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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第二章 貴族令嬢の彼女がいかにして民の光となったか
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第4話 赤髪のメイドさん

 桶に掬った砂に食器を埋め、表面をしゃらりしゃらりと擦る。食器にくっついた油や小さな食べかすを削ぎ落とすように再び擦る。

 またしばらくは使わないであろうお祝いなどの特別な時用の食器や、使わない食材を倉庫へ戻しに運んでいく同僚たちを背に、私はとにかく積まれた食器を洗い続けていた。

 そういえば小耳に挟んだ話では、王都の王宮や特に富んだ一部の貴族の館なんかでは、なんと全て水を使って汚れを洗い流すらしい。なんとも贅沢な話だ。


「まったく……」


 大多数の庶民が食器を洗うどころか、そもそも食器を揃えるのに苦労しているというのに。

 顔に垂れた赤い髪を二の腕で耳の後ろに退け直す。十分に汚れの落ちたお皿の砂を払いながら、こうして食器を洗えるのは幸せな苦労と考えるべきだわ、とまで思いながらそれを桶から出した。


「カルミアさん、替わりましょうか?」

「いえいえ、大丈夫です! このお皿で最後なので!」


 これでやっと終わりだという達成感から気が抜けてしまったのか、疲労に気を使ってくれた様子の彼女に微笑んだ。

 しかし、洗うこと自体は慣れれば簡単だけど、砂が床に零れないようにというのがなかなか気を使う。どの道掃除はするとはいえ砂は舞い上がりやすく、高い机に積まれた食器にすら届いて汚してしまうことがあるのだ。


「そうですか。では、お先に失礼しますね」

「はい。お疲れ様です!」


 厨房用のエプロンを外して扉横の壁に掛け、きっと自室へ戻っていったのだろう彼女を見送って。

 手元に目線を戻した。


「馴染めてきた、かな」


 従者長であるマムを含め、ここに住む私以外の従者はみんなこの館ができてすぐの時から、もう十年近く、あるいはそれ以上もフェアミール家に仕える大先輩であり、まだ従者になって精々二年の私はその輪に加わるのになかなか苦労していた。

 ……といっても、彼女たちが特に排他的というわけではない。むしろ、みんなとても良くしてくれる。単純に一緒にいた時間の差ゆえに、連携や距離が周りに比べて、という話である。

 けれど最近は、時々失敗することはあれど、それなりにうまく馴染めてきたのではないだろうか。

 そうしてふと、初めて来た日。塞ぎ込んでいたハッティリア様と、生気もなくずっとベッドの上にいたアリス様を思い出す。そして今日、たくさんの人に囲まれて笑顔を浮かべるお二人の姿がその上に重なって。私の頬は自然と緩んだ。


「ふふっ」


 まだ張り付いて残る砂を、濡らした布で丁寧に拭き取る。

 綺麗になったそれを机に積んで、小さな達成感とともに満足のため息を一つ。


「……ふぅ」

「お疲れ様、カルミア」


 と、前触れなく響いた声に、反射的にびくりと肩が跳ねた。


「わ、っとと、マム! ありがとうございます」

「……マムはやめなさいったら」


 慌てて振り返った先、いつの間にか気配もなく厨房の壁に背中を預けていたのはマムこと、ノクスベルさん。

 ついついマムと呼んでしまうのはもはや身に染み付いた癖であり、私なりの敬意の表現なのだ。


「……いいの?」

「な、何がでしょう?」

「積もる話が、あるんじゃない」


 あえて具体的に言わないのはきっと優しさだ。とぼけてやり過ごす逃げ道を残しておいてくれたのだ。けれど、なんとなく。今日はそれに甘える気分ではなかった。


「私は、カルミアです。この館の、メイドの」

「……そう。でも、向こうは寂しそうだったわよ。まだ距離がうまく?」

「はい……もちろん、感謝も好意もあるんですけど、どうも。付き合い方がわからなくて」

「アリス様には、遠慮せずに、と言うのに?」

「うぐっ……」


 サラッと痛いところを突く。そう、わからないというのは言い訳で。

 ……本当はわかってる。どうすべきか、何を伝えるべきか。

 けれどもしもそれが受け入れられなかったらと考えるととても恐ろしくて、一歩踏み出せずにいるのだ。彼女はわかっていて、背中を押しにきてくれたのだろう。


「……今は広間でハッティリア様と話していられたわ。ああ、それと、私は部屋の整理を早く終わらせないといけないから……アリス様への説明、頼んでもいいかしら?」


 もうすぐ特別訓練を終えてここへ移り住んでくることになるミランダに割り振る部屋選びは、当初難航した。というより、空き部屋がなかったのだ。

 まさかアリシア様の部屋を使うわけにもいかず、私とマムを含め、従者全員で頭を捻った結果、従者部屋をなんとか一室空けるしかないという身も蓋もない結論に至った。

 そうして次に問題になったのは誰が部屋を空けて、どこに移動するのか。結局その対象がミランダではなくなっただけで、同じ問題。

 けれど、こうして最終的に部屋を空けることになったマムだけは話が違った。

 案の定、ハッティリア様にそれを相談すれば返ってきたのは快諾。

 もちろん、本人の了承があればという条件付きではあるけど、あるいは失礼にあたると思いながらも誰も断るとは考えていなかった。

 私からの説明と同時進行で、部屋の整理を始めるらしいのがその証左だ。


 ……いや、マムに関してはそれを考えないというより、そうなってほしいという願望も強くあるだろう。きっと、絶対。だって喜びをまるで隠せてないもん。控えめにいってものすごく嬉しそう。


「……いくらマムでも、同意なしに手を出しちゃダメですよ?」

「――――はぁっ!?」


 げほ、ごほっ、と咽せたマムは珍しく砕けた言葉で。


「な、何を言うのよ!? ミランダさんじゃあるまいし、私がアリス様にそんな……! この間だってその冗談のせいで勘違いしそうに――――」

「あははっ」


 なんでもそつなくこなすマムだが、ことアリス様に関してだけはそうはいかないらしく、ほんの少し揶揄(からか)っただけで、その真面目な鉄仮面は急に人間味溢れる可愛らしい紅潮に様変わりする。

 けれど、揶揄すれど冗談のつもりではなかった。だって、マムがアリス様に向けるそれは、どこからどう見たってただの敬意と親愛ではない。これはアリス様とマムを知る全ての人の共通認識であった。気づいていないのは当人だけである。


「冗談です。本気ですけど」

「どっちよ……」


 はあ、と呆れたように天井を仰いだその表情は少し寂しそうで、やはり自分自身薄々気づいてはいるのだろう。けれど、それを堂々と表にするには障害が多過ぎるのだ。


「……とにかく、説明、頼んだわよ」

「はい。……けれど、マム。立場で気持ちを押し殺して、自己完結で諦めるのだけはどうかおやめください」

「……マムはやめなさいったら。それと」


 背を向けたマムは厨房の扉を開いて、それを閉じる前に一度だけ立ち止まって。


「あなたもね」


 グッサリと手痛い一言を残して、去っていくのだった。











「ぐふ」


 ボリューミーなステーキとマリアンでぱんぱんのお腹を抑え、苦し気にうめき声を漏らした。

 きゅうきゅうづめで賑やかだった部屋は一転、いつも通りの広々と静かな沈黙に満たされていた。


「つかれた……」


 みんなに誕生日を祝われながらわいわいと過ごす晩餐は楽しかった。それは間違いない。

 しかし、人と接するというのはやはり疲れることでもあるのだ。数年も館以外の人と会っていなければ余計に。

 少しバテ気味になっていた私に気づいて切り上げてくれたベルさんには感謝してもしきれない。

 せっかく祝ってくれているというのになんという体たらくだろうか。申し訳ない気分でいっぱいである。いろいろと体力が足りていないのを改めて自覚した。


「もっと、はなせるように」


 ここ最近いくつか新しい交流を持ったのにつれて、他者とのコミュニケーションをしたいという欲求が少なからず生まれてきていた。

 今度は不便だからといった打算や論理からの理由ではなく、ただもっと話したいという素直な感情からの気持ちだった。

 語彙に関しては、順調に増えてきている。大丈夫。問題なのは圧倒的に体力、いわばコミュニケーションに対する〝慣れ〟だった。

 まあ、これは語彙以上に、すぐに解決できる類のものではない。少しずつ積み重ねて慣れていくしかないのだ。


「……つながり」


 思えば、前世から数えたとしても、私が個人的に人と接した時間なんて一体どれほどあるというのだ。

 なるほど、私はきっと戸惑っているのだろう。感じたこともなかった、ただ好意に溢れる繋がりというものに。


「かなしみ」


 それが初めてだったという事実がなんだか少し虚しくて、きゅっとぬいぐるみを抱き締めた。


「ふあ……」


 そのまま今日を振り返りながら、少しぼんやりしだした天井を眺めていた。

 すると、もう今日は、ベルさん以外に聞くことはないだろうと思っていたノックと声。


「その……お休みのところすみません、アリス様。入っても、いいでですか?」

「あい」


 ぽけーっとうつろな生返事に扉を開けたのはカルミアさんだ。

 ベッドのそばまで寄って、ぐったり沈む私を見ると申し訳なさそうに。


「……また別の機会にした方がよろしいですか?」

「だいじょうぶ」


 それでも迷った様子なのだから、きっとできるだけ早く話さないといけないことなのだろう。頭の半分くらいを覆った眠気をなんとか押し留めながら、続きを促した。


「ええと、ミランダがここに住むことになるのは知っておられますか?」

「うん。なんとなく、わかってた」


 ほぼ常に一緒にいることになるというのだから、毎日ここに通うのでは不便だし、二度手間だろう。ここか、あるいはかなり近くの場所に住むのだろうというのは、ミラさんが親衛騎士になると決まった時からの周りの言動でなんとなく察していた。


「さすがアリス様です。でも、それには一つ問題があって」

「もんだい?」

「はい。ミランダにお貸しできる空き部屋がないんです」

「……あ、そっか」


 そういえば、確かに。私の知る限りでは、個室にできるような場所は既に埋まっていた。まさか、親衛騎士だとはいえ客人に亡き母の部屋を空けるわけにもいかないのだろう。

 私が移動すればいいのではとも思うが、一度にいくつも環境が変わって体調を崩したりしないように、というベルさんや父の気遣いのような気もするのでそれは考えないでおく。


「どうするの?」

「ミランダのお部屋は、私たちメイドの部屋を一つ空けることでなんとかなります。でも、今度はその空けた人の部屋に困ります」

「うん」


 聞くだけで堂々巡りを続ける結果になるのがわかる。ただ、新しく来るミラさんよりは、昔から住んでいて信頼もあるメイドさんたちの方がまだいろいろと融通が利くだろう。


「それで、お部屋を空けたのが……」

「べる?」


 話が読めてきた。そのミラさんの移住に伴うあれこれを、こうして部屋に来てまで詳しく話すということは、それに関して何か私にも影響があるということだろう。

 そして現状、倉庫や厨房は論外として、もう一人分の居住スペースがある場所といえば。まさか父の部屋でメイドさんが暮らすわけにもいかないし、書斎も同じく。前に一度見せてもらったベルさんの部屋、つまり従者用の部屋は、複数人で過ごすにはちょっと狭過ぎる。


 ならば残るのはもう、一つしかない。

 私の部屋だ。


 つまり、メイドさんのうちの誰かが私の部屋で一緒に暮らすことになるということで、それを受け入れてくれるか、というのを聞きにきたのだろう。


「……本当に、アリス様にはいつもびっくりしちゃいます。そうなんです」


 そして、メイドさんの中でその適任はといえば、という話。

 ……いや、私はカルミアさん始め、ベルさん以外のメイドさんのことも普通に好きだし、お世話になっている。

 けれど一番信頼しているのは、と聞かれると、まあ考えるまでもなくベルさんになるのだ。


「その、もちろんアリス様がお嫌でなければですが、マム……ノクスベルさんを、このお部屋に……」

「いいよ」

「えっ」


 返事はやっ、とでも言いた気に固まったカルミアさんにもう一度、いいよ、と。

 特に断る理由なんてなかった。文字通り身も心も委ねてきた手前、今更一緒の部屋で住むことに忌避感など抱くはずもないのだ。


「いいんですか? ……いえ、その、失礼ながら、私もそう言ってくださるとは思っていたんですけど……」

「うん。べるのこと、だいすきだから。だいじょうぶ」

「……こほん」

「うん?」

「いえいえ! なんでもありませんアリス様っ。良かったです。では、マムは数日内にこちらに移らせていただくことに……きっと喜ばれます」

「う、うん……」


 一瞬カルミアさんが私を見守る父のような、子を想う親の顔に見えたのは気のせいだろう。

 それから数拍沈黙を置いて、立ち上がったカルミアさんはなんだか歯切れの悪い様子で、では、とゆっくり扉の方へ。

 その背中が何か言いたそうにしていたのを感じて、私は声を掛けた。


「……どうしたの?」

「……その。こんなこと、アリス様に相談するのもおかしな話なんですけど」

「だいじょうぶ」

「その、私の家族の、話で……」


 すると振り返ったカルミアさんは眉尻を下げて、初めて見る困った顔をして。


「……どうしたら、好きって気持ちを、素直に伝えられますか?」


 返された悩みはとても真摯なもので。ならば私も、眠気を払ってそう答えねばならない。


「んー……」

「ぁ……あはは、すみませんっ、やっぱり忘れてください! こんなこと――――」

「すきなの?」

「っ……、え、えっと……」

「――――ほんとに、すきなの?」

「……はい」


 カルミアさんがなぜ、その家族の人に素直になれずに悩んでいるのかはわからない。

 けれど、好きなら、その気持ちはきちんと伝えるべきだ。今すぐにでも。

 ……日常だと思っていたものが、当たり前だと感じていたことが、ふとした拍子でなんの前触れもなく壊れてしまうことだって、あるのだ。

 私はつい先日、身をもってそれを証明するところだったのだから。

 だから。


「いま、いわなきゃだめ、だよ。いつ、まにあわなくなるか、わからないの。だから、えっと……」

「アリス様……」


 (つたな)い言葉で、必死に伝える。カルミアさんが、いつも元気なあの笑顔が、後悔の涙で曇ってしまわないように。


「おはなしじゃなくても、いいの。なんでもいいの。でも、つたえなきゃ、だめ。ぜったい」


 カルミアさんは口を開けたまま固まっていて、そしてきゅっと、唇とまぶたを同時に閉じた。

 そうして再び開いたその太陽色の瞳に、もうさっきまでの迷いの色は残っていなくて。


「――――ありがとうございます、アリス様。話すのはまだ、うまくできなくて。だから……〝手紙〟を書いてみることにします。きちんと、好きをたくさん込めた、素直な手紙を」

「……うん!」


 どうやら、私の下手くそな言葉は、カルミアさんに届いたようだった。


「本当に、ありがとうございました。アリス様」


 きっと、早速その手紙の文面に頭を巡らせているのだろう。

 礼を一つ、扉に手をかけ、もう一度振り返ったカルミアさんにエールを送って。


「がんばって」

「……はい!」


 まだまだできることは少ないけれど。こうして、私が何かの力になれるのなら。

 おやすみなさいませ、と部屋の外に消えたカルミアさんの手紙が、きっとその大切な人の心に届くことを祈って。

 やがて私は、静かに寝息を立てるのだった。

次回更新は明日の12時です。

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[一言] 後悔先に立たず、やらないで後悔するよりやって後悔する方がいいのだ( ˘ω˘ )
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