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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第一章 奴隷労働者の彼がいかにして貴族令嬢になったか
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第12話 清純潔白

 ――――怒号が響く。


「ふッ!」

「腰が甘い! もっと重心を低く持て!」


 汗が滴る。


「やぁッ!」

「ブレ過ぎだ、もっと真っ直ぐ突き穿て!」


 吐息が乱れ、眩しいばかりの肌が陽に焼かれていく。

 ここは白百合騎士団、マリアーナ駐屯地。


「よし……一度休憩にするぞ。――――各自、水分を取れ!」

「はい」


 ……私にとっての、“楽園”だ。


「……ミランダ。相変わらず貴官は筋がいい。期待しているぞ」

「あ、ありがと、うございます……っ!」


 教官の称賛になんとか礼を返し、片手でしっかり構えた短剣(ダグ)を下ろしてふーっと息を整える。

 ふん、と満足そうに鼻を鳴らして、同僚たちとともに隊舎へと歩いていった彼の背中を見送り、剣を鞘に戻すとどしゃりとその場に崩れ落ちた。

 ……白百合騎士団所属、特務遊撃隊。立つのもやっとになるほどの厳しい訓練で以て、改めて自分に冠されるものの重さを実感する。

 そう、あれは騎士団への入隊を決めた日のことだ――――





「ミランダ・キュリア。十四歳、女性。魔力保持量はBクラス。特性は身体強化、か」

「……はい」


 淡々と私のプロフィールを読み上げる、暗い紅の短髪をした老年の男性を前に、居心地の悪さを誤魔化すように姿勢を正した。

 貫禄十分に構える彼は自慢したくなるほど綺麗な直立になった私をじっと見ると、何か考え込むように顎に手をやった。ギシ、と椅子の背もたれが鳴る。


「……何か、問題ありましたか」


 その顰められた眉に、思わず険のある声を漏らしてしまう。

 しかし慌てて口を噤んだ私を見た彼はそんなことを気にした様子もなく、姿勢を戻すと再び書類に目を向けて。


「……確かに、女性の騎士は少ないながらも一定数いる。魔力の扱いが男性よりも得意な女性が、騎士として訓練を受ければそれは優秀な騎士に育つ。だが、ゆえに彼女ら女性騎士には選択肢がない。……それは、理解しているか?」 


 もちろん、全て承知の上だ。女性は男性よりも魔力の保有量こそ少ないが、その分魔力の扱いがうまい。それは研究などによってはっきりと証明されたわけではないが、事実としてその傾向はあり、庶民すらも知っている一般常識の類だ。

 そして、王国軍はその特性を活かす方法を考えた。

 それが新設されたばかりの“白百合騎士団”。

 主に偵察や攪乱を任務とする、女性騎士だけで構成された特殊工作部隊だ。

 新設で人員が足りないというのに加えてそもそも女性騎士の母数が少ないこともあり、女性で騎士になったものはほとんどがそこに配属されるらしい。

 つまりそれは、特殊な任務、一般的に汚れ仕事とされるようなものも多くこなすことになるということで、彼はそれを確認しているのだろう。


「はい。委細承知の上です」

「……ならばよし。ミランダ・キュリア。貴官を正式に騎士として認める」


 ドン、と書類に押された認可の印。

「知っているとは思うが、私はルーネリア王国軍将軍、ラブリッド・ホワイトリード。全騎士団を束ねる者だ。以後、貴官の精励を期待する」

「はいッ!」


 見様見真似で下手な敬礼を返し、部屋を後にした。

 私は、騎士になったのだ。





「なった、んだけど……」


 ふと思い浮かんだ初々しい記憶の私は、今の私を見てどう思うだろうか。

 蔑み見下すのだろうか。落胆して呆れた声を出すのだろうか。

 幼い頃から騎士物語が好きで、なぜかお姫様ではなくそれを救い出す騎士に憧れた私は、そんな御伽噺のようにどこかのお姫様の騎士になり、忠誠を尽くすのが夢だった。

 だというのに。いや、思えばその時から前兆はあったのか。

 私は歪んでしまった。

 いつも思うのだ。ともに訓練に励む同僚たちの姿を眺めては、いつも思う。

 訓練中からずっと胸の内で暴れていたその衝動を、訓練場に誰も残ってないのを念入りに確認してから解き放つ。


「――――はあああああああぁン!! 太もも! 二の腕! おしり! 汗の滴る少女の柔肌ああああぁ!」


 ――――私は歪んでしまった。同年代かその下くらいの少女たちの健全な姿に対し、どうしようもなく情欲を(こじ)らせている、色々と取り返しのつかない性癖。

 ぶっちゃけ筋金入りの変態だった。


「はぁ、はあぁ……あ、自己嫌悪もーど」


 (たぎ)る欲望をある程度吐き出して、それが薄まると今度は懸命に訓練へ励む同僚をそんな目で見てしまったことへの罪悪感。

 自分のことながら難儀なことだ。


「どこかに、私の全てを受け入れてくれる天使のようなお姫様でもいないものかしら」


 なんて夢物語がふと漏れて、馬鹿なことをと自嘲した。


「よし」


 さて、そろそろ切り替えよう。せっかくの機会なのだ。教官――――ラブリッド将軍から、もっと学べる限りのものをご教授いただかねばならない。

 なにせ帝国との戦争で名を馳せたかの“ラビット”の技術や戦法をその本人から直接学べるというのだから。

 白百合騎士団の教練を終えればまた王都に戻って通常通り将軍としての職務をこなすらしい。

 彼が特別訓練として与えてくれた貴重な一ヶ月を無為にすることは許されない。


「とりあえず、水……」


 幸いにもまだ休憩時間は終わっていないらしく、訓練場に人が戻ってくる気配はない。

 叫んだ所為(せい)で余計にかれた喉を潤すため、重い体を起こして歩き始めた。

 未だ消えない訓練の熱気を、青空と太陽の下で吹いた一陣のそよ風が冷ましていく。

 その中に一人立っていると、自分の悩みがとても小さく思えて。気が軽くなるのに合わせて足取りも軽くなっていく。


「……平和だな」


 そんな日常がとても愛おしくなって、自然と私の顔は微笑みを浮かべた。

 上機嫌に隊舎へ向かっていると、向こうからこちらへ歩く人影。


「ん……?」


 目を凝らすまでもなく、どんどん距離が詰められて影の正体が露わになる。


「きょ、教官っ!?」


 まずい。非常にまずい。もしかして、色魔で有名なルクセリア王妃も真っ青なさっきの雄叫びを聞かれていたのではないか。

 隊舎からここまでの距離があれば聞こえるはずは……いや、彼は一般人ではないのだ。戦争において英雄と呼ばれた存在である。

 いかなる物音や声も聞き逃さない地獄耳を持っていたとしてもおかしくはない。

 せめてもの抵抗としてなんでもないように右手に拳を作って胸を叩き、直立姿勢で敬礼する。


「……ああ、ミランダ。やはりまだここにいたのか」

「はい。お恥ずかしながら少し座り込んでいました。自らの体力の無さを痛感するばかりです」

「なるほど、部下への過信は禁物だな。少し厳しくし過ぎたか」

「ご期待に応え得る様、今後一層精進させていただく所存です」


 どうやら私を探していたらしい。将軍が平凡な一騎士に何用だろうか。

 確かにこの訓練期間中、彼にはよく筋がいいと褒められることがあったし、自分でも同期より少し動きが良い自信はあるが彼から見ればどんぐりの背比べだろう。

 礼はもう解いてよろしい、との言葉に従い、胸の手を下げる。もちろん直立姿勢は維持したままだ。


「さて、それはひとまずいい。少し、話があってな」

「話、でありますか……?」

「ああ」


 彼は少し考え込むような沈黙を置いて、ふとなんでもないように口を開いた。


「確か、カルミアと同期だったな」

「……ぇ、あ、は、はい。彼女とは今では腐れ縁のようなもので、入隊当初から交流を持っています、が……」


 まさかその名が将軍から飛び出すとは思っていなかった。

 その通り、少しくすんだ赤い色の髪が特徴的な彼女、カルミアは同時期に王国軍へ入隊した同期で、友人だ。

 しかし彼女はここマリアーナの領主、フェアミール家の従者として雇われたらしく、最初の騎士基礎課程の完了後常備の騎士団ではなくそのまま予備の待機部隊へ配属され、以後も時折会ってはいたが私がこの特別訓練に入ってからは顔も見ていない。


「どうだ、久しぶりに顔を見たいのではないか?」

「は、はぁ……いえっ、許されるのならば、少し談笑をしたい気持ちはありますが、今は特別訓練に集中すべきかと愚考致しまして」

「……彼女が待機部隊へ配属された理由は知っているかね?」


 そう言った彼の顔は親しみやすさを保ちながらもその目は真剣そのもので、まるで何かを探るようだ。


「マリアーナはフェアミール家の従者として迎え入れられたからだと聞いておりますが……」

「ふむ。そうだな。もちろん、ハッティリア……彼らが雇ったからではあるが、それは表向きの理由だ」

「表向き、でありますか」

「ああ」


 唐突に明かされたなんだか怪しい臭いのする事実に眉を顰める。からかっているのかとも思ったが、態度からしてどうやらそうではない。

 しかしそれを私に話す理由がまるでわからなくて、目でわかりませんと訴える。


「……反体制派の連中だ。名目上中立地帯ということもあって、警戒の甘いここを活動の標的にしたらしい」


 反体制派。ますます話はきな臭い。

 前国王の統治が賢王時代と呼ばれていたのに反し、今代国王は王妃も揃って暴君だ。

 “キャピタリア・ロード・ルーネリア”。庶民蔑視の()の国王はその行政において当の庶民はもちろん多くの貴族階級にすら不満を蔓延させて久しい。

 そして、その妃。王妃“ルクセリア・ロード・ルーネリア”。国王が私腹を肥やすことにしか興味のない豚なら、彼女は異性を侍らすことにしか関心のない猿だ。その美貌に隠された本性は残飯と排泄物で溢れたドブにも劣る。

 当然、多くの国民が彼らに反感を抱いている。その過激派が反体制派と呼ばれる一派で、噂では革命を狙っているとか。


「つまり……」

「ああ、狙いは恐らく自作自演による扇動と乗っ取りだ。まだ王国諜報部でも一部しか知らない情報だが、やつらはここを起点に革命を起こす気らしい。それにはフェアミール家の影響力が邪魔になる」


 マリアーナの領主、ハッティリア・フォン・フェアミールと言えば将軍と並べて二大英雄とされ、戦争で“マッドハッター”として名を馳せたことで有名だが、その後ここの領主に任ぜられた彼の統治はとても庶民に優しいものだった。

 いや、正確には庶民に優しいと言うより、常識的な領政をするのだ。国王のように無理やり働かせた挙げ句搾り取るような真似は絶対にしない。

 ゆえに権力への反感が高まる中で彼らフェアミール家の評価は高く、一代での成り上がり貴族ということもあり庶民にとっての小さな希望の光なのだ。庶民の中では冗談半分にマリアーナを楽園と呼ぶ者も多くいるらしい。

 それほどフェアミールの名の影響力は大きい。


「……もしも、国王の仕業などとして暗殺でもされたなら」

「察しがいいな。庶民たちの反感は最高潮に達するだろう。そこに大々的に革命を謳われてみろ、王国は分裂の危機だ」


 つまり、反体制派の狙いはそれなのだろう。自作自演の暗殺を国王の仕業だと叫び、自分たちが扇動することで王国全土での反乱を誘発する。

 笑えない話だ。実際暗殺が成されればそうなる可能性は高い。


「カルミアは騎士として優秀だった。何より、その魔力の特性だ」

「――――“警告”……なるほど、フェアミール家に危機が迫った時の伝達役として送り込まれた、ということですか」


 カルミアは他の赤い髪の例に漏れず炎の扱いが得意だったが、その赤色はくすんだ、と称される通り、個人差の範疇に収まるようなものとはいえ一般的な炎特性を示す赤色とは少し違っていた。

 そして基礎課程の特性把握訓練において偶然にも自分のその希少な特性に気がついた彼女は偵察役に有用として当時の教官たちに将来を期待されていた。

 魔力というものは普通無色透明だが、彼女の“警告”という特性は自分の身の回りに危機を感じた時に放出された魔力が赤く変色するというものだ。ゆえに警告。

 もっとも人が魔力を放出できる範囲や量など精々目の届く範囲で、何も工夫せずに使えば自分の近くで行動している者に危険を伝えることくらいしかできないが、モノは使いようだ。

 魔石には外部から与えられた魔力を貯蓄する性質がある。その性質を利用し、彼女の魔力を魔石に保存しておくことで、警告発動時に同じくそれも赤く染まるのだ。

 基本的に貴族階級が独占しているゆえにあまり知られていない情報だけど、実際に彼女の特性を検証する過程を本人から聞いていた私はそれを知っていた。


「……やはり知っていたか。魔石の特性は庶民との軋轢の種になる。だからあまり人には話すなとあれほど言ったのだが……」


 とりあえずこの後こっぴどく折檻されるであろうカルミアにはご愁傷様と言っておく。

 まあ、彼女だって口が軽いというわけではあるまい。相手が入隊以来ずっと付き合いのある私だからこそ、気が抜けて話してしまったのだろう。

 友人として支えられたのと同じくらいその天然ぶりに振り回されたので弁護はしてやらないしやれないけれど。


「なぜ貴官に話したのか、もうわかるな」


 断定的な彼の視線に、頷きを返す。


「私も、フェアミール家の護衛任務に従事しろということですね」

「その通りだ。もちろん、才能があるとはいえ、まだまだひよっこの貴官やカルミアに全てを任せるわけではない。本命は既に周囲に潜り込ませている。これは牽制として、だ。お前らの企みには気づいているぞ、という反体制派への警告だな」


 彼は口には出さなかったが、白百合騎士団の実働実験も兼ねているのだろうか。

 何にせよ、カルミアとの関係によってある程度彼女の事情を知っている上、私の“特性”的にも、適任だったということだろう。


「大命、謹んで拝受致します」

「訓練で忙しい中すまない。だがこの経験はきっと今後の役にも立つはずだ」

「はい。半ば形式上とはいえ、()のマッドハッター様の護衛につけるとは、誠に光栄であります」

「ああ、いや……」


 重責な初任務に期待と不安を抱えながら再び敬礼を向けようとして、言葉を止められる。


「貴官に護衛してもらうのは彼ではない。やつは余程不意を突かれでもしなければ反体制派の襲撃などにそう後れを取ることはないだろう」

「では……?」


 彼の妻は亡くなったのではなかったか。

 いや、そういえば――――


「貴官には、彼の娘……フェアミール家の令嬢――――“アリス・フォン・フェアミール”の護衛を頼むつもりだ」


 そういえば、カルミアに、聞いた覚えがある。

 閉ざされた部屋で一人、ぬいぐるみを抱えて儚げな顔をする、白銀の髪をした幼い令嬢がいる、と。

 もう失っていたはずの何かが、どくりと鼓動するのを感じた。

 昂ぶりが、夢と使命が、体中を満たしていく。


「喜べ、お姫様の近衛だ。騎士冥利に尽きることだな」


 溢れる感動で唇が震える。

 なぜだか涙まで零れそうになる。


「……早速だが、午後の訓練後、館へ向かう。訓練はもちろん真剣に取り組むべきだ、べきだが……そうだな。倒れないくらいに、程々に手を抜け」

 水分補給、さっさと済ませておけ、と隊舎へ戻っていく彼の背中はもはや見えていない。

「ひ、ひめっ……お姫様の……!」


 ずっと胸の内で暴れていたその衝動を、彼が隊舎に入っていったのを念入りに確認してから解き放つ。

 ぷるぷると震える手を握り、たっぷりの溜めを以て天に突き上げた。


「――――やっ、たああああああああああぁぁぁっ!!!」


 神様がいるのかはわからないが、いるのならその気まぐれに最大の感謝を贈りたい。

 なにせ、半ば諦めていたような夢が叶ったのだ。

 それもカルミアに聞く限り、とびっきり可憐な容姿をした幼い姫の騎士に。


「……ぐへへ」


 いや、まったく我が世の春である。

 あわよくばあんなところやこんなところを拝見させていただけるかもしれない。

 そんな逞しい妄想を胸に、次にやってくるであろう自己嫌悪に備えるのだった。


「あぁ……、――――私は、歪んでしまった」


 空を仰いで紡がれたいつものそれは、けれど微笑みと喜びと、妙な諦めに満たされていたのだった。

次回更新は明日の12時です。

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