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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第一章 奴隷労働者の彼がいかにして貴族令嬢になったか
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第1話 初雪

はじめまして、またはおひさしぶりです!

剥製ありすと申します。

御存知の方もおられるかとは思いますが、“TS”と“異世界転生”のタグを付けていないのには物語上の理由があります。

どうかお楽しみ頂ければ幸いです。


 西暦二一二二年。世界は腐っていた。


 増え過ぎた人口、広がる社会格差。一般市民は、食事にありつけるかどうかも覚束ない低賃金で寝る暇もないほどの長時間の奴隷労働を強いられ、挙げ句の果てに餓死や過労死にすら見て見ぬふりをされる。


 行き過ぎた資本主義と資源枯渇の中、それでも潤沢な資産を持つ支配者層――二十一世紀の旧世界で、政府や企業の幹部などであった資産家たちだ。彼らは金と権力を笠に着て資産を持たぬ人々を奴隷として働かせ、自分たちは今まで通り、あるいはそれ以上の悠々自適な生活を送っていた。

 人権や労働者革命が叫ばれたのも今は昔。金があるというのは、当然それを守る力もあるということだ。労働者たちの反乱の芽はことごとく摘まれ、ある地域では見せしめに化学兵器まで投入された。

 やがて抗う気力も失くし、従順な働き蟻と化した市民たちは、“コロニー”と呼ばれる、職場ごとに割り振られた区画へ収容され、毎日の労働をこなす。そしてごくわずかな給料を得てはなんとか明日を繋ぐ。そんな腐った世界。


 他でもない、私もその一人。


「ふっ、はっ……、ひぃ、……」

有栖(ありす)さぁん、……くっ、ふぅ、だい、じょうぶ、ですか?」


 流れる汗が目に入って、前が見えなくなる。ボロ布のような服の袖でそれを拭いた。

 私の割り振られたコロニーは発電所だ。発電所と言っても、旧世界のように機械がほとんど自動でするのではない。だだっ広い長方形の施設の中で、大勢の人が車輪のない自転車のようなものをひたすら漕いでいる。

 人力発電だ。この時代ではもはや、気軽に発電に回せるような燃料はなかった。主要な資源はというと、全て支配者層が別惑星への移住プロジェクトのために独占していた。これではまともに働くこともできない、と訴えた労働者への彼らの答えがこれだ。

 自分たちが生活するためのエネルギーは、自分たちで生み出さねばならなかった。


「だ、じょうぶっ……です、稲葉さん、私はあと、三十分で休憩、なんでっ」


 息も絶え絶えに、同じく隣で必死の形相でペダルを漕ぐ中年の男性にぎこちない笑みを向ける。彼とはこのコロニーへ配属されて以来、毎日隣でペダルを漕いでいる仲だが、いつもこうして気遣いの言葉を掛けてくれる。嬉しいといえば嬉しいのだが、正直返事をするのにも体力を使うので放っておいて欲しい時もある。

 にしても、あと少しで休憩とは言ったが、既に体力は限界である。どうも、ペース配分を間違えたらしい。しかし、六時間も漕いで昼休憩がたったの三十分とはひどい話だ。かといって、発電した分がそのまま給料になるので、サボることもできない。

 今更だが、彼ら支配者は労働者が過労などで命を落とすことをなんら気に留めていないらしい。


「くそ、くそっ……資本主義のくそったれ……!」


 はぁ、はぁ、と(はがね)の天井を仰いで、無駄な言葉を吐いてはまた息を苦しくして。それでもこの社会への呪詛を垂れる。

 資本主義と自由はイコールではなくなってしまった。とうに廃れたはずの専制政治時代まで逆戻りである。いや、それよりひどいかもしれない。

 ……ああ、また胸が痛くなってきた。ここのところずっとだ。ストレスか、それとも内臓をやられたか。

 げほ、と込み上げた咳に合わせて、飛び散った唾液がハンドルを握る手にかかる。その飛沫(しぶき)は、妙に生暖かい。


「あ、有栖さんッ!? 血、血が……!」

「へぁ……?」


 稲葉さんに言われて無機質な天井を眺めていた目を前へ戻すと、汗ばむ手の甲にぽつぽつと赤い斑点のような雫が飛び散っていた。どうやらさっきの咳の時のものらしい。

 喀血(かっけつ)。これは、ついに自分にも。

 絶望が心を満たした。同じコロニーの仲間がこうして倒れていくのを何度も見た。そして彼らは誰一人として戻ってこなかった。

 当たり前だ。処置を受けるような金なんてない。風邪ですら致命傷になり得る環境。咳とともに血を吐き出したということは、すなわち呼吸器に異常があるということだ。恐らくは、結核あたりだろうか。

 奇跡的にここから回復したとして、その場合でも働けなかった期間のツケが回ってくる。飢餓だ。法外なレートで売られるクソ不味い栄養ゼリーをなけなしの給料で買うことができなければ、そのまま栄養不足と過労で死ぬ。

 つまり、詰んだ。こうして喀血をするまで体がダメージを受けた時点で、私の人生は詰んだのだ。


 ――――ああ、なんて、なんて呆気ない。


 そんな暗い明日に応えるかのように、視界がグラグラと揺れる。白が景色を塗りつぶしていく。なるほど、どうやらそんな将来の心配はする必要もないらしい。ペダルを漕ぐ足が、止まった。


「ぐ……ぅっ……!」

「有栖さんッ! 大丈夫ですか! だれか、だれかッ……!」


 発電機を飛び降りた稲葉さんが必死で体を揺すってくれるが、それも虚しく世界の輪郭はどんどん朦朧(もうろう)としていく。体に力が入らない。真っ白で何も見えない。

 ごが、と頭を打った。発電機から崩れ落ちたらしい。周囲の喧騒が妙に遠く聞こえる。

 そうか、終わるんだな。つまらない人生だった。

 物心がついた頃には何かしら仕事をしていた。その日常は今の今まで変わることはなく。

 ただただ、働いた。そして死んだ。そんな私を、やつらは“社畜”と嘲笑(あざわら)うのだろう。おいしい酒でも飲みながら。


「――――すみません、先生……結局、私は……」


 ふと、旧世界から現代への変遷期、巧みに権力者側へ潜り込みながら裏で革命を叫んだ、学生時代の恩師を思い出した。彼は真に教師であった。その教えを生かせず、奴隷に堕ちた自分のなんと恨めしきことか。


 ――――そうだ、もし、もしも来世があるなら。なあ、神様。

 どうか、こんな奴隷労働の許されない世界を。気楽で、そうだな、少しの働きで十分評価されるような、そんな幸せな世界を。


「はは……」


 きっとコロニーの仲間たちに囲まれているだろう中、私は笑った。最後の最後に浮かんだそんな荒唐無稽な夢物語がおかしくて。

 けれど、その光景が本当に愛おしくて。生まれて初めて空を見た時のような、そんな無邪気さで手を伸ばした。


 願わくは、その夢のような世界へと――そんな、叶うはずもない想いとともに。

 やがて意識は、白く途絶えた。












「――――はず、らったんぁけど……」


 何ゆえ、私はこんなところで舌もうまく回らぬ幼い少女をしているのだろうか。

 それも貴族。前世とは何もかもが逆だ。

 この世界では魔力、とやらの有無が社会での身分を決めるらしく、魔力を持たぬ者は“庶民”と呼ばれるらしい。もっとも、その庶民が社会の九割を占めるのだが。

 文化の水準は前世での中世から近代といったところだろうか? 少なくともまだ電化製品などの現代的器具を目にしたことはない。

 ……さて、そろそろ逃避行もやめにしなければいけない。いい加減、この現状と向き合わなければいけないのだ。


 さあ、いい子ですから、と私を見守るのは、どうやら“ノクスベル”という名前らしい私の専属メイドさん。彼女は私にとって初めての“自宅”であるこの館の従者長という立場でもあるらしく、私は親しみを込めてベルさんと呼んでいる。心の中で。

 そんなベルさんはというとかなりの美人で、解けばきっと腰の辺りまで伸びているだろう艶やかな黒い髪をサイドテールにまとめていて。長いまつげに綺麗な黒曜の瞳。そして何よりも目を惹くその豊満な胸。デカイ。くっ。

 同じく腰まで届くこの長い銀髪はともかく、自分の真っ平らな胸を――――まだ齢四つを数えたばかりの体だから当たり前なのだが――――妙な敗北感に打ちひしがれた目で眺めつつ、性別が変わった割には案外順応してるな、と頭の隅で冷静に考えた。重大な変化であるはずのそれをあまり意識せずに済んでいるのは、前世では労働者に恋愛の自由などなく、男も女も区別なく働いていた影響だろうか。

 幼子の身にとってはなかなか広い自室にぼうっと視線を彷徨(さまよ)わせながら、そんな記憶を辿る。子供には手が届かぬような高めの位置に開かれた窓、そこから差す陽気な光を薄手のカーテンが包み込む。天井から吊り下げられたお洒落な意匠の照明は、きっと魔法で煌めいているのだろう。前世での知識から引っ張り出すなら支配者層が好んでいたとされるシャンデリアと呼ばれる類のもののはずだ。

 小さなこの身の安全に配慮されているのか、木製のタンスや本棚など最低限の調度品が扉の反対側の壁に控えめな様子で並んでいる。その中身はもちろん子供用の衣服や絵本ばかりだ。

 さて、“私”の意識が明瞭としだしたのは確か二、三年前くらいだったか。最初は見知らぬ世界、そして自らの体に大層驚いたものだが、数年もするとだんだん慣れてくる。だからといって異世界で幼女になりました、なんてまったくもってわけのわからない現状を完全に受け入れられたわけではないが。

 性別の違いより、言語の習得に苦労した。ベルさんが絵本のようなものを使って毎晩眠る前に教えてくれた甲斐あって、初めはまるで意味不明だったここの言葉も簡単なものならある程度は理解できるようになった。話すのはまだたどたどしいが、日々上達してはいるので、いずれ不自由なく話せるようになるだろう。習うより慣れろとはよく言ったものだ――――っと、ああ、また現実逃避を。

 私がこうも受け入れられないのは、転生したというのもそうだが、何より、何より。


「ほら、アリス様ー? おしっこ、がんばってしましょうねー」


 ――――おまるに座って小便を強いられているというこの状況である。

 見目麗しい彼女に見られながらおまるの中に小便をしろというのは、いくら今の私が幼い少女だとはいえ、一度は成熟した大人であった身にしてみれば、さすがに酷な話である。

 いや、確かに今までもおむつに“して”、それを替えられるというなんとも素直に受け入れ難い日々だったが、しかしこれはこれでまた別の羞恥心が沸く。

 思わず目尻に涙が浮かんだ気がするが、許して欲しい。もしもこれで恥じらいを感じることがなかったのなら、それはきっと私が実はよっぽどの変態だったか、一部の感情が知らぬ間に死んでいたかだ。

 誰か助けられるものなら助けてください。いやホントに。長時間勤務で死にそうになっている時よりも切実な願いかもしれない。


「いや……」

「むむ。おしっこ、出ませんか?」


 こく、こく、と半泣きになりながら必死に頷く。すると彼女はうーん、と言ってしゃがみ込み、そのまま目線を合わせて私の瞳を覗き込んだ。ゆるしてくださいとばかりに精一杯の悲しそうな表情でアピールする。勘弁してください。


「ではお部屋の隅に置いておきますので、これからは御用を足したくなったらこれにしましょうね」

「……あい」


 相変わらず舌っ足らずな言葉で苦渋の了承を返しつつ、おむつの羞恥と比べた結果、仕方ないと諦めの境地に入る。

 まあでも、しばらくはおむつとの併用が続くのだろう。少し成長が遅いのか、それともこの世界のデフォルトなのかは知らないが、未熟なこの体はコントロールが難しい。

 微妙な表情で拙くおむつとスカートを穿き直すと、運ばれるおまるを見送りながら、今後の成長を考慮しているのだろう、今の私には些か大きなベッドの方へ移動する。天幕みたいなのも付いていてやたら豪華である。ピンクを基調とした、いかにもお姫様が使いそうなものなので、ここで寝るのはいつもちょっぴり恥ずかしい。

 この世界でも前世の世界にいたようなメジャーな動物たち、あるいはそれに似た何かはいるらしく、いくつか可愛らしいぬいぐるみがベッドに飾られている。それらにあんまり興味はなかったが、ベルさんが手作りしてくれた白いくまのぬいぐるみだけは大切にしている。子供時代も含めて働き詰めだった私にとって、これが初めてのプレゼントだったのだ。もらった時は必死で泣くのを堪えたものだ。

 若干、体に精神が引っ張られているような気もするが、以来このぬいぐるみは常に持ち歩いている。なぜだか、抱いていると安心するのだ。特に、いつ終わるやもしれぬこの夢のような生活に不安になる夜なんかは。

今生は始まりからして、不可思議にすぎるのだから。


「う……、ねゆ」


 ああ、駄目だ、前世のことが頭をよぎるとすぐに気分が悪くなる。ベルさんをあまり心配させるのは良くない。窓から漏れる光から察するにまだ昼だが、こういう時は無理やりにでも寝てしまおう。

 そう思ってぬいぐるみを抱えて横たわろうとして、ふと呟きを漏らす。

一年ほど前にさすがにおかしいと思い始めて以来、時折考えていることだ。


「……おや。わたしの、おや。うーん」


 はっきりと自我を認識して約二年。いくら頭を捻ろうと未だにこの世界での親と会った覚えがないのだ。忘れているのだろうか。……それとも、もう――――そんな疑問を抱きながら、私の意識は眠りに就いた。











「……アリス様」


 すーすーと寝息を立てて眠ってしまった彼女を眺め、眉尻を下げる。

 私、ノクスベルからして、彼女はとても不憫に見えた。私がこの館に拾われ、その後正式にフェアミール家のメイドとして迎え入れられてから早十年が経っている。

“フェアミール家”当主、彼女の父である“ハッティリア”様は未だに塞ぎ込んで執務室から出てこられない。もう、四年近くだろうか。

 それ自体は、仕方がないとも思うし、(とが)める気もない。なにせ妻を、“アリシア”様を他ならぬその娘の出産で亡くしたのだから。

 アリシア様は四年前、彼女、アリス様の出産で力を使い果たし、間もなく衰弱で亡くなった。

 ――――よくある話だ。特に、今のこの国では。

 だが、互いに溺愛し合っていた夫婦の死別というのは残された側にかなりの深い傷を遺す。愛し合っていれば愛し合っているほど、だ。すなわちそれだけハッティリア様がアリシア様を愛されていたということなのだろう。


 しかし、一つだけ見過ごせないことがある。

 それは、アリス様の育児を私ども従者に任せて放棄してしまったことだ。

 ゆえに彼女は両親の愛を知らぬまま、味気ない魔法調合のミルクでもう四つにまでなってしまった。そしてきっと、彼女は賢いのだろう。いつかの晩に家族がテーマの本を見せたのは迂闊(うかつ)だったろうか。

 しっかりとそれを覚えているらしい彼女は、自分が親と呼ぶべき人に会ったことがないのに恐らく気がつき始めている。なぜなら彼女は眠る直前、それはそれは小さな、そして悲しそうな声で、おや、おや、と悲哀にも繰り返していた。

 それはきっと、嘆きだ。私の親はどこにいるの、と。ああ、おかあさん、おとおさん、と。

 差し上げたスノウベアーのぬいぐるみにじっと問いかけていたのだ。


「ああ、……」


 思わず声が漏れる。なんと、なんと痛ましい姿なのだろう。

 彼女はいつも大人しい。この年頃の子供といえば、普通は見るもの全てに飛びつき、動き回って遊んでいるはずなのに、彼女といえばどうだろう。時々ベッド脇に置かれた絵本を一人で開いては眺め、あとはぬいぐるみとともにベッドの上でぼーっとしているのだ。話しかければ応えてくれるが、どこか遠慮しているような、人を寄せ付けぬような返事ばかりで。

 その黄金の瞳を覗き込めば、まるで何日も寝ずに働き続けたかのような、光の死んだ濁った色が支配している。親の愛を知らずに育った子供とは、かくも悲しい瞳をするものか。

 ああ、ああ、なんと寂しげな寝姿をするのです、アリス様。

 ベッドの端へ座り、彼女のその腰まで伸びる滑らかな銀糸を撫で梳きながら。精霊に愛されたかのような、月のように儚くも愛らしい(かんばせ)を一瞥、最後に頬に唇を落として。


「必ず、必ず、私が。ベルが、お守りします……アリス様」


 私では親の愛は注げない。けれどせめて、私のあげられる精一杯の愛情を。

 そしてどうか、彼女のゆく道に幸あらんことを。この幼き姫の心が壊れてしまわないように、私が、守らねば。

 熱く、強く、けれど静かな決意を胸に。その小さな体を冷やさぬよう布団をかけ直し、やがて彼女の部屋を後にした。


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