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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第一章 奴隷労働者の彼がいかにして貴族令嬢になったか
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第20話 奴隷労働者の彼がいかにして貴族令嬢になったか

 矢は突き立った。


 いとも簡単に、呆気なく。

 その牙は日常(ゆめ)を穿った。


「――べるっ!?」


 ベルさんが私を抱き締めるように庇った、と気づいた時にはもう手遅れだった。

 ドン、と私を覆う体越しに衝撃が伝わって、それが決して軽傷ではすまないのがわかった。

 ベルさんの体からポタリと暖かいものが垂れて、そのまま私の頬を伝っていった。


 なぜ、なぜ?

 一体何が起きた。頭が真っ白で、何も考えられない。

 誰が、なんのためにこんなことを。

 けれど、今はそんなことどうでも良かった。

 ミラさんは駆け寄るべきか、この矢の射手を追うべきか躊躇して。

 しかしその間に、フードの悪魔は群衆に溶け込んで既に消えていた。

 

 ギリ、と歯を鳴らしたミラさんが、呆然とするクロリナさんを他所にそばに寄った。


「姫! ノクスベルさんッ!」

「大丈夫、です、ミランダさん……」


 ベルさんはメイドとして騎士に“様”と言うのでなく、同じ一人の従者として、そしてきっと友人として“さん”と、そう言った。

 その声は苦しそうで、辛そうで。

 どう見ても、大丈夫なんかじゃなかった。


「ぐ、うぅッ……」


 するとベルさんは肩で息をしながら、苦痛に顔を歪めて。

 そのまま手を背中に回すと、自らその刺さった矢を引き抜いて。


「……ぁ、……ありす、さま、大丈夫、ですか、っ……?」

「べ、る……?」


 そしてベルさんはぐたりと脱力して、半ば私にもたれかかりながら。


「……よかっ、た」


 悲しみと安堵をごちゃまぜにした笑顔で、“よかった”と、そう零した。

 

 ――――よかった?


 ……違う。違う、そうじゃない。

 私の大好きなのは、そんな笑顔じゃない。

 あるいは苦笑で、あるいは優しくて、あるいは心から楽しそうで。


 私の大好きなベルさんの笑みは、いつも私を幸せにした。

 多少のすれ違いなんてどうでもいいくらい、ベルさんと過ごす日々が楽しかった。


 私にはベルさんの負ったその傷が致命傷なのかなんてわからない。

 けれど、それは関係なかった。


 ベルさんが血を流している。苦しそうにしている。泣きそうな顔をしている。

 これが、“よかった”?


 私が助かったから?

 死ぬとは限らないから?


 ――――誰かが不幸を、肩代わりしてくれたから?


「よく、ない、そんなの……」

「アリスさま……?」


 気づけば、私の体は動いていた。



「――――よくないっ!」



 今にも倒れそうなベルさんを引き寄せ、抱き締めるようにした。

 赤くぬめった傷口に手を当て、いつかのベルさんの言葉を思い出していた。


 ――――『御伽噺の聖女様と同じ髪の色ですから、もしかしたら怪我や病気を癒すような魔法が使えるようになるのかもしれませんね』


 自信なんてなかった。

 けれど、私は信じていた。

 ちょっぴり勘違いをすることもあるけれど、けれどきっと、私のことを一番理解しているのはベルさんだった。そんなベルさんの信じる私を、私は信じていた。


 なら、迷うはずもなかった。

 なら、できるはずだった。


「べる、べる……!」


 その名を呼ぶだけで力が溢れるのがわかった。瞳が黄金に煌めいているのがわかった。

 ただ癒すことだけを考え、循環していた魔力を手に集中させた。

 傷口が塞がっていく様子を、何度も何度も強くイメージした。

 そして少しずつ、その魔力を掌から傷口へ放出していく。


「アリス様、何を……」

「姫……?」


 確かに自分の魔力がベルさんの体へ入っていくのがわかった。

 できなかったはずの魔力の体外制御もできていた。

 けれど、それだけだった。


「う、うぅ……」


 違う、なら違うんだ。

 きっと方法が違うんだ。


 癒す、癒す……戻す。元に戻す。取り除く。

 いや、違う。起こったことを無かったことになんてきっとできない。


 なら、そう、“引き受ける”?


「――べるっ……!」


 傷口に沈んでいった魔力を、傷を塞ぎながら引き戻すイメージで操った。

 一度放たれた魔力が、手を通じて再び私の体に戻っていく。


「あぐっ、ぅ……!」


 ビリ、と背中に痛みが走った。

 肌が、肉が穿たれて、穴が空いていくのに気づいていた。


 そして、私は見た。私の痛みが、傷が大きくなっていくに連れて、確かにベルさんの背中の傷口が塞がっていくのを見たのだ。


 ……できる。癒せる。

 ベルさんを、助けられる――――!!


「痛みが、引いて……アリス様!?」

「ひ、姫! 背中が……!?」

「だいじょうぶ、……」


 私の背中から赤い雫が伝って、ドレスが赤く染まっていくのを見て。

 ベルさんがやめてください、と目で訴えていた。


 けれど。


 今背中から流れるこの血液の一滴一滴は、私の言葉だった。

 拙い語彙では伝えきれない、ベルさんへのたくさんの想い(すき)だった。

 たとえこの身が滅びようと、ならば止まる意味は見出せなかった。

 痛みなど、止まる理由になり得なかった。


 ただ、ただ。私は。


「ですが、アリス様……!」

「――――べるが、いたいと、わたしのおむねはもっといたい、から」


 背中から痺れるように広がる頭の割れそうな痛みが加速していく。

 どんどんベルさんの傷が塞がっていく。

 垂れる冷や汗を無視して、魔力を引き戻し続ける。


 痛みと出血に思考も体力も、何もかもを奪われる中。

 一つだけはっきりと浮かんで消えぬ想いがあった。


「べる」

「アリス様……?」


 完全に塞がったのを確認して、手を離して。

 なぜだか襲ってくるどうしようもない眠気をなんとか押し殺して。

 私の頬に手を添えて摩りながら涙を流すベルさんに、精一杯の笑顔を向けた。


 ――――ただ、私は。あなたのことが。ベルさん、ベルのことが。


「だいすき」


 きっと返ってきたはずの言葉(だいすき)を、聞き取ることは叶わなくて。

 そして私の意識は、白く途絶えた。











 アリス様は眠っていた。

 私の負った傷を、不思議な魔法で肩代わりして。


 幸い、私以外にもそういった武器での負傷への対処法を知っているミランダさんがいたことに加え、街中だったこともあり、処置は早急に済んだ。

 元々、深く突き刺さったとはいえ急所は外れており、迅速に対応すれば致命傷に至るような傷ではない。けれど、それはあくまで、私なら、の話だ。


 幼い体では当然怪我や病気への免疫は弱く、平均より体力のないアリス様ならなおさらだ。

 呼び寄せた医者はワインで傷口を洗った後、布を巻いて、それからしばらく様子見したところ命に別状はないとは言ったが、もうかれこれ三日は寝込んだままだった。

 時折苦しそうに呻き声を漏らすだけで、起きる気配はない。私はそれを見ていられなかった。


 本当はずっとおそばにいたいのに、巻かれた布の痛々しさに耐えられなかったのだ。


「反体制派で間違いないと?」

「ああ。あの少年は奴隷だった。用意周到に梯子(はしご)して購入されていて、黒幕が誰なのかは突き止められなかったが……恐らく」

「そうか」

「……すまない。あそこまで大胆に出るとは思ってもいなかった」

「一部の暴走だろうな」

「……ああ」


 だから、その言い訳に、ハッティリア様とラブリッド様のカップに水を注ぎながら、私は黙って会話を聞いていた。


「……アリス」


 ハッティリア様の落とした呟きは、深く重く、沈黙とともに部屋に沈んでいく。


 やっと、外に出られるようになったのに。

 やっと、笑顔をよく見せるようになっていたのに。


 きっとこれがトラウマになって、もう外に出ることはないのではないか。

 守ると、壊れぬように守ると誓った、のに。


「アリス、様……っ」

「……ベル」


 押し寄せる感情の波が止まらなくて、それがそのまま声となって、涙となって、溢れ出ていく。

 (とが)めるでもない、ただただ悲痛なハッティリア様の声が余計に心を泡立たせて、膝から泣き崩れてしまう。抑えようも、止めようもなかった。


「なぜ、なぜ私などのために……!」


 言ってはいけないと、そうわかっているはずの言葉ですら容易に零れていく。それは他ならぬアリス様の気持ちを否定するだけだとわかっているのに。


 けれど、けれどそれでも。それでもして欲しくなかったのだ。

 私を、――――いや、他人を庇って傷つくなどということは。

 ひどく自分勝手な考えかもしれない。けれど、それでも。


 もうあの不器用な笑顔が見られなくなるくらいなら、世界が滅んでしまっても良かった。


「ベル。それ以上は言うな」

「っ……、は、い」


 顔を上げると、ハッティリア様の頬にも涙が伝っていた。苦しいのは私だけではないのだ。

 当たり前だ。彼はアリス様の父親なのだから。


「……私は、もう少しラブリッドと話がある。アリスのそばにいてやってくれないか」

「……はい」

「アリスが一番信頼を傾けているのは、自身でもわかっているはずだ。きっとそばにいるだけで支えになる」


 自惚れでも誇張でもなく、一番好意を向けられているのは理解していた。

 危ういくらいに、私のことを信頼してくれていた。……こうして、身を挺して私を助けたくらいに。


「では、失礼します」

「……ああ」


 重い足取りでハッティリア様の書斎を出た。


「……カルミア?」

「ぁ……えっと、その」


 カルミアのその様子を見て、すぐに察する。


「黒幕は確かに反体制派、だけど……大丈夫、あなたのせいじゃない」

「ですが、マム……」

「私が咄嗟に動けなかった。それだけよ」

「いえ、マムは確かにアリス様を守り通しました」

「……アリス様が悪いって言うの?」


 キッと、自分でも八つ当たりだとわかっているのに強くあたってしまった。そういう意味じゃ、と首を振るカルミアに冷静さを取り戻す。


「……ごめんなさい。アリス様の様子を見に行ってくるから」

「……はい」


 アリス様が眠っているだけで、周囲のあらゆる人がこんな様だった。

 ミランダさんは言わずもがな、クロリナさんなんて責任を感じてほぼ毎日訪ねてくるくらいだった。


 三階への階段を上がり、部屋の扉を小さくノックする。

 返事はない。


「アリス様、失礼致します」


 扉を開けて、ベッドで眠るアリス様の姿を認めて、目を瞑って。

 後ろ手に静かに閉め、ベッドの隣へ。

 いつもは散乱しているはずの絵本が整然と棚に積まれたままで、それがどうしようもなく寂しさを溢れさせる。


「アリス様……」


 いつものように、ベッドの端へ腰掛けて。

 掛け布団を少しずり下げ、左肩を優しく起こして、布越しに背中の傷の様子を窺った。

 出血はやはりもうほとんどない。まだ布を変える必要はなさそうだ。


「べ、る……」


 ふと聞こえたか細いそれに、顔を上げた。

 しかし、目は閉じられたままだ。一体、なんの夢を見ているのだろうか。

 せめて夢の中でくらい安らいでいて欲しい。

 

 けれど浮かべたのは苦悶の表情で。

 なら。


「……月のひかりのその下で」


 今の私にできる精一杯の優しい声で、ありったけの想いを込めて。

 いつか歌った子守唄を。


「ああ、我が愛しき人よ。耳を傾けてくれないか。あなたに手紙を読みたいんだ」


 紡ぐのは、続き。すきと言ってくれた、この歌の続き。

 きっと、それを聞きに、目を覚ましてくれると信じて。


「蝋燭が夜に溶けるまで。この灯火が消えるまで」


 脳裏に浮かぶのはいくつもの日常。


 ぽわぽわな瞳で寝惚けていた日。

 おもらしをしていじけていた日。

 おむつを卒業して喜んでいた日。


 初めて会った日の、濁った瞳。

 初めて笑った日の、少し輝いた瞳。


 全部全部、憶えている。全部全部、大事にしまっている。

 けれど、足りないのだ。そんなくらいじゃ、この絵本は終わらないのだ。終われないのだ。


 だから、だからどうか。


「お願いだから、その瞳を開けておくれ……」


 最後の余韻まで想いを込めて、涙混じりに目を開いて――――



「……べる?」



 目が、開かれた。


「アリス、様……?」


 金色の瞳が、ぼうっと私を見ていて。

 その薄桃の唇が、確かに私の名前を紡いでいて。


「このうた、すき」

「……――――ああ、ああぁ……アリス、さま……っ!」


 傷のことも忘れて、抱き締めた。びくり、と痛みが生じたのか、震えた体。

 絶対に許されない、無礼で危険な、負担をかける行為。

 けれどそれを考える余裕すらなくて、そしてアリス様は、それを黙って受け入れてくれた。


「ん、うぅ」

「アリス様、アリス様……」

「……ごめんね、べる。わたし、べるをたすけなきゃって、それしかわからなくて」


 嗚咽混じりのはいを返す。いい、いいのだ。

 今、こうして目を覚ましてくれた。なら、もういいのだ。


「大丈夫、大丈夫です、アリス様」

「わたしもだいじょうぶだよ、べる」


 すると腕を解いて向かい合ったアリス様はすうっと遠くを見つめるような表情をして。


「わたし、かんがえてた」

「……はい」

「どうすれば、しあわせかなって。なにが、しあわせかなって」


 ゆっくりと流れていくのは白銀の髪。

 きっと、それはアリス様の隠していた心の内で。


「べるといっしょにいる、いつもがずーっとつづけば、それだけでいいって、おもってた」

「アリス様……」

「でも、ちがう。ちがうの。それがつづくために、しなくちゃいけないの」


 私はその先の言葉を、知っていた。

 ディスタンで、あるいは書斎で、あるいは市場で。

 アリス様はいつも、“彼ら”のことを考えていた。


「ぜんぶなんて、できない、けど。でも、でもわたしのまわりくらいなら、きっと、かえられる、から」


 ノブリス・オブリージュと、そう呼ばれる教え。

 力ある者には、力なき者を守る義務がある。それが為されていない今の王国だからこそ、反体制派が生まれ、そして間接的に今回の事件に繋がったのだ。

 なれば、それを変えると。周囲だけでも変えてみせると。

 遥か未来の光景を見据えるたった四歳の幼き瞳は、確かな黄金を灯していた。


「すこし、ずつ。ちょっと、ずつ。……べるも、てつだってくれる?」


 一度閉じて、もう一度開かれた瞳は、今度は私の黒曜を反射していて。

 答えなんて、とっくに決まっていた。


「もちろんです、アリス様」


 すると、見たこともないような、自然な笑顔を浮かべた頬が朗らかに緩んで。



「……おはよ、べる」

「――――おはようございます、アリス様」



 私は思わずその滑らかな銀糸を撫で梳き、精霊に愛されたかのような、月のように儚くも愛らしい(かんばせ)を改めて心に焼き付けて。


 これから先、どんなことがあろうとも。私のあげられる、精一杯の愛情を。

 そしてその道の途中で、この幼き姫の心が壊れてしまわないように。

 私が、いや、私たちが、守らねば。


 熱く、強く、けれど静かな決意を胸に。

 その小さな体を冷やさぬよう布団をかけ直し、しばらく二人、見つめ合って。


 やがて頬に一つ、唇を落とした。


これにて第一章完結となります。ありがとうございました。

次回更新は明後日の12時、第二章の開幕となります。

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