第2話 きんいろのねこ
「アリス様、今日は何を読まれますか?」
「うーん」
朝食を終えて父が仕事へ戻った後、完全に寝たきり状態では絵本すら読めないと配慮してくれたのだろう、またベルさんがいくつか読み聞かせをしてくれるらしい。
今一番興味のあるものはなんだろうか。
国の文化ももちろん気になるし、単純な読み物として御伽噺を楽しみたい気持ちもある。
けれど、そうだ。やっぱり一番関心がある、というか学ばなくてはいけないのは。
「まほうの、おはなし。……ある?」
「魔法ですか。はい、ありますよ。どれがいいですか?」
これと、これも、と積まれた絵本の中から何冊かを抜き出したベルさんはそれを見やすいようにベッドの上へ並べてくれる。
それぞれ『マリーちゃんのまほう』、『ゆきのおうじさま』、『きんいろのねこ』と題された三冊。
どれも初めて見る本で内容はわからないが、なんとなくその黄金の目に親近感を抱いて『きんいろのねこ』が気になった。
「これにする」
「きんいろのねこですね、畏まりました」
他の絵本を積み戻すベルさんを待ちながら、表紙の〝ねこ〟とやらをじーっと見つめる。
フォルム的に恐らく前世でいうところの〝猫〟のことだろう。結局長い間生き残ってきた生き物というのは、どこの世界でもそこまで違いは生じないのかもしれない。
けれど、魔力という存在がある世界とない世界とではきっと分岐ができるだろう。もしかすればそれを活用する生き物がいるかもしれない。
魔法に関するお話だと言うのだから、この絵本はそんなねこを描いた作品なのではないか。
そんな憶測を抱いたところで、読む体勢を整えたベルさんが隣に座った。
「始めていいですか?」
「うん」
「では……」
開かれた一ページ目。絵本とはいっても高級品の紙のものではないから、あまりカラフルではない。精々インクの濃さの違いで色の変わる部分がなんとなくわかるくらいだ。
一ページ目は夜空の下で月を眺める、ねこの絵。目の部分は真っ白で、何も塗られていない。きんいろの、というくらいだからきっと金色なのだろう。
「……お日さまが沈んだ夜の湖畔で、一匹のねこがお月さまを眺めていました」
「きれい」
その絵と文の組み合わせに美しさを感じて、素直に口に出した。
すると私を見て微笑んだベルさんは続けて。
「ねこはお月さまに向かって、悲しそうに言いました。どうして私の目は真っ白なの? ……ねこの目は生まれた時からずっと真っ白で、そのせいで仲間に嫌われていたのです」
憶測は外れていた。ねこの目は金色ではなかったらしい。見たまんま、真っ白なようだ。
そう考えれば結構不気味である。これでは確かに、仲間外れにもされよう。
「お月さまは何も答えませんでした。ねこはため息を吐いて、森に戻ろうとしました」
かさ、と次のページへ。今度は月へ背中を向けたねこが、どこからか落ちてきた何かに振り返っている絵だ。
「けれど、そのときです。からんからんと音がして、さっきまでねこがいた場所に何かが落ちてきました。ねこは不思議に思い、振り返ってしばらくそれを見た後、近寄ってみることにしました」
またページが変わる。ねこが近寄って見たその何かは、光り輝いているようだった。
「それは、不思議な石でした。まるで自分の目のようにとても真っ白な石で、夜だというのに、その石の周りだけは明るく輝いていたのです」
「きらきら」
「はい、キラキラです。……ねこは思いました。きっと、これはお月さまからの贈り物なんだ」
なんとなく展開が見えてきたが、あえて考えない。
ねこの心境を私も辿って、純粋な目で楽しみたいのだ。
「ねこはお月さまにお礼を言うと、不思議な石を咥えて森へ戻っていきました」
場面は飛んで、次の絵は仲間から遠巻きにされるねこの姿。石は大切そうに咥えたままだ。
「それからねこは何日も何週間も、ずっとその不思議な石を大事にしていました。けれど、いつまで経っても仲間外れにされたままでした。それでもねこは、お月さまを信じていました」
ねこは、仲間が寿命や怪我でいなくなっていくのをその白い瞳で見つめていた。
……ずっと。少し離れた、その〝場所〟から。
ページがめくられた。
「何ヶ月も、何年もねこは待ちました。だんだん仲間がいなくなっていくのに合わせて、不思議な石の光もだんだん小さくなっていきました。ねこは気づきました。……この光が消えた時、自分もいなくなってしまうんだ」
「……ねこ」
すっかり意気消沈したねこは、再び夜の湖畔へ向かった。その背中はとても寂し気で、ベルさんの語りのうまさもあって私まで悲しい気持ちにさせられる。
「ねこは、お月さまに向かって、悲しそうに言いました。どうして私の目は真っ白なの? すると、足元に置いた不思議な石がぴしり、と音を立てて割れてしまいました。もう光はありません。ついに、自分もいなくなってしまう。ねこは俯いて、涙を流しました」
なんて悲しい物語だろうか。このまま、終わってしまうのか。
瞳が潤むのがわかった。そんな私に気づいたベルさんは私の頭を一つ撫でて、そして。
「すると、ねこの耳に、小さな声が響きました。……やっと、みつけた」
その声に目を開いたねこは、いつの間にか隣にいたもう一匹のねこを見た。そのねこが、話しかけてきたのだ。
「仲間を、探してたんだ。そのねこは言いました。慌てたねこは涙を拭いて、答えました。……けれど、君の目は綺麗な金色なのに、私の目は真っ白だ。気持ち悪いだろう?」
「そんなことない」
どうしようもなく感情移入してしまった私は、思わずその言葉を否定した。
ちょっぴり頬の緩んだ気のするベルさんは次のページを開いて。
「きんいろの目のねこは言いました。ぼくも、真っ白だったんだ。……ねこは驚いて、うそだ、と叫んでしまいそうになりました。すると、きんいろのねこは言いました。――――湖を、見てごらん」
ドキドキと釘付けになった私の視界で次に広がったのは、並んだ、〝四つ〟の金色の瞳だった。
「私は真っ白な目をしていたはずなのに。そしてねこは、気づきました。不思議な石は砕けてしまったはずなのに、夜の湖の水面が見えるほど、自分ときんいろのねこの周りは光っていたのです。きんいろのねこは言いました。……気づいたかい?」
するとねこは俯いていた顔を上げて、月を見た。二匹並んで、ただ月を見た。
「光っているのは、石ではなく――――自分だったのです。ねこは、黙ってお月さまを見上げました。ねこはわかっていました。お月さまが、教えてくれたんだ。二匹のねこは肩を並べて思いました。……一人じゃない」
めくられた先は、最後のページ。湖の水面に、五つの月がゆらりと微笑んでいた。
「二匹のきんいろのねこはお月さまに向かって、嬉しそうに言いました……」
「――――ありがとう……」
……しまった。
私は自然に浮かんだその言葉を、無意識にそのまま口に出してしまっていた。
完全に物語に惹き込まれていたのを自覚して、こみ上げる気恥ずかしさを相棒に隠す。
すると、少し口を開けたまま固まったベルさんがふふ、と再び私の髪を撫でてくれて。
「二匹のきんいろのねこは、そのまましばらく眺めるとやがて森へ戻っていきました」
そしてパタリと閉じられた背表紙には大きなまんまるの月が輝いていて。
「――――お月さまは、何も答えませんでした」
私とベルさんを優しく包む静かな余韻をたっぷりと味わって。
「……ぱちぱち」
そして私は傷が痛まない程度に精一杯の拍手をした。
ありがとうございます、と本を棚へ置いたベルさんを見守って、はてと首を傾げた。
すっかり物語を楽しんでいたが、そう、私は魔法のお話をリクエストしたはずだ。
なんとなくあの不思議な光る石はきっと〝魔石〟なのだろうと推測はできるが、結局魔法という単語は一度も出てこなかった。
「……はい、アリス様。このお話は、実は魔法の成り立ちを説明した絵本なんです」
「はえ」
相変わらずテレパシー並みに察しのいいベルさんは私の思考を拾って、そう答えてくれた。
やはり物語の裏にいろいろと秘められているらしい。
「おしえて」
「もちろんです。……ちょっぴり暗いお話になりますが。言葉を濁してもアリス様は察せられるでしょうから、気分が悪くなりそうなら仰ってくださいね」
「うん」
どうやら魔法の成り立ちには結構ダークな過去があるらしい。
これは真剣に聞くべきだ、と姿勢を直した。といっても寝たままだけど。
「そもそも、人は最初から魔力を持っていたわけではありません。昔の人は石器、石の道具を使って、自然の中で動物たちと一緒に暮らしていたのです」
つまりは前世でいうところの石器時代の人々の暮らしと、ほとんど何も変わりないのだろう。
まったく同じということはないだろうが。
「ある時、突然彼らの中に肌や髪の真っ白な、他とは違う姿の人が生まれたのです。人々は不気味に思い、その人を迫害……石器で殴ったり、ご飯を分けてあげなかったりしていじめたんです」
「……うん」
いわゆるアルビノ、なのかもしれない。そういった知識がない時代だ。突如生まれた自分たちと違う姿の人間は、彼らにとってはひどく不気味に見えたのだろう。
「その時真っ白な人は石器によって怪我をしたんですが、その石器がたまたま〝魔石〟で作られたものだったんです。その人が特別だったのか、魔力の性質なのかは今もわかっていないのですが、魔石に溜まった魔力が傷口から体に入って、そのままその人のものになったんです」
話が見えてきた。
恐らくそれが少しずつ遺伝子として受け継がれていって、広まっていったということだろう。
ベルさんはうんうんと頷いて勝手に納得した私を見ると半ば呆れたような微笑みをして、私の髪の毛を梳くように撫でながら続けた。
「……アリス様は本当に賢いお方です。きっとお考えの通りです。その人の子供にも魔力が受け継がれていて、その子供、そのまた子供と、どんどん広がっていきながら、次第に体が変化して自ら魔力を生み出すようになっていった、というのが偉い人たちの考えみたいです」
ならば、絵本の月と真っ白な目はきっと日光に弱い肌とその白い体の暗示だったのだ。
そして不思議な光る石はそのまま魔石で、金色の瞳は魔力が宿ったこと、最後に仲間が見つかったのは受け継がれて広まっていったことを示しているのだろう。
ベルさんの話を聞いた後なら、なるほど、これは確かに魔法のお話だった。
「そうして魔法は、受け継がれていく過程で、それぞれ特化したものに分かれていったんです。例えば狩りや戦いをする人はよく怪我をするので、体を堅くしたり、危険が迫っていることを察知できたりするなど、怪我をしないための魔法が使えるようになっていきました」
それぞれの生き方に適応していった、ということか。
きっとそこからだんだんと、今でいう貴族、騎士、魔導師に分かれていったのだろう。そして魔力を持たぬ大多数の人々は一番下の庶民、と。……最初の迫害とは立場がまるで逆。皮肉な話だ。
「……だから魔法でなんとなくの性格がわかったりもするんですよ」
……父に誤解された理由がわかった気がする。
まあそれは置いておいて、すなわち魔力を持つ者はみんな同じルーツを持つということだろうか。
いや、その最初の人だけが魔力を持ったとも限らない。同じように、なんらかの要因で傷から体に魔力の入った人は他にだっていたはずだ。
彼らもまた、そんな風に受け継ぎながら変化していったかもしれない。
「うーん……」
「どうされましたか、アリス様」
「まほうつかえるひと、みんな、かぞく?」
すると今度こそ沈黙したベルさん。
少し間を置いてからようやく、そうですね、と口を開いて。
「けれど一部に、魔法を使える人が庶民の人々と仲良くするのを許さない純血主義、という人たちもいたりします」
「じゅんけつ」
「はい……アリス様は私を始め、庶民の人々にもとてもお優しいですから、特に気をつけなければなりませんね」
純血思想か。なんともありそうな話だ。既に魔法による特権意識による差別が庶民とそれ以外の上流、中流階級との間であるのだ。ならばそれ以上の過激な思想が生まれてくるのは、悲しいことだが別段おかしな話でもない。
「みんなおなじ、なのにね」
そう、魔法が使えようと使えまいと、根本的には同じ人間である。
ともに働けば一生の友とは、前世の同僚からの受け売りだ。
「アリス様……」
すると少し暗い顔になったベルさん。
彼女も庶民なのだ。きっといろいろ苦労してきたのだろう。
けれど私にとって、何者であれ、どんな過去があれ、ベルさんはベルさんで。
私はただこうしてベルさんと一緒に過ごす時間が大好きなのだ。
「わたしは、べるがきぞくでもしょみんでも、だいすきだよ」
「……ふふ。私も、貴族や庶民など関係なく、アリス様が大好きですよ?」
ふと交わした瞳に二つの笑顔が煌めいた。
少し紅くなった頬はどうにも隠す気になれなくて。
今回ばかりは、相棒の出番ではないようだった。
次回更新は明日の12時です。