7-5 未完成は、失敗作ではないはずだ。
フェデラーが突然昼食時に姿を現さなくなってホッと一息ついたのも束の間。一週間も経つと僕とパウラはどちらともなくソワソワと落ち着かない心地になった。
パウラは「そのうちまた何でもない顔をしてやってきますよ」と言いつつ、毎日扉が開くと弾かれたように顔を上げる。
僕としてもあの身体で今頃どうしているのか心配になった。なので取り敢えず一号店に今月分の中間評定に提出するポーションを手に、本店の人間に彼の行方を訊ねてみることにしたのだが――。
「いくら何でもおかしい……」
思わずそう呟いてしまうくらい誰もフェデラーの行方を知らないのだ。存在が確認できない訳ではなく、在籍の記載は名簿にもちゃんとある。
それなのにどこの誰の紹介で入ったのかや、今回どのような部署に異動になったかなどのこれまでの経緯が一切の空欄なのだ。
僕はことここに至るまで、絶対に誰か……少なくともよくコンタクトを取るであろうマスターの存在くらいはすぐに分かるだろうと高を括っていた。
けれどそんなことは全くなく、フェデラーという“人物”は雲を掴むような存在として僕を悩ませる。あれだけ悪目立ちする性格でありながら、言葉を交わしたことのある同僚が極端に少ない。
みな「あぁ」だとか「おぉ」だとかいう相槌くらいしか聞いたことがないらしく、人当たり云々の問題ですらなかった。
……僕よりもぼっちとかありえないだろうあいつ……。
軽く同情と親近感を感じながら、今日は少し攻める方向を変えてみようかと以前一号店でよく仕分けの作業を頼まれていた倉庫の見習い達に話を聞いてみようと思っていたのだが――手をかけた倉庫のノブが動かない。
鍵がかかっているのだと気付いて近くにかかっている搬入日カレンダーを見ると、今日の日付に赤い丸が付いている。
「あ、今日はそういえば“勉強会”の日か……」
“勉強会”はそれぞれ 店舗――とはいっても、一号店から三号店までしか見習いを囲ってはいないので実質この三店舗内での研究の発表や意見交換の場として昔からある。
最近では全く関係のない行事になっていたのですっかり忘れていたが、今日は運悪くその日に当たってしまったようだ。
出直そうか無駄と分かりつつ下位の見習い達に話を訊いてみようかと僕が悩んでいると、部屋の反対側にある棚の影からゴトリとやや重い物音がした。
一瞬無視しようかとも考えたが、ここにはいま僕の他に誰もいないし、何よりこの倉庫は一定の階級を持つ職人しか立ち入れない地階にある。最下層は地下三階まであるがここは地下二階。
――さっき入口の立入名簿には僕の名前しか記載されていなかった。
ここに僕よりも後で立ち入った者がいないとも限らないが、その人物はいまここにいることが不自然な人間ということになる。何故ならここに立ち入れる階級の見習いは全て“勉強会”に出席していなければならないからだ。
これはシェルマンさんとヴェスパーマンが言っていた工房内に巣くう物取りかもしれない。
僕は腰に提げている護身用の攻撃特化型の強酸性のポーション瓶にソッと手をやりながら、物音のした棚の方に注意深く足を向ける。
「――誰だ? 誰かいるのなら出てきてくれないか?」
声では穏やかに告げるが、瓶を握る手には力がこもった。
しかし――棚の影から相手が姿を表した瞬間、僕は瓶を投げつけるよりも早く駆け寄ってその腕を掴んだ。
「フェデラー!?」
けれど掴んだと思った腕の片方の袖は、クシャリと頼りなく僕の手の中で握り潰されてしまう。ギョッとして肩口まで手を這わせれば、右腕の肩口からその先が切断されているのだと分かった。
「……何でこんなところに来た、お前はここに来るべき人間じゃないのに」
弱々しくそう呟くフェデラーは、たった一週間と数日の間にか弱い輪郭線の個体に変化していた。やつれきったその表情から、恐らく無理やり急激な肥料の過剰接種をさせられたのだろう。
「その姿はどうしたんだフェデラー!? 誰がこんなこと……っ!!」
意識の薄いフェデラーから反応を引き出そうとガクガクと揺さぶりながら声をかける。しかしフェデラーからはあの僕を蔑むような感情も、憤りも感じられない。
ただの抜け殻めいた虚ろな金色の瞳が僕を見据えたその口許が、自嘲気味に弱々しい微笑みを浮かべる。
「……俺達はポーション職人のお前達にとってはただの材料の一つだろう。何故お前がそんなに慌てることがある? お前のパウラだって……こう使うつもりで傍に侍らせているのだろうが」
憎まれ口を叩いてもその声音とすっかり華奢になった身体では、以前の威圧感など感じられるはずもなかった。
「ふざけるなよ、フェデラー。僕はそんなつもりで彼女を傍に置いている訳ではないし、お前のことをそんな風に感じたこともない」
グゥっと喉の奥が詰まって、やけに低く、くぐもった声になる。その声に不安そうに眉根を寄せるフェデラーは、あの自信家な姿を欠片ほども残してはいなかった。
そんなフェデラーの姿を見て、呼吸が乱れるほどの激しい怒りが僕の身体の内側を浸食していく。
そしてその怒りを感じている相手は、勿論目の前で途方に暮れたような顔をして僕を見据えているフェデラーでもない。
「……フェデラー、さっきの君の台詞はそのまま返そう。君はこんな場所にいるべきじゃない。僕と一緒に帰ろう」
そう言ってソッと壊れ物を扱うように小さくなったその肩を抱き寄せてその背中を撫でると、腕の中でフェデラーの身体が強張った。
「――大丈夫だ。もう誰にも君を傷つけさせたりしない」
男でも女でもない未分化の身体は、冷たくて、儚い。
「駄目だ、嫌だ……!! せっかく薬効の強い個体に、ようやく後少しでマスターの望む女性体になれるんだぞ? だから俺はここにいるべきなんだ。そうマスターが望まれる限り俺は、俺だけは、あのお方の力に――!」
しかしそれまで大人しかったフェデラーが、急にそう人が変わったように騒いで腕の中から逃れようと暴れ出す。
“どうしてここまでされて”、“まだそんなこと信じたいのか”そんな言葉が頭の中を焦げ付かせそうにさせる。だが今それを言ってしまえばフェデラーの精神は異常をきたして壊れてしまうかもしれない。
だから僕は、口の中が鉄の味に占められるほど歯噛みしながら、胸の内の激情を必死に抑え込んで、努めて優しく腕の中のフェデラーに囁いた。
「なぁ、フェデラー? パウラも君を心配している。だからここは一旦僕達の工房においで。このままだと分化が不十分で君はどちらにもなれないで枯れてしまう。僕がきちんと調節してやるから、また元気な状態に治ってからここへ戻ろう。――それでは駄目かい?」
これで駄目ならどうしようかと心配していた僕の腕の中でうなだれたようにフェデラーが、小さく、小さく頷いた。
***
フェデラーを救出して二日後の早朝。
結局の所このまま僕の工房に匿ったところで、あっという間にフェデラーの変質的なマスターに見つかるのがオチだと結論づけた僕とパウラは、まだ人気のほとんどない乗合馬車乗り場で二手に分かれて旅立つことにした。
行き先は僕が魔道具の街【デルフィア】、パウラとフェデラーがポーション職人御用達の素材の街【フェデル】だ。どちらもこの街の職人達を見かけることもなかったし、比較的安全なのではないかと思う。
二人にはフェデルでお世話になったミセス・オリヴィエとヘンリエッタに手紙を寄越して、すでに身柄の保護を頼んである。
如何に絶命歌を持つマンドラゴラとは言え、弱ったフェデラーは歌える状態でないし、僕の戦力など悲しいかな零に等しい。そこでミセス・オリヴィエとヘンリエッタ達という第三者の人目のある場所に、パウラとフェデラーを送り込むことにしたのだ。
これであれば相手のマスターも、他の街に出向いて騒ぎを起こすという越権行為を僅かばかりでも働きにくいはず……というのが僕の狙いである。
僕は【デルフィア】のあの魔道具屋の店主に会って、もしもの時に僕にでも扱える武器を少々見繕ってもらいに行くことにした。
実際そう上手く行くかは分からないが、匿ってくれる二人に危害を加えられそうな場合はパウラにフェデラーを連れて逃げてもらう。
そして今回フェデルを選んだ最大のポイントは、パウラにはフェデルの街でフェデラーの気力を回復させる為に、遅効生の肥料を調合してもらうことになっているのだ。その分、パウラの荷物の方がややが僕よりも多い。
調合を書き込んだ用紙や書物、一日毎の経過をグラフに残してもらわなければならないのでグラフ用紙など紙が大半だ。それにフェデルは素材屋は多くても書店や文具店はそんなに多くもなかった。
「――それじゃ、パウラ。君にばかり大変な仕事を押しつけてしまってすまないが……くれぐれもフェデラーを頼んだよ」
「はい、フェデラーのことはこの私にお任せ下さいませ。それに、同種族であるフェデラーの危機を救って頂いてありがとうございます」
硬い表情でそう言うパウラの頬に右手を当てて少しだけ微笑んでみせると、彼女は僕の右手を両の掌でしっかりと包み込んで金色の瞳をほんの少し潤ませて僕を見上げた。
……きっと心細いのだろう。あんな姿になってしまった同族を見てしまっては無理もない。
「フェデラーのことは勿論だけど、パウラ。どうか君も気をつけて」
「マスターもくれぐれもお気をつけて……」
押し付けるように僕の右手に頬を寄せるパウラ。その触れたままの掌からじんわりとした温もりを感じて、ふとまだ今朝から一言も口をきいていないフェデラーが気になった。
「――フェデラー、君も……」
そう僕が声をかけると小さくなった身体を少し引いたフェデラーに、パウラが僕の右手を握っていた両手のうち右手を差し伸べて「おいで」と呼ぶ。
すると俯いていたフェデラーが躊躇いがちではあるものの、こちらに歩み寄ってきた。僕とパウラがすかさず手を伸ばして引き寄せると、この三人のメンバー内では一番体格が良かったフェデラーが意図も容易く抱き寄せられてしまう。
パウラの右手がフェデラーの腕を。
僕の左手がフェデラーの袖を引き寄せる。
空っぽになった袖を少しもの悲しくも感じ、けれどこうして逃げ出さずに抱き寄せられたことに安堵して三人で円陣を組むようにして額を合わせた。
「二人が――僕が迎えに行くまでどうか無事に過ごせますように……っ!」
抱きしめる温かさと冷たさの間で、僕は心中ポーション職人の自分の身勝手さをなじる。
もし最初にパウラに出逢わなければ、僕は――本当にフェデラーの言うとおり他の人型をとってしまったマンドラゴラを、彼のマスターと同様に材料として使っていたのではないか?
もう文献でしか知る術のない、遥か古の御伽噺。奇跡の薬、伝説の薬とも呼ばれる【エリクサー】。
もしもそれを自分の手で生み出せるとしたら? その材料が手許にあったなら?
……そう心のどこかで少しでも自問自答してしまう“職人”としての自分が、僕は一番恐ろしかった。
すると、知らず知らず震える僕の身体をパウラが一層強く抱きしめる。そして片側から表情は窺えないが、フェデラーの身体がもたれ掛かってきた。
「マスター、私とフェデラーのことでしたら大丈夫ですよ。それよりも、マスターだって一日も早くこちらに合流して下さるようにお願いしますね?」
わざと悪戯っぽく微笑むその表情が、上手くいっていないと指摘する者は誰もいない。
だから僕達は精一杯にお互いの身体を抱き締めて……何日後になるか分からない無事の再会を誓うのだった。




