6-2 特殊言語使いと翻訳機との午後ティー。
定休日の昼下がり、広場近くのカフェにて。
「封書がお前が不在だと本店に送り返されていたぞ。全く……要件が済んだのならさっさと取りに来たまえ」
僕は神経質そうな顔を険しくしたヴェスパーマンに至極もっともなお小言を受けながら、二月分の中間評定結果の入った封書を手渡される。何となく見習いの気分が戻ってきて少し萎縮しながら受け取る横で、パウラが冷ややかな視線でヴェスパーマンの顔を眺めていた。
その視線がヴェスパーマンの隣に座っているシェルマンさんへと移動する。
「あ、はい……どうも」
そんな彼女に対し、さっきから“どうかこのお茶会が終わるまで大人しくしていてくれパウラ”と心の中で念を送っていた。
ただ一つ言わせてもらえるのなら、今日の集まりにはシェルマンさんしか呼んでいなかったので、ここにヴェスパーマンがいること事態がおかしい。
「それから、そんな貧相な水晶箱をいつまでも使うな。工房の名折れになる」
神経質に眉根を寄せるヴェスパーマンが注意してきた水晶箱は、名称通り水晶を削って造られた箱で、空気に霧散しやすい魔力や霊力を、そういったものが好む水晶に閉じ込めておくものだ。
確かに譲ってもらった水晶箱は古い上に容量も少ない。ただそうは言っても、水晶箱はおいそれと買い換えられる値段の代物でもないので、現状壊れるまでは今あるものを使うしかない。
「相変わらず素直じゃないわねぇ、ヴィー。それだとただの嫌味なおじさんよ?」
声に笑いを含ませたシェルマンさんの少しだけ砕けた口調に「人前でヴィーと呼ぶのは止めて下さい」と苦い顔をしたヴェスパーマンが答える。
「とにかく、薄汚い道具を使うな。同じ工房の人間として目障りだ」
そう言って隣のパウラに意識を持って行かれていた僕の目の前に、ヴェスパーマンが何やら大きな包みを置いた。
ゴトンとそれなりに重量のある音がしたので、意識がそちらに向く。簡易的に施された包装で中身は見えないが、やや長方形の箱型である。訝しみながらも「これは?」はと訊ねれば「良いから開けたまえ」という身も蓋もない反応が返ってきた。
ここは言われた通りにした方が無難そうだ。シェルマンさんが止めないところから見ても危険な物ではないのだろうし。
テーブルの上のカップ類を脇に寄せて、引っかけないように注意しながら包装紙を開くと……中にはちょうど小さめのトランクが包まれていた。見た目には何の変哲もない黒一色の小型のトランクだ。しかし見た目がそうだと言うだけで、ヴェスパーマンがわざわざただのトランクを持参するとも思えない。
考えずにすぐに“これは何か?”などと訊ねたりしたら色々と小言を言われそうな予感がしたので、色々な角度から眺めて自分なりに考えてみることにする。
「……もしかして、新しい水晶箱、だろうか?」
歯切れ悪くそう答えを口にすれば「他に何に見えるのかね?」という返事が返ってきたが、無茶を言わないで欲しいものだ。僕の使っている旧式の物からデザインが変わりすぎていて全く分からなかった。
見分けられたのも内張りの四隅に、かなり透明度の高い水晶が埋め込まれていたから“もしや?”といった程度で、ほぼ当てずっぽうだ。
「そうか、お前には魔力が欠片もないのだな。割と使い物になるポーションを作る人間にしては珍しいが……まぁ、過去に全くいない訳でもないか」
一人で何やら納得しているヴェスパーマンは放っておいて、僕はシェルマンさんに説明を求める視線を投げかけた。
「うふふ、ヴィーはねぇ、こう見えてあなたの腕をかっているのよ。だからいつまでも古臭いアイテムを使っているのが気に食わなかったみたいなの」
何を言われているのか理解出来ずに、もう一度手許のトランクに視線を落とす。まさかとは思うが……恐らく最新デザインかそれに準ずる物を、古道具を使い続けている姿が見苦しいという理由だけで僕に買い取れというのか?
「もしかしてその青ざめ方は、買い取れと言われると思ってるのかしら?」
シェルマンさんの笑いを押し殺した声にハッと顔を上げれば、明らかに不機嫌な表情のヴェスパーマンと目があった。
「心配せずともそんなことを言うつもりは毛頭ない。新しい物を手に入れたので不要になった品を押し付けたまでだ」
面白くもなさそうにそう告げたヴェスパーマンが、避けられていたカップを手許に引き寄せてコーヒーに口を付けたところで「あら、値札が……」とシェルマンさんが声を上げる。
その瞬間、カップを持っていたヴェスパーマンの手が大袈裟なくらいに跳ねたのを目にした僕は、彼のあまりに素直でない贈り物に不覚にも胸が熱くなった。
「うふふ、ごめんなさい、見間違いだったみたいだわ。でも最新デザインの物はやっぱり違うわねぇ。前までの水晶箱だとちょっとした衝撃で割れてしまったけれど、今回のこれはゴーレムの一撃にも耐えるそうよ? 凄いと思わない?」
「それは確かに凄いとは思いますが、この道具を持っているのは所詮ただポーション職人ですから……僕ではその一撃には耐えられそうにないですね」
「あら、それもそうよねぇ。きっとこんなお馬鹿さんな強度を付けたのはあなたみたいな人よ、ヴィー?」
クスクスと笑うシェルマンさんにやられっぱなしのヴェスパーマンだが、その表情はいつもの神経質そうなものより少し柔らかい。パウラと二人そのことに気付かないふりをしながら、思っていたよりも賑やかなお茶会は和やかに過ぎていく。
「そう言えば――五号店は最近随分と色々な場所に採取に出かけているようだが、中間評定の方は大丈夫なのだろうな? もっとも如何に良い材料を使用したところで、能力が伴わなければ話にならないがね」
二杯目のコーヒーを注文したヴェスパーマンが痛いところを突いてくる。パウラの方を盗み見ればいまにも舌打ちしそうな表情をしていたが、僕の視線を感じたのか優しげに微笑み直してくれた。
折角微笑んでくれたところ悪いけれど――もう遅いよパウラ……。
「試しにさっき渡した封書をここで改めてみたらどうだ」
「そうそう。簡単な助言くらいならしてあげられるわよ。わたし達は工房でも古参の部類だもの。ね?」
「まったく……貴女のその勝手な解釈をする癖はいつになったら直るのですか」
シェルマンさんの翻訳もあって、だいぶヴェスパーマンという男のことが分かってきた。こじらせ系というか、残念な優しさというか……。
誤変換されがちな言葉の羅列を、隣のシェルマンさんがきちんと並べ替えてくれるお陰でスムーズに会話をすることが出来た。
***
「本当によろしかったのですか、マスター?」
帰り道、隣を歩いていたパウラがそう訊ねてくる。
結局四人でのお茶会は昼下がりから夕が夜に近くなる時間まで続き、まだ話足りないこともあったがさっきようやく解散となったところだ。一瞬何のことだろうかと首を捻りかけて、それが二人からの助言を辞退したことを指しているのだと分かった。
「去年の最後に言ったと思うけれど、僕は皆と競い合いたいんだ。それをライバルだと思ってもらいたいのに、教えを乞うわけにはいかないだろう?」
自分でも小さなプライドだとは思う。けれど偽りのない本心だ。そんな僕の青臭い意を汲んでくれたのか、あの二人も気を悪くするどころか顔を見合わせてほんの少し笑っていた。
「しかしあの二人は一月、二月でどちらも+60の評価を受けているからな。さすが二号店と三号店の店長だよ」
ちなみに僕はと言えば、一月は+40、二月は+43という微妙な評定だった。
どちらも手を抜いた気はなかったので、+50に届かなかったのは素直に悔しいし、何より怖い。もしかして僕は思い上がりも甚だしい愚か者で、自分の力量を考えずに判断を誤ったのか? そう後ろ向きな考えに囚われることが、現状では何よりも怖い。
「ですが、不思議ですね。あのお二人は競い合うどころか、平行線の現状を楽しんでおられるようでした。あの地位に相応しい能力を持ちながら向上心がないはずもないでしょうし」
「そのことなら確かにそれは僕も気になったんだが、やっぱり“この人でなければ駄目だ”と思ってくれる顧客が付いているからじゃないかな? 一号店の店長に上がる最終評定に出品する権利は、おそらく二人とも普通に取っているだろうし」
「そういうものなのですか?」
「そう言われると悩むところだけれど、どのみち今の僕ではあの二人のことについて断言は出来ないな。ただ少なくともそう遠い答えではないと思うよ」
僕の答えに何とか同調してくれようと考え込んでいるパウラを見ていたら、口許が綻ぶのが自分でも分かった。
「無理に僕に同調しようとしなくても良いんだ、パウラ。君はちゃんと君の考えを持っているんだから、もう一人の僕でいようとすることはないよ」
そう自分で告げたはずの言葉が、僅かに引っかかった。指先に出来た逆剥けに何かを引っ掛けた時のようなあの感覚。それが何に引っかかったのか分からずに口を噤んでしまった僕の顔を、パウラが覗き込んできた。
「急に黙り込んでしまってどうしたのですか、マスター?」
心配そうというよりは不思議そうな表情にホッとする。
「ん、ちょっと明日からの日程を考えていたんだ。ほら、オットー達がこの街に立ち寄るついでに、僕達を拾ってこの間とは違う街に連れて行ってくれると言っていただろう?」
誤魔化すつもりはなかったのに、ふと口をついて出たのは今の今まで考えてもいなかった内容だった。
けれど思い出してから、全くの嘘でもない発言だったので慌てて血の気が引く。
「そうだ、すっかり忘れてた! 拙いことになったぞパウラ、今からまだ開いてる商店を探して明日の準備をしないと。取り敢えず日持ちのするドライフルーツと黒パンとチーズと、えぇと、」
「干し肉と、少量のアルコール、応急処置セットの買い足し、使い捨て出来る器に、小さい石鹸、それから近隣の大まかな地図とメモ帳――あとは傷みにくい水ですね!」
うん、何だろうか、ここ最近の採取で旅慣れてきたパウラが凄く頼りになりすぎる。男の僕では考えつかない衛生のことまでしっかり頭に入れているあたり、もう僕よりも“旅人”の適性も高いのかもしれない。
そういえば前回も帰りの馬車で、あれこれとオットー達に旅の道具について訊ねていたような気が――? あの時僕は疲れて眠ってしまったから途中までしか聞いていなかったが、この感じだとパウラは最後まで聞いていたに違いない。
「次の街は、魔道具の充実した、街だそうですね。でも、採取に役立つ物が、あるのでしょうか?」
二人して小走りになりながらまだ開いている店を目指す途中、パウラがそんなことを訊ねてくるので笑ってしまった。
パウラが心外そうに「何故、笑うのですか?」と訊ねてくるが、先にある店の店員が片付けているところと目があったので、先に片手を上げて少し待ってくれるように合図する。
店員が手を振り返してくれたのを確認したので、店に向かって小走りのまま彼女の問に答えることにした。
「さっき地図と言っていたから、すでに知っているのかと思ってた。次に向かう街は周辺の森にある、土が気になっているんだ。だから、地図がいると、君が言った時に感心したんだけど――」
上下する身体に合わせて弾むような会話になってしまう。けれど隣のパウラは「感心したままの、ところで、お願いします!」と顔をモコモコミトンをはめた手で半分覆いながら走っている。
それでは視界が隠れて危ないと思うのだが微笑ましい。手を差し出して「パウラ」と呼べば、何の躊躇いもなくその手が重ねられた。
店を閉めるのを待ってくれている店員が、奥から出てきた店主に怒られそうになっているのを見て、少し速度を上げる。
足許の雪に僕とパウラの靴底にある滑り止めの跡が深々と残り、夜の闇が隙間に潜り込む。そこに街灯から零れる明かりが溶け込んで、薄くなる夜の色を目端に捉えながらも。
『“もう一人の僕でいようとすることはないよ”』
ふと不安になって振り返った街灯の明かりが届かない闇の奥から、あの言葉が僕達を追いかけてくるような気がしていた。




