眼鏡とコンタクトのはじめて物語
中学一年の河野花江は普段は眼鏡だがそれを路上で落として壊してしまったことで、すぐに手に入るコンタクトを買ってそれをつけてきた。
同じく中学一年の佐藤太一は普段はコンタクトだったが、コンタクトの予備が切れて、以前使っていた眼鏡を掛けてきた。
「おはよー」
「ん? 河野さんか? 眼鏡はどうした」
「落として壊したのよー、そういう佐藤くんはどうして眼鏡?」
「使い捨てレンズの予備がなくなってるのを忘れたから、前に使っていた眼鏡を出してきた」
花江は首をかしげる。
「コンタクトなら駅ナカの売店とかで売ってるよ?」
クイと眼鏡をお仕上げて太一が言った。
「いうな、そういう存在をすっかり忘れてただけだ」
「それにしても眼鏡がないと不便だよね」
「そうだな、視界がぼやけて見えにというのは非常に不便だが、そえれゆえに眼鏡の歴史というのは結構古い」
「古いってどれくらい?」
「現在のようなフレームのついた眼鏡が現れたのは10世紀ごろのアラビア。
最も紀元前8世紀の古代エジプトのヒエログリフにはすでに、ガラス製のレンズらしき絵文字が残っている」
「紀元前8世紀っていうと……」
「ん、大雑把に言えば今から2800年ほど前だな。
日本なら弥生時代、中国なら西周が滅び春秋時代に突入した頃。
三国志の時代より1000年ほど前だ」
「そんな昔から透明なガラスってあったんだね」
そこへやってきたピンク色の微謎生物。
「じゃあ、実際のものを見せてあげるよ!」
「あなたはもげたん?」
「さあ行くよ!」
唐突にピラミッドのあるエジプトへと移動する二人と一匹。
「もげたん、ここは?」
「紀元前8世紀の古代エジプトだよ」
ここぞとばかり太一は説明をする。
「人為的な製造加工が行われたガラスに関しては、紀元前4000年より前の古代メソポタミアで作られたガラスビーズが最も古いとされているが、エジプトでガラスの加工技術が発展したのはメソポタミアと距離的に近く人間の行き来もあったことは、土地柄ガラスを作るための原料である天然ソーダ(炭酸ナトリウム)が塩湖の辺り辺りで容易に手に入り、シリカと呼ばれる珪素を含む砂も豊富なためと、青銅などの金属加工の技術も高かったから、金属加工の技術をガラス加工に応用すればさほど難しくなかったろうし、紀元前2000年代までに、植物灰や天然炭酸ソーダとともにシリカを熱すると融点が下がることがわかって、溶融つまり溶かすことによるガラスの加工が可能になった」
「へえ、そうなんだ」
「これにより紀元前1550年ごろにはエジプトでは青銅の器と同様に粘土の型にガラスを流し込んで、ガラスの器が作られるようになった、そしてそれは逆に西アジアへ製法が広まっていくのだな。
この時に水を満たしたグラスを通して太陽光を集めると物を燃やすことができることや、グラスを通してものを見ると拡大できることもすでにわかっていたようだ。
ちなみに中国ではガラスの原料が少なかったからそのかわりに陶器が発達した」
「最後、なんか話がずれてるけど?」
そして今いる場所は都合よくちょうどガラスを加工している工房であった。
溶融したガラスを実際に粘土の型枠に流し込んでいる様子が見える。
「おや、お前さんがた見慣れない顔と服だな」
明らかにエジプト人とは違う日本である二人が学生服をきていても驚かないのは話の都合上仕方ないので気にしてはいけない。
「ああ、さすがエジプトは技術先進国だな」
「はっはっは、そう言われると照れるな」
二人と一匹は唐突に姿を消して新たな場所に移動した。
「もげたん、ここは?」
「9世紀頃のイスラーム文化圏のイベリア半島だよ」
ここぞとばかり太一は説明をする。
「ふむ、眼鏡の最初の発明者は9世紀頃のイスラーム文化圏のイベリア半島の科学者にして発明家であるアブル・カースィム・アッバース・ブン・フィルナース・ブン・ウィルダース・タークリニーことイブン・フィルナスが制作して使っていたらしい。
この人物はメトロノームのようなもの、プラネタリウムのようなもの、水時計なども作ってるが、透明なガラスの製造法を考案して、それを用いて眼鏡をつくったらしい。
ただしこれは現代で言う虫メガネやルーペのようなものでフレームは補強のためだけに使われたようで、予断だが彼は原始的な鳥型飛行機を建造してを飛行も試みているようだ」
「すごい発明家だったんだね」
ここはイブン・フィルナスの屋敷である。
「実際に今眼鏡を作っているようだな」
「よし石英を切断することでようやく推奨を輸入しないでも作れる、透明な人造ガラスの眼鏡が完成したぞ!」
「彼は天然の水晶に頼らないで石英を加工してガラスを作るということを発明したガラス製造においても画期的な発明をした人物でもあるんだな。
石英は二酸化ケイ素が結晶してできた鉱物で六角柱状のきれいな自形結晶をなすことが多いが、特に無色透明に近いものは水晶と呼ばれ、日本や中国では玻璃と呼ばれて珍重された。
石英は推奨に比べて非常に一般的な鉱物で、どこにでもあるのでそれだけ安価に作ることができるようになったわけだ。
二酸化ケイ素はいわゆるシリコンで特性はいろいろだったりするが、ガラスのもとには珪砂や水晶を使っているが人間の体だと皮膚などに多く含まれている。
そして瑠璃はラピスラズリ、玻璃は水晶やガラス、後は珊瑚、瑪瑙、翡翠、琥珀、真珠などあまり硬度の高くない好物などのほうが装飾品として加工しやすいため古代から中世にかけては価値があった。
ルビーやサファイヤ、ダイヤモンドなどの硬度の高い鉱物は研磨やカットの技術が発達するまではさほど帰蝶なものとは思われていなかったんだ 」
「お、おう、そうだがお前さんたちは一体?」
「気にしないでくれただの通行人だ」
二人と一匹は唐突に姿を消して新たな場所に移動した。
「もげたん、ここは?」
「11世紀頃の中国だよ」
ここぞとばかり太一は説明をする。
「この眼鏡という発明はヨーロッパでは広まらなかったがイスラム世界を通じて、中国にはかなり早く広まりマルコポーロの”東方見聞録”に中国で老人が書物を読むのにレンズを使用することが一般化されていると書かれているので、11世紀にはすでに中国では老眼鏡は当たり前に使われていたらしい」
実際に本を読んでいる老人が眼鏡を使っている様子が見えた。
「そうなんだ、ヨーロッパで眼鏡が広まらなかった理由はなんなのかな?」
「キリスト教の影響と紙を使う書物の流通量の差だな。
年老いて視力が悪くなるのは、神様による試練であるとされたから、神の試練に逆らうようなメガネは忌避されたらしい。
また紙の原料となる植物や水が豊富な中国と、水が貴重なヨーロッパでは書物の普及率にも大きな差があった」
「バカみたいだね」
「現代であればバカみたいと簡単に言えるが、そういう時代だったということだ」
「コンタクトレンズは?」
その時二人と一匹は唐突に姿を消して新たな場所に移動した。
「もげたん、ここは?」
「13世紀頃のイタリアだよ」
「うむ、コンタクトレンズの観念的な発明者はルネッサンス期のイタリアの発明家レオナルド・ダ・ビンチだと言われている。
しかし実用化されたのは17世紀も終わりの頃。
しかも、矯正視力は出来たが痛みのためほんの短時間しか目に入れられなかった。
これは20世紀にプラスチックが出現して痛みは緩和されたがやはり装着できる時間には制限があった」
その時二人と一匹は唐突に姿を消して新たな場所に移動した。
「もげたん、ここは?」
「もとの年代の日本だよ」
「そういえば今はコンタクトってつけっぱなしだよね」
「本来はあまりいいことではないがな。
1980年頃に酸素透過性ハードコンタクトレンズが開発、発売され長期間のコンタクトレンズの装着が可能になり、同じ頃にソフトコンタクトレンズも同様になった。
ソフトコンタクトレンズはその材質に水を含んでいるため柔らかく、酸素透過性も高く、ハードコンタクトレンズに比べ装用感も良いため、コンタクトレンズの普及率が飛躍的に高まったんだ 」
「なるほどね」
「最も眼鏡は眼球に触れないためコンタクトレンズに比べれば衛生的で、感染症や眼球に対するリスクが少ないというのがメリットで、視力が変わらない限りは長期間使用することができるからコスト的にも安いとも言える。
買うための手間はコンタクトよりかかるがな」
「そうだね」
「コンタクトは目やレンズのケアが必要であったりするが、フレームがないので見た目が裸眼と変わらず、フレームによる視界の制限や微妙な重さなどがないのがメリットだな」
「慣れるまではけっこう大変だよね」
「そうだな、どちらにも一長一短あるし、最終的には眼鏡とコンタクトのどちらを使うかは好みでいいと思う」
「そういえばメガネかけてると、なんかインテリっぽいっていうか、眼鏡キャラっぽいよね」
花江がそう言うと、太一は苦笑した。
「偏見的にそう言われるのはあまり好みではないな。
だが女子が眼鏡をかけるとなんとなく文学少女とか、女性がかけると秘書とか女教師というイメージになるのも事実だな」
「ああ、たしかにそう言われると納得だね」
「まあ、お前はコンタクのほうが可愛いと思うぞ」
「え、それって?」
「思ったことを言っただけだ」
「うわ、タラシだ」
「誰がタラシだ」
もげたんと呼ばれた謎生物はいつの間にか消えていた。