第15話 ジューウィタロット
「ごちそうさまでした」
ぴとりと両手を合わせ、ハテナを浮かべる周囲の目線も他所に呟いた。
あの不味い栄養ゼリーに感謝することはついぞなかったが、なればこそ、この豪勢な料理の数々には心からご馳走様ということができた。
すっかり空っぽになったその献立はと言えば、パンにパスタ、サラダにシチュー、スープ。実物を見ることもできなかった高級料理が選り取りみどりである。
中にはワインなどを味付けに使ったものもあり、態々私用にアルコールが残らないよう調整した同じものを用意してくれた調理担当のメイドさんたちには頭が上がらない。
カルミアさんを始めとした彼女らは皆、後片付けに行ってしまったので、この感謝の気持ちは、直接伝えたいところだが、とりあえず従者長でもあるベルさんに伝えておこう。
「おいしかった。ありがと」
「ふふ。満足なされたようですね。きっとあの子たちも喜びます」
「うん。おなかいっぱい……」
けふーと嘆息。ガラスのカップを取って、水で喉を潤した。
お皿を空にしたある種の達成感と満足感から、自然と頬が緩む。
「まだ、デザートが残っておりますが、お腹がいっぱいなら後になさいますか?」
きゅう、と胃が鳴った。デザート。このタイミングでベルさんたちが選んでくれたであろうデザートといえば、決まっている。
瑞々しく、お腹を圧迫しない。しつこ過ぎない甘さが食後の幸福をさらに格上げする。
「まりあん!?」
そう、マリアンだ。間違いない。
半ばそうであれ、とわがままを強請るようにキラキラとベルさんを見つめて。
苦笑に崩れた唇がはい、を紡ぐ。
「でも、でも……」
「無理に食べるとお腹が苦しくなっちゃいますよ? もし今日食べられなくても、明日の朝食でお出し致しますから」
「……ほんと?」
「はい、本当ですとも。ベルはアリス様に嘘を吐きません!」
こくこく、と頷いていると向かいの席から小さく笑い声。ラブリッドさんだ。
何がおかしかったのだろうか、きょとんと首を傾げて目線で尋ねる。
「いや、申し訳ない。あまりにも、アリス嬢とノクスベルの仲が良さそうだったものだから」
「私以上にアリス様を理解している方はおりませんわ、ラブリッド様」
「手厳しい言葉だな、ハッティリア?」
「……否定はできん」
「も、申し訳ありません、ハッティリア様! 決して他意は……」
と割と本気で落ち込んだらしい父に珍しく慌てたベルさんが弁解をしている隣で、ミラさんはなぜかぐぬぬといった表情を浮かべていた。ハンカチでも噛みだしそうな勢いである。というかちょっと噛んでた。
んー、と少し迷って、話しかけることにする。これから一緒にいる時間が長くなるのだから、コミュニケーションを少しずつでも気軽に取れるようにしておこう。
「……どうしたの?」
「い、いえ、姫。ただ、ええと、そう。……食後はハンカチを噛まないと落ち着かないのです」
「……そう」
どんな癖だ。この世界にガムが存在するなら一刻も早くミラさんに用意してやって欲しい。
きっと嘘だとわかりながらも追求する必要もないので曖昧な生返事をした結果、会話が途切れてしまった。気まずい沈黙。
ところで姫って……いやそれはもういい。
「そ、そういえば姫。姫は、どんなお遊戯がお好みですか?」
「ゆう……?」
「……ぁ、申し訳ありません、お遊戯、遊びのことです!」
「おゆうぎ」
ふむふむ、と新しい言葉を覚えるために反芻。
私はおゆうぎを覚えた。
「てってれー」
「……姫?」
「あっ。……ううん、なんでも」
満腹で気が抜けているのか、無意識に漏らした間抜けな効果音にはっとする。
相棒を抱き締め、目元から下を隠した。
「かわいい」
「うん?」
「あっ。……なんでもございません、姫」
互いに距離を掴みかねて、どうもギクシャクする。初対面な上に、生まれてこの方引きこもりだった私では仕方ないことではあるが。
「では姫。一つ、ゲームをしませんか?」
「げーむ?」
「はい。……あの、えーと」
すると向けられた声に気づいたベルさんが、いつの間にやらワイン片手に談笑している父とラブリッドさんからこちらへ体を向けて。
「はい、ミランダ様。……ああ、申し遅れました、ノクスベルです」
「ノクスベルさん。その、タロットって、置いてありますか」
「タロットですか? はい、古い羊皮紙のものでいいなら私どもの部屋にあったと思いますが……」
「少し、借りてもいいですか?」
「はい、もちろん構いませんが……なるほど、アリス様と遊ばれるのですか?」
「はい。ディスタンでもして、交流を深めていこうかと思いまして。ノクスベルさんも――――」
ミラさんがその先を繋ごうとして、けれどそこへふとラブリッドさんが割り入った。
「――――ディスタンか。懐かしいものだ、昔は三人でよくやった」
「いつも、アリシアの勝ちだったな」
言葉を聞くに、ラブリッドさんは母とも仲が良かったのだろうか。
酔いが回っているのか、少し頬の赤い彼と父は、きっと母との思い出らしいそれをまぶたの裏に浮かべて、また開く。そして私を見るとふっと笑って。
「私とハッティリア。年寄り二人も混ぜてもらえるかな? ミランダ」
「わ、私はもちろんでありますが、その……」
「……ああ、申し訳ない。おじさんも一緒に遊んでもいいかな、アリス嬢?」
事案発生の瞬間である。
……という冗談はさておき、特に断る理由もない。
そもそも何をして遊ぶつもりなのかもよくわかっていないのだが。
返事とともに、先ほど遮られたミラさんの言葉も代弁しておく。
「うん。……べるも、あそぼ」
「まあ、アリス様! もちろんですわ? 」
ベルさんの微笑みに釣られて私も上機嫌に足をパタパタさせていると、隣から手を伸ばした父に頭を撫でられる。するともう一度ベルさんに目線を戻して。
「ベル。タロットなら確か、紙素材のものがアリシアの部屋にあったな?」
「はい、棚の中にあったと記憶しておりますが……よろしいのですか?」
「ああ、持ってきてくれ。せっかくだ。……アリシアも、混ぜてやろう」
「……畏まりました。少々お待ちくださいませ」
何が何やらとにかく何かを頼まれたらしいベルさんが大階段を上って、母の部屋の方へと早足で歩いて行った。
揺れる黒髪が扉の向こうへ消えていくのをなんとなく眺めていると、同じくそうしていたミラさんが私へ向き直った。次いで、父とラブリッドさんがブレた姿勢を戻して座り直し、ワインを一口味わった。
結局何をするのかまるでわからないので素直に聞こうとして、それより先に私の様子から察したミラさんが口を開いた。
「ディスタン、という遊びを」
「……でぃす、たん」
「はい、姫。ジューウィタロットという、それぞれ一から十三までの数字と絵が描かれた四種類のカードを使ってする遊びであります」
なるほど、ジューウィタロットというのは、すなわちトランプのようなものだろう。といっても、トランプの遊び方には色々ある。メジャーなものは知っているつもりだが、あくまで前世での、と注釈が付く。
そのディスタンというのはどんなルールだろうか。知っているものなら問題ないが、知らないルールであれば少し理解するまでの説明に手間を取らせてしまうかもしれない。
「簡単に言えば、順番に自分の持っているカードを出していって、一番に自分のカードを全て無くせたら勝ち、という遊びです」
「ぜんぶ」
「はい。でも、カードを出す時は今場に出ているカードより強いカードでないといけません」
「なにが、つよい?」
「姫は、数字の順番はわかりますか?」
「うん」
数字という概念はもちろん元より理解しているし、文字についても数字や多少の王国語くらいならベルさんに教えてもらっている。トランプ、いやジューウィタロットをする分には特に問題は起きないだろう。
「姫は聡明ですね! では、何が強いかですが、三が一番弱くて、そのまま数字の大きい順に強くなっていき、ただし十三の後は一、二と続きます」
「に、がいちばんつよい?」
「はい、姫。でも一枚だけそれより強いカードがあります。ジョーカー、というカードであります。これは二よりも強く、……ええと、カードを出す時は同じ数字のカードは一緒に出すことができて、それに返す時はまた同じ枚数のそれより強い数字を出さないといけないのですが、ジョーカーは全ての数字の代わりにすることもできます」
「つよい」
教えてもらったルールを整理して、頭の中で組み立てる。
ピンときた。要するに、前世では“大富豪”と呼ばれていたゲームだ。数回ほど、休憩時間中に同僚たちと遊んだ記憶がある。
そしてその“革命”の起こるシステムから、その後いつからかコロニー内でのプレイを禁止されたゲームだ。もっともコロニーの外部に出られることなどほとんどないので、実質完全な禁止令だったが。
それはさておき、ならば話は早い。腕に自信はないが、引き運には自信がある。
「あとは……四枚同じ数字を揃えて出すとカードの強さが逆になる、なんてルールもありますが……難しいので――――」
「いる」
「……姫?」
「かくめい、いる」
当たり前だ。あの一発逆転の場をひっくり返す爽快感を味わったことのあるものなら、皆口を揃えて同じことを言うだろう。すなわち、革命のない大富豪など大富豪ではない、と。
何かの絵本で出てきたりしていたのだろうか、拙い語彙から奇跡的に革命にあたる言葉を見つけ出し、頑固に主張する。
「……アリス嬢」
こくこく、と自らを肯定していると、なぜか真剣な顔になったラブリッドさん。父も同じく、何か考え込むような顔をしている。それに遅れてミランダさんがはっと私を見た。コロコロ表情が変わって見ていて楽しい人だな、とちょっと失礼なことを考えながら。
「えっ」
なんですかこの空気。何か変なことを言っただろうか。
確かに初めて知った少々複雑なルールの遊びで、それをさらに難しくするルールを是非入れろと頼む四歳の子供というのは少し変かもしれないが、そんな酔いを飛ばして真剣に考え込むようなことではないと思うのだが。
困惑している私を他所に、大階段の隣で扉の開く音。ベルさんが戻ってきたのだろう。
「お待たせしました、皆様……あら?」
そんな光景を見たベルさんも同じく疑問の表情を浮かべる。浮かべながらもとりあえず卓まで来て、定位置、私の一歩後ろへ。
「どうかなされましたか?」
「いや……何でもない。ベル、タロットは?」
「はい、ここに」
とベルさんが差し出したのはちょうど手に載っかるくらいの大きさの長方形の木箱。何やら装飾も入っていて、いかにも高級品といった雰囲気である。
「……とりあえず、やってみるか? アリス」
「うん」
父の問いに答える。父からすればひとまずゲームに慣らしてやろうという考えなのだろうが、生憎ルールも雰囲気も掴んでいるので初回から普通にプレイさせてもらおう。
将軍や領主をやっているラブリッドさんと父に、何やら特殊っぽい騎士であるミラさん、そして私のことを一番理解しているだろうベルさん。あまり勝てる気はしないが、全力でやらせていただこう。
ほんのちょっぴり、驚かせたい気持ちなんかもあったりはするが。
「……よし。ベル、カードの分配を頼む。それと、アリスに付いてやってくれ」
「畏まりました」
と、思ったが、ベルさんが私に教えながらプレイする流れらしい。
いや、それもそうだ。私の目線ではそうではないが、外から見ればまだまだ幼い四歳の子供なのだ。
「がんばりましょうね、アリス様」
「うん」
微笑みながらカードを配るベルさんを眺めながら、戦略を練る。
当然、初めてな上に子供な私を相手にする以上、皆手加減をしてくるだろう。けれど、私としては遊ぶなら本気でプレイしたい。かといって一人だけ全力でするのもなんか恥ずかしい。
ならば、その手加減をするべき相手という認識をひっくり返すようなプレイをしよう。手札にもよるけど、そう。例えば革命とか。
その瞬間の爽快感を想像して、イヤラシイ笑みが漏れそうになり、慌てて相棒で口元を隠した。
「かわいい」
「ミランダ?」
「申し訳ございません」
ラブリッドさんとミラさんが何やらやっているのを傍目に、内心にやにやを隠せない。人にサプライズをする心境というのは、こうも楽しいものなのか。
「はは。どうした、アリス。緊張するか?」
「う、ううん……っ」
その挙動不審をしっかり見ていたらしい父が、それを緊張と誤解して、大丈夫、ただの遊びだから楽しめ、とまた卓の上から手を伸ばして頭を撫でてくれる。
違う、と言うわけにもいかないのでそのまま大人しく撫でられていると、やがて手を離した父。それと同時に、ベルさんが私、父、ラブリッドさん、ミラさんの四人、それぞれ十三枚ずつのカードを配り終えた。
「ハッティリア様」
「そうだな、もちろん。……よし、アリス。このジョーカーはアリスにあげよう。初めてだからな。手札の数は多くなるが……それを考えてもジョーカーを持つ方が他より強いぞ」
「つよい」
「ああ、つよい」
するとベルさんが木箱から取り出したのは最後の一枚。五十三番目のカード。
「じょーかー」
これは追い風だ。神様が私に一発ぶちかませ!、と言っているような気さえしてくる。
あとは三枚、同じ数字のカードがあれば。
「べる。わたし、やっぱりじぶんでしたい」
「……ふふ、畏まりました。では、何かルールを間違えていたらお助けするだけにしますね?」
「うん。ありがと」
自力で挑む旨をベルさんに伝えると周囲は微笑ましそうな表情をした。
その表情を驚愕に歪めてしまう瞬間が待ち遠しくて仕方がない。ああ、私はなんて悪なのだろう。
「では、始めましょうか」
その音頭に合わせ、各々が伏せられた自らの持ち札を確認する。それを追って私も拙い手つきで裏向きのカードを捲った。
「……ふっふっふ」
「アリス様……?」
後ろから手札を覗いたベルさんの、声にならぬ驚きを聞く。
「――――かった」
私は、勝利を確信した。
次回更新は本日18時です。