E 深く刻まれた印【グレイ】
E 深く刻まれた印【グレイ】
――すっかり遅くなってしまった。たしか、この部屋だよな。
「ただいま。待たせた、ガッ」
グレイが部屋に入ったとき、フィアはドアに背を向けてシャツを着ている最中であった。そして、背後からグレイの声を聞いたフィアは、咄嗟に枕を掴んでグレイに投げた。
「ノックもせずに部屋に入るな、この助兵衛っ」
フィアは、シャツの前ボタンを素早く留めると、ツカツカとグレイに近寄ちながら叫んだ。グレイは後ろ手でドアを閉め、紙袋をサイドテーブルに置くと、床に落ちている枕を拾い、それを盾にしてフィアに近付きながら言う。
「悪かった。まさか、着替え中だとは思わなかったんだ。風呂に入ったんだな」
「そうよ。せっかくサッパリしたところだったのに、嫌な汗を掻いたじゃない」
「だから、悪かったって言ってるだろう」
「フンッ」
フィアは上着を羽織ると、ソッポを向いてベッドサイドに座る。
――あぁ、これは完全に機嫌を損ねたな。どうするかなぁ。
グレイが、フィアに掛けるべき言葉が見つからずに考えあぐねていると、フィアは俯きながらボソリと小さな声で言う。
「……見たでしょう」
「あぁ、見てしまったよ。後ろ向きだったから、背中だけだけど」
グレイは、枕をベッドの上に置きつつ、俯くフィアの横に腰を下ろし、諦め半分で正直に言った。
「ック。肩の辺りは、見た」
フィアは一瞬ピクッと耳と肩を痙攣させ、おずおずとグレイのほうへ顔を向けながら、語尾を上げて言った。グレイは、フィアの言った台詞の真意を測りかねるように、首を傾げながら言う。
――何で、肩に限定するんだろう。
「肩に、何かあるのかい」
「いや、良いの。何でもないから」
そう早口に言うと、フィアは立ち上がり、サイドテーブルに向かおうとする。
――何でもない訳ないだろう。思いっきり目が泳いでるんだからな。
フィアが立ち上がる寸前、グレイはフィアの両肩に両手を乗せて押さえ、フィアの目を見ながら言う。
「これから二人で一緒に、長い旅を共にするんだ。隠し事は無しにしてくれ」
「でも、こればかりは」
「何を見せられても、どんな話を聞かされても、フィアを捨てることは無いから。だから、ありのまま話してくれ」
フィアは、グレイがいつになく真剣な眼差しなのを確かめると、静かに語り始める。
「わかった。見なけりゃ良かったと後悔しても、知らないわよ」
そう言うと、フィアは腕をクロスさせて上着とシャツの裾を持ち、そのまま肩の辺りまで持ち上げた。グレイは、顕わになった白い背中の肩甲骨辺りに、小さな赤黒い熱傷があるのに気付く。
――さっきは見逃したけど、こうして見ると、かなり酷い火傷の痕だな。おそらく原因は、フィアの母親なんだろうな。
グレイが言葉を失って無言でいると、フィアは痺れを切らし、苛立たしげに言う。
「ちょっと、グレイ。何とか言いなさいよ」
「痛くないのか、フィア」
「直後は痛かったわよ。でも、もう平気よ。あっ、言っておくけど、強がりじゃないからね」
念を押すように言うと、フィアは服の裾を戻し、立ち上がりながら矢継ぎ早に言う。
「はい、これでおしまい。ちゃんと買ってきてくれたか、確かめなくっちゃ」
フィアは、そう言って紙袋の中身を検め始める。グレイは、気丈に振舞う彼女の様子を、しばらく眺めていた。
――まるで、天使が翼を捥がれたようだったと言えば、茶化すなと言われるんだろうな。でもフィアには、そんな詩的な表現が、よく似合う。
「必ず俺が、再び翼を授けてやるよ」
グレイは小声で呟くと、ゆっくりとベッドサイドから立ち上がり、フィアの隣に寄り添った。