第19話 一矢の夢
「ふんふふーん」
まだ人々の注目を薄く浴びながらも、それすら気にならぬほど私の気分は最高潮だった。
つい鼻歌すら歌ってしまいながら、市場を歩く。
胸に抱くのはぬいぐるみ……ではなく、ミラさんの買ってくれたマリアン。この体にはちょっぴり大きいそれの重さなんかは、得られる幸福には安過ぎる対価だった。
「うん……?」
周囲の様子からそこまで警戒する必要はないとしたのか、ミラさんはピッタリ後方を歩くのはやめて、一歩後ろくらいの、ほぼ隣を歩いていた。
そんなミラさんが何やら訝しげに目を凝らして立ち止まったのに、私も歩みを止めた。
「みら?」
「ぁ、いえ、姫。何でもありません、気のせいだったようです」
「そう?」
「はい。それより、そのマリアン、そんなに気に入っていただけましたか?」
うん、と答えて。次いでさすがに露骨だったか、とさっきの鼻歌がちょっぴり恥ずかしくなる。
するとミラさんはそんな私を微笑ましげに見つめて。
「姫に喜んでいただけて、何よりです」
そう言った満足そうな表情に、改めてありがとう、と感謝を返した。
帰ったら早速このマリアンをいただくんだ。
「ふへ」
「アリス様?」
「……ぁ、ううん」
抑えきれずに漏れたニヤケを全力で隠す。
まあ、ふふ、と微笑んだベルさんには気づかれているらしいが。
「べる、つぎは?」
それを誤魔化すように尋ねたのは次の店。見てみたいものは色々あるが、そうだ。
ドロワーズ。いつか必ずベルさんにプレゼントすると決めたドロワーズを、今の内にどんなものがあるのか見ておきたい。
「そうですねー……アリス様に似合いそうなドレスでも見に行きましょうか」
「てれぱしー?」
「はい?」
「な、なんでもっ」
今回はさすがに偶然なのだろうが、割りかし頻繁に私の思考を完璧にトレースするベルさんを見ていると、実は超能力、例えばテレパシーなんかを使えるのではと勘ぐってしまうくらいである。魔法があるのだから、あながち否定もできないのが恐ろしい。
いや、まあ、ベルさんがそんな能力を持っているならそれこそディスタンの時のような変なすれ違いは起きるはずもないのだが。
「アリス様、あちらが服飾屋ですよ」
ベルさんの視線の先を追って、様々な服やドレスの並べられたテントを見つけた。
数人がその前に立ち止まって、店主らしき紫髪の女性に何やら質問を飛ばしては頷いている。
ぱっと見えたラインナップとしてはやはり庶民用のものだと思われる、周囲の人々が着ているような、布を最低限服の形にした装飾の少ないものが多く、恐らく上流階級用の凝った意匠のドレスなどは少なく窺える。
「これの男児用のものはないのかい?」
「ええ、ありますよ。お子さんはどのくらいの背丈ですか?」
「ええと、私の腰より少し上くらいかねぇ」
「それでしたら……」
どうやら子持ちらしい女性の言葉に少し考えるような素振りをした店主はテントの奥を何やらガサゴソと漁ると、ちょうど私より一回りか二回りくらい大きい服を広げながらその女性の前に戻ってきた。
「こちらでいかがですか?」
「……おお。ちょっと縫い目が粗いところもあるけど……でも、そうだね。きっと息子にピッタリだよ! いくらくらいだい?」
多少の妥協はしたものの満足したらしい彼女が店主に言われた代金を払い、ほくほく顔で去っていくのを見届けた後、ベルさんが私を見て、では、と店の前へ近づく。その繋いだ手に牽かれるのに従って私も進む。
ミラさんも時折後ろを振り返りながらそれに続いた。危険は薄いと判断したとはいえ、親衛騎士という立場もあって完全に警戒を解くわけにもいかないのだろう。
「……いらっしゃいませ、フェアミール御一行様。何かお求めですか?」
店主は私たちの姿を認めると、売り手としての態度は崩さぬながらも片膝を突いて丁寧に礼をした。
髪の色が紫であるからして、庶民ではないのだろう。しかし貴族なら服飾を営むということはなさそうに思えるし、騎士といった風でもない。
「お久しぶりです、クロリナさん」
「私に敬称など。以前はワンピースのご購入ありがとうございました、ノクスベル様」
ああ、なるほど。会話からして、きっとこの間ベルさんが新調してくれた白いワンピースはここで買ったものなのだろう。
「そちらのお嬢様が?」
「はい。アリス様です」
そんな納得をしている内に視線が自分に向いていたのに気づいて、また下手くそな跪礼で挨拶する。
それを見た彼女の頬は少し緩んだ気がした。やはり挨拶は大事。
「わんぴーす、ありがとう、ございました」
「まあ……! そんな、お礼なんて。誠に光栄です、お嬢様」
会話からあのワンピースの出処を察したくらいでは驚くこともなくなったベルさんに優しく見守られながら、聞き慣れない敬称に首を傾げそうになるのを一歩手前で抑えて。
確かにほとんど箱入り……いや、引きこもりで世間知らずな点を含め、私はまさに“お嬢様”だった。
もちろんそういった皮肉の意味で言ったのではないだろうけれど。
「私はクロリナ、クロリナ・フィアーナと申します。普段は教会の孤児院の院長をしています」
「きょうかい……?」
また聞き慣れぬ言葉が出てきた。単語自体は知っている。教会という言葉は聖女様関連の絵本で何度か出てきたからだ。
となると、彼女は聖職者なのだろう。その後は何を言っているのかわからなかったが、服飾屋以外の何かをしているということは聞き取れた。
「はい、アリス様。クロリナさんは孤児院、親の……いえ、特別な事情のある子供たちの住む場所の主をしているシスターさんですよ」
「こじいん」
「はい、孤児院です」
こじいん……孤児院か。ベルさんが親の、とまで言って言葉を濁したのは私に配慮してのことだろう。しかし“孤児院”が引き継いだ知識と脳内で結びついた結果、それがどういう施設かは理解できたので濁してくれた意味はあまりなくなってしまった。もちろん、それを態々口には出さない。
「くろりなさん」
「何でしょう、お嬢様」
「みんなで、ふく、つくってるの……ですか?」
これは単なるイメージだが、孤児院を営むシスター、そして服飾屋をしているとなれば思い浮かぶのはその孤児院の子供たちと一緒に裁縫をしている様子だった。
自分のこういった知識の出処のほとんどはあのろくなものがないと思っていた休憩室の古本なのだから、もしかしたらそんなイメージはただの創作で、かなり偏っているのかもしれないが。
「――――どうして、それを……ノクスベル様が?」
「い、いえ……アリス様、それは、誰かにお聞きされたのですか?」
「えっ。……ぅ。ううんっ!」
なぜだか真剣な声音になったクロリナさんに、体が固まった。聞いたことこそ当たっていたらしいが、様子を見るにあまり突っ込んでよろしいものではなかったらしい。
どうしよう。昔読んだ本のイメージですと言うわけにもいかず、脳内は軽くパニックである。
「えっと……」
何か、何かないか。誤魔化せるもの、誤魔化せること。
――――そうだ。
「……さっきの、おきゃくさん、ちょっと“ぬいめがあらい”って。でも、べるにもらったわんぴーすはとってもきれいだった、から」
そう、記憶が確かであれば先ほど子供用の服を買っていった女性は少し縫い目が粗いと言っていた。あのほつれの一つもない綺麗なワンピースを作る人が、素人目にもそう見えるものを作るとは思えない。
まだ少し話しただけだが、なんとなく掴んだ気のする彼女の性格的にもそれは正しく思えた。
無理やり捻り出したにしてはそれなりに説得力のある理由ではないだろうか。というか逆にこれ以上突っ込まれても、元がただの本のイメージなので何も出てこない。
どうかこれで誤魔化されてください、お願いします。
「……なる、ほど。どうやら、私が迂闊だったようです」
「そんなふと聞いた会話を覚えられていたとは、さすが姫……ですが」
「う、うん」
クロリナさんが目を見開いて、一連を隣で聞いていたミラさんはうんうんと得意気に頷いて、なぜだか少し困ったような表情でベルさんを見た。
一応気づいた理由にはなんとか納得してくれたらしい、が。
私は反応のないベルさんを恐る恐る見上げた。
「べる……?」
「……いえ。失礼致しました、アリス様」
すると私に向き直って、いつも通りの笑顔で頭を撫でてくれたベルさん。
どうやらうまく誤魔化せた、のだろうか。
「アリス様の洞察力には感嘆するばかりです。ですが……」
と、しゃがんだベルさんは少し迷ったような素振りをすると私の耳元へ顔を寄せて。
「……孤児院の子供たちは、あまり人々に良く思われていないのです。彼らの働き先は“奴隷”などしか認められていません。ですから、こういった市場で売る服の裁縫を手伝っているというのは……」
続きを言い澱んだベルさんに理解する。きっと、続きはこうだ。
“それがバレると、彼らやクロリナさんが理不尽な制裁を受ける可能性がある”、と。
だからあまり口に出すことではないと。
無言になっていたのは、それを私へ伝えるべきかどうか迷っていたのだろう。
なにせ、四歳の童女が知るには暗過ぎる現実である。
「わかった」
同じく小さな声でそう返すと、ベルさんはホッとしたのと悲しみが入り混じったような顔をしていた。
そして、彼らを匿っている当の本人であるクロリナさんは気が気ではないだろう。
「くろりなさん。……ごめんなさい、わたし……ぜったい、いわない。やくそく」
幸い市場の人々は私たちに好奇の目線を向けながらも、遠巻きにして近寄らないようにしていた。
それは今も例外ではなく、きっと会話の内容までは聞こえていなかったはずだ。
ベルさんは元より知っていたらしい口ぶりだったし、ミラさんもそれを口外して回るような人ではない。ならば私が黙っていれば、何も問題はないはずだ。
「いえ、そんな、お嬢様が謝られることなど。……ですが、はい。お情けをいただけるのなら、どうかお願いします。あの子たちが作ったものが売れて、あの子たちに報酬が支払われる。買っていただいた人を半分騙しているような行為なのはわかっています、けれど……」
悲痛な表情になった彼女に私は微笑んだ。
「だいじょうぶ。――――はたらいたひとが、はたらいたぶんをもらう。……あたりまえ」
そう、当たり前だ。
それが金銭であれ生存の権利であれ、労働には正当な対価が支払われるべきであり、また本人に問題があるならともかく、ただ産まれた身分によってのみそれを制限されることなどあってはならないのだ。
「うんうん」
前世を経て得た自分なりの哲学に一人頷いていると、唐突に顔が柔らかいもので覆い尽くされた。
「へぶっ」
「ああ、お嬢様……貴女こそ、貴女こそ真の貴族様です……!」
どうやら感極まった彼女に抱き締められたらしい。
両隣でベルさんとミラさんが慌てているのがわかる。ついでに私もジタバタしている。
辛うじて地面に避難させたマリアンが私と一緒にゴロゴロ揺れていた。
「むぐぐ、んむうぅっ……?」
「く、クロリナさん!? その、アリス様が……」
下手をすればベルさんより大きい、隙間なく顔を埋め尽くしたそれに窒息して、意識が遠のいていく。
ああ、こんな形で夢の世界は終わるのか……。
割と洒落にならない感じでピクピクと痙攣する私に気づいたのか、クロリナさんはようやく抱擁を解いて。体が空気を求めて全力で呼吸した。
「ごふっ、ひゅッ!? ひゅ、ひゅー……ひゅー……げほっ、うぅえ……」
「……も、申し訳ありません! 私としたことが、なんて無礼を……!?」
ぜーはー言いながら崩れ落ちた私をベルさんが支えて、ミラさんが背中を撫でてくれる。瞳を潤ませて謝り続けるクロリナさんに大丈夫ですと応える余裕は無かった。というか大丈夫じゃなかった。
「ふーっ、ふー、……」
「だ、大丈夫ですか……?」
心配そうに顔を覗き込むクロリナさんになんとか頷きを返しながら必死で息を整える。
そしてようやく落ち着いた肺で深呼吸を何度かして、立ち上がろうと、
「――――う、うわあああああああぁぁッ!!!」
立ち上がろうと、した。
「あ、あなた、何をっ!? 姫――――ッ」
それはあまりにも突然だった。
崩れた私を何事かと見守っていた群衆から、金切り声を上げて飛び出したのは、一人の少年だ。
ボロボロの、服とも言えぬような布切れを体にまとい、それなのにその両手で高く振り上げたのは、不自然に新しい剣。
「させないッ!」
鉄と鉄のぶつかる音がした。
ギン、と。割り込んだミラさんがいつの間にか抜いた短剣に、弾かれた剣が宙を舞う。
違う。
「姫っ! 大丈夫ですか……!?」
駆け寄ったミラさんに、首を振った。指を差した。
違う、そっちじゃない。
「姫? ……っ!?」
私は見ていた。
騒めく群衆の少し後ろで、深くフードを被った誰かが“弓”を構えているのを。
そしてそれが今、放たれたのを。
真っ直ぐに私を目指して飛んだソレは、逸れることなく、私を。
「――――アリス様ッ!!」
――――私を庇って覆い被さった、ベルさんの背中を射抜いていた。
次回更新は本日18時です。