1-6
深々と頭を下げた英雄を前に、俺は慌てて、
「そ、そんなことないって。俺はただ一緒について行って出来ることをしただけだよ……すごいのは君たちだ」
「そんなことはありません! 皆、言っています。ヤジットさん抜きでは今回のーー」
グランフェディックの言葉を遮るように、派手な服装を着た太った男が前に出てきた。
周りの人間に「ちれっ」と合図をすると人がまるで蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。
そのまま太った男は俺を品定めする目で見て、
「……こちらはどなたかな? 我らを放っておいて我らが英雄となぜ話をしている?」
太った男はえらそうな態度の割に、背は小さく、顔の肉が垂れ下がっていて、指にはちょっとしたナックルガードになりそうなくらい数多く指輪をはめている。
『ステイタス』を確認すると、ブルガディ公爵とあった。四十二歳。もっと年上に見えたが、色々内臓系の病気を抱えているようで、そのせいで全般的に老けて見えるのかも知れない。こんな外見なのに、妻がいてさらに側室が五名。その他に娼館経営とか所持している奴隷が四十八人とか金貸し業をこっそり営んでいるとか、なかなか「すげぇなぁ」と思う情報ばかりで、俺がなんだか感心していると、ブルガディ公爵の背後に立っていたやけに背の高いおつきの者が耳打ちした。
「勇者パーティの旅路を支えていた人間、のようです」
実は俺の素性は基本的に明かされていない。知っているのはエレナ王女とあと勇者パーティの面々だけだ。
おつきの者の説明にブルガディ公爵はもっともらしく頷き(そのたびに頬の肉がたぷんたぷん揺れた)、
「ほう。なるほど。要は雑用係いう奴か。誰だそんな裏方を祝賀会に呼んだのは?」
「エレナ殿下でしょう」
「あの口だけ女か……と、これは言い過ぎか。顔立ちは綺麗なものだ。妻に迎えてやってもいいくらいだぞ」
ゲフフとブルガディ公爵は笑い、俺は思わず顔をしかめてしまった。俺の常識では公爵といえど六人目の側室に王女をというのはさすがに無理なのではないか。もしかして今の正室と離縁して新たに正室に、ということかも知れないがそれにしてもあまりにも似合わなすぎる。
すると、少し怒った様子のグランフェディックが
「公爵閣下、エレナ殿下とヤジットさんを悪く言うのはやめてください。二人とも私の恩人です」
とここにいないエレナ王女と俺に代わって抗議してくれた。やはりいい奴だ。
思いがけないところからの反論にブルガディ公爵は顔をしかめたが、すぐにグランフェディックに顔を寄せ小声で、
「英雄殿といえど、宮廷での作法には疎いのだな。とにかくここは未来の義理の父親に任せておきなさい」
小声だが丸聞こえである。未来の義父って……え? 婚約状態? そんな『ステイタス』はなかったが。
グランフェディックは辛そうな表情で、
「……しかし二人がいなければ実際あの冒険行は成り立ちませんでした……」
「くどい。お前の父親のダフタウン伯爵の借金を肩代わりしてやったのは誰かをもう一度思い出すといい」
面倒な話になってきた。
グランフェディックはうつむき、しばらくしてから決然とした表情で顔を上げた。
「……それでも彼らの命を賭けた功績をたかだか父の借金のために否定はできません」
ブルガディ公爵は目を剥いた。
「ハァ、まったく勇者などと呼ばれているが、物事の優先順位もわからぬのか。勇者と呼ばれてのぼせているのか? そもそも『勇者』などという曖昧なものではなく、デルトナであれば魔王を倒すこともできたのだ。で、あろう?」
ブルガディ公爵は振り返って自分の付き人にそう尋ねると、デルトナと呼ばれた男はあっさりと、
「ご命令とあれば」
と答えた。
その「当然」といった感じの返事に俺はびっくりして付き人の『ステイタス』を確認したところ、なんと、レベル58である。勇者を探すときにめぼしい騎士団は全部調べたがまったくいなかった高レベル冒険者がこんなところにさらりといたとは。しかも、詳細を確認すれば魔甲術士スキルが7という昨今の流行の戦闘法で最高クラスの人間だった。どうやら、デルトナという男は裏稼業においても活躍しているみたいでブルガディ公爵の公私にわたる護衛兼切り札らしい。思わず顔を見る。冷酷を絵に書いたような何の感情も感じさせない見ようによってはハンサムに見える顔立ち。それが俺を見下ろしていた。ってか、デカい。なるほど、確かにデルトナって人なら魔王としばらくは渡り合えるかも知れない。だがしばらくだ。
「なんと言われようと私にはエレナ殿下とヤジットさんの功績を無視することは出来ません」
折れないグランフェディックの態度にブルガディ公爵はいよいよ顔をしかめ大げさにため息をついて、
「いずれにせよダフタウン伯爵は終わりだな。親不孝な息子を持ったばかりに」
「なんとかしてみます。それが次の私の戦いです」
グランフェディックの覚悟を決めた表情が俺を慌てさせた。
どう場を和ませばいいのかわからないので俺はとりあえずヘラヘラした顔で、
「ちょ、ちょっと待って。いやぁすみません。俺が悪かったんです。すんません。マジですんません目障りで。グランフェディックも俺のことは気にしなくていいから。うん。大丈夫。じゃあ、そんな感じで俺消えるんで」
俺を切っ掛けにグランフェディックに迷惑をかけるわけにはいかない。手をひらひらさせて去ろうとしたところ、
「下郎如きどうでもいい。もはやこちらの問題だ」
ブルガディ公爵は俺の方をちらとも見ずに、グランフェディックをにらみ付けたままそう言った。
俺は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「ええ!?」
ブルガディ公爵は構わず、
「この無礼、宣言通りダフタウン伯爵にも償ってもらおうか……そういえば勇者殿には妹がいたな?」
グランフェディックの表情に険しさが増す。
「!?」
「借金のカタをどう取り立てるか、契約書によれば債権者の自由。ふむ。楽しくなってきたぞ。まだ勇者殿の妹は十二歳であったか」
ニタニタ笑みを浮かべるブルガディ公爵についにカッとなったのか、グランフェディックが剣の柄に手を掛けた。
「度重なる一族への無礼をこれ以上は捨て置けません。剣で晴らします」
「ほほう」
余裕のブルガディ公爵の前にずいっとデルトナが進み出た。
グランフェディックとにらみ合う。
俺がわたわたしていると、突然大勢の人が近づいてきた。
あれよあれよという間にグランフェディックもブルガディ公爵もデルトナも人の波に飲み込まれる。
グランフェディックもブルガディ公爵の姿も見えず、向こうの方に背が高いデルトナの頭部だけが見える状態で、何がどうなっているのかわからず人の波に揉まれながら混乱している俺の脇腹を誰かがつつき、そのまま手を引かれた。
気づくと人の波を抜け出していた。
俺を連れ出したその小柄な救い主はそのまま俺を中庭まで連れ出す。
「ふぅ……」
襟元を緩め、俺を救ってくれた相手に、
「ありがとな、ユーイン」
と礼を言った。
勇者パーティの僧侶ユーインは、
「……ん」
とうなずき、
「勇者も困ってた」
と続けた。