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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第二章 貴族令嬢の彼女がいかにして民の光となったか
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第11話 記憶と今と

「ふあ……」


 パタリ、と本を閉じた。

 タイトルは『きんいろのねこ』。以前ベルさんに読んでもらったものだ。

 何度読んでも、最後に仲間を見つけたねこのページで深い感傷に浸ってしまう。この絵本はすっかり私のお気に入りになっていた。

 なぜこんなに好きなのかと理由を聞かれれば、なんとなくとしか答えようがないのだが、あるいは自分と同じ金色の瞳になるという点に親近感を抱いているのかもしれない。


「めでたしめでたし」


 毎日毎日一人でいる時間をほとんど、勉強も兼ねて絵本を読むのに費やしたおかげか、最近はそれなりに語彙力も付いてきた気がする。

 まだ時折きちんと意図が伝わらずに、誤解を招いてしまうような拙い言葉になってしまうことも多いが、それでもありがとうとごめんなさいくらいしかまともに発音できなかった以前よりかは大分マシだった。


「ぱちぱち」


 相棒の手を取って拍手をするように動かし、そのまましばらく物語の余韻に浸ってから、上半身だけ曲げてベッドの端へ倒れ、床に……ではなく、今日はきちんと棚に並べた。

 ベルさんが一緒に部屋で過ごすようになってから、散らかし癖は少しずつ治っている。私だけの部屋ではなくなったのだから、今までのようにポンポン服を脱ぎ散らかしたり、読み終わった絵本をそのままベッドの横に置いて放置したりするわけにはいかなくなったのだ。


「べるー」


 朝に着替えた時に脱いだ私の服を洗いに行ったベルさんは、それから一時間くらい戻ってこない。きっとそのままいくつか他の仕事もしているのだろう。洗濯だけにしては長い留守だった。

 いや、自分で服の管理などしたことが、というか着替える服なんてなかった自分の感覚がズレているだけだろうか。それに貴族ともあれば服の扱いもまた違うだろう。丁寧に洗っていれば普通にこれくらいはかかるのかもしれない。


「さみし」


 一人の時間には慣れていたはずなのに、周囲に人の増えた最近はむしろ誰かと一緒にいることを求めてしまっていた。〝わたし〟がまだ子供のままであったことを自覚した影響か、今までの孤独が反動として返ってきているように感じていた。

 一人と独りの違いを理解したのだ。


「姫……?」


 そのままぼーっと相棒を抱いていると、ノックの音がした。ミラさんだ。

 プライベートというものに気を使ってか、一つ屋根の下とはいえミラさんが部屋に来ることは思っていたより少ない。私はミラさんのことも大好きなので、実はもっと来て構ってほしかったりする。

 ……もちろん、本人には恥ずかしくてとても言えないが。


「あい」

「入ってもよろしいですか?」

「うん」


 一秒も置かずに失礼しますと返ってくると、それと同時にドアが開く。

 入って扉を閉めたミラさんと目を合わせ、どちらからともなく微笑んだ。


「先ほどクロリナさんが税の納入に来たみたいで、ちょうどハッティリア様がお留守にしておられたので、ノクスベルさんが対応していまして」

「のーにゅ……?」

「ああ、えっと、今回の税を渡しに来られたのです」

「そっか」


 そういえば朝方、微睡みながら何やら忙し気な声や足音を聞いていた。随分早くからなんだろうと思いながらまた夢に落ちてしまったが、どうやら父が外出する際の騒ぎだったらしい。

 そして、たまたまそのタイミングでクロリナさんが税を納めに来たらしい。なるほど、ベルさんがなかなか戻ってこないのはそれだったか。

 ふむふむと納得するように何度か頷いて、あれ、と首を傾げた。

 父とベルさんのことに気を取られて流してしまったが、ミラさんは確かにクロリナさんが、と言った。


「くろりなさん……?」

「はい! 教会の方々や孤児院の子供たちの分もまとめて持ってこられたみたいです。いつもはクロリナさんではなく他の使いの方が来られるらしいのですが、何やら今日は他にも用があるようで」

「あっ」


 その用はきっと私だ。きっとこの間、魔法検査の際にした〝おねがい〟のために時間を作って来てくれたのだろう。

 ……それにしても、てっきり税に関して教会はまた特別な扱いがあるものだと思っていたが、偏見だったみたいだ。教会の人々とて免除や別の窓口があるわけではなく、普通に直接税を納めに来るらしい。


「姫?」

「ぁ、んと、それね、たぶんわたし」

「そうでしたか。……この前のお願い、ですか?」


 ああ、と手を打った後しばらく考え込んで、尋ねるようにきょとんと首を傾げたミラさん。

 その声音はどこか遠慮気味だ。きっと教会でベルさんに諭されたのを気にしているのだろう。

 当のベルさんもしれっとクロリナさんに耳打ちした時に耳を澄ませて聞こうとしていたから、そこまで気にすることはない。


「うん」

「なるほど、では私はクロリナさんがいらっしゃったら」

「……うん。ごめんね」


 胸に抱いた相棒の頭を見ながら、少し考えてから答えた。

 別に、ミラさんに〝おねがい〟の内容がバレたとしても特に問題はなかった。

 けれど、ミラさんはOKでベルさんはダメというのでは、一人、部屋から締め出されるベルさんが不憫だ。もしかすれば私が彼女を嫌ったと勘違いをさせてしまうかもしれない。それは勘弁願いたいのだ。


「ありがと」

「いえ、とんでもありません、姫」


 ベルさんのことは胸を張って叫べるくらい大好きである。……ほとんどない胸を。くっ。

 そうして思わず視線を向けた先の慎ましやかな双丘に、安堵の息を吐きそうになって思わず口を押さえた。親しき仲にも礼儀ありである。

 というか、いや。


「……わたし、ごさい」


 こんな幼いうちから何を気にしているのだろう。

 そもそもそれ以前に、私は一応もとは男性であったはずである。


「あれ」


 ――――ふと、それに違和感を覚えた。

 自然に〝幼い女の子〟であった自分に気がついたのだ。

 いや、確かに性別など気にする余裕も、それを自覚できるような扱いもされない環境ではあった。なにせコロニー内ではトイレですら男女共用である。もちろん個室などあるはずもない。

 しかし、けれど。

 今胸の大きさを気にした時の私には、ハッキリと自分が女性であるという意識があった。


「姫……?」


 思えばこの体になった時も……。


「っ、……」


 ふと、ベルさんの傷口を自分に移した時の感覚が蘇る。


 ――――どうして私はあの時、それができると思ったのだろう?

 ――――なぜ、〝前世〟では存在しなかった魔力を、みんなに驚かれるほどうまく扱えているのだろう?


 ぼうっと、世界が止まるような感覚がした。

 なんだか、懐かしいような気分だ。そう、〝前〟もこうして――――。


「――――姫、姫!」

「……ぅ、?」


 ハッと、意識が戻って、ぶんぶんと私の前で振られるミラさんの手に気がついた。


「ぁえ……」

「姫? 大丈夫ですか? なんだかすごくぼーっとしておられましたが」

「う、うん……だいじょうぶ」


 ……あんまり、このことは考えない方が良さそうだ。

 どうやら私の心はそれに触れてほしくないらしい。

 いずれ深く探るべきなのかもしれないが、今はやめておこう。

 せっかく、クロリナさんが〝おねがい〟のために来てくれているのだ。きっと納税のあれこれが終わり次第、部屋へやってくるだろう。

 まるでさっきまでのミラさんの手のように、頭をぶんぶんと振って気分を入れ替えようとして、ちょうどノックが聞こえた。


「アリス様」

「べる!」


 向こうから響いた愛しい声に、私は刹那のうちにその変な感覚を放り出した。それどころか傷のことすら忘れて、ベッドから降りると、てってと扉に駆け寄って開いた。

 どうしてか、無性にベルさんが恋しい。


「わっ!? ……とと、どうされました、アリス様?」

「むぎゅ」


 返事もせずにいきなり腰に抱きついたのに、あらあら、と苦笑したベルさんは優しく抱き返してくれた。

 そしてその後ろから顔を出したクロリナさんが冗談交じりに、相思相愛ですね、と微笑んで、さらにミラさんが、まったくです、と返した。

 そうして見上げたベルさんの頬はちょっぴり恥ずかしそうに緩んでいて、それを見た私の頬が今更熱を持って。


「……あいぼー」


 つまりは、彼の出番だった。











「さて、と……」


 クロリナさんと入れ違いで姫の部屋を出た私は、私室の扉を閉めて一つ背伸びをした。

 それから机に向かって、椅子に座る。


「もう少し」


 その書きかけの羊皮紙の束、未完成の報告書を見て、あと一息だと気合いを入れ直す。

 一週間後くらいには将軍へ渡しに行かねばならないので、できれば今日明日中には仕上げておきたい。

 どこまで書いたかを読み直して、羽ペンを手に取って、うーん、と頭を捻る。

 館や街の現状などは書き終えたが、問題は姫についてだった。

 もちろん徐々に元気になってきてはいるが、先ほどもやけにぼうっとしているなど、どうもひどく不安定なように見える。

 それに、何よりも魔法検査のことをどうするか、だ。秘密にするとは誓ったが、やはり将軍には伝えておいた方がいいのだろうか。それとも完全に口を閉ざした方がいいのか。


「うーん……、はぁ」


 結局昨日と同じ理由で筆が進まず、ついため息すら吐いてしまう。将軍は姫に大してかなり好意的であるし、きっと伝えれば秘匿しつつ味方をしてくれるのだろう。

 しかし、その過程で外部に漏れないとも限らなかった。地位が高ければ高いほど、その周囲は常に誰かの目と耳に囲まれている。そして、そこに反体制派に組する者が紛れていないとは断言できないのだ。


「どうすればいいのかな」


 どちらが良い選択なのか判断が付かず、思考は堂々巡りを続ける。

 これは私一人ではとても決めきれないことだった。しかし騎士でもないノクスベルさんに相談しても仕方のないことだろうし……。


「ミランダ、入っていい?」

「カルミア? ……ええ、いいけど」


 ふと扉の向こうから聞こえた声に了承を返した。

 そうだ。姫の魔法のことであるというのは伏せて、それとなく彼女に意見を聞いてみるのもいいかもしれない。私より早くに従者としてここへ来て、それからずっと諜報兼護衛の役目をこなしていたのだ。カルミアは同期だが、任務に関しては先輩である。

 すると扉を開けて入ってきたカルミアは私を一瞥して、後ろ手に閉めると気楽な様子でベッドへ座って。


「何か悩んでるみたいだったから」

「……まあ隣の部屋からうんうん唸ってる声が聞こえればそうなるわよね」

「毎日ため息が聞こえてくるんだもん。嫌気が差してきたの」

「遠慮ないお言葉で」


 カルミアは割とズバッとモノを言う。きっと姫やノクスベルさんやハッティリア様は想像もできないのだろうが、そもそも私の知るカルミアとはそういう人物である。

 髪の色とは反していつも冷静で、話はするがあまり言葉を飾ろうとはしない。行動的なのは会った時からだが、従者として明るく元気に愛想良く振る舞うのを見ているとさすがに違和感しかない。というかハッキリ言って気持ち悪い。


「……何か失礼なこと考えてるでしょ」

「気のせい」

「相変わらず嘘を吐くのが下手なんだから」

「嘘にする気がないだけよ」


 もう、と両肩を上げたカルミアは、で、と仕切り直して。


「見たところ、報告書が詰まってるのね?」

「ええ。……その、姫のことなんだけど」

「アリス様の……?」


 一度首を傾げたカルミアを向いて、また手元に戻して。

 きっと察してくれるだろうという信頼を込めて切り出した。


「例えば漏れれば王国を揺るがすような秘密を抱えた時、あんたなら将軍にそれを報告する?」

「……ん」


 すると言えないことだというのをすぐに理解してくれたカルミアは、少し考え込むように顔を俯ける。しばらくその足がぷらぷらと揺れるのを、私は黙って見ていた。

 すると顔を上げたカルミアのその赤い瞳が、じっと私の(あお)色を覗き込んで。


「――――した方が、いいと思う」


 そうしてカルミアの出した結論に、私は質問をぶつける。

 これは一種の自問自答でもあった。


「けれど、もしも漏れたら?」

「うん。だから、書類にしてはダメ。口頭でこっそり伝えるのがいい」

「なる、ほど……」


 そう、形として残すと必ず人目に触れてしまうのが問題だったのだ。将軍とて気の抜ける瞬間の一つや二つくらいあるだろう。もしもそういった瞬間に運悪くこの報告書の姫の記述を見られてしまったら、と考えていたのだ。

 しかし確かに、口頭なら頭に入れてしまえばその場だけのものだ。目が回らず盗み見されて、はあるかもしれないが、あの方に限って己を律せずに口を滑らすというのは絶対にないだろう。


「それだけ別の羊皮紙に書いて、読んだら燃やすなりしてもらうっていう方法もあるわ」

「でも、それだと」

「そうね。預かってから開いて読むまでのほんの一瞬とはいえ、他の人が見ることのできるスキが生まれる。でも口頭でも聞かれる可能性はあるんだから同じこと」


 しかし、どちらにしても。


「将軍が選んだ人とはいえ、使いに渡すのは危険かしら」

「うん。王都まで直接行った方がいい。その間アリス様の騎士の座は代わらせてもらうわ!」

「急に元気になった」

「私だって騎士だもん」


 ツンと唇を尖らせたカルミアは、本当は自分が親衛騎士になりたかったのかもしれない。

 しかしこんな、()ねるような姿を見せるのはかなり珍しい。私の知るカルミアはもっと、つっけんどんとした、人を寄せ付けない少女であったはずである。

 時々会って話している時はあまり気がつかなかったが、こうして基礎訓練時代のようにいざ身近で接するとかなり変わっているのがわかった。


「……ね、本当にカルミアよね?」

「失礼な……。私だって、アリス様の親衛騎士として仕えるミランダの姿を見て同じこと思ってる。前のミランダはあんなに強く意志の宿った目もしなければ、変な性癖もなかった!」

「性癖は余計!」


 痛いところを突かれて思わず頬を赤くしながら、目を逸らした。

 私も姫のように顔を隠すぬいぐるみが欲しい。


「……アリス様。アリス様と過ごしているうちに、変わったの。辛いはずなのに、それでも人に優しさを向ける姿をずっとそばでみていて、何か感じるモノがあった。それは、きっとミランダも感じたでしょ?」


 否定はできなかった。幼く儚気で、けれど愛らしい振る舞いをする姿に庇護欲を掻き立てられるというのもあるだろう。

 しかしそれよりも。私は確かに、姫の、アリス様の持つ何かに惹かれているのを自覚していた。それは明確にわからないことも合わせて、カルミアも同じだったらしい。


「……ああいうのを、器とか、魅力っていうのかな」

「そうかもね」


 同じ幼き〝姫〟に想いを馳せる私とカルミアは、この時だけは全てを忘れて。

 騎士でも従者でもない、きっと初めて御伽噺を聞いた時のような、ただ一人の純粋な少女の顔をしていた。


次回更新は本日18時です。

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