H 高い場所に登るのは【フィア】
H 高い場所に登るのは【フィア】
「まったく。どこをほっつき歩いてるんだか」
口をへの字に曲げながら、フィアは大通りでグレイの姿を捜している。片手には、藁半紙に青黒いインクで書かれた略地図が握られている。
――性懲りもなく女の子を口説いてたら、今度は肩にストレートパンチをお見舞いしてやろう。
フィアが市場や店や、通り過ぎる人たちの顔を確認して回っていると、後ろから男の声がする。
「よぉ、お嬢ちゃん。今日は一人でお買い物かな」
「誰っ。あっ、あなたは」
フィアは、男の声に反応し、素早く振り返りながら言う。見れば、昨日会った男が、片手にぺティーナイフを持って立っている。
「今度は、丸腰じゃないぜ。さぁ。怪我したくなかったら、悲鳴を上げたり、逃げたりせずに、大人しくこっちへ来い」
男は、有無を言わせぬ肉食獣のような鋭い眼光でフィアを睨みながら言った。フィアは、グッと生唾を飲み込むと、ゆっくりと間合いを詰めながら言う。
「最初に断っておきますけど、私の背中には幼いときに付けられた傷があるの」
「そんなことは、ここでは関係ないことだ。誰でも良いから、若い女の旅人をというのが、首領の命令なんでね」
――なるほど。あくまでも、決定権はドンって人にしか無いのね。可哀想なチンピラだこと。
「そう。それじゃあ、早いところナイフを仕舞って、ドンとやらが居るところへ案内してちょうだい」
「おっ、聞き訳が良いな。よしよし。連れて行ってやろう」
男はナイフを懐に仕舞うと、フィアの手首を掴んで歩き出す。フィアは、周囲の様子を窺いながらついて行く。
――ここで、このチンピラの神経を逆撫でしても、何の得にもならないし、しつこくつけ回され続けるだけだ。だったら、いっそドンと対面して目的を知ったほうが、問題の解決には近付くはず。前に生け捕りにしろと言っていたということは、命までは奪うつもりが無いのだろう。
男の手に引かれ、フィアは徐々に勾配がきつくなる坂道を登っていく。
――ドンの根城は、坂の上にあるのか。昔から、馬鹿と煙は高いところに登るというけど、その通りね。あぁ、でも。エンリ公爵は別だ。高いところにいるからといって、必ずしも馬鹿か煙な訳ではない。
「見えるか。あの屋敷が、首領の住まいだ」
男は、フィアを握っていないほうの手で坂の上を指差す。見れば、高い塀に囲まれた豪奢な邸宅が、坂に建ち並ぶ建物の隙間から見える。
――まぁ、立派なお屋敷だこと。あの煉瓦や石の下に、いったい、どれだけの血と汗が流れたことだろう。
「大きいわね。ドンというだけある」
「そうだろう。なんてったって、この街の政財界を牛耳る重鎮の住まいだからな」
――権力の象徴という訳ね。本当、くだらなくて逆に感心しちゃう。




