G 兎小屋とは言うけれど【グレイ】
G 兎小屋とは言うけれど【グレイ】
「宿の女将の話が正確なら、もう、領事館が見えてくるはずなんだけど。おかしいな」
視線を左右に走らせて看板や貼り紙を確認しつつ、グレイは大通りを歩いていた。すると、路地の前を通り過ぎた辺りで、グレイは女に腕を掴まれ、引っ張られる。グレイは、よろけそうになりながらも片足を踏ん張り、それを軸にして百八十度ターンして女と向き合う。
「うおっ、危ないな。って、昨日の薬売りか。しつこいぞ」
グレイが腕を振り解きながら眉根を寄せて言うと、女は、それに構わず早口で捲し立てる。
「昨日の今日で、こんなことを言うのは虫が良すぎると思ってる。でも、この街には、他に頼れる奴が居ないんだ。セプトのために、力を貸してくれ」
――昨日とはうって変わって、ずいぶん必死だな。何か、事情が変わったんだろうか。だからと言って、俺には関係無いことだ。そのはずなんだけど。何だろう。この、放っておけない感覚は。
「落ち着け。セプトというのは、何だ」
グレイは訝しい目をしながらも、女の顔を見て問い掛けた。女は、更に矢継ぎ早に言う。
「九歳になる私の息子だよ。あんた、医者なんだろう。頼むよ。この通りだ」
そう言いながら、女はグレイの手を両手で包み、目を固くギュッと閉じて頭を下げ、重ねた手の上に額を付けて祈るようなポーズをした。グレイは、遠巻きで眺めていく通行人の視線を気にしながら、空いているほうの手で女の肩を叩き、頭を上げるように促してから言う。
「困ってるのは、よくわかった。ここで話しても埒が明かないから、その少年のもとに案内してくれ」
女は顔を上げると、瞳に涙を浮かべながら言い、グレイの腕を引く。
「恩に着るよ。こっちだ」
腕を引かれたクレイは、おたおたと危なっかしく障害物を避けながら、女と路地を進んでいく。
――乱暴だな。でも、不思議と悪い気がしないのは、何でだろう。どこか、気分が高揚してる自分がいる。
「そこ、段差と配管に気をつけて」
「えっ、ちょっと、アダッ」
考え事をしていたせいで女の注意に気付くのが遅れたグレイは、段差に気付かずに片足でたたらを踏み、よろけた拍子に肩を鉄パイプにぶつけた。女は足を止めると、呆れ半分に言う。
「だから言ったじゃないか。気を付けてくれよ。大丈夫かい」
女は、グレイの肩をさすった。グレイは、その手を片手で払いながら言う。
「平気だ。この程度なら、じきに痛みが治まるだろう」
「そうかい。それなら、良いんだ。もう少しだから、辛抱してくれ。あそこが私の家だよ」
女は、屋根が粘板岩で葺かれた小さな建物を指差して言った。
――家。家と言ったよな、今。どう見ても、納屋にしか見えない。何かの間違いじゃないだろうか。
「日当たりは、期待できそうにないな」
グレイがボソッと言った呟きは、配管を流れる水音に掻き消された。