにできるような魔法。

 例えばモノの動きを止めることができるような魔法。それでもって、花を咲いたままの状態に〝凍らせた〟のだ。


「ずっとさいたままのおはな。かあさまがじいさまにあげたぶろーちとおなじおはな」


 そしてそれはきっと、想いの表れだったのだ。二人の間に何があったのかは知らない。

 けれど、その枯れぬ花でもって、いつかあげたブローチと同じ花を枯れさせぬことによって、その時のまま想いは変わっていないことを示したかったのではないか。


「かあさまは、きっとずっと、じいさまのことがだいすきだよ」

「――――そう、か。他ならぬ、アリスが言うんじゃ。そうかも、しれんな……そうかも、……っ……」


 そうして目を見開いて。私の瞳をじっと見つめ、きっとそこに母の姿を重ねていて。

 やがて目頭を押さえた祖父の頬を、一筋の涙が伝っていった。


「……ああ、あぁっ……アリシア……!」

「マッグポッド様……アリシア様……」


 きっと詳しい事情も知っているはずのベルさんは思うところがあったのだろう、祖父の泣く姿に涙を一つ零した。

 それにつられてか、同じく私の母を知らぬはずのカルミアさんも泣きそうな顔になっていて。

 その雰囲気にあてられてか、はたまた亡き母を想ってか、気づけば私まで瞳を潤ませていた。

 父だってこの場にいれば、きっと号泣していただろう。


 そうして全員が泣き止むまで沈黙は続いて、整理がついたのか、顔を上げた祖父の表情は晴れ晴れとしていた。


「は、はっは……すまぬ。年甲斐もなく泣いてしまったの。様子を見にきたはずが、まさか慰められるとは予想外じゃ」

「……ご、ごめんね」


 ……そうだ、一応祖父とはこれが初対面である。だというのに私はいきなり何を言いだしているのだろう。

 でも、なぜだかこう伝えなければいけないと思った。不思議と話したこともないはずの母の心情を知っている気がして、つい……。


「いや、なに、スッキリしたわい。孫娘に借りを作ってしまうとは、爺失格じゃの」


 言葉とは裏腹、嬉しそうに言った祖父はまたかっか、と軽快に笑って、自然と私の頬も緩んだのがわかった。その感情が明らかに親愛だということに気がついて、なるほど、やはり彼は私の祖父で、私は彼の孫なのだろう。

 ふと、したくなったことがあって。ベルさんに振り返り、目で会話した。


「……下りられますか?」

「うん」

「畏まりました」


 察したベルさんが微笑みながら椅子から下ろしてくれて、相棒を胸に抱いた私は遠慮がちに、とてとてと。祖父の隣まで歩いていく。


「お、おぉ? どうした、アリスや」


 祖父は戸惑いながらも体を卓から私の方へ向けて、上半身を(こご)めて肘を膝に付け、私の視線に合わせてくれる。

 その同じ色の瞳をチラチラと伺って、それからその手の甲にぺたりと、親愛を示すように自分の手を重ねた。


「じいさま」

「ぐっ……!?」


 また目を見開いた祖父は充血しそうなほどじっと重ねた手を見つめて、何やら変なうめき声を出した。いきなりスキンシップを取ろうとするのは不快だっただろうか、びくりと手を離そうとして、続く言葉にどうやらそうではないらしいと知る。


「ぐおおおぉ……! ワシは今、猛烈に爺の喜びを感じておるぞ……!」


 感涙というものを幻視しそうなほど感情の篭もった声でそう言った祖父は、どこか父に似てゴツゴツの、けれどよっぽど皺だらけな手を震わせると裏返して私の手をまじまじと握った。


「おぉ、これが孫の温もり……」


 そうさせたのは私だが、その言い方はぶっちゃけちょっと気持ち悪かった。


 けれど、不快ではない。明らかに喜んでくれているのを見ていると、とても振り払う気にはなれなくて。

 だから私も、少しの照れくささを払って、そっと握り返した。その手は確かに温かく、祖父風に言うならばこれが家族の温もりなのだ。


 でもまあ、やっぱりまだ気の退けるところはあり、それを感じ取ったのか、祖父は柔らかく笑うとポンポンと頭を撫でてくれて、それから手を離した。


「ありがとう、アリス」

「ううん」


 気恥ずかしさを誤魔化すように目を逸らした先で、ベルさんが良かったですね、と微笑んでくれる。ジーン、と口に出さなくとも顔でそれを表現してしていたカルミアさんはこくこくと頷いて、あっ、とその手に持った盆の存在に気づいた。私も今思い出した。


「で、では、小腹もお空きになったことでしょうし、マリアンでもいかがでしょう?」


 ちょっと変な敬語でそう繰り出したカルミアさん。ベルさんですら忘れていたらしく、そうですね、と繕うとカルミアさんが運んでくるのに合わせて私の方へ寄って抱き上げると、そのまま祖父の隣の席へ座らせてくれた。


「マリアンか。久しく食べていないな」

「アリス様の大好物なんですよ」

「ほう。それはいいことを聞いた。今度おじいちゃんがとびっきり良いマリアンを探して買ってやろう、アリス」

「ほんとっ!?」


 私の食いつき振りに若干驚いた祖父を見て自制する。

 しかし、これは仕方のないことなのだ。とびっきりのマリアンを食べられると聞いて心躍らない人がいるだろうか。いや、いない。

 ……それはともかく。今は目の前のマリアンを味わうことに集中しよう。

 相棒をそばに置いて、いつものように手を合わせた。


「いただきます」


 すると祖父が首を捻って、ベルさんが説明する前に一人で納得した。


「……なるほど。確かに、食物への感謝を忘れてはいかんな。いただきます、じゃ」


 それを横目に、はむ、と。いつもの如く〝あーん〟という声とともに差し出された黄金の実を唇で挟んだ。歯を強く立てる必要もなく、ぐじゅ、と甘い蜜を溢れさせながら口の中に転がったそれを舌で堪能する。


「あまい」

「甘いの」


 たっぷりと溶かすように咀嚼した欠片をこきゅりと喉に注いで、潤す。

 ……ああ、この世の神秘。

 ふと、そこでベルさんが思い出したように。

 飽きずに何度目かわからぬ恍惚に浸る私を撫でながら、祖父に話しかけた。


「そういえば、マッグポッド様」

「どうした、ベル」

「本当にアリス様の様子を見に来られただけなのですか?」


 やはり古く交流があるらしく。少し砕けた口調でそう尋ねられると祖父は口の中のマリアンを飲み込んで、おお、と手を叩いて。


「忘れるところであった。……アリスや」

「あい」


 もむもむとしあわせ(まりあん)を噛み締めながら応えた私の行儀悪さを気に留めた様子もなく言葉は続いた。


「なに、この前の事件で、魔法が発現したと聞いての」

「うん」


 めでたいことだ、と頷いた祖父はそこから一拍置いて。

 私は次の一切れを口に受け取りながら、しっかりと向き合った。


「怪我が治ってからでも、時期はいつでも構わないのじゃが」


 その口ぶりから察するに、何やら誘いがあるらしい。

 新たにかぶりついた一欠片を咀嚼しながら続く言葉を待った。


「――――王都学園で学んでみる気は、ないかの?」


 思わず吹き出しそうになったのを堪えきれたのは、(ひとえ)にマリアンに対する愛情のおかげだった。


次回更新は本日18時です。

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[一言] マリアンじゃなければ(絵面が)危なかった( ˘ω˘ )
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