9-1 周回遅れの待ち合わせを。
半ば偽りの招待状を手に初めて招かれた評定会で過ごした時間は、まさに剥き出しの知識と知識で殴り合……いや、ぶつかり合い融合しあうような非常に興味深く、密度の高いものだった。
頭の中ではさっきまでの意見交換で思い付いた生成方法や調合の手順に、さらに細かな調整を加えて再構築していく。ここ数日で酷使されすぎた脳が熱暴走を起こしそうだ。
「く……ふわぁ……」
僕が立っているのは、今日の評定会の参加者達を見送った玄関ホールだ。未だ興奮醒めやらないものの、今まで萎れていた肺が新鮮な空気を求めるのか、間の抜けた欠伸が出た。
「あらあら、うふふ、大きな欠伸ねぇ?」
初めての評定会を終え、緊張でガチガチに固まっていた身体をようやく弛緩させていたところに真後ろからそう声をかけられて、驚かない人間は少ないだろう。弾かれたように振り返れば、そこにはフワフワとした微笑みを浮かべる三号店の店長、シェルマンさんが立っていた。
……全く気配を感じなかったことにゾッとしつつも、何とか無理やり笑みを浮かべる。
するとシェルマンさんの後ろから、やや呆れた様子のヴェスパーマンがこちらに歩いてくるのが見えた。
「ミス・シェルマン、あまり若手を驚かせてやるな。特に五号店のは……これが初めての出席だ。学ぶことも多かっただろうが、それ以上にまだ緊張が解けていないだろう」
分厚い年季の入ったノートで肩を叩きながら歩いてくるヴェスパーマンを見たシェルマンさんは「年寄り臭いわねぇ」とからかうように笑った。落ち着いた空気を纏っている二人は、先程まで繰り広げられていた狂乱ぶりなどなかったかのように穏やかだ。
あの肩叩きに使用されている分厚いノート端に付着した茶色いシミが何で出来たのか知ったときには、ヴェスパーマンも意外と脳筋なのではないかと戦慄した。
まさかあれで他工房の職人と殴るとは……と。一応ポーション職人の中には、冒険者と併用して工房に名を連ねる変わり者もいるにはいる。当然と言うべきか、難易度の高いポーションの材料は高ランクの冒険者が行くような場所に多く生息しているからだ。
今ではギルドに依頼を持ち込むのも珍しくはないが、昔は今よりもポーション職人の地位が低かった為に、そうした採取を受けてくれる冒険者が少なかったのだとか。
そのせいで一時期、武装ポーション職人などという謎の職業もあったのだそうだ。流しの職人が多く、当時はそれが主流だったそうだが……今のように街に店舗を構えるようになったのは割と近代らしい。
原初の地層に生える植物には人間のまだ知らない作用を持ったものも多く、近年では古い地層から発見された種子などを発芽させる研究も進められている。今回の評定会に出席した者の中にはその研究に力を入れている工房もあったので、もしかすると数年後には古い品種を復活させて現代の調合に使用できる日がくるかもしれない。
「それで初めての評定会に出席してみた感想はどうだ? 元・落ちこぼれのヘルムート」
一瞬意識を飛ばしていた僕に向かって、フッと、ヴェスパーマンが唇の端を持ち上げてそう訊ねてくる。落ちこぼれという言葉の割に、そこに含まれるのは嘲りの色ではなかった。
答えを促されて少しだけ考え込む。初めての評定会は僕が思っていたよりもずっと小規模で、呼び出される名誉などというよりも、どちらかと言えば腕の確かな職人同士の勉強会のような体だった。
気安くはないものの、堅苦しくもない。参加者達はそれぞれ得意な分野が違っていて新しい発見や刺激になったし、各工房によっての採取や調合をする際に持つ理念の違いなども面白かった。
――以上のことから、僕は思ったままを口にしてみる。
「あぁ、と、そうだな……何というのか、思っていたよりも大したことのない規模なんだな、と。一年分の中間評定を洗い直して評定し直す会だと思っていたから、もっと大仰なものを想像していた。それに、他工房の職人も召集されているとは知らなかった」
しかし何とかつっかえながらも導き出した答えは、ヴェスパーマンにとっては月並みな発言だったのか、フン、と鼻で笑う気配がした。
「ふむ――まぁ、その想像も間違いではないが、何も評定するのに規模は関係ない。ポーション職人として必要なのは他者を黙らせる実績と知識だ。一つの工房の職人が得られる知識も技術も高が知れている。職人の世界は横並びだ。得られる伝手が多いのに越したことはない。次回はもう少しマトモな解答を期待しているぞ?」
どこか苦笑混じりなヴェスパーマンの声と、僕達のやり取りを見守りながら柔らかく微笑むシェルマンさん。何となく二人の視線がむず痒くてどんな態度を取れば良いのか迷う。
久し振りの見習い気分とでも言うのか、思わず頷いてしまっていた。
今日執り行われた評定会の参加者での顔見知りは、中間評定で最高点を六回取ったヴェスパーマンと、シェルマンさん、そして【アイラト】という組織のトップに立つ……この場合はアルミナの右腕であるフェデラーだけだ。
それ意外は他工房から出向いた職人だった。恐らくは向こうの評定会を潜り抜けた腕に覚えのある職人達なのだろう。うっすらと考えてしまったのは、その中に“六華選”の新メンバーも含まれているのだろうということ。あんなことがあったので、新設されても顔が割れることはないメンバーに僅かに恐怖心を抱いてしまう。
すると――、
「あぁ、心配しなくても大丈夫よ? わたしとヴィーでそれとなく当たりは付けておいたから。何かおかしなことがあってもすぐに分かるわ」
そんな僕の心中を察してか、おっとりとシェルマンさんがそんなことを言ってくれる。ありがたい反面、何故考えていることが分かったのかと、少し得体の知れない物を感じた。
「まぁ、そういうことだ。あまり気にする必要はない。それよりもその水晶箱……評定会中一度も開かなかったが、何が入っているのだ?」
「そうそう、それにそのヴィーのノートに引けを取らない分厚いノートも、ねぇ?」
二人して仲良く顔を見合わせて小首を傾げるところを見ていると、まるで長年連れ添った夫婦のように見える。
「お二人はもうご存知だと思いますが、これは年始に僕が一号店の店主になるに相応しいかを見極めて貰うための物です」
最初から用意しておいた説明をすると、二人は納得してくれたのか、小さく頷き合って僕に向き直った。
「――そうか、そういうことならまた年始の挨拶の時にでも見せてもらおう」
「うふふ、貴方ここ二年で見違えたわ。うちのお弟子ちゃんじゃないけれど何だか感慨深いわね~」
どこか嬉しそうにそう言ってくれる二人を前に、思い切って僕はこの提案をフェデラーにされてから、ずっと不安に感じてことを訊ねてみる。
「お二人は、僕が工房の名前を背負うことに……その、分不相応だと、孤児の出の僕が【アイラト】のトップに据えられて、工房の名前に傷が付くとは思いませんか?」
口に出してみると、それは思ったよりもずっと重く心にのし掛かる。別に近年では孤児が工房に入ることも珍しくはあるが、無いわけではない。ただその事例はあっても、孤児がトップに付くということは異例だ。
水晶箱の持ち手をきつく握り締めて震えないよう二人を見据える。その瞳に嘲りの色が浮かぶかもしれない――そう怯えて。
けれど二人はジィーっと僕を観察した後、眉を顰めて言った。
「努力に見合った結果が出た。そのことを誰がとやかく言えるのだ」
「例えばだけれど、私とヴィーは自分のやりたい研究しかしないわね? それは助けられる人の範囲がずっと狭いということなの。だから広く研究を重ねて、あの五号店で色々な種類の悩みを抱える人達に寄り添う貴方の在り方は、正にこの【アイラト】という工房の信念を体現しているわ」
「何か勘違いしているようだから言っておくが――……わたしが以前までお前を小僧だ貴様だと呼んでいたのは、お前のそういう所が気に食わなかったからだ。今日は残念ながら来られなかったが、恐らくコンラートもそうだったのだろう」
苦々しいヴェスパーマンの言葉に首を傾げると、そんな僕に舌打ちをしたヴェスパーマンに横からシェルマンさんの笑顔の圧力がかかる。
「腕があるなら、自信を持て。努力を惜しまなかったのなら、胸を張れ。そんな簡単なことも出来ない人間に誰が敬意を払うと思うのだね?」
そう言って神経質な眉を少しだけ下げたヴェスパーマンの鋭い眼差しは、この二年の間に随分と温かな色に変わった。隣のシェルマンさんも良くできましたとばかりに微笑んでいる。そんな二人を見ると胸の内側が燃えるように熱くなった。
視界が歪んで溶け出しそうになるのをグッと堪えていると、ヴェスパーマンが一歩近付いて僕の頭をぎこちなく、一度だけ撫でる。
「どうやら迎えが来たようだ。みっともない顔をするな」
僕の背後に視線をやったまま、そう呟くように言ったヴェスパーマンに強く上から頭を押さえつけられて前のめりになると「何をしている」と怒られたものの、身長差を考えて欲しい。ヴェスパーマンの斜め後ろで笑いをかみ殺していたシェルマンさんが、僕の背後から近付いてくる人物に“天地の礼”を取る。
それに少し遅れてヴェスパーマンも手にした荷物を床に置き、やや慇懃ながらも礼を取った。二号店と三号店のトップが“天地の礼”を取るような人物は【アイラト】でもただ一人。
この後に腹を割って話す相手とはいえ、今は背中を向けたままでは拙かろうと、二人に倣って振り向き様にその場で礼を取る。
フードを目深に被った人物……【アイラト】の現・トップであるフェデラーは、僕達に向かって鷹揚に頷いた。言葉を発さずに手袋をはめた指先で僕に付いて来るように促すと、後の二人には見向きもせずに今し方来た方へと再び歩き出す。
ソッとヴェスパーマンを仰ぎ見れば視線だけで付いていくように促され、シェルマンさんも同じように微笑みを交えて頷いた。温かみのある二人の視線に頷き返して一人“天地の礼”を解いて立ち上がる。
先で僕を待つために立ち止まっていたフェデラーの元へと急いで振り返れば、二人がまだ礼を解かずに頭を垂れている姿が見えた。
***
「お前という奴は指定しておいた待ち合わせ場所に行けば長々と……話し込むなとは言わんが、別の日にしろ」
そう二人になった途端に砕けた様子になるフェデラーに苦笑する。目深に被っているフードを少しだけ持ち上げた下から見える表情には、最後にあった日のような焦燥感はどこにも見当たらない。
そのことに少し安堵しつつ、どこにフェデラーの感情を乱すスイッチがあるか分からないので、それとなく観察する。
「本当なら今日はこれでと言ってやりたいところだが、我がマスターがお前をお待ちだ。ついて来い」
僕の探るような視線に気付いたのか、フードの下で眉根を寄せてそう呟いたフェデラーが身を翻す。“それとなく”という行為の難しさを感じた。先をいくフェデラーの背中を見ながら、一号店の中へと引き返す。
今日は年末最後に執り行われる評定会の為に【アイラト】の全店舗が休業だ。それは一号店と言えども例外ではなく、常ならば忙しく立ち働く見習いの姿もない。先々とこちらを振り向かずに歩くフェデラーの足が止まったのは、あの倉庫の地下三階へと続く階段だった。
「俺が案内できるのはここまでだ。ここから先へはお前だけ通すようにと言われている」
切り落とされた腕が疼くのか、義手の継ぎ目を撫でるフェデラーが不安げに僕と階下へと続く階段の間で視線を彷徨わせる。そんなフェデラーの様子に、ここへ案内されるまで早鐘を打つようだった心音が徐々に落ち着いてきた。
「うん、あれだ、フェデラー。少しはこの兄弟子を信じてくれ」
何となく口をついて出た“兄弟子”の響きに、あぁ、そういえば自分は一応フェデラーよりも先に彼女に師事したのだと思い至る。
「なっ!? 誰がお前の弟弟子だ! 思い上がっていないでさっさと――、」
「あぁ、さっさと僕達の師匠マスターのご機嫌伺いをしてくるよ。ただ何せ十年以上ぶりだから……相当怒られるかもしれないだろう? だから、もしも二時間経っても僕がここに戻らなかったら、そのときには、フェデラー」
冗談と本音を織り交ぜた僕の言葉に、フェデラーが息を飲んだ。
「パウラを、」
その一瞬だけ見開かれた金色の双眸に、ここにはいないパウラを重ねる。
「黎明祭に連れて行ってやって欲しいんだ。僕が約束の時間に現れなかったら、きっといつまでもいつもの喫茶店で待ってるだろうから」
ニヤリと笑ってそう続けた言葉に、フードの下で思い切り安堵の吐息を吐いたフェデラーが僕に向かって「紛らわしい言い方をするな! 早く行け」と悪態を吐く。
小さく頷いて薄暗い階段を下る背中にフェデラーの視線を感じながら、心の隅で“良かった”と囁いてみる。
――あぁ、良かった。
きっとこの嘘は、今までで一番上手く付けた、と。




