第3話 溺愛系完璧メイドの日常
今日もフェアミール家の従者は大忙しだ。
主たちがお目覚めにならぬ内に早朝の清掃を終え、朝食を用意せねばならない。
慌ただしく廊下を行き来する部下のメイドたちの喧噪を横目に、出来上がったスープを盆に載せ、パンとリンゴを盛り付けた朝食に蓋を被せた。
一つをハッティリア様へ運び、戻ってきた頃にはちょうどいい具合にスープの冷めているもう一つをアリス様へ。これが私、ノクスベルの朝の日課であった。
さて、と厨房を出ようとしたところで見慣れた赤髪がモップとバケツを壁に立てかけながら厨房の扉を開けた。彼女は私に目を合わせると一礼して。
「マム……じゃなくて従者長、館内の清掃が完了致しました」
「ありがとう。適当に休憩取ったら買い出しお願いできる?」
「はい、では失礼します!」
元気のいい返事を残し、掃除用具を手に再び忙しなく廊下へ戻っていった。
同じ従者なのだから一礼などは要らないと何度も言っているのだけれど、誰も聞こうとしない。皆が皆そのような目上に対する態度を取るので若干居心地が悪いけど、まあ、もう慣れてしまった。
そろそろハッティリア様も起きだす頃だろう。できたての食事を載せた盆を片手、厨房を出て廊下の喧騒に加わる。行き交うメイドたちが横を通り過ぎる度に会釈をしてくる。
ああ、もう挨拶はいいから早く片付けて休憩を取りなさいな。一つ一つに返礼するのもなかなか面倒なので私のことはスルーして各々の仕事に従事して欲しい。
慣れた歩みで階段を上がり、突き当たり一番奥、ハッティリア様の書斎の扉をノックする。
「ハッティリア様、朝食をお持ち致しました」
「……ああ、入って構わない」
やや遅れて応えた疲労と眠気をいくばくか含んだ声に、扉を開ける。
「本日は鶏肉のスープとリンゴです」
「どうも、それではいただくとしよう」
ハッティリアはぽきぽきと伸びをしながら、窓際の、所狭しと書類の並ぶ机を立って。部屋の中心、ぽつんと佇む椅子へ移動するのに合わせて献立を述べながら、隣の小さな机に朝食を並べる。
「なんだ、最近はリンゴが多いな」
「そういえば……、はい。申し訳ございません。別のものをご所望でしたら、お取り替えします」
「ああいや、構わない。なんとなく、そう思っただけだ。別にリンゴに飽いたわけじゃない。むしろ、寝起きの体にはちょうどいいな」
「ありがとうございます」
確かにここのところ朝食には必ずと言っていいほどリンゴを入れている。手抜きをしているわけではないけれど。飽いたわけではないとフォローをしてはくれたが、同じものが何度も続けば当然飽きるだろう。明日は別のものを用意しよう。
「誰かが間違えて大量に仕入れでもしたか?」
「いえ。その……アリス様の好物でして」
スープを啜る音が止まる。一拍沈黙を置いて、再び彼はスプーンを動かし始めた。
「……そうか。どうだ、その……元気か?」
はい、と答えようとして、言い淀む。確かにアリス様は健康だ。でもそれは、身体的に、という範囲に限られる。
絵本だけに関心を示して、あとはぬいぐるみを抱いてぼうっとしているのを元気だとは、とても。
「とても、“良い子”です。夜泣きどころか、いつもベッドの上で大人しくしていられます」
「……手がかからな過ぎる、か」
「はい」
苦い顔で俯いた主には辛い言葉だろう。娘がそんな様子なのだ。しかも、自分が一つの原因であるかもしれないというのだから。
けれど、だからこそ、私は今まで喉元で押し殺していた“続き”を紡ぐ。追い討ちになるかもしれないが、これ以上アリス様のあんな姿を見ていたくない。それに、約束したのだ。必ず、彼女を彼女の父……ハッティリア様と、会わせてみせると。
「ハッティリア様。そのお気持ちは、私も苦しいほどに。ですが、一度でも、会ってあげられないでしょうか」
「……怖いのだ。アリシアを亡くした喪失感を再び思い出すのを。そして、あの子に負の感情を向けられるのが」
「アリス様は大変聡い子です。私のミスもあったとはいえ、気づいておられます」
自分が親と呼ぶべき存在と、会ったことがないことを。
「ここまで放ったらかしにして、今更どの面を下げて……」
「ハッティリア様。私ども……私は、持ち得る限りの愛をアリス様に注いでいます。ですが、それでも、子には親の愛情が必要なのです」
「……いいのだろうか。父親として、あの子の前に顔を見せて」
「それはアリス様が決めることかと存じ上げます。……少なくとも、寂しがってはおられましたよ」
父親と会ったからといって、あの凍りついたような金色の瞳の暗闇がすぐに霧散するとは思えない。けれど、少なくとも良い方向には向かうのではないか。おや、おや、と呟いていた彼女の姿が、そう思わせてならないのだ。
「ああ、アリシア……そうか、そうだ、な」
薬指の指輪を愛おしそうに撫でる主の心中は私などでは理解しきれない。最愛の人を亡くした、その悲しみなど、当人にしかわかりえないのだから。彼は何事か呟くと目を瞑って、そして。
「すまない。――――アリスが朝食を終えたら、部屋へ行く」
「ハッティリア様……畏まりました」
彼は決めたのだ。
悲しみも後悔も何もかもを振り切ると。
彼は決めたのだ。
親としてあるまじき今までと、もしかすればそれが原因となって、手のかからな過ぎる娘に。
――――それでも自らが、“父”であると。
「……では私はアリス様の朝食を。お伝えしておきます」
「頼む」
まだ揺らぎながらも一つ芯の通った瞳に微笑みながら、失礼しました、と空になった食器を盆に乗せて部屋を出た。
これでどうなるかなんてことは予想できない。けれど、願わくは、彼女の背負う暗くて重いナニカが、少しでも――――
「ぐおおぉぉ……」
重い、重い。いつもより少し早く目が覚めたものだから、暇つぶしにぬいぐるみを積み上げてタワーを作った。のはいいが、五つ目を乗せたところで当然バランスを崩したソレが頭の上に倒れ込んできて、そのまま押しつぶされた。
布団とぬいぐるみの海を掻き分け、全力で藻掻いて海面を目指す。
「――――ぷぁ、はぁっ、はぁ……」
普段ほとんど動かないせいか貧弱に過ぎる体がすぐに息切れを訴える。ぜーぜーとまったくもって無駄に体力を消耗しながら、廊下の足音を聞いた。と同時、ガバッと体を起こした。
きっとベルさんだ。朝食だろうか。
「失礼します、アリス様――――」
「ぉ、おは、よ」
バカなことをしていた恥ずかしさからなんとなく上擦った声での返事。扉を開けて入ってきたベルさんの手にはいつも通り朝食が乗せられていて。
大量のぬいぐるみの中心で未だに息の整わない私を見ると呆れたのか、ベッド横の机へ盆を置きながら眉尻を下げた。
「……また、嫌な夢を見られたのですね」
むぎゅ。ぎゅうううぅ。
「えっ」
「大丈夫ですよ、アリス様」
何が大丈夫だというのだろうか。そんなバカなことをしていた私は見なかったことにしてやるから大丈夫という意味だろうか。なんて優しいんだ。
「デジャビュ」
「……はい?」
「う、うぅん……」
困惑するベルさんに抱き締められながら、流暢に日本語――――正確には外来語だが――――を呟く幼子はちょっと不気味だな、と反省する。
まあそもそも前世の言語なんてこの世界の人にはわかりはしないのだろうけど。いや、もしかしたら似たような言語は存在するかもしれないが。
「デル・ジャ・ビュー、ですか。どこで帝国語を……ああ、この絵本ですか?」
「……ぁえ?」
何やらまた明後日の方向に納得したベルさんがベッド脇に散乱する絵本の一つを取り上げてタイトルをなぞる。
ああ、知らない言語で書かれていて読めなかったやつだ。
「これはデジャビューではなく、デル・ジャ・ビュー、と発音します。いつも通りの景色、日常という意味ですよ、アリス様」
よく読めましたね、と頭を撫でて微笑むベルさん。耳元にかかる声が擽ったい。たまたま発音が似てたらしく、なんか完全に勘違いされてるけど、まあいいや。一つ知識を得たということにしておこう。
「ぁいがと」
「ふふ。今度読んで差し上げますね」
「うん」
では、と抱擁が解かれベッドの端が沈むと、盆の蓋が開かれる。いつものように適温に冷ましてくれているであろうスープとリンゴ。パン。そして小さなサラダ。品目こそ毎日ほとんど一緒だが、味は全て違うので飽きない。
リンゴは完全に好物だと思われているみたいだ。もちろん、嫌いではないしおいしいのだが。
「朝食に致しましょうか」
「うん」
いくつか遮るぬいぐるみをのけて、ベルさんの方へ体を寄せる。スプーンとベルさんの目を交互に見て、もじもじと両手の指を絡ませる。
「はい、あーん……?」
「ぅ、うん……あーん」
ですよね、と諦めて唇を開いた。ひとりで食べられますと声を大にして訴えたいが、私を子供だと認識している――――実際体は子供だし――――ベルさんのせっかくの好意なので断るのも気まずい。
それに、なんというか、その。悪い気分ではない。ので。しかたなく。……しかたなく。
「はむ、……」
「熱くないですか?」
「だいじょ、ぶ」
肉の出汁だろうか。アクセントの効いたスープを舌でなぞり、喉へ流し込む。
おいしい。この世界へ来て、何より感動したのはご飯がおいしいことかもしれない。
「……アリス様、朝食を済ませたら、」
何やらスープを掬うのを止めたかと思うと、その黒く優しい瞳でじっと見つめられる。
「……ぁい?」
一息置いた彼女の目は真剣だ。ごくん、と口の中に残ったスープを飲み干して、聞く態勢を整える。なんだろう。まさか。ついに、おむつを卒業する時が――――!
「お父様が、会いにこられます」
「ちぁった」
「……?」
「ぅ、うぅん……」
最近きちんとおまるにできていたからついに卒業の時が来たのかと思ったがそうではないらしい。……きちんとおまるにできているという言葉に言い知れぬナニカを感じたのでこれ以上は黙らせて欲しい。
それにしても、父か。気持ちの整理が付いたのだろうか。
だとしてもまだ心の傷は癒えていないだろう。極力負担をかけぬように“良い子”をしていなければ。
……ちょっと、緊張する。
「おとお、さま」
「はい。……アリス様の、お父様ですよ」
どんな顔をして会えばいいのか悩む。やはり笑顔がいいのだろうか?
うーん、緊張で強張ってとてもじゃないが、うまく笑顔が作れる気がしない。
特に拘らず、いつも通りを意識しよう。
「うん」
「……ハッティリア様は、ちゃんとアリス様を愛しておられますよ。アリス様が感じられていないのは、無理もありませんが……」
「……あいがと」
黙り込んでいたからか、ベルさんに気を遣わせたようだ。大丈夫、と微笑んでおく。と、頭を撫でられる。最近ベルさんのスキンシップが多い気がする。気のせいだろうか。
「さて、残りを食べてしまいましょう?」
「うん」
「あーん」
「……あーん、」
ちょっぴり冷め過ぎたスープを味わいながら、気を落ち着ける。
あんまり気にし過ぎても良くないだろう。リラックスした姿を見せるのがなんだかんだで一番良い気もする。
「はい、あーん……?」
「ぁむ」
そういえば父の年齢も知らない。私が四つだからそこまで年を取ってはいないと思うが、でも母は出産で弱って亡くなったらしいから、もしかすれば高齢出産だったのかもしれない。でもその場合でも年の差がありうるし、つまり何もわからないということだ。
しゃくしゃく。いつの間にかスープからリンゴに切り替わっていたらしい。ああでも、現役で働いているのだからそこまでお爺さんということはないのではないか。たぶん。
「アリス様はほんとにリンゴがお好きですね」
「あーん」
「はい、これで最後ですよ?」
「はむ」
半ば自動的に動く体を他所に、父への想像を膨らませていく。
容姿はどうだろうか。自慢するみたいで恥ずかしいが私の顔はなかなか整っているし、きっと悪いということはないだろう。母の方を強く受け継いだのかもしれないが。
性格はどうだろう。いや、これも心配はないだろう。愛する人の死に数年塞ぎ込んでいるのだ。それだけで優しい心根をしているのがよくわかる。
……なんだ、いい人そうじゃないか。別に、疑っていたわけでもないが。
「あーん」
「あらあら、ふふ。申し訳ありませんが、もうありませんよ、アリス様?」
うんうん、と結論に頷いていると微笑みを携えたベルさんに優しく咎められる。知らぬ間に朝食を食べ終えていたらしい。そういえばお腹は心地よく膨れている。
あーん、と開かれた口に意識が行く。きっとベルさんにはもっと、とおねだりしているように見えていることだろう。血流が顔中を巡るのがわかる。
きゅっと、唇を閉じた。
「……あぅ」
もしも。もしも、ぎゅぅっと抱き締めたぬいぐるみに隠した顔をベルさんが見ていたのなら。
――――それはきっと、リンゴのように真っ赤に染まっていただろう。