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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第二章 貴族令嬢の彼女がいかにして民の光となったか
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第3話 ハッピー・バースデイ

 ベッドの上で迎えた誕生日のお昼すぎ。

 絵本を読み終えてぼーっとしていた私の部屋を、紫髪のシスター、クロリナさんが訪問した。


「ああ、お嬢様……なんと痛ましい」


 意識が戻ってからも、変わらず寝転んだままでほとんど動けずにいる私をいかにもな表情で見遣り、彼女は言った。

 彼女は一度目を瞑るとほんの一瞬悲しそうに眉を歪めて、その余韻を残したままスミレ色の瞳で私を見つめて。


「本当に、申し訳ありません。私があの時取り乱さなければ、こんなことにはならなかったかもしれません……」


 今は晩餐の準備をしているのであろうベルさんに聞いた話では、クロリナさんは私が眠っている間も毎日こうして部屋を訪れていたらしい。

 あの場に居合わせた手前、きっと少なからず責任を感じてしまっているのだろう。けれど私はクロリナさんが負うべき責任なんて、考えつきもしなかった。

 少しでも安心させようと、初めて話した時と同じ態度を心がけて。


「だいじょうぶ、です。くろりなさん、なにも、わるくない」

「そんな……」


 すると涙ぐんだクロリナさん。次の言葉をどうしたものか困っていると、そのちょっぴり血色の悪い唇が薄く開いた。


「ああ、メグリーニャを支えしネージュムールの神々よ。どうか彼女に瑞雪(ずいせつ)の恵みがあらんことを……」

「めぐり……ねーじゅむーる?」


 跪いて両手を重ね、謡うように優しく紡がれたのはなんらかの儀礼。神様と雪と恵みという単語は聞き取れたので、恐らく私のために祈りを捧げてくれているのだろう。

 知らない言葉はさておき、まずは感謝だ。


「ありがとう、ございます」

「いえ……感謝すべきは私の方です」


 重ねた手を解いたクロリナさんは私を見上げて、静かに首を振った。


「行きどころを失った子供たちへのひどい扱いを見て、私は知らず知らずのうちに絶望しかけていたのです」

「……うん」


 その絶望が何を指した言葉なのかは、聞くべきではない。

 彼女はシスターだ。けれど、同時に一人の人間なのだ。

 人は、実感できるものしか信じられない。


「けれど、私はこの目で見たのです。お嬢様の強き心を、痛みを乗り越え、御身を捧げて癒やしをもたらす真の愛を」

「う、うん……」


 ベルさんの傷を治した話をしているのだろうが、そんな風に言われるとなんだか(くすぐ)ったい。

 私はただ、必死だっただけである。大好きなベルさんを助けたいという感情が全てを占めていて、自己犠牲や慈愛だなんて高尚なことは何一つ考えていなかった。


「……もちろん、現実は見えています。ですが、貴女様のその姿に、改めて人の温かな光というものを思い出せたのです」


 大事な何かを抱き締めるように柔らかく微笑んだクロリナさんに、私はその〝温かな光〟というものを感じられた気がした。


「……そっか」

「本当に、目覚められて良かった。新たな光をこんなに早々と失いたくはありません」


 なんだかすごく重く感情の乗った目線。一応、出会ってまだ二、三言交わしたくらいのはずのクロリナさんに、そんな目で見られるのは少々居心地が悪かった。

 私は、そんな大層な人間ではない。


「わたしは、ただのわたし、です」

「……失礼致しました。では、私に、もっとお嬢様のことを教えていただけませんか?」


 思わず漏れてしまった小さな声に頭を下げたクロリナさん。

黄金とスミレが、一歩。もう一度、今度は真正面から。


「……うん」


 安堵の吐息を零した彼女と向かい合って。


「クロリナ・フィアーナです」

「ありす、ふぉん、ふぇあみーる、です」


 私は、きっと今、クロリナさんと出会ったのだ。


「……アリス様、よろしいですか?」


 改めて挨拶を交わし、会話が一区切りして途絶えたのを見計らってか、ノックとともにベルさんの声。足音からするにベルさんだけではない。


「うん、だいじょうぶ」

「失礼致します」


 扉が開いて、その黒曜のサイドテールがふんわり揺れたかと思えば、その後ろからこれまた聞き慣れた声が飛び込んだ。


「姫!! 大丈夫ですか……!?」

「ミランダ、あまり大きな声を出すな。アリス嬢の傷に響いたらどうする」


 賑やかなやり取りを見せながら顔を出したのはミラさんとラブリッドさんだ。

 紅と青の正反対の髪。そして二人自身もまた、しかしその色のイメージとは真逆に対照的だ。


「これは将軍様……私はクロリナ・フィアーナ。シスターでございます」

「ああ、このような場だ、礼はいい。ラブリッド・ホワイトリードだ」

「はい。将軍様のご高名は私も存じております」


 跪いて礼を捧げようとしたクロリナさんを手で制して、ラブリッドさんは苦笑を浮かべた。

 面識のあるミラさんは軽い会釈で挨拶を済ませると、それはそうと、とばかりに私のそばに駆け寄り、じっと心配そうな瞳で私を見つめた。


「姫……」

「みら」


 交わした目線の中にいくつかの思いを伝え合う。きっとミラさんにも多大な心配をかけているだろうことは、重々理解していた。


「ごめんね」

「何を仰いますか、姫。全て私の未熟さが招いたことであります」


 後悔に満ちた表情はしかし、罰を乞うようではなかった。てっきり私は、どんな罰でも、とありもしない責任を感じているだろうと思っていたのだけど。

 ふと顔を向けると、ラブリッドさんが小さく頷いた。なるほど、彼が何か諭してくれたのだろう。


「だいじょうぶ。いま、みんなとはなせてる、から」

「ああ、姫……そのお優しさに甘えて直接罰を乞おうなどと、一度でも考えた私をお許しください」

「みらは、わるくないよ」


 悪いのは、明確な害意でもって矢を放ったフードの何者かである。

 剣を手に向かってきたあの少年は何かに怯えているようだった。その身なりからしても、奴隷か、金銭で懐柔されたか、あるいは脅されたか。

 なんにせよ、無理やり命令されてしたような様子だった。少なくとも自らそれを望んでしているようにはとても見えなかった。


「……アリス様。彼が加担したのは事実です。どうかそのことでお心を痛められないよう……」


 と、扉を閉めてそっと控えていたベルさんが思考を遮るように口を開いた。

 そんなに、わかりやすい表情をしていただろうか。


「うん」


 ミラさん、クロリナさん、ラブリッドさん。それぞれの表情を伺うが、以心伝心(ツーカー)で通じ合う私とベルさんの会話を把握した様子はなかった。やはり、私がわかりやすいというよりは、ベルさんが魔法ばりに私の思考を追っているという方が正しいらしい。


「姫……?」

「ううん、なんでもない」

「……なるほど。アリス嬢、確かにそれは君が気に病むことではない。その寛容さを否定したくはないが、あまり考えないようにしなさい」


「うん」


 遅れて察したらしいラブリッドさんにそう諭されて、素直に頷いた。あの少年がどんな扱いになるのかはもちろん理解しているし、それに同情を感じていたが、だからといって小さな私ではどうすることもできない。彼が剣を振り下ろしたのは事実なのだ。


「……何より、悲しいお話は今日に似つかわしくありません」

「――――まったくだ。遅れてすまないアリス、仕事を片付けるのに少し手間取ってな」


 自然に続いた言葉に、開いた扉を見た。その声の主は父。頬を掻いたその手に、いくつか黒いインクがついたままなのを見ると、どうやらかなり急いでくれたらしい。父は部屋に入りながら、もうすぐカルミアが夕食を運んできてくれるはずだ、とベルさんに伝えた。

 では、と声音でその場の空気を仕切り直したベルさんが何やらその手に抱えた服……ドレスを広げ、ベッドのそばまで来るとそれを私に差し出して。


「お誕生日、おめでとうございます。アリス様!」

「――――っ」


 すっかり意識から抜け落ちていたのを祝いの言葉で思い出して、その薄桃と白を基調としたフリルだらけの可愛らしいドレスをぼうっと受け取った。


「おめでとうございます、姫!」

「お嬢様の生に、神々の恵みがあらんことを」

「おめでとう、アリス嬢。今日はあまり長居はできないが、祝いの言葉だけでも伝えられて良かった」


 固まった私を見遣った父がふっと笑って。


「五歳の誕生日、おめでとう……アリス」


 みんなが私に、笑顔を向けてくれている。

 なんの裏もない、ただ好意に満ちた笑顔を。


「ぁ、う」


 じわり、と胸の奥から、知らない何かが広がるのがわかった。

 それはとても温かくて、無意識に凍らせていた体のどこかが溶けていくような気がして。


「う、ぅ……ひっく、」


 それは胸を上がって、喉を鳴らして、瞳から溢れて。優しく頬を伝っていく。


「――――ふえぇん……」


 その正体もわからないまま、どうしようもなく降ってくる涙はぽろぽろと、止めようもなかった。


「あ、アリス様……?」


 あたふたと慌てながらも、真っ先に頭を撫でながら宥めてくれるベルさんに、余計に歯止めが利かなくなって、結局そのまま数分は泣き続けてしまったのだった。


「うう……ごめんね」

「いえ、いえ。大丈夫ですか?」

「うん……わかんないけど、うれしかったの。うれしいのに、ないちゃったの」

「……そうですか」


 なぜだかちょっぴり寂しそうな顔をしたベルさんは、私が完全に落ち着くまでしばらく撫で続けていてくれて、それを見守るみんなの目もまた同じだった。


「大丈夫です。みんなアリス様のことが大好きですよ」

「うん、わたしも」


 いつの間にかベッドは囲まれていて、ベルさんの隣から手を伸ばした父が手を握った。

 それから何か言おうとした時、ふと澄ませた耳が足音を捉えた。

 ……そこで私はなんとなく察した。


「失礼しまっ――――」


 やっぱり、とそちらを向けば赤い髪。言葉の途中の形のまま、口を開けて固まった――――カルミアさん。言いかけた何かを喉に仕舞った父はそのまま緩く口角を上げて。呆れたようなベルさんもまた、ため息を吐きながら苦笑した。


「えぇと、その、夕食の用意が……あはは」


 片手に盆を抱えたカルミアさんの後ろで、同じく盆を持った他のメイドたちが気まずそうにしていた。

 微妙な顔で判決を待つカルミアさんにミラさんが青筋を立てて。


「――――カルミア、またあんたかあぁッ! 昔から、どうしてそう空気を、このっ」

「み、ミランダだってそういう時あるじゃない!? 私だってわざとやってるわけじゃないわよっ!」


 ぎゃーぎゃーと仲良く始まった口喧嘩に余韻は吹き飛んで、相変わらず絶妙なタイミングだなぁと、もはや感心すら抱いてしまう。


「カルミア、ミランダさん。騒ぐならアリス様の部屋の外でしてください」


 静かに諭したベルさんに振り返った二人はやっぱり似た者同士で、揃って下がったそのバツの悪そうな眉にクスリと笑ってしまった。


「……まあ、カルミアのそれは、もういつものことだ。夕食の用意、ありがとう」

「は、はい、ハッティリア様! では……」

「ああ。少し早いが、アリス。お腹は減っているか?」


 ふわりと香った料理の匂い。その中に昨日その味を知ったばかりの、こんがり焼けた肉の匂いを嗅ぎ分けて。

 きゅう、とお腹が鳴ったのに顔を隠した。今日も相棒は大活躍だ。


「ふふ。どうやらそうみたいですね」

「では、夕食としよう」


 カルミアさんが私のもとへ盆を運ぶのと同時に、メイドさんたちがそれぞれへ料理を配る。

 そんな、私は、と遠慮するクロリナさんにミラさん。感謝しながら受け取るラブリッドさんに、いつもご苦労と労う父。

 そこそこ広いはずの部屋はもうぎゅうぎゅう詰めで、(せわ)しない。けれど私はそれを窮屈には感じなかった。


「アリス様、アリス様の分のお肉は中でも一番良いものを選びました! きっととってもおいしいはずですよ!」

「ありがと、かるみあ」

「はい! たくさん食べて、早く良くなってくださいね!」

「うん」


 私の返事に満足気に微笑んだカルミアさんは、では、と料理を配り終えた他のメイドさんたちを引き連れて部屋の外へ。


「後でまたデザートをお持ち致しますね」


 最後に私に手を振ると、扉を閉めた。

 なんだか嵐が過ぎ去ったような、ちょっと失礼な名残を感じながら、ベッドに手をついて。


「んんっ、……」

「アリス様!? まだ動いては……!」

「だいじょうぶ」


 このまま寝転んでいるのはさすがに居心地が悪いというか、礼を欠き過ぎるとなんとか身を起こす。

 当然背中をびり、と鋭い痛みが襲ったが、昨日よりも幾分かマシになっている気がする。

 自然と集まった注目に向かい合って、伝え忘れないうちに、唇を開いた。


「……みんな、ありがと。とっても、とってもとっても、うれしい」


 胸に相棒を抱きながら、けれど顔は隠さずに、しっかりと感謝を伝える。

 すると返ってきたたくさんの笑顔を、私は素直に受け入れられた気がした。

 沈黙のまま、全ての盆の蓋が静かに開かれて。


「……いただき、ます」


 私が両手を合わせてそう言ったのに続いて、初めて見たはずのクロリナさんまでが見よう見まねで。それぞれの「いただきます」を合図に、部屋に和やかな賑わいが戻っていくのだった。

 そうしてその後、デザートとして運ばれたマリアン。

 ……しっかり回収されていた、初めて外に出たあの日の市場でミラさんに買ってもらったものだと知って、つい瞳が潤んでしまったのはまた別の話。

こちら予約投稿の設定ミスで告知より更新が遅れてしまいました。

失礼致しました。

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