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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第二章 貴族令嬢の彼女がいかにして民の光となったか
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第5話 安眠の魔法

「そんな、アリス様、わ、私はっ……!」

「だいじょうぶ」


 カルミアさんと話した誕生日の夜から数日、徐々に運ばれてきていたベルさんの私物が私の部屋に並んでいるのを見て、今までよりもちょっぴり新しい生活がこれから始まるのだ、と改めて自覚した。

 うんうん、と感慨深く頷くと逸れた思考を戻し、相変わらず躊躇して動かぬベルさんの手を引っ張る。


「いえっ、その! さすがに身に釣り合わぬというか……」

「いいの」


 ……そう、床で寝ますから、と言ってきかぬベルさんをなんとかベッドの上で寝かせようと、私は奮闘していた。

 ベルさんを床に寝かせ、私一人、大の大人が二人で使っても余裕がありそうなこのベッドで広々と寝ることができるほど、太い精神は生憎(あいにく)持ち合わせていなかった。むしろ私が床で寝るからベルさんにベッドで眠ってほしいくらいである。

 けれどももちろん、身分上そういうわけにもいかないので、ならば一緒に寝よう、と幼い身に甘えておねだりするしか道はなかったのだ。大切な何かを失いながらの必死の懇願である。

 それが功を奏し、ベッドの端へ腰掛けさせるところまでなんとか持ち込めたのだが、そこからまったく状況が進まないのだ。


「どうして……?」

「その、あくまで、私は従者ですから……」


 しかし、きっと立場上の問題だというのは理解していても、こうも頑なに断られると悲しくもなろうというものである。相手がベルさんであればなおさら。


「うう……」

「あ、アリス様っ!? そんな、寂しそうな顔をなさらないでください……うう」


 二人揃って困った顔でうーうー言ってる姿は、傍目にはとてもおかしく見えたことだろう。

 しかし、私にとっては笑い事ではなかった。なにせここで折れてはこの先ずっとベルさんを床に寝かせることになるのだ。そんな状況、とても安眠できるとは思えない。

 今、この時に、これからの平穏な眠り全てが係っているのである。妥協するわけにはいかなかった。


「べる」

「アリス様……でも」


 私はついに最後の手札を切ることにした。

 ベルさんの顔を縋るように上目遣いで見上げ、潤んだ瞳は拭わずにあえてそのままにした。


「ぐっ……!?」


 ベルさんが目を見開いて唸った。よし、ここだ。ここで畳みかける……!

 表情はそのまま、残った小さなプライドすら投げ捨て、とびっきり甘えた猫なで声を紡ぐ。さらに手をついて、じっと下から伺うような姿勢で追い打ちをかける。

 子供の体であることを最大限に活かし、ベルさんの好意に訴えかける最低の行為。

 そう、世界を超えて使われる、弱者にとっての伝家の宝刀――――〝泣き落とし〟である。

 裾を踏んでしまっていたのに引っ張られて、しゅるり。寝巻きにしている薄手のワンピース、その肩紐が落ち、右肩が露出してしまって。

 しかしここで姿勢を変えるわけにはいかなかった。私は肩に触れた空気の冷たさに堪えながら、必死で泣き落としをアピールし続ける。


「おねがい……」

「――――っ!?」


 ……決まった。 

 固まったベルさんのその姿に、私は確信した。


「ぁ……ありす、さ……」


 しかし私のそんな直感とは裏腹に、なぜだかおもむろに立ち上がったベルさん。


「あえ」


 ……うまくいったと思ったが、もしや失敗だったのだろうか?

 するとベルさんはすーっと深呼吸をして、壁に向くと一度首を後ろに曲げて……。


「べる……?」


 勢いよく額を打ち付けた。


「べるっ!?」

「私はメイド、私はメイド……」


 ブツブツと何事かを呟きながら、不安定なリズムで頭をゴツゴツと打ち付けるベルさんの背中は、かなり不気味である。私ですら話しかけるのを少し戸惑うくらいに。

 が、ひとまずその額に傷がつかないうちに止めるべきだろう。


「お、おちついて!」

「……、はっ!?」


 その声に動きを止めて、次に痛そうに額を抑えたベルさん。どうやら我を取り戻したらしい。


「えっと、だいじょう、ぶ……?」

「……し、失礼致しましたアリス様。少々取り乱してしまいました」

「しょうしょう?」


 どの辺が少々だったのかは気になるところではあるが、とりあえずその奇怪な行動は止めてくれるようだった。

 おずおずとベッドへ戻ってくるのにホッと安堵の息を吐いて。


「いづっ……」

「だ、大丈夫ですか!?」


 ビリリ、と電流のように走った鋭い痛みに体が硬直する。

 そうだった。今更背中に巻かれた布のことを思い出して、恐る恐る傷が開いていないか肩越しにじっと視線を向ける。血が滲んだ様子はなかった。


「ふう……」

「ああ、もう、申し訳ありません……アリス様の身に負担をかけるなど」


 今度は自責からか、また頭を抑えたベルさんに大丈夫だから、と首を振って、目線でそばにきてほしいとお願いする。

 すると遠慮がちに、けれどさっきよりは深くベッドへ乗り出してくれた、その手を握る。


「べると、いっしょがいいの。だめ?」

「……いえ、アリス様がそこまで望まれるのなら、もちろんです」


 んーっと最後にもう一度だけ迷ったように目を閉じたベルさんは、諦めたように薄く苦笑を浮かべて、一緒に寝るのが嫌なわけじゃありませんよ、と補足して。


「すみません。私は従者ですから、どうしても主であるアリス様のベッドで眠るというのは、ひどく無礼なことのように思えてしまうのです」

「……おちつかない?」


 私が落ち着かないから、そしてベルさんにしっかり休んでほしいからという理由でそれを半ば強要しているものの、ベルさんが落ち着かず眠れなくなってしまっては意味がない。私の目的は、あくまでお互いにリラックスした眠りを享受できるようにすることである。


「まさか。アリス様のすぐそばで眠れるなんて、許されるならばこの上ない喜びです」


 そう言い切る言葉にはもちろん私への配慮も含まれているのだろうが、無理をして言ったようには見えなかった。というか無理に言っているのであればこの世の終わりが来たレベルに凹む。

 そんな不安が顔に出ていたのか、ベルさんは館内用の靴をするりと脱いで、ついに足をベッドの上に上げた。

 そのまますぐ隣に腰を落ち着けると私の髪を一つ撫で梳いて。


「本当です。……抱き締めても?」

「えっ」


 ダメですか? と悲しそうに首を傾げられては何も断れない。そもそも、断る気もないけれど。

 素直にそう答えるのがなんだか恥ずかしくなって、ぎゅっと抱いた相棒に口元を隠しながらチラリと、目線だけで返事をした。


「ふふ、ありがとうございます。では……」

「……ぁ、」


 ふわりと優しい匂いとともに(とろ)けるような(ぬく)もりが私を包んで。思わず漏らした声はその心地の良さに溶け消えた。

 一瞬強張(こわば)った体は刹那に解れ、横から抱き締めるベルさんに(もた)れるように身を委ねた。それを何も言わずに体勢を合わせて受け止めてくれると、深く回された両手が私の手に重なった。


「べる……」

「はい、アリス様?」


 むにむにと後頭部が胸に沈むのを感じながら、少し顔を上げて目を合わせる。

 すぐに応えてくれた柔和な微笑みが、ぽかぽかと私を温めた。

 こうして自分勝手な、ほとんどわがままに近いそれですら苦笑で許してくれるベルさんが、私の中の大部分を占めているのをふと感じて。ならばカルミアさんに言った通り、私はそれを、今、素直に伝えるのだ。

 へにゃり、と。

 自分でもわかるくらい自然に緩んだ笑顔に、精一杯の想いを。


「だいすきだよ、べる。ずっと、ずっといっしょにいたい」

「――――……こほん。私も、大好きですよ、アリス様!」

「いだっ!?」

「ああっ!? 申し訳ありません!」


 感極まったベルさんが腕の力を強めて、傷口を巻き布越しに押されてまた痛みが走る。

 若干微妙な表情になるが、抱き締めたの自体は好意から、かつベッドの上へ来るように頼んだのは自分なので何も言えない。


「あふ……ねころんでもいい?」

「はい、アリス様。膝枕を致しましょうか?」

「うん」


 凭れた体を滑らせて、膝に頭を乗せる。ベルさんがそれに合わせて布団を肩までかけ直してくれて、なんとはなしに目を合わせて。お互い何を言うわけでもなく、ただ見つめ合った。

 しばらくそのままぼーっとしていると、そういえば、とベルさんが思い出したように沈黙を破った。


「アリス様の魔法のお話なのですが」

「わたしのまほう?」

「はい」


 魔法。魔法か。

 ……いや、確かに魔力を使って他人の傷を自分に移す、なんてことは魔法以外の何物でもない。

 しかし、カルミアさんが言っていたように具体的な式を構築したわけでもない、感覚だけで起こしたまぐれをそのまま安易に魔法と呼んでしまっていいのだろうか。


「……ふと思ったのですが、あの魔法は、アリス様自身の魔法ではないのではないでしょうか」

「うん……?」

「どんな魔法を使えるかは人それぞれで決まる……特性があるというお話はしましたね」

「うん」


 教えてもらった限りでは、魔法というのは式さえ組み立てれば同じ魔法をみんなが使えるというわけではなく、完全に個人個人の性質に依るのだ。

 しかし分岐して適応変化してきた都合上、例えば炎の魔法を使う人、身体強化の魔法を使う人、といった風にある程度、魔法の性質の似通ったいくつかのグループに分けることができ、魔法式というのはそれらの出力や効果を決められた一つの値に寄せ、擬似的に統一するものだ。

 つまりそのための式も人それぞれで、ゆえに魔法の特性と、その式の値の調整をするために魔法適性検査というものが存在するらしい。


「私も最初はあれがアリス様の魔法の性質なのだと思っていましたが、どうも、違和感があったのです」

「いわかん」

「はい。あんな魔法を使った人は、今まで誰もいなかったはずなのに、どこかで見たような、知っていたような気がしていたんです」


 その違和感、既視感の正体に気がついた、という話なのだろう。私としても自分の魔法についてはたまたまうまくいっただけで、結局性質がどんなものなのかもハッキリわかっていないのだ。

俄然興味を惹かれ、ベルさんの声により一層意識を傾ける。


「……人の傷を、自分に移す。あの時、傷は一瞬で移ったのではなく徐々に、私の傷が塞がっていくのに合わせてアリス様に同じ傷ができていきました。ですから移したというよりは、魔力で傷を取り込んだと言う方が正しいように思えるのです」

「……うん」


 いくつか難しい単語が出てきたが、知っている単語の複合で構成されている言葉だったので、なんとか理解する。

 ……なるほど。ベルさんが言いたいのは要するに。


「同化し、適応して、定着する。……これは、〝魔力〟にもとから備わった性質です」

「まほう、じゃなくて、まりょくをそのまま?」

「はい、アリス様。加えて、魔力は生命力として人の体に適応したものでもあります。つまり、魔力の本来の性質を無意識に利用して傷口に同化させ、それをアリス様ご自身の体の、私の傷と同じ位置を循環する魔力と少しずつ入れ替えることであれを成したのではないでしょうか」


 あれは魔法ではなく、魔力の本来の性質を応用した結果なのでは、ということだ。

 もちろん私はそれを専門に調べている学者ではないし、それどころかまず基本的なところもまだ把握していない素人も素人なので、ベルさんの考えが正しいのかなんてわかりはしないが、少なくとも納得はできる説明のように思えた。

 魔力の性質をうまく作用させればあの結果になるはずだ、というのは単純明快に筋の通った理論だった。しかし。


「……どうして、わたしだけ?」


 そう、それが正しかったとして、魔力の扱いを習い始めたばかりの私にできるのならば、他の誰にだってできるはずだった。

 同年代の平均に比べてかなり習得が早いというのはカルミアさんにも聞いたことだが、けれど修練途中の私と、魔法をしっかり使える大人の人たちとでは、まだまだ大きな開きがあるはずだ。

 私はたまたま必死になってしたことがうまくハマっただけなわけだし、それで成功するレベルのことなら魔力を扱い慣れている彼らはきっと簡単に思いつくだろうし、苦もなく実行できるはず。

 なら、なぜ前例がないのか。


「……アリス様。それは、アリス様が、アリス様だからです」

「うん?」


 するとベルさんは誇らしそうな、けれど少し悲しそうな顔をして、私の髪を撫でて。


「アリス様のように人の傷を自ら引き受けて助けようとする人が、いなかったんです」

「え……」

「……魔法を使えるのは、王族、貴族、魔導師、騎士だけです。この中で傷を負うことがあるのはほとんど騎士のみ。それ以外の人々が怪我をすることは滅多にありません。常にお付きの人に守られ、また自ら危険に飛び込むようなこともしないですから」

「うん」


 これはよくわかる。確かに、この階級の人で唯一怪我を負いやすいのは、戦いが常に身近にある騎士の人たちだろう。しかし騎士とはすなわち軍人で、ならば怪我をした時の対応はきっとマニュアル化されている。だから、そんな発想に至る前にさっさと訓練通りの対処をしてしまうのだろう。

 先日の私たちへの襲撃なんかは、よほどの例外なのだ。いくらなんでも貴族が外に出るたび襲撃されるほど治安が腐っているわけではあるまい。


「では、一番怪我をする機会が多いのは……」

「――――しょみんの、ひと」

「……はい。そして庶民の人々は魔法が使えませんから、当然今回のアリス様のようなことはできません。そして、庶民より上の階級の彼らは……」


 ――――助けない。

 庶民のために自分の身を犠牲になど、しない。

 ……ベルさんの濁した言葉の先は、簡単に思い浮かんだ。

 庶民蔑視の風潮の中、そんなことをする上流階級がいるだろうか。

 それを哀れんだとして、実際に自己犠牲に走る人物がいるだろうか。

 クロリナさんのような人ならありうるかもしれない。けれど、多少の怪我なら何もそれをしなくても処置をして安静にしていれば治る。

 つまり、それが有効とされるのは必然的に致命的な傷を負った時なのだ。

 そしてそれは自らの命と交換する覚悟を必要とするということ。

 クロリナさんとて人間であり、さらに生きて守らねばならぬ孤児院の子供たちがいるのだ。

 ……あるいは、私のように動転してわけもわからず必死になった結果、偶然行き着いて成功するか。


 つまるところ、そういうことだ。

 気づいたとして、できると知ったとして、それを進んで実行する人なんていなかったのだ。


「そっ、か」


 私だって命を賭けて見知らぬ人を助けるかと聞かれればきっと否であると答えるし、仕方ないことではある。

 が、なんとも悲しい話である。


「ですから、お優しいアリス様だからこそ、できたことなのです」

「う、うん……」


 そこまで考えてしたことではなかったので、優しいと言われるとこそばゆい。

 ただベルさんを失いたくなくて必死だっただけなのである。


「……ふふ。謙遜なさらなくともいいのですよ。たとえどのようなお考えだったとしても、アリス様はご自身に傷と痛みが襲うのを無視してまで私を助けてくださいました。それが優しさでなくてなんだというのですか」


 自信満々に当然、とばかりに言うベルさんを否定する気にもなれず、ひとまずその気持ちは甘んじて受け取っておくべきである。


「ありがと、べる」

「はい、アリス様。私の方こそ、ありがとうございます」

「うん」


 しかし、となると私の本当の性質はなんなのだろうか。やはり魔法への興味は依然として強い。それが自分のものとなると、いっそうである。

 するとそれを察してか否か、ベルさんがふと。


「……今度、クロリナさんの教会にでも行ってみましょうか。確か、教会でも魔法の検査は受けられたはずです」

「ほんと?」

「はい。お怪我がよくなったら、一緒に行きましょう」

「うん!」


 わくわくを隠せずに元気良く頷いた私の頭を、ベルさんはまた何度か撫でてくれて。

 その後二人仲良く静かに寝息を立て始め、そして翌朝目を覚ましてからしばらくの間も。

 私とベルさんの手は、ずっと繋がれたままだった。

次回更新は本日の18時です。

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