5-5 楽しい休日の過ごし方……じゃない。
『それじゃあ、お二人さんとはここで一旦お別れだな。二日後にまた迎えに来る』
『その時までケンカすんなよ~!』
そう言い残したオットー達と別れてから一時間。僕とパウラは彼等がこの街に寄る際に利用するという宿屋の一室にいた。
何故着いて早々に宿屋にいるのかと言えば、今朝は朝日が昇ってからわりとすぐに出立したのに街に到着したのは正午過ぎだったせいだ。同じ道のりを歩いて来たはずだというのに、別れ際のオットー達の溌剌とした様子を見て、改めて冒険者という職業の人間の化け物じみた体力に素直に関心してしまう。
僕達といえば身体が冷え切っている上にだいぶ疲れている。僕はまだ何とかなりそうだが、問題はパウラだ。
植物である彼女に今回の遠征はさぞ堪えたことだろう。
ベッドに突っ伏して動かない彼女にソッと近付いて覗き込むと、案の定、スヤスヤと小さな寝息を立てていた。普段そんなに眠らない彼女が眠るなど、余程疲れていたに違いない。僕は自分の方のベッドから毛布を剥ぎ取って、パウラをくるむ。
起きるまで待とうかとも考えたが、先にやっておかなければならないことを思い出したので宿屋の主人に伝言を頼んで街に出た。
ここはフェデルという街らしく、工房のあるウォークウッドより少し小さい規模の街ではあるが、商店は同じくらい充実している。もうすぐ夕方ということもあって、雑貨店などは店仕舞いを始めだした。
街並みを観察していた僕は慌てて近くの商店に飛び込み、目当ての店を訊ねる。店の場所を教えてくれた商店で揚げパンを買ったので、行儀は悪いがそれをかじりつつ教えられた店を探す。
目当ての店は素材屋が多く建ち並ぶ表通りから外れた一角にあった。
似たような看板を提げている店舗を一店ずつ回り、一番品揃えが僕好みの店を選んで中に入る。何をしに来たのかといえば、心許ない路銀の調達だ。朝この街によることになったとパウラに伝えて、彼女の舌を頼りに青い白亜石を数個、固形のままで拾ってきたものを買い取って貰おうと持ち込みにきた次第である。
やはりパッと店内を見回しただけでも品揃えの好みが似ているだけあり、思ったよりもかなり高く買い取ってくれたので、店を出る時にはだいぶ懐が暖かくなった。店主に礼を述べ、ついでにまだ開いていそうな園芸店を訊ねる。
宿屋を出る時に見たパウラの様子から、夕飯の質を少しでも良くして英気の回復をはかりたかったのだ。足早に歩きながら街並みを観察すれば、この街は小さな規模の店舗が多く、それ故に店主のこだわりが街の独特な色を生み出していることに気付いた。
そして客は好みの品揃えの店を探しやすいことからリピーター率が高い。これはコンラートの店と似ているところだろう。フェデルはウォークウッドよりも個人店の力が強く、同じものを売っている店が余りないのが面白い。明日パウラの調子が戻ったら彼女と一緒に覗いてみたい店舗が幾つもあった。
教えてもらった園芸店の品揃えもウォークウッドより特徴的で、東の国から取り寄せるという“鹿沼土”と“サクラ”という植物のスモークチップ、他にも腐葉土と赤土を少々購入する。
宿屋に戻る道すがら“サクラ”のスモークチップの袋を開けて少し香りを嗅いでみると、リンゴのスモークチップとはまた少し違った香りに頬が緩んだ。
けれどパウラの喜ぶ顔を想像しながら宿屋に戻れば、目覚めて僕の姿がなかったことに立腹していた彼女から思いがけず盛大なお小言を食らう羽目になってしまった。だがそれもスモークチップを差し出せば機嫌を一気に回復させてくれ、さらに明日はこのチップを今日の倍購入するということでお許しを頂く。
僕が宿屋の食堂で食事を済ませて部屋に戻る頃には、先にお腹が一杯になったパウラはすでに夢の中だった。その絹セリカのような深緑の髪を少し撫でてから、反対側のベッドに潜り込む。
寝返りを打ってパウラの方を向けば、起きている時よりも幼く見える寝顔がある。そんな無防備なパウラを眺めながら睡魔に身をゆだねれば。
――寒さを感じる二月の夜でも――ほんの少し、暖かかった。
***
昼時の街は当然だが昨日よりも随分活気に満ちていた。フェデルの街の方が通りの幅がウォークウッドよりも狭いせいで、なかなか混雑している大通りを歩くのに苦労する。そこで少々気恥ずかしいけれど、知らない街ではぐれては困るので、パウラと手を繋いで街を歩くことにした。
時折パウラが立ち止まっては普通に歩いているだけでは気付かないような小さな工房を発見したり、素材屋に入って棚の鉱石や乾燥させた薬草に鼻を近付けて、彼女のいうところの“美味しそう”な香りがするかを確かめる。
この街にはポーション工房の数こそ少ないものの、素材屋の数だけで言うならウォークウッドの敵うところではない。そもそもフェデルのポーション職人達は個人店が多いせいか、素材は各素材屋から買いつけるのが主流なようだ。
こうすることでどの工房でも素材の質に大きな違いがなく、純粋にポーションの調合方法で腕を競い合える形式が出来上がっている。加えて特筆すべきはその使用方法の自由さだろう。通常通り冒険者しか相手にしないヴェスパーマンのところのような店もあれば、美容に特化したシェルマンさんのところのような店もある。
それに何より奇妙だったのは……。
「マスター、見て下さいあのポーション工房。“煮込み料理、炒め物にも”とありますよ?」
パウラの困惑した声に僕も頷く。
先程から街を歩いていると食事処の入口に“当店では○○工房のポーションを使用しています!”といった看板をチラホラ目にしていた。
――そう、このフェデルの街では食事処向けのポーションが存在する。
つまり先日僕達がキラー・ラビットを調理したように、日常的にポーションが“調味料”として使用されているらしいのだ。興味をそそられたので少し話を聞いてみようと、手近な串焼き屋台の人間に声をかける。
ちょうどモンスターではない普通のウサギ肉を使った串焼きがあったのでそれを注文し、事情を説明して使用している“調味料ポーション”を見せてもらうことにした。パウラと一緒に覗き込んだ瓶の中身は、ドロリと濁った黒いタール状の液体が入っていて、これに肉を漬けて焼くのかと思うとちょっとゾッとしないでもない。
そんな僕達を見た気の良い初老の店主は「まぁ、騙されたと思って舐めてみな」と、わざわざ味見用の小皿を用意して瓶から一匙掬ってくれた。植物であるパウラに摂取させるわけにはいかないので、僕が味見することになる。意を決して恐る恐る指に付けて口に含む。舌の上で転がすと塩分を多く含んでいることが分かった。
単体で舐めると塩味が先に立つが、肉の脂なのか多少旨味のような物を感じる。
長年使い込んでいるという店主の話から、塩分濃度を高めることで腐敗しないようになっているようだ。肉が焼き上がるまでの間、せっかくなので僕は初老の店主に色々と訊ねてみることにした。
店主曰わく、このフェデルの街は今では街道に通じる道を持つことが出来るようになったが昔は“町”の規模だったそうだ。
その当時は昨日僕達が越えてきた山を大きく迂回するか、山越えするしかなかったらしく、夏や秋はそうでもないが冬と春先には食料を運んでくる商隊が雪で阻まれて到着が大幅に遅れることがあったのだという。
そのせいか手持ちの食料を少しでも長持ちさせる為に、この街にいたポーション職人達は独自の方面に――中でも食品の貯蔵用に特化した進化を遂げたのだそうだ。それが道が街道に通じて“街”に昇格されてからも根付いてしまい、今のように定着してしまったのだと店主は笑った。
話し込んでいる内に焼き上がった串焼きのウサギ肉を受け取った僕達は、早速屋台から離れた花壇の縁の雪を払って座って観察してみる。じっくりと炭火で焼かれ照りのある薄茶色のコーティングをされたウサギ肉からは、独特の香ばしい香りがしてなかなか食欲を誘う。
この香りが肉が焦げただけでないのは先日のキラー・ラビットで実証済みだ。この串焼きからはあの獣臭さを感じない。焼いている間に何度も瓶の中のポーションに漬けて焼くので、蒸発した部分がトロみを帯びて固まっている。見た目は悪くない。それどころかかなり美味しそうだ。
長々と観察している間に冷めてしまっては勿体ないので、あの瓶の中に漬けられた事実に目をつぶって一口かじってみる。
「……ど、どうですかマスター?」
心配そうに隣で声をかけてくれるパウラに向き直って何度も頷き返す。
すばしっこくて筋肉質なウサギは、見た目のホワホワ加減と肉質の野生味溢れる感じの落差が激しく、食べた時のガッカリ感が結構あるので、僕はウォークウッドの街にいる時はあまり好んで食べない。普段はあまり味に頓着する方でもないが元々は孤児の出身とはいえ、美味しいものを食べたらそれしか口に出来なくなるのは人間の性である。
そして人間の生活を少しでも向上させようとする内に開花していくものの中でも、とりわけ食文化の発展が大きいのを忘れていた。
「これは……なかなか面白いよ、パウラ」
「そのウサギ串が面白いとは――どんな風にですか?」
「……このポーション・ウサギ串、たぶんだけど体温上昇の効果がある」
「えぇ?」
困惑した声を上げるパウラに僕もまだ半信半疑なので、しっかり噛み締めながら味わう。しかし噛めば噛むほど味が出るのは勿論なのだが、どうにも気のせいではなく体温が上昇していっている。
今日は山中の極寒とは言わないまでも、だいぶ寒い。街の中は前夜に降った新しい雪で白く染め上げられている。だというのに――。
「この串焼きを食べ始めてから徐々にではあるけど、寒さを感じにくくなってきている。最初は気のせいかとも思ったんだが……たぶんこれ以外に考えられない」
串だけになった元・ウサギ串の感想を述べ、僕は先に立ち上がって寒さで背中を丸めているパウラに手を差し出して引き立たせる。
「――よし、決めた」
ポーションで汚れている指を雪で拭いながら漏らした呟きを耳にしたパウラが「何をですか? マスター」と小首を傾げて訊ねてくる。
「僕は、今日一日この街のポーション飯を探してみようと思う」
そう言って指揮棒のように串を目の前で一振りすれば、その軌道を追うようにパウラの視線も動く。……ちょっと可愛い。
「だけど寒いからパウラは先に宿屋に――」
“戻ってくれたら良い”と言おうと思ったのだが「嫌です」と間髪入れずに返ってくる。
その答えの早さに苦笑しつつも、パウラだったらきっとそう言い出すだろうと思っていた僕は、差し出されたその手を取って食べ歩きの旅に出た。
――そして、夕方。
僕の背中にはヘロヘロになったパウラがおぶわれていた。
こんな風になったのは、たぶん最後に立ち寄った女性の好みそうな可愛らしいカフェで注文した、ポーション入りのハーブティーではないかと睨んでいる。
僕も同じものを飲んだはずなのにパウラだけがポーション酔いを起こしてしまったのだ。店員さんに訊ねてもノンアルコールだそうなので、たぶん炭酸に酔う人間がいるのと同じようなものだと思う。
それだけならまだ良かったのだが、酔ったパウラは人目を憚らず僕に甘えだした。そのまま店にいては押し倒されそうな危険性を感じた僕は、まだ飲み足りないと甘えるパウラを宥めて店をあとにしたのだが――。
現在の状況がさほど好転したわけでもないのは言うまでもない。
背中からパウラの気持ちよさそうな寝息が聞こえてくるのはまだ良い。
ただ段々と首に絡められたパウラの腕から力が抜けているのに気付いて、軽く屈伸するように背負い直す。すると厚着をさせているにも関わらず女性特有の柔らかさを背中に感じるのだが――これが、非常に僕の心に負荷をかけた。
「……大丈夫か、パウラ?」
眠っている彼女に対して、少しでも邪なことを考えかけた後ろめたさを誤魔化すように声をかける。
――が。
「うふふふ……だぁいすきです、マスター」
そんな呂律の回らないパウラの甘い声が僕の耳朶をくすぐった。瞬間、一気に首まで駆け上がった熱を感じて頭を振る。それ以降声をかける方が危険だと結論付けだ僕は、時折向けられる生暖かい視線に堪えながら宿屋を目指して一心に歩き続けた。




