8-3 真夜中の冒険者。
フェデラーから届いた手紙でレヴィーの訃報を報された僕とパウラは、急いでヘンリエッタの元に向かった。しかし意外にも彼女はそこまで取り乱してはおらず、僕達を含め、葬儀に参列した人間の相手を新たな“女店主”として取り仕切っていたのだ。
その隣ではフェデラーが葬儀の参列者を一瞥し、話しかけられれば多少の相手をしたりしている。少し前の彼からは考えられない驚きの光景だ。
最初はぎこちなくお悔やみをヘンリエッタに述べたのだが……見る見るうちに瞳に涙を溜め始めた彼女をパウラと二人がかりで抱きしめて宥め、今度こそ心からの言葉で彼女を労うことが出来る。
棺に納められたらレヴィーは少女のようにうっすらと微笑んで、最後にあった時よりも美しく見えた。純白の花で全身を覆うように包まれたレヴィーはまるで、今から長年想い合った夫の元へ嫁ぐ花嫁のようだ。
実際ヘンリエッタもそう思っていた様子で「お花で埋もれて見えないけど、先生の用意していた死装束、レースをたっぷり使ってて、ウェディングドレスみたいなの」と僕達に泣き笑いを見せた。
その後、何の問題も危うさもなくヘンリエッタは見事に喪主を勤めきり、訪れた参列者の中でレヴィーと仕事をしていた職人達に挨拶をして回った彼女は、無事レヴィーの後任者として新たな工房主と認められる。
「正直、まだまだ先生の足許にも及ばない腕前ですけど――頑張って、いつかパウラさんを惹きつけた先生の作品みたいなの、造りますね!」
別れる時にのんびりと間延びした喋り方を封印したヘンリエッタが、うっかりするとぶつ切りになりそうな言葉を何とか固着させてそう言った。
「えぇ、楽しみにしていますね」
「出来たら手紙で報せてくれれば駆けつける」
「ふん……じゃあな、泣き虫女」
僕が差し出した手をおずおずと握ったヘンリエッタが嬉しそうに笑う。彼女らしい柔らかくて暖かな微笑みから、きっと――存外近いうちに彼女の調合したパフュームが、このフェデルの街で女性達の話題に上がるかもしれない。
いつになるかは分からないが、そんな楽しみな予感を胸に、僕達は前回の別れとは違う温かな気持ちでフェデルを離れた。
***
フェデルから戻ってすぐに、僕は五号店の工房でフェデラーの右腕の調節をしてみたのだが……やはりまだまだ長さが足りない。そこで事前にフェデルで注文して取り寄せておいた義手を取り付けてみたところ、思いの外かっちりと取り付けることに成功した。
本当は自前の腕が良いのだろうけど、やはり重心がいつまでも傾いたままだと他の部位の生長も阻害してしまう。
接地面を滑らかに削る行程を、僕の後ろから恐る恐る覗き込んでいたパウラに向かって「また気分が悪くなるぞ」と、ぶっきらぼうではあるものの、不器用なりに気遣う素振りは何となく姉と弟のようで微笑ましかった。
さすがに取り付けた直後は憔悴していたので泊まっていくと良いと言ったのだが、フェデラーは思うところがあるのか「いや、俺は一度マスターの所に戻る」と答えて三時間ほど前に帰って行ったのだが……。
「フェデラーをあのまま帰してしまって本当に良かったんでしょうか?」
時間はすでに深夜だというのに、二人して何となく眠る気になれずぼんやりと工房で過ごしていたのだけれど、ちょうどパウラも同じことを考えていたのか、ポツリと心配そうにそう言った。
僕としてもあの場で口にすることは憚られたものの、今までのフェデラーのマスターが彼にしたことを思えば、勝手に消息を絶った後に戻ったとなると今度は何をするか分からないとう不信感。
パウラの視線を追って窓の方を見れば、外は当然真っ暗で秋の夜はひっそりと静まり返っている。静かな夜というものは心が平穏である時ならば良いものだが、そうではないと急に不安を掻き立てるものへと変貌してしまうから不思議だ。
「じゃあ、今から一号店に行ってみようか」
呼吸のついでのようなふとした思いつきで口に出してしまえば、それはとても良い解決法のような気になった。しかし急にいつもなら絶対にしないような突飛な提案をした僕に「え?」と戸惑った声を上げたパウラは、金色の瞳を驚きに見張る。
「フェデラーのマスターが一号店の見習いなら、多分見習い用の宿舎に住んでいると思う。それにフェデラーも見習いだから同じ宿舎にいるはずだ。僕がいた当時の抜け穴がまだ使えるようなら、中に入り込めるかもしれない」
まぁ、ここでの問題は部屋を当てられるかなんだけれど、昔と変わらない少数制システムなら全部で三十室くらいしかないはずだ。一号店から三号店は外からの見習いを受け入れてはいても、能力が抜きん出ている職人は他の同業者からの保護の為に囲い込む。
そして三十室の中でも一番部屋数の多い五人部屋が十二、次いで多い三人部屋が八、二人部屋が六、一人部屋が四となっている。総勢しても百人しか入りきらない宿舎の中でも“部屋持ち”と呼ばれる存在は二人部屋からだ。
フェデラーはあの地下二階に相当する腕を持っていると認識されているなら、まず間違いなく“部屋持ち”と呼ばれる存在だろう。だったら当たる部屋は僅かに十。マスターも恐らく同室か、一段上の個室だと推測出来る。
勿論建て増されていれば即撤収になるだろうけれど、ここでソワソワしながら朝を待つよりはずっと良い。五号店にされてからすっかり苦手意識がついて、中間評定によりさらに溝が深くなってしまった一号店の情報に疎い僕でも、さすがに宿舎の建て替えなどという大きな情報を聞き流すとも思えない。
「中に入り込めたところで僕達に出来ることがなかったとしたら、それに越したことはないだろう?」
話ながら立ち上がって準備をし始めた僕を見て、パウラも慌てて支度を始めた。まだ十月の中頃を少し過ぎたばかりとはいえ、パウラ達には気温差の調整が難しい季節だ。
「ほら、そんなに慌てなくて良い。僕にはフェデラーも大切な友人だけど、パウラだって大切な存在なんだから」
内心ややパウラの方が扱いが上だとは自覚していても、さすがに口にするのは憚られたので濁す。それを聞いたパウラは嬉しそうにはにかむと、この季節にしては少し厚手のショールを上に纏った。
「よし、それじゃあ……行こうか、パウラ」
少しおどけて見せる僕の手に、緊張気味だったパウラも微笑んでその手を重ねてくれる。僕の装備はマホロ特製の“超遮音耳当て・改”とお手製の護身用ポーションが数本。あとは、使わないで良いことを願ってしまうあの懐中時計。
一方のパウラはマホロ特製のペンダント以外はほぼ身一つの状態で、何の迷いもなく僕について来るつもりでいるのだから、責任重大だ。
「マスターと一緒なら、どこへでも行けそうですね」
そんなくすぐったい言葉を胸に、僕達は真っ暗な外の下を一号店に向かうことにした。
真夜中の街は人の気配がなく、僕とパウラだけの世界のようで。二人して今から向かう先への不安と、この世界のコアになったような気分を味わいながら歩く。途中でコンラート達の四号店を見に行ってみたら、コンラートの自室にはまだ明かりが灯っていた。
こんな時間まで何か本でも読んでいるのだろうか? 見た目の割に真面目な友人に心の中で“お疲れさま”と声をかけて通り過ぎる。
そして、ようやく見えてきたのは蔦の生い茂る古い煉瓦造りの威圧的な佇まいをした宿舎だった。久し振りに――確か十七歳で五号店に配属になってから、今年で二十七歳になるということは、およそ十年ぶりくらいの宿舎だ。
工房アイラトでは独り立ちしたポーション職人は、一号店から十分くらいの場所にあるせいで特別来ようとでも思わない限り、まずここへ来ることがない。そのせいもあって蔦の絡まる懐かしの宿舎の前に立つと、当時の嫌な記憶がまざまざと思い出されて情けないことに足が竦んだ。
あの頃は工房に孤児出身者はまだ僕だけだったし、この仕事もまだまだ男社会だった。そこにそんな得体の知れない人物が宿舎住まいとあっては虐めに合わないはずがない。
『おーい、ここまでされても抵抗一つしないなんて、お前人間じゃないんじゃないの?』
『アハハ、言えてる言えてる! お前に友達が出来るように、ヤサシーおれ達が徒名つけてやるよ』
『んー、すげぇ弱虫ちゃんだから……ノミの心臓。ノミの心臓のヘルムートなんてどうだよ? ぴったりじゃん!』
毎日毎日、殴る蹴るの暴行を受けては自分で造ったポーションで回復する日々。思えばあの日々のお陰で他の同期より成長が早かったのかもしれないのだから、皮肉なものだ。
そんなあんまり嬉しくもない感慨に耽っていたら、隣からパウラが心配そうに僕を見上げていることに気が付いた。
「大丈夫だよ、パウラ。少し懐かしいことを思い出していただけだ、から……」
そこでふと、僕はあることに気付いた。考えてみればフェデラー、あいつも昔の僕くらいぼっちだったなということに。
「あのさ、パウラ」
「はい?」
「意気込んで出てきたのに申し訳ないんだけど、もしかするとフェデラーを見つけるのは、意外と簡単かもしれない」
言いながら格好が付かない気持ちになってきて、頬に血が上る。この宿舎にはあの後、僕のような出自の人間のことを考慮したのか、入寮して四年後に“ぼっち専用ルーム”が作られたのだ。
能力云々ではなく、周囲にハブられたことによって精神的に異常を来しそうな人間に与えられる、不名誉極まりないあの個室。とはいえ、実際いまもまだそこを使っているのか、そもそもここに住んでいるのかも分からない現状では取り敢えず行ってみた方が早いだろう。
「まぁ、そうなのですか? さすがはマスターですね!」
嬉しそうに僕を讃えてくれるパウラからほんの少し視線を逸らして頷く。本当にそんなキラキラした目で褒められるようなことでもないのに、何だか意図してのことでなくとも騙しているようで心苦しいな……。
抜け道のある宿舎裏まで移動した僕達は、下草の茂っている宿舎の壁伝いに頭上にある窓に気を付けながら歩く。
神経質な寮生がいれば、草を踏み締める音で気付かれないとも限らない。だから面倒ではあるが風が鳴る時に合わせて移動を繰り返して、目的の僕がいた頃は物置部屋として使用されていた角部屋の窓下まで辿り着く。
この角部屋は半地下式になっていて、直前の部屋の窓枠よりも少しだけ低い位置にある。僕はそのやや低い窓枠の下に潜り込み、一つだけ“欠け落ちた”ようになっている煉瓦に足を掛け、周囲に気を配りながら小刻みに古びた窓枠をカタカタと揺する。
少しずつ、少しずつ、当時と同じように小刻みに窓枠の鍵が動くところを見ると、まだこの抜け道は使われているようだ。苦笑混じりに鍵を動かす僕を見上げていたパウラと目が合う。何がそんなに楽しいのか、視線が合った途端に金色の瞳は半月に細められる。
ただ不思議なもので、僕も意味も分からず込み上げる笑みを彼女に向けた。お互いに唇の前で指を立てて、この悪戯が成功する瞬間を心待ちにする。
…………カタカタ…………カタカタ、カタ、カタ、ン。
最後の一揺らしでついに落ちた鍵に、その瞬間二人して視線だけで喜びを分かち合う。
ソッと窓枠を持ち上げると、微かに新しい機械油の香りがする。恐らく誰かが……いや、下手をしたら寮生達全員でここの窓枠が錆び付かないように手入れをしているのだろう。先に室内に身を滑り込ませ、壁に耳を当てて隣室の気配を探る。
どうやら誰も起き出さなかったようで、隣室からは時折歯軋りといびきが聞こえてきた。ここは確か五人部屋だったなと、過去の間取りを脳内に思い浮かべる。あまり物音を立てない方が良いのは当然だが、五人がかりの大合唱のお陰でだいぶ忍び込むのは容易い。
僕は壁から離れると、窓枠の下で待っていたパウラに手を差し伸べて室内に引っ張り上げてやると、抱きつくようにして床に降り立ったパウラが、僕の耳許に唇を寄せて“真面目なマスターがこんな悪戯に慣れてるだなんて、意外でした”とソッと囁いた。
だから僕も……クスクスと笑うパウラの耳許に、少し屈んで“なかなかのものだろう?”と囁き返す。
懐から出した懐中時計を窓枠から微かに入る月明かりで照らせば、二時半となっている。ということは正確な時間は二時から二時十五分か。
見習いが起き出すのは早くて五時半。
ザラリとした内蓋の魔法陣を指の腹でなぞった後にパチンと閉じる音を合図に、僕とパウラのフェデラー姫を探す小さくて短い深夜の冒険が始まる。




