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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第一章 奴隷労働者の彼がいかにして貴族令嬢になったか
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第13話 解放と抑圧

 高い広間の天井を一度仰いで、再び卓の上に目を戻す。

 ぽてん、と転がった白いくまのぬいぐるみ――――相棒に向けて、何度目かわからぬチャレンジ。


「えい、えいっ」

「……どうですか、アリス様?」


 柔和に私を見守る赤髪のメイド――――カルミアさんに、曖昧な表情を返す。

 やはりまたうまくできなかった。

 あの日以来、日々魔力の扱いに慣れる練習を繰り返しているのだが、その成果はというと、曖昧な表情が示す通りイマイチだ。


「うーん……」

「焦らなくても大丈夫ですよ!」


 何度やってもうまくいかず、今までの過程を脳内で復習する。

 そう、私に魔法技術を教えるにあたって、誰が教えるのかということになったわけだが、ベルさんは魔力を持っておらず、結局メイドさんたちの中で唯一魔力を持つカルミアさんに白羽の矢が立ったというわけだ。

 父は仕事の都合で時間が取れないからかと思ったが、そういえば元から騎士の生まれだったわけではないとベルさんが言っていたので、もしかすれば父も魔力を持っていないのかもしれない。

 さて、魔法技術の習得と言っても、私のしているのは基礎の基礎のようなもので、魔力を使って魔法という事象を組み立てるにはまだまだ遠い。まずは魔力を自在に操れるようにならねばいけないのだ。

 第一段階としてカルミアさんが提案したのは、まずは体内に循環する魔力を正確に認識し、その循環の速度や流れを意識的に操ることだった。これは習得するのにそんなに時間はかからなかった。

 なにせ自分の体内の調子、血流などを意識するというのは、セルフでの健康管理が必須だった前世で散々していたことだったからだ。

 早々に魔力の流れを掴み、髪の毛に集中させて毛先を逆立たせればカルミアさんは驚きながらもすぐに合格としてくれた。

 次にしたのは魔力を体外に放出することだ。とはいえ、放出すること自体は簡単だった。体内での魔力の操作を把握したのだから、あとはそれを指先などただ体の末端へ押し出すようにしてやればいいだけの話だった。

 苦戦したのは、その放出する量の調整だ。要するにどれくらいの魔力を集め、どれくらいの力で体外へ押し出すかと言うことなのだが、この感覚を掴むのにおよそ一週間の時間を要した。

 それでも同年代の子供たちに比べればかなり習得が早いらしく、またしてもカルミアさんは驚いていた。

 問題はこの第三段階。何度やっても、うまくいかない。


「うごけ、うごけーーっ……」


 再び相棒に手を翳す。私はいつもずっと胸に抱いていた彼、あるいは彼女を魔力によって動かそうと試みていた。

 すなわち、“体外に放出した魔力の操作”。それが、カルミアせんせーの出した三つ目の課題だった。


「ううぅ、できない」

「出した魔力を、切り離さないでずうっと自分と繋がったままにするんです。そうしたら、体の中で動かしたのと同じように操るんです」


 と、毎日毎日何度も丁寧に、言葉を換えてわかりやすいように説明してくれているのだが、理屈としてそれを理解はしたが、感覚がついていかない。

 勢いのまま押し出すのではなく少しずつ絞り出すようにすれば、としてみるが、確かに放出した魔力を繋がったまま維持こそできるが、絞り出すようにした都合上今度は放出した魔力の量が足りずに結局何もできない。


「あいぼう、あいぼーっ……!」


 呼びかけながらもう一度試してみるも、無情にも相棒は応えない。ただそのつぶらな瞳でがんばれがんばれー、と応援を送るばかりだ。

 さすがに疲労による倦怠感が体を襲い始める。魔力とは一種の生命力のようなものであるから、ずっとそれを放出したり弄り回したりしていれば当然体にも影響が出る。

 既に何度かそろそろ終わりにしますか、とカルミアさんに提案されていたが、どうも意固地になってしまってその度に断っていた。が、もう限界らしい。若干ふらつきすらする。


「……アリス様、今日はもう終わりにしましょ? ほら、きっとマム……ベルさんも待っていますよ」

「まむ……?」

「い、いえ、なんでもないですっ! さ、ほら、お部屋に戻って、お体を拭いて休みましょ」

「う、うん……」


 ぐい、と半ば無理やり後ろから抱え上げられるが、特に抵抗はしない。しかし、子供の体とは言えど、重くないのだろうか。あるいはそれこそ魔法で腕力か何かを強化しているのかもしれない。そんな使い方ができるのかは知らないが。


「わっせ、わっせ」

「ぐえぇ……」


 抱えられたまま、一段階段を上がる度にカルミアさんの腕がお腹に沈み込んで若干苦しい。聞こえない程度に呻き声を漏らしながら、二階の父の書斎を通り過ぎ、三階へ続く階段でまた同じ思いをして、ようやく自室へ戻ってくる。


「よいしょ、と。到着です!」

「はふ」


 体が下ろされるのに従って自らの足で立つ。

 カルミアさんが扉をノックして、そのまま開けた。


「ああ、カルミア、お疲れ様……と、アリス様、おかえりなさいませ、ふふ」


 カルミアさんの赤いツインテール越しにベルさんの声がして、背中からひょい、と顔だけ出した私を視界に認めたベルさんは、しゃがみ込むと両手を広げておいでおいでのポーズ。


「お疲れ様です、アリス様。それでは私はこれで。また明日練習しましょうね!」

「うん」


 カルミアさんは体を横にして通りやすいように道を空けると、私が部屋の内側に入るまで扉を押さえていてくれた。失礼しました、と閉まる扉を見届けて、ベルさんに向き直る。

 きっと部屋の掃除をしてくれていたのだろう。ベッド脇に乱雑に散らばっていたはずの絵本が整然と積み直されている。


「アリス様?」

「あい」


 相棒を片手、両手を広げたまま小首を傾げたベルさんにとてとてと歩み寄る。


「はい、お疲れ様でした。ぎゅー」

「ぁう」


 最近なぜか魔法の練習の後にこうして抱き締められるのが通例になっているが、まあ、満更でもないので甘んじて受け入れる。背中と後頭部をベルさんの手が摩って、気持ちいい。

 へにゃりと頭が蕩けていくのがわかる。きゅっと唇を閉めて、淡く開く。


「べ、べる……」

「はい」

「もうだいじょうぶ、だからっ」

「ふふ、畏まりました」


 最後にぽん、ぽんと優しく背中が叩かれると手が離れて、ベルさんはちょっぴり私と目を合わせて沈黙した後、微笑みとともに立ち上がって。


「では、ひとまず体を拭いてしまいましょうか。濡れたタオルを持ってきますので、ちょっと待っていてくださいね」

「うん。ありがと」

「いえ。……では。すぐ戻ってきますね」


 ベルさんも扉の向こうへ隠れていったのを見送って、振り返るとベッドに腰を落とす。


「んー……おつかれさま」


 相棒を定位置に寝かせ、布団をかけてやって。その姿を眺めたまま、半分自分へ向けて労わりの言葉。


「……こほん」


 言ってからなんだか自分がひとりぼっちの寂しい子みたいになって、誰が見ているわけでもないのに咳払いをして誤魔化した。


「はい、お待たせしましたアリス様。失礼しますね」

「あ、うん」


 コツコツ、と足音とともに戻ってきたベルさんのノック。

 私の返事から一拍置いて扉が開く。


「きっと汗で濡れてしまっていますから、お着替えもしましょうね」

「うん」


 その手にはカゴとタオル、着替えのいつものセット。後ろ手に扉を閉めたベルさんがこちらへ向かうのに合わせて私もベッドを降りる。


「はい、両手を上げてくださーい」

「ばんざーい」

「ばん、ざ……?」

「なんでも」


 慣れたのか、あるいは開き直ったのか、いつからか消えた羞恥心に黙祷しながらされるがままに服を脱ぐ。ひらひらの裾が顔を擦っていって擽ったい。

 鼻先から伝わったその感覚が奥までイタズラに染み込んで、思わず吸息して。


「へくしっ」

「……あら。寒かったですか? お風邪を引かない内に済ませますね」


 違う、と言う間もなく冷たいですよーと肌に着けられた濡れタオル。

 体が火照っているからか、そこまで冷たくは感じなかった。脇の下から胸へ背中へ、摩るタオルの冷気が直接肌を冷やしていって、むしろ心地いいくらいだ。


「よし、よし、と……では、足を開いてください?」

「……あい」


 羞恥心が消えたとは言ったが、ほんのちょっぴり躊躇する。どちらかというと、違和感からだ。

 なぜ無いんだ、と零せる相手もいないままもう数年も経ったのでもはや馴染んだが。


「んん……」

「はい、綺麗になりました。水気を取りますね」


 ぼすっとカゴに濡れたタオルが重く落ちて、それの摩った後をなぞるように乾いたタオルで水気が拭われていく。

 最後にぽんぽん、と体をタオルで包まれて、それが解かれる。


「では、こちらに着替えましょう」


 とベルさんが持ち上げたのは恐らくワンピース……だけ。

 まさか、と見上げた私にベルさんが微笑んだ。


「もう、必要なさそうですから」


 ついに、ついに……!

 この時がやってきたのだ。

 幾多の困難を乗り越え、時にはブルーな朝を迎えて。


 ついに、おむつを。


「ありがとう」

「は、はい……?」

「いまわかれのときー」

「アリス様……?」


 ――――卒業するのだ!


 ありがとうおむつ。さようならおむつ。

 あなたを身に着けている恥ずかしさ、安心感。役目を果たさせてしまった時の絶望感。

 全て、今も鮮明に思い出せます。一刻も早く抹消したいが。


 ああ、嬉し過ぎて鼻歌すら漏らしてしまう。

 今こそ別れの時。さようならおむつ!


「ふん、ふふーん」

「――――アリス様が、歌った……?」

「わたしはくららか」

「……はい?」

「あっ」


 なんとなくデジャビュを感じたが、同じようなことが前にもあったような気がする。

 テンポの良さについ日本語で漏らしてしまったツッコミはベルさんたちにしてみればきっとなぞのじゅもんである。あるいは鼻歌はほろびのうただったのかもしれない。音痴ではないと信じたい。


「どうされましたか?」

「なんでも」


 そうですか、と疑問符を頭の上に残しながらも納得してくれたベルさんは白のワンピースの裾を両手で持って広げて。表情を笑顔に切り替えるとふふん、と私と違って“ある”胸を張りながら見せつける。胸じゃなくてワンピースを。

 うん?と今度は私が疑問気に首を傾げながらシワの一つもない綺麗なそれをまじまじとそれを眺めて……シワの一つもない。なるほど。


「……ぁ。これ、はじめて」

「はい! 気づいてくださいました。アリス様に似合うものを、と新しいものをご用意させていただきました」


 どうやら部屋着を新調してくれたらしい。確かに、前のものはヨレヨレになってきていたが。

 でも、まだ十分着られるレベルだったし、前世のボロ布に比べれば天女の羽衣である。

 何を言うか迷って、そんな気持ちはせっかくの好意を無碍にするものだと思い直す。


 ここは素直に、ありがとう、だ。


「ありがと、べる」

「いえ、そんな。私がアリス様に新しいものを着ていただきたかっただけですので」

「……もしかして、べるが、かった?」

「はい。でも、これはハッティリア様にこれで買ってやれ、と渡されたお金で買ったものですので、お礼はハッティリア様に言ってあげてください」

「うん。でも、べるも、えらんでくれた」

「……ありがとうございます、アリス様」


 ちょっと困った様子のベルさんに満面の笑み、のつもりの顔を向けて。

 ただ生きているだけで物を与えられる。なんて幸せなのだろうか。あとで父にもこの感謝の気持ちを伝えなければ。


「っとと、本当に風邪を引いちゃいますね。では、着てくださいますか?」

「うん。ばんざーい」

「ふふ。先ほどから使われているそれはアリス様が作られた言葉ですか?」


 いいえ、母国語です。とは言えないので、両手を上げたまま曖昧に頷く。未だに無意識に使ってしまうことがあるが、まあ二十数年使っていた言葉はそう簡単に抜けまい。仕方のないことだ。


「ええっと、ばん……」

「ばんざーい、だよ」

「ばんざーい、ですね」

「うん、じょうず」

「いつもとは逆になっちゃいました。確かに、なんとなくばんざーいって感じのする格好ですね」

「どや」


 冗談交じりに、ベルさんとは違って“ない”胸を張る。立場が逆なら大きさも逆である。

 悲しながらそっちは“いつも”なのだが。


「それもアリス様の、ですか?」

「う、うん」

「では、ベルの将来はアリス様語の第一人者ですね」

「なにそれ……むぐ」


 謎言語をこの世に生み出してしまいながら、被せられたワンピースの内をくぐって顔を出す。

 買った後に一度洗ってくれたのか、太陽の匂いがする。


「では先生、夕食の時間です」

「あい」

「それと……」


 そして寸前まで柔らかだったベルさんの表情が一瞬ぼうっと不安げに歪んだのを、私は確かに見た。


「べる……?」

「……ぁ、……い、いえっ! 大丈夫です……」


 見たことのない顔。それがどうしてか脳裏に焼き付いて。


「失礼しました。……本日の夕食には、以前お話していたハッティリア様の御友人――――ラブリッド様が、いらっしゃるそうです」


 すぐに笑顔に戻ったベルさんが何か言っているのを、私はほとんど聞いていなかった。



次回更新は本日18時です。

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