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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第一章 奴隷労働者の彼がいかにして貴族令嬢になったか
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第18話 箱入り令嬢とわがまま

「大丈夫ですか?」


 私は喧騒と雑踏を目の前に足踏みをしていた。

 売り手が買い手を求めて、声を大にいかにも興味を惹きそうな売り文句を叫ぶ。そんな熱気に溢れた市場、その入り口で圧倒されていたのだ。


「アリス様……?」

「……ぁ、うん」


 並んで歩くベルさんの心配も他所に、市場のあっちこっちへ忙しなく目を走らせる。後方にはミラさんが周囲を警戒しながら追従していた。


「すごい」


 結局決定となったマリアーナへの外出。朝食を腹に収め、不安と期待を胸に館を一歩踏み出してちょっぴり長い往路を行けば、見えてきたのは小規模ながらも道の舗装まで整ったレンガと石造りの綺麗な街並み。

 面白いのはそれぞれ山と湖に囲まれた一本道のど真ん中にそれがあることだ。ベルさん曰く隣国の帝国とこの王国の首都を繋ぐ最短の道らしい。

 他は山だったり川だったりといった大自然の要害で塞がれていて、かなり険しい道なりなんだとか。

 そしてマリアーナ郊外、王国寄りの端へ位置していたらしい館から長閑(のどか)な自然の中を歩いて、見えてきたのがこの街の入り口、様々な店の立ち並ぶ市場だ。


「ふふ。これがマリアーナです、アリス様」


 フリルまで付いた装飾の凝った日傘に私を収めながら、なんだか誇らしげに胸を張ったベルさんを横目に、一歩ずつ市場へ足を進める。


「姫、私やノクスベルさんからあまり離れないように気をつけてくださいね」

「うん」


 後ろからかけられたミラさんの言葉に素直に従う。当然道などてんでさっぱりなので、はぐれてしまうとかなり(まず)い。ぷるぷると震えて怯えることしかできぬ、まさに“まいごのまいごのこねこちゃん”である。


「……べる。て、つなご……?」

「はい、アリス様」


 一瞬よぎった恐ろしい可能性に背を震わせて、自分でも情けない声でベルさんにリードを求めた。快く了承してくれた暖かく柔らかな手を握って、コツコツと歩きにくいヒールを鳴らす。

 当然服装も外出用のもので、ドレスなどろくに着たこともないが、ベルさんが気を利かせてかいつもの部屋着のワンピースに近いものを用意してくれた。

 ギリギリ引きずらない程度の裾。しかし肩から鎖骨のラインが露出していてちょっぴり恥ずかしい。お似合いですよ、と褒めてくれたベルさんの隣でミラさんがなぜか幸せそうな顔をしていたのを憶えている。


「べる、おすすめ、なに?」


 市場に来たはいいものの、前世含めて、知識としてはあってもこういう場に来るのは初めてである。何があるのかもわからず、ひとまずベルさんに見る場所を決めてもらうことにした。

 するとベルさんは曲げた人差し指を顎先に当てて、いくばくか考え込んで。


「そうですね、ならまずは果物でも見に行きますか?」

「くだもの」

「はい。アリス様の好きなマリアンもありますよ」

「まりあん! いく!」


 マリアンがあるとなれば見に行く以外に道はない。と言っても見て品質なんかがわかるわけでもないが。けれど自分の大好きなものがどのように売られているのかというのは興味がある。


「姫はマリアンが好きなんですか?」

「うん。だいすき」


 振り返りながら答える。微笑ましげに頬を緩ませたミラさんはじゃあ、と続けて。


「それじゃあ、マリアンと私ではどっちが好きですか?」


 ふふ、とイタズラな笑みでお茶目に問いかけたミラさんに、私はうまく笑えたと自慢したくなるほど一片の曇りもない笑顔で即答した。


「まりあん!」


 ぶっ、と隣でなぜだかベルさんが吹き出したのに首を傾げながら、これまたなぜか固まったミラさんに理解する。ちょっと失礼だったか。フォローを加えておくことにしよう。


「みらもすきだよ。でも、えぇと……たべてもきっとおいしくない」

「……くおぉおおおッ! 申し訳ありません姫! おいしくなるように精進致しますから!」

「あははっ」


 ベルさんが、笑った……?

 いや、いつも笑ってるけれど。

 しかし今のはおかしくてつい漏れたような、私のいつも見るベルさんの笑みとは違った、砕けたような、本当に楽しそうな笑いだった。

 それに見とれてしまっている自分に気がついて、ぶんぶんと首を振った。


「姫。どうすれば、おいしくなりますか?」

「ひとはおいしくありません」

「ごもっともです、姫」


 アホな会話をしながら、道との境目を超えて市場の中へ。外からでも感じられた人々の熱気は、いざその中へ入るとより一層強く、直接肌で感じられた。皆が皆必死に声を上げていて、なるほど、市場とはこういうものなのだろう。


「果物はこちらです、アリス様」

「あい」


 右も左もわからず、ベルさんに連れられるまま人ごみの中を進む。荷車を牽いている人が多数なのを見ると、遠くからここまで買い物をしに来た人が多いのかもしれない。時折一風変わった格好をしている人もいる。あるいは隣国との交易地にもなっているのかもしれない。

 貴族という立場だからか、私に気づいた人々はすぐに道を空けてくれて、すごい人ごみだというのにスラスラと止まることなく進める。その光景を目にした人がまた私に気づいて、気づけば何やらザワザワとちょっとした騒ぎになった。

 向けられる目線は好奇心と、そしてほんのちょっぴり貴族に対する嫌悪が見え隠れしていた。

 注目を浴びるのは苦手なので、半ば無意識にきゅっと繋いだ手を少し強く握り、心なしベルさんの方へ隠れるように寄ってしまった。


「見たか……?」

「ああ。あれが神童と名高いハッティリア様の娘さん……」

「誰も姿を見たことがないんだろ? なんでわかる」

「バカ、銀色の髪をしてるだろ。彼女に違いない」

「神童ねぇ。ハッティリア様は他の貴族よりよっぽどマシだが、それでもきっとそれに関しては他の貴族と変わらんだろ。誇張さ」

「美しい……」


 誰もが立ち止まって噂話をしながらこちらを見ていた。さすがに居心地が悪く困っていると、お任せくださいと小さく耳打ちしたミラさんが彼らの前へ躍り出た。


「私はこちらにいらっしゃるアリス・フォン・フェアミール様の騎士、ミランダ・キュリア。姫は諸君の注目を浴びて大変お困りである。各々いつも通りにするが良い!」


 ミラさんが凛とした声で堂々と声を張ると、周囲は慌てたように話すのをやめて跪いた。


「えっ」


 いや、確かに今のこの身は貴族である。であるからして、この光景はこの国ではそこまでおかしなものでもないのかもしれない。

 しかし、いざそれを目の前にして動揺しないかと言えばそれはまた別の話である。頭を下げられるどころか、必死に頭を垂れてお情けを乞うていた前世からすればまるで逆転した立場で、かつて若い頃に幾度か夢見たはずのそれは、今になって悪夢として叶えられた。

 やめてください。そんな、頭を下げられるようなことなんて何も。ただ境遇に甘えて食っちゃ寝してただけです。


 早く元に戻ってくれといくら願っても一向に頭を上げない彼ら。

 ……いや、そうか。なるほど。


 私はベルさんの手を離して、ミラさんの隣へ並び立った。


「あたまを、あげて、ください」

「あ、アリス様……!?」


 理解した。前世の自分だって上の視察が来た時は、仕事に戻って宜しいと言われるまでお辞儀をしたままだったではないか。

 きっとこの世界でもそういうところは同じなのだろう。下手に頭を上げては無礼とされる。だから彼らは直接許可が下るまで頭を下げざるを得ないのだ。

 そうとわかれば話は早い。貴族という身分を傘に威張り散らす気など毛頭ない。彼らのためにもさっさと一連の儀礼を済ませてあげよう。


「あなたたちの、おかげ、で、わたしはいきていりゃれまふ……ます。ありがとう」


 と、感謝とともに。以前ベルさんに教えてもらった記憶を手繰りながら、ドレスのスカートの両端を持ち上げ、片足をもう片方の後ろに重ねてそのまま少ししゃがんで一礼。不慣れで不格好だろうが、一応跪礼(カーテシー)のつもりだ。

 そして、これは本当の話だ。何も毎日享受している不自由のない暮らしというのは、虚空から湧いてくるわけではない。彼らが働いて、税として収めたものの数々があるからこそ、私はこうして生きていられているのである。

 若干噛んだのは誰も気にしていないようだ。助かった。突っ込まれたら羞恥で悶え死ぬところである。


「アリス様……」

「姫……!」


 すると感動した、とばかりに目尻に涙をこさえた二人。きっと他の貴族はこういうことをあまり言わないのだろう。ハッと顔を上げた、恐らくほとんどが庶民であろう彼らもなんだか呆然とした様だった。

 いっそもう少し上から目線な言い方のほうが、すんなり受け入れられたのだろうか。


「おおぉ……これが、ハッティリア様のお嬢様……なんとお優しい」

「……たまにやってくる他の貴族の令嬢とは大違いだ」

「……ふん。神童かは知らんが、まあ、彼の娘ではあるらしい」

「美しい……」


 今ので、彼らから向けられる目線の質は変わっていた。好奇心はむしろ強まったのかもしれないが、険を含んだ視線はほとんどなくなっていた。どうやら間違った行動ではなかったらしい。

 若干一部、最初と変わっていないような気のする人たちもいるが。


「よかった。べる、まりあんみにいこ」

「ぁ……は、はい、アリス様! 申し訳ありません、少し取り乱しました」

「姫……この身の一生をかけて尽くします!」

「う、うん……ありがと」


 ちょっと大げさじゃないだろうかとも思ったが、自分も視察に来た権力者に似たようなことを言われれば、まあ確かに感動の一つくらいはしていたかもしれない。

 ……それはともかく、何より変に持ち上げられているこの状況から一刻も早く脱出したかった。

 一段落したと判断した私は、あるいは今までで一番素早い動きでベルさんの隣へ戻り、手を握ってそのまま背中に隠れた。

 落としたら大変だから、とぬいぐるみを持ってこなかったのが悔やまれる。赤く染まってしまった顔を隠すものが何もない。


「せっかくですから、何かアリス様の欲しいものが見つかれば買ってしまいましょうか」

「えっ……? だ、だいじょうぶ」


 一つ頭を撫でたベルさんはそう言って。私は遠慮しようとして、今朝の会話を思い出した。何も遠慮なさらず、したいことを、とベルさんは言った。これは今朝に限った話ではない。何かあるごとにずっと言われていることだ。


「……もうすぐ五歳の誕生日を迎えるアリス様に、何かベルからお祝いをさせていただけませんか?」


 ベルさんは、ズルい。そんな言い方をされてはとても断れない。

 そして、そうか。そういえば、もう少しで誕生日。

 ……それを、祝われる。当たり前でなかったそれが、当たり前として甘受できるというのが改めて感慨深くなって。

 思えば、前世から今までで一度もそういうものを求めた覚えがなかった。強いて言うなら体制への反発だろうか?

 いや、その話はよそう。もう終わったことなのだ。


「……うん。ありがと、べる」

「はい、アリス様」


 見るからに嬉しそうな顔になったベルさん。まだ悪いな、という気持ちは抜けないが、ベルさんが笑顔になってくれるというのなら、小さなプライドや遠慮は忘れて素直に甘えるというのも(やぶさ)かではなかった。


「では、果物を見た後は、アリス様の興味のあるところを一度全部回ってみましょうか」

「うん」

「姫、私にも何かお祝いをさせてください!」

「……うん。みらも、ありがと」


 是非、と続けて満面の笑みで言ったミラさんだけ断るわけにもいかず、拙い言葉と下手な笑顔で精一杯感謝を伝えながら、いつか必ず報いようと改めて心に決めた。


「こちらです、アリス様」

「わ、……」


 そしてベルさんに牽かれるまま、市場へ入ってすぐ左の屋台へ。

 テントの下にいくつか木箱があって、そこにそれぞれ種類で分けられた野菜や果物が積んである。


「まりあん、まりあん……」


 私は右に左に、黄金の至宝を求めて這うような視線を彷徨(さまよ)わせた。

 絶対に見逃さないとばかりの隙のないそれが功を奏し、すんなりお目当てのものは見つかった。


「まりあん!」


 キラキラと煌めいているのは果たしてマリアンか、それとも私の瞳か。

 その木箱の前へしゃがみ込んで、きっと一ヶ月毎日食べてもなくならないだろう量のマリアンをぽうっと眺める。特に意味はない。


「……よ、よう、アリス様、だっけか? マリアンが好きか?」


 頭の上から降った声に顔を上げると、何やら少し困った様子の中年の男性。この屋台の主だろう。

 少しがっつき過ぎたと反省しつつ、見上げたまま答える。もちろん。


「だいすき」

「そ、そうか。そいつは嬉しい話だ。うちはこうして色々なものを置いてはいるが、主力はそいつでな。丹精込めて育てた、子供のようなもんだ」

「きれい。おいしそう」


 こくこくと頷きを返しながら、やはり目はマリアンに向く。すまない主。今の私はマリアン以外に興味がないのだ。

 すると一歩後ろで見守っていたベルさんが隣へ。私にしか聞こえないくらいの小さな声で耳打ちした。

 吐息が耳にかかって擽ったい。


「ひゃっ……べる?」

「……アリス様、その、そんなに深くしゃがまれますと、スカートが持ち上がって内側が……」


 ベルさんの言葉に従って視線を自らの足元へ下げる。

 何がとは言わないが、ギリギリだった。


「……きゃぅっ!?」


 慌てて裾を引っ張って、隠しながら立ち上がった。

 きっとそれを気にして困っていたのだろう店主に、赤らんだ頬を向けた。


「すまん。言うか言うまいか迷ったんだが、俺が言うのも逆に失礼かと思ってな……」

「うぅ。だ、だいじょうぶ……」


 全然大丈夫じゃない。次からもっと気をつけよう。ここは自室じゃないのだ。

 誤魔化すようにベルさんを窺うと、ほんのちょっぴり苦笑される。それが余計に恥ずかしくて、やはりこういういざという時に羞恥を抑えるのに多大な貢献をしてくれる相棒、ぬいぐるみを持ってこなかったのは失敗だったと確信した。


「……嬢ちゃんは、怒らないんだな」

「うぅ……?」


 すると頬を掻いた店主は苦い過去を思い出すような顔をして。


「俺はこういう言葉遣いしかできねえからよ、昔王都から貴族様が来た時、お叱りを受けてな。お付き人さんの情けで見逃してもらえたが、危うく処刑だった」

「えっ」


 処刑。……敬語を使わなかっただけで?

 いや、視察の連中に文句を言って罰としてその月の給料を没収されたヤツはいたが……まあ、確実に栄養不足になってそのままリタイアのルートなので、あれもある意味処刑だが。

 にしても、貴族と庶民の格差は思ったよりも大きいらしい。半分自業自得とはいえ、処刑までとなると、なるほど、貴族が嫌われるのも無理はない。


「わたしは、だいじょうぶ」

「……そうか。ははっ、なんだか気分がいいや。貴族様はハッキリ言って好きじゃないが、ハッティリア様や嬢ちゃんみたいなのは好きだ。……よおーし! 何か買ってくかい? 嬢ちゃんなら安くしとくぜ!」

「ほ、ほんと……?」

「ああ、本当だとも!」


 チラリとベルさんにおねだりをしようとして、すると私が、とばかりに割り込んだミラさんと目が合う。さあ姫、ご注文を、とでも言ってきそうな表情にちょっぴり苦笑しながら、その厚意に甘えることにする。


「じゃあ……えっと、これ、まりあんを、ください」

「あいよ! 本来は二〇〇レイなんだが、一〇〇レイにしとくぜ!」


 通貨はまだ教えてもらっていないのでよくわからないが、数字は半分になっているのだから、きっと大サービスなのだろう。

 マリアンの品質はわからないので、選んでもらうのは任せて、私はそれを間から見ていた。

 店主がとても乗り気に木箱から取り出してはこれはどうだ、これもいいぞ、と勧めてくれるのをベルさんとミラさんが吟味している。


「よし、これにしましょう、姫!」

「これが一番アリス様のお好みに合いそうな熟し具合です。どうされますか?」


 二人が店主と選んでくれたマリアンは、木箱に並んだどれよりもとびっきり輝いて見えて。

 きっと生まれて初めてのわがままに心が躍っているのを、応えた頬の緩みが表していた。

次回更新は明日の12時です。

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