第17話 類は友を呼ぶ
「……やりすぎた」
ここ最近、私の一日は反省から始まる。
そう、悔やむのはあの日。ミラさんが私の騎士になった日。
――――『かくめい!』
そう言って得意気に四枚のクイーンを出した時のあの凍てついた空気は、思い出す度に体が震える。
毎晩夢に見るくらいには引きずっていた。
「はぁ……」
私が間抜けにも上機嫌に革命を謳った後、“ノブリス・オブリージュ”と、いつだか読んだ絵本でも出てきた気のする単語を一言だけラブリッドさんが呟いて。そこからは沈黙とともにものすごい注目を浴びた。
いたたまれなくなってさっさとゲームを終わらせようと最短で上がったのが余計に目立つことだと気がついたのはベルさんがやたら嬉しそうに私の勝利を宣言してからだった。
いつかの税についてのあれこれを思い出す。つまるところまた同じようなことをしでかしたのだ。
そう、つまり。
「ぶきみすぎる」
普通に考えればわかる。
初めてのプレイでちょろっと溢れた余談を聞いただけのはずの役を使いこなし、あまつさえ最初からそれを基軸とした動き方で何もさせずに圧勝?
不気味過ぎる。私ならそんな子供と関わりあいになりたいとはちょっと思わない。すごいな、とは思うかもしれないが、積極的にコミュニケーションを取りたいとはとても。
なぜあんなことをしてしまったのか。
「はあぁ……」
あの時の皆の顔を思い出す。ラブリッドさん、ミラさん、父。勝利を喜んでくれていたとはいえ、ベルさんでさえ。目を見開いて、固まって、次に考え込むように俯いて。
――――つまるところ、ドン引きである。
あの考え込んでいたのは、きっと今後の私との付き合い方に違いない。
「もおぉ」
ぼふん、と枕元に転がる相棒に顔から倒れ込み、そのまま埋めてバタバタと足を揺らす。寝起きから無駄に体力を消耗してはすぐにバテて動きを止めて。
「あほのこ」
自虐的に一つ、呟いた。向こうからしてみればサプライズどころの話ではなかったということ。
まったく、こうして少し考えればわかることだと言うのに。
「……アリス様? 入ってもよろしいですか」
扉の向こうからベルさんの声。もう一つの気配はミラさんのものだろう。
あれ以来彼女は私の親衛騎士とやらになったわけだが、すぐにこの館住みに、というわけにもいかず、今ラブリッドさんが行っているらしい特別訓練が終了次第、騎士用の寮からこちらへ移ってくるのだとか。
それまではこうして訓練が休みの日や、終わった後などに顔を出してくれている。
なんて誰が聞いているわけでもない近況整理を現実逃避気味に頭の中でして、いい加減ベルさんに返事をする。
「……うん」
「……では、失礼しますね」
消極的な細い返事。まだ誰かの顔を見る度にあの一同ドン引き、といった空気を思い出す。ゆえに最近はちょっと、前にも増して引きこもり気味。完全にトラウマである。
「おはようございます、アリス様」
「……おはよ、べる」
これまた鬱々としたブルーな返事。すると心配した様子で頭を撫でてくれるベルさん。
「まだ、気にしていらっしゃるのですか?」
しばらく黙って撫で続け、やがて問いかけたベルさんに沈黙で肯定する。
するとベルさんは一拍置いて。
「……大丈夫ですよ、アリス様が敢えて過激に革命と訴えたのはきっと皆様理解しておられます」
「げふぅっ!?」
“敢えて過激に”……なんたる皮肉だろうか。やめてくださいベルさん。ちょっと舞い上がって調子に乗ってしまっていたのは自覚しております。そんな、間接的に諭されると余計に辛いです。
「……うぅ」
思わず苦悶の声とともに涙声になって、慌てたベルさんが言葉を続けながら私を抱き寄せる。
「な、泣かないでくださいませ、アリス様……! 大丈夫です、大丈夫ですから」
「ほんと?」
ドン引きしてない?と言外に込めて、震えた声で聞く。
それに笑顔で返してくれたベルさんは、さらに続けて。
「……確かに、私ではアリス様がどうして今の王国の状況を理解されたのか見当もつきません。きっと他のメイドたちの世間話でも聞いておられたのでしょう。あの後アリス様がお部屋でお眠りになってから、ラブリッド様のお話を聞いてやはり、と納得致しました」
「えっ」
ぎゅ、と私の頭が柔らかい胸に沈んで。背中を摩りながら静かに語りだしたベルさん。とても気分が落ち着く。
……でもベルさん。一つだけ教えてください。
それは一体、なんの話でしょうか。
「ですが、ご安心ください。あの革命という言葉は、争いを意味するものではなく、偏にノブリス・オブリージュへの回帰という意味で、はっきりと印象に残るように敢えて強く言ったのだと私はわかっておりますよ。あの後、改めて私からもそう補足させていただきました」
「……えっ?」
わたし は わけもわからずに くびをかしげた !
……いや、冗談を言っている場合ではないが、そうしたくなるくらいにはわけがわからない。皆に補足する前に私に補足して欲しい。まるで話が飲み込めない。
また何か変な勘違いをされているのではないか。
思わずちょっと待って、とベルさんを見上げると、何も心配はございませんとばかりの満面の笑み。
むしろその笑みが心配なんです。
「べる、まって、それなんのはな」
「――――姫ッ! おはようございます! どうか悲しまれないでください、ノクスベルさんから話を伺い、私も姫の真意を理解致しました。その齢で庶民を思われるとは、なんと聡明で、お優しい!」
「えぇ……」
きーん、と耳鳴り。危うく私の鼓膜を破壊する勢いで現れたのはミラさん。部屋の外で私とベルさんの話が終わるのを待っていたようだが、現状へまるでついていけていない私の半泣きな声を聞いて、いてもたってもいられなくなったらしい。
その心配をしてくれる気持ちは大変嬉しいし、ありがたいものだ。いつか報いたい。
でも現実として、ミラさんのその言葉は余計に何が起こっているのかわからなくするだけだった。
「――――アリス様。アリス様は確かに、将来マリアーナの領主となるかもしれません。ですが、今はまだ何もお気になさらずとも良いのです。今のことは今の人たちにお任せして、何も遠慮なさらず、アリス様のしたいことをしましょう?」
そう言って微笑んだベルさんに、そうです姫、とミラさんが横から同意を繋げた。もはや何がなにやらわけがわからないが、要するに子供らしくわがままを言って遊んでいいんだよ、ということらしい。
「……う、うん」
二人の有無を言わさぬ勢いに押されて、あるいは考えるのが面倒になって。私はそれ以上の思考を放棄した。
「ではアリス様、朝食の時間に致しましょう。お部屋にお持ちしますか?」
半ば投げやりに応えた私にベルさんが問いかけた。
部屋を出るようになってから、食事は時々広間でも摂るようになった。しかしずっと部屋にいた私にとって広間のように開けた場所で皆と一緒に食事をするというのは少なからず気を張ることであり、ゆえの配慮からかベルさんは食事の度にこうしてどちらで食べるかを尋ねるようになった。
「んー……」
悩ましいところである。
が、しかし。広間で、となるとまず父も一緒に、という流れになるだろう。
当然部屋で一人待っているわけにもいかないミラさんは一緒に来るだろうし、そうするとミラさんには私が食べ終わるまでの間、父娘の朝食の場に特にすることもなく同席するという少々居心地の悪い思いをさせることになるかもしれない。
これまでの行動からして、食事を用意していただくなど滅相もない、ときっと朝食は済ませてきているからだ。
だが、自己完結の断定も良くない。恐らくはい、と返ってくるだろうとわかりながら、ミラさんに確認しておく。
「みらさ……みらは、たべた?」
「朝食ですか? はい、姫。ノクスベルさんたちにお手間をかけるわけにもいけませんので。寮で食べてきました」
「そっか」
ミラさんと呼びそうになった瞬間悲しそうな顔をしたので慌ててミラと呼び直して問いかける。やっぱり既に食べてきたみたいだ。
なら、今朝はやはり部屋で食べよう。結局食べる間待たせることには変わりないが、居心地は幾分かマシなはずである。
「……おへやでたべる」
「畏まりました、アリス様。ではお持ち致しますので、少々お待ちください」
「うん。ありがと」
本当は食事を部屋に運ぶくらい、ベルさんに任せずに自分で取りに行きたいところだが、この体ではそうもいかないのが悲しいところ。階段は未だに手すりなしでは上がれないし、転けて料理を台無しにしてしまってはまさに本末転倒。そしてむしろ、私が転げ落ちないか見守りながら階段を上がる方が負担をかけるだろう。
そんな思いを裏に、感謝とごめんねを込めてありがとうと見つめると、アリス様は本当にお優しいですね、と頭を撫でられる。むしろ優しいのはベルさんである。
「では、失礼します。すぐに戻ってきますね」
そのまま何度か撫でると立ち上がったベルさんが部屋を出て、何やらミラさんと一つアイコンタクトをすると扉を閉めて。ミラさんと二人きりになる。まだお互いに距離感を掴めないゆえの、ちょっぴりの沈黙を挟んで。やがてミラさんがそれを破った。
「……姫」
「あい」
ベッドの端でしゃがんで、私と目線を合わせたミラさん。澄んだ綺麗な碧色の瞳の中に、私が小さく反射した。
「姫は、外の世界を見て回りたいとか、思っていたりしますか?」
「おそと?」
「はい。このお館の外、マリアーナだとか」
外。外か。なるほど、ベルさんとのアイコンタクトはきっとそういう意味なのだろう。
つまるところ、これはお誘いなのだ。一度館の外へ出てみないかという、お誘い。あるいは引きこもりの矯正。
「うーん」
別に外に出ること自体が嫌なわけではない。色々なものを見てみたい好奇心は絶えずある。
しかし気になるのは、この貧弱な体である。階段を上り下りするだけでバテるこの体力で外に遊びに出たとして、果たしてベルさんやミラさんの手を煩わせずに行って帰ってくることができるだろうか。甚だ疑問である。
「だいじょうぶ、かな?」
「……姫」
首を傾げて漏らした独り言に、なぜかミラさんは沈痛そうな表情をした。
「大丈夫です、姫。ここマリアーナに限っては、貴族はそれほど嫌われていません。それに、もしもの時は……私がこの身に代えても、お守りしますから!」
ミラさんのその唐突な宣言の意味がわからず、首を傾げたまま三拍置いて。
「あぁ……」
なるほど、と閉じた口の中で反芻する。ミラさんは私の大丈夫かな、という言葉を、体力が、ではなく身の安全が、という意味に捉えたのだろう。日々の中では忘れがちだが、確かにこの身は貴族の令嬢なのだ。権力者が嫌われやすいのはどこの世界も変わらぬだろう。何かよからぬことを考える輩がいてもおかしな話ではない。
「うん。ありがと」
「とんでも御座いません、姫。それが姫の騎士たる私の役目ですから!」
ふふん、と誇らしげに胸を張ったミラさん。任せてくださいと口に出なくとも見て取れる使命感に溢れた瞳が微笑みに揺れる。
けれど、私を守るためにミラさんが怪我を負うという事態は、できればご遠慮願いたいものだ。もしもそんな場面があったとしても、ミラさんにはミラさんのことを優先して欲しい。
私は一度死んだはずの身なのである。そんな感覚でいる私のために、ここで確固と生きている彼女がその身を危険に晒すというのは心情的に少し受け入れ難い。
もちろん、理由はわからなくともそれだけ周囲が大切にしてくれているということは身を以て理解しているし、私なんかのために、と自虐に走るつもりはないが。
「でも。みらは、みらのことをたいせつにしてね」
そんな想いが伝わるようにと、精一杯の微笑みを浮かべながらその澄んだ瞳をしっかりと見つめた。
するとなぜだか眉尻を垂れ下げてまたもや悲しそうな顔になったミラさん。どうしてかわからずにそのまま窺うように瞳を覗いていると。
「姫……。そんな、悲しい笑顔をなさらないでください」
「……うん?」
そんなに私の笑顔は下手くそだっただろうか。そうもハッキリと言われると、そういうつもりで言ったのではないだろうとわかっていても、いやわかっているからこそかなしい。
「一つだけ言わせてください、姫」
「……うん」
何かを確かめるように綴じたまぶたがもう一度開いた時、その瞳には強い意志が宿っていた。
「私は、最初浮かれていました。姫に仕える騎士という、自分の夢の具現を目の前にしてお恥ずかしながら舞い上がっていたのです」
「うん」
語られるのはミラさんの気持ち。やはり、騎士は彼女の夢だったのだ。
「ですが、姫を……アリス様を一目見た時からそれは変わりました。貴女に仕えたいと、この方を守らねばと、なぜだかそう強く感じたのです」
思い出すのは、カルミアさんによって中断された騎士の誓い。確かにあの時のミラさんは、正しく“騎士”だった。
「そう、私が守らねばならないのです……世に蔓延る無数の悪漢から。その、幼くも妖艶で美しい肌を汚そうとする魔の手から!」
「うん……?」
「姫の体は何者にも穢させません! 可憐な花とは摘むのではなく眺めて美しいと嘆息を漏らすものなのですッ!!」
「みら?」
予想外の方向に話が飛んでいった。やたら熱く語る瞳はなるほど、使命感に燃えてはいたが、私にはそれが少し歪に見えて仕方がなかった。気のせいだろうか。
「ああ、姫……守ります、私が、必ず!」
「う、うう……?」
もはやベッドに身を乗り出したミラさんは私の手を勢いよく、それでいて丁寧に握るという無駄に器用なことをしつつ、瞳を閉じてうんうんと一人頷いている。
……外出の話は一体どこへ行ったのだろうか。ギラギラと信念らしき何かを滾らせるミラさんに置いてけぼりになっていると、ノックとともに扉が開いた。ベルさんだ。
「失礼します。お待たせしました、アリスさ……」
「たすかった」
困った私を見たベルさんが微笑みのまま沈黙して。
急速に部屋の温度が下がっていく気がした。
「ミランダ様?」
温和なのに絶対零度を感じるその声を聞いて、ぴし、とミラさんが固まったのがわかった。
割れ物を触るかのように慎重に私の手を離したミラさんは流れるような素早い動きで直立の姿勢になって。
「申し訳ございませんでした」
全力で頭を下げた。それはもう見惚れるほど綺麗な謝罪だった。
「……アリス様を困らせてはいけませんよ」
「はい、マムッ!」
そんなミラさんを見ているとどうもカルミアさんを思い出す。二人はとても仲が良いらしく、やはり似た者同士なのだろうか。
「……ですが、お気持ちはわかります」
そうしてなぜか二人揃って私を見つめると、いつかの夜のようにうんうんと頷き始めた。
ベルさんの片手に乗った盆の蓋との隙間から、きっとスープのものであろう湯気がふわりと漏れて、それが私の鼻先を擽った。今日も変わらずおいしそうだ。
それから潤んだ瞳に気づいたベルさんが、「で、では朝食を!」と慌てて私のそばに寄るまで、結局私は置いてけぼりであった。
「でも……」
「アリス様?」
ふと抱いた、こんな日常が続けばいいな、と続く言葉を。
私は抱き上げた相棒に隠すのだった。
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