第14話 騎士と姫と、繋がる輪
「……アリス、ベルから話は聞いているな?」
「う、うん……」
広間の大きな卓、ベルさんに椅子へ座らせてもらったところで、隣に座る父がさて、と口を開いた。
話というのは父の友人、ラブリッド、だったか。その人が来るというのを指しているのだろう。
確認するように、後ろへ控えるベルさんを見上げて、小さく頷きが返される。
「大丈夫だ、そんなに緊張しなくてもいい。話し方はちょっと堅苦しいが、意外と気さくなやつだよ」
「そう」
緊張しているといえば緊張しているが、どちらかといえばベルさんの説明をほとんど聞いていなかったゆえの緊張である。ほんの一瞬、気づくか気づかないかくらいの間だけ見せた、見たことのない鋭い表情に意識が持っていかれたのだ。
どうしたの、から始まって、そのイメージとブレた表情から、そういえばベルさんと長く接していてその人柄こそ把握していると自負のあるものの、一方、過去など個人的な事情についてはほとんど何も知らないも同然だったということに気がついたのだ。
どんな暮らしをしてきたのか、ここへ来る前は何をしていたのか、何も。
それに気を取られて、恐らくラブリッドというらしい人物について簡単に話してくれていたであろうそれを流し聞きにしてしまっていた。
これでは父の友人で、騎士の偉い人だという前情報しかない。あともしかしたらロリコンかもしれない。
ちょっと失礼な冗談を蒸し返していると、目線の先、広間の正面の扉が開かれる。
二人のメイドさんが広間に入って、再び静かに扉を閉じたのは茶髪のメイドさん。彼女がこちらへ歩いてきて、卓を挟んで反対側に立つと父と私に一礼。もう一人のメイドさんは扉の横で待機している。
すると父がほんの少し頬を緩めて。
「来たか?」
「はい。ラブリッド様と付き添いの方がご到着なされました」
「よし、通してくれ。あいつと私の仲だ、特に改まって準備することもない」
「畏まりました」
振り返った彼女が目線で扉のそばのメイドさんに合図して、頷いた彼女が丁重に扉を開ける。
その隙間からチラリと覗いたのは二人。一人は男性で、もう一人は女性らしい。
男性の方は件の友人だろうが、女性の方は誰だろうか。もしかしたら聞き逃したベルさんの話の中にこのことも伝えられていたのかもしれない。
聞いていなかった罪悪感から若干居心地の悪いのを座り直して誤魔化し、やがて姿を見せた二人を失礼にならない程度にじっと見つめた。
「ああ、ラビット。久しい、というほどでもないか」
「その名で呼ぶのはやめろといつも言っているはずだが……そうだな、一月という期間は我々にとって久しいというほどのものでもない。どうだ、息災か? ハッティリア、いや、“マッドハッター”?」
「……その名で呼ぶなと、いつも言っているはずだが?」
父が立ち上がって掛けた声に応えたのは、紅い短髪の彼だ。
服の上からでもわかるシュッと筋肉の引き締まった体と、髪と同じく紅い髭を長く携えた彼は落ち着いていて、それでいて強い芯を感じさせられるような存在感がある。
はは、と互いに笑い合う姿はなるほど、かなり気心知れた友人のようだ。ラブリッド、という名前が気楽に呼び合うには発音しづらいからか、もしくは別の理由か、父は彼のことをラビットと呼んでいるらしい。
それは良いとして、その意趣返しのように返されたマッドハッターというのはなんだろう。実にあいとゆうきときぼうに満ちた心を擽りそうな単語である。
ああ、そうか。彼らはともに騎士でもあったのだから、その時の二つ名的なものなのかもしれない。
「で、彼女が……?」
「そうだ。……ミランダ」
「――――はっ!? は、はい! 私はミランダ・キュリア。王国軍白百合騎士団所属、特務遊撃隊の騎士を拝命しております」
騎士の敬礼だろうか、右手を胸にどん、と当て、なんだか仰々しい仕草とともに名乗りを上げた彼女はミランダというらしい。
それとともに揺れた水色のポニーテールをそのままに、女性らしさを残しながらもこれまた引き締まった体でピンと直立する。若さ漲る可憐な顔立ちは正統派の美少女とでも言うべきだろうか。
ただし胸はない。私はそれだけで彼女にシンパシーを感じ、好意的な目を向けた。
やあ、お仲間さん。なんと失礼な挨拶だろうか。
「ふむ、綺麗な姿勢だ。なかなか期待できそうに見える。……ああ、すまない、敬礼は解いて宜しい」
「……ふ、相変わらず良い目をしている。第二期募集の中では一番有望株だぞ、ミランダは」
「そ、そんなことは……! いざ二英雄と名高いお二人が揃われたのを目の前にして、甚だ未熟だと再確認致しました」
「……なるほど、傲りも見えんようだ。ミランダ、だったか? 今後もその向上心を忘れることなく励むといい」
「はい。お言葉を胸に刻み込んで、私にできる全てを尽くして精進致します!」
スラスラと留まることなく、私にはまるでわからない単語だらけの言葉で受け答えする彼女は、なるほど頭も回りそうだ。
今の私では同じ言葉を掛けられたとして、うん、ありがとうが精々だろう。なんたる傍若無人か、と叩き斬られそうなレベルである。
「とりあえずまあ、座ってくれ」
「ああ……ふう、私も歳だな。少し歩いただけで疲労を感じてしまう」
「現役の将軍が、よく言う。訓練が激しくてついていけないという噂を耳にしたぞ?」
「肌で感じた戦場の厳しさを少しでも後続に教えようとしているだけだ」
ふん、と少し罰の悪そうに頬を掻いた彼が父に続いて、何か会議をするならば議長席とでも呼ばれるであろう中心に座っている父、その隣の、ちょうど私の真正面の席へ座る。
「……っと、ああ、ミランダ。君も」
「そんな、畏れ多い」
「構わん。客人を立たせているなどむしろ無礼の極みだ。今は自らの立場は一度忘れて、ただ客人としての態度でいてくれていい」
「は、はい……では、その、失礼致します」
直立したまま動かなかったミランダさんに父が着席を促して、彼女は遠慮しながらもラブリッドさんの隣の席へ大人しく座った。当然、イマイチ落ち着かなそうである。
「して、どうだ。ハッティリア。……区切りは付いたのか?」
「……ああ、何度も情けない姿を見せたな。すまない。この頃ようやくアリシアのことを受け入れ、父というものを自覚し始めた。遅過ぎるがな」
そうしてしばらく父とラブリッドさんの話が続いて、特にすることもなかった私は、ずっと自分の後ろで静かに控えているベルさんを見遣って。
「……どうされました?」
「ううん」
強いて言うなら、父やベルさん、カルミアさんたちメイド。それ以外の他人と接することのない数年間を過ごしてきたからか、少し居心地が悪いというか、落ち着かない。
やっぱり父の言った通り、自覚のないだけで初対面の人とこの場にいるということに結構緊張しているのかもしれない。
「……ふふ。大丈夫ですよ、アリス様。私がそばにいますし、ラブリッド様は子供が大好きですから」
「ろりこんじゃん」
やっぱり、と漏れた言葉にハッとする。本人を目の前にしてなんということを。
いつも通りはい?と首を傾げたベルさんになんでもないと全力で首を振って、相棒を抱くふりをしながら横目でチラリとラブリッドさんを見る。幸い父との談笑に花を咲かせていたようで、特に聞かれた様子はなかった。
いや、まあ、聞かれても日本語などわからないだろうが。
「……うん?」
そうして彼らへ意識を向けたところで、その隣のミランダさんがチラチラと、何か私を見ては目を逸らして、を繰り返している。
私と目が合うと、あっ、と声にならぬ声を唇で形作って固まって。じーっと見つめ合い、数秒。
「……?」
「……か、かわ……ぶっ、!?」
どうしていいかわからずに抱いた相棒と一緒に首を傾げると、なぜか彼女は鼻を押さえた。
えっ、と突然の行動に戸惑っていると、彼女は続いて鼻を押さえたまま天井を仰いで、幸せそうな顔をし始めた。
一体どうしたのだろうか。
「……こほん」
「……はッ!?」
どうしていいかわからずに固まったままでいると、ベルさんが小さく咳払いをした。
すると正気を取り戻したと言わんばかりに目を見開いた彼女が姿勢を正し、小さく申し訳ありませんと零す。戸惑いはしたが、別段謝られるほどのことではなかったので適当に頷いておく。
「……気持ちはわかります」
唐突にそう紡いだベルさんに彼女がバッと顔を上げて、謎のアイコンタクトをすると互いにうんうん、と頷いた。
今の一瞬で一体何が通じ合ったのだろうか。完全に置いてけぼりである。
私はさらに疑問を深め、けれどまあいいや、と相棒を抱き直して。……そういえば、相棒のことは漠然と白いくまのような動物がモチーフなのだろうと認識していたけど、正確にはスノウベアーと言うらしかった。最近ベルさんに教えてもらったのだ。
そんなことを考えているとちょうど話が一区切り付いたのか、父がこちらに向き直った。
「……すまない、少し話し過ぎたな。えぇと、ミランダ。改めて紹介しよう」
そういえば私は彼女に何も名乗っていなかったことを思い出して、こくり。
自分で何か言うべきなのだろうかと足りない語彙を組み立てていると、父がそのまま続けてくれた。
「この子はアリス……アリス・フォン・フェアミール。私の娘だ。少し親贔屓かもしれないが、聡明で大人しい良い娘だ。よろしくしてやってくれ」
「よろしく、おねがいします」
自力で素早く席から降りられないので、不躾だとは思うが座ったまま挨拶する。今のは綺麗に発音できていたのではないだろうか。
「改めましッ……改めまして、私はミランダ・キュリアと申します。認めていただけるならば貴女様の親衛騎士の任を拝命致したくッ!」
「う、うん……?」
やたら気合いの入った様相に気圧されながら、なんとか聞き取れたのは私に関する何かをするということだけ。ところで思い切り噛まれた彼女の舌は無事だろうか。
少し間を置いて困ったようにベルさんを見上げると、ベルさんが口を開く前に正面のラブリッドさんが教えてくれた。
「いきなりで申し訳ない、アリス嬢。ミランダに護衛任務……人をそばで守る仕事の経験をさせてやりたくてね。君の父上が条件付きで引き受けてくれたので、良ければミランダを君の騎士にしてやってくれないか」
「えっ」
ほんとにいきなりである。
……いや、これこそが聞き逃したベルさんの話だったのだろう。
それにしても、騎士、騎士か。
前世で読んだ騎士物語では、高貴な身分の人間の護衛につくことというのは騎士にとっての誉れだと描かれていた。実際に旧世界の騎士がどうだったのか、この世界での騎士がどうなのかはわからないが、少なくとも目の前の彼女はやる気満々といった様子。
護衛といっても、私が誰に狙われてるわけでもなし、ラブリッドさんが言った通り経験を積ませるのが目的なのだろう。それを聞きつけた父が、恐らく館に引きこもりきりで外部との繋がりを持たない私を心配して引き受けたのではないだろうか。
「……驚かせたかな。だが安心して欲しい。父上の設けた条件とは、君が良いと言ったら、引き受けるというものだ。親衛騎士というのは、そばで主を守るという都合上、ほとんど常に君と一緒にいることになる」
「しんえいきし」
「簡単に言えば、私みたいな人がもう一人増えるということですよ、アリス様」
初めて聞いた単語を反復していると、ベルさんが補足してくれる。
なるほど、そんな風に考えればいいのか。
今回のことで外に触れなさ過ぎたということは改めて自覚したし、他人とのコミュニケーションに慣れるために受けてもいいかもしれない。
それに、やはりベルさんも従者長という立場上常に一緒にいられるわけではなく、そんな時に色々付き合ってくれる相手が増えるというのは素直に嬉しい。
考えがまとまりだして、改めて彼女を見た。
「きしさま」
「――――ッ、ひ、姫……様」
「……気が早いぞ、ミランダ」
騎士様、の一言だけで手を震わせて喜ぶ姿を見るに、やはりそういう身分に仕えるのは名誉なのだろう。隣でラブリッドさんが呆れるくらい過剰な喜びを見せる分、彼女にとっては殊更に特別なことなのかもしれない。これで断ればどれだけ落ち込むのか想像できない。
でも姫ってなんだ。
……まあ、それはさておき。彼女の期待を叶えてあげるためという意味でも、そして父のくれた心配からの気遣いという意味でも、ならばここは裏切れまい。
「……うん。おねがいします、みらんだ、さま」
「ひ、姫っ!? 私に敬称は要りません、まして様など! 是非ミランダ……いいえ、できればミラとお呼びください!」
お呼びください、というか、そう呼べと言わんばかりの迫力である。
まあ、断る理由もないのでそう呼ぶことにする。
ところで姫ってなんですか。
「じゃあ、えと、わたしのきしになってください……みら?」
すると手どころか全身が震えているような錯覚さえ覚えさせる歓喜のオーラをまとった彼女が、その鍛えられた体から繰り出される無駄な俊敏さで卓を回り、瞬き一つの内に私のそばへ。
誰かが止める暇もなく、見惚れるような流麗な動作で跪くと、私の手を取って。
「――――姫。これより私は、貴女の“騎士”となります。私は貴女の盾と、あるいは剣となり、その雪のように儚くも美しい、御身に迫る悪のことごとくを遮ってみせましょう」
手を取ったまま誓うように紡がれたその言の葉に、私はひどく魅せられてしまって。
やがて顔を上げ、繋がった視線の先の碧い瞳に強い“信念”を見て。
やがて散るその最後まで、“自分”を貫き通した恩師の姿が重なって。
「……きし、さま」
ぼうっと零れるように響いた声が彼女に笑顔を咲かせて。
「はい、姫。……“ミラ”と、そうお呼びください」
「……うん。よろしく、“みら”」
彼女、いや、ミラは、その唇を手の甲へ近づけ――――
「失礼致します。お食事の準備が整い……ミランダ!? なんでここに……まさかアリス様に手を……!?」
まず、微笑ましそうにこちらを見守っていた父とラブリッドさんが固まった。
次に、誓いを直前で止められたミラさんが微妙な表情になった。
それを追って、ベルさんがいつか見た般若のような表情になった。
さらにそれを見て、言葉の主、カルミアさんが大体を察した。
私はきっと、また死んだ目をしていた。
「……カルミア、昼休憩なしね」
「そ、そんな、またですかぁああ……!?」
またか、と言いたいのはどちらかといえばこっちである。なぜいつもそう狙い澄ましたかのような完璧なタイミングで登場するのだろうか。
「そ、それよりっ! アリス様、ミランダに手を出されませんでしたか!?」
ジト目になったミラさんと、カルミアさんのそのあんまりな物言いに、誰からともなく笑いが噴き出すまで、そう時間はかからなかった。
「……ふふっ」
その光景に自分が混ざれているということがなんだかとても嬉しくて。
相棒を抱き締めながら、小さく一つ。微笑みが零れた。
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