Y お別れとお見送り
※この話のみ、サーラの視点です。
Y お別れとお見送り
――別荘に戻って来た。そしてヤヨイが旅に出たがっていることを話した。それから、汽車の切符と旅券を用意するところまでトントン拍子に話がまとまった。ところが、両親が席を外した途端、シエルが、いつにないくらいの駄々をこねて始めた。普段なら、諄々と説いて聞かせれば、すぐに大人しく言うことを聞くのに。どうしたものだろうか。
「いつまで、そうしてるつもりだ、シエル。ヤヨイが困ってるだろう。こっちへ来なさい」
サーラが膝を軽く曲げ、太腿を両手で軽く叩いて呼び寄せようとするが、シエルはヤヨイの脚にしがみついたまま、離れようとしない。そしてシエルは、両目いっぱいに涙を湛えながらに訴える。
「嫌だ、嫌だよ、ヤヨイ。旅は、キサラギが一人で行けば良いんだ。ヤヨイは、ここに残ってよ。ねぇ、お願い」
ヤヨイは困ったように眉をハの字に曲げながら、シエルのサラサラな白い髪を撫でて言う。
「ごめんね、シエル。私も、シエルとお別れするのは、とっても寂しいの」
「じゃあ」
シエルが、パッと表情を輝かせてヤヨイのほうを見て言いかけると、ヤヨイは、その小さな唇を人差し指で軽く押さえ、話を続ける。
「でもね、シエル。どうしても、はっきりさせておきたいことがあるの。だから、それが終わるまでは、良い子で待ってて欲しいわ。必ず、シエルに会いに戻ってくるから。ねっ」
――せっかく、心を許せる人間が出来たのに、一時的とはいえ、離れ離れにならなければならないというのは、幼いシエルにとっては、つらいことなのだな。そのことを、考慮のうちに入れるべきだったか。
サーラは、真剣な表情で指を顎に当てて沈思し、頭の中で静かに反省点を洗い出し始めた。それを知ってか知らずか、シエルは一瞬チラッとサーラに視線を送ったあと、両手で乱暴に目を擦って涙を拭い、片手の細くて小さな白い小指を立て、ヤヨイに突き出して言う。
「約束して。絶対、ゴブジで帰ってくるって」
ヤヨイは、そんなシエルの健気な姿に心を打たれ、言い間違いに忍び笑いをもらす。そして、優しく微笑みながら片手の小指を絡ませ、それを上下に軽く振りながら、節をつけて歌う。
「指切り拳万、嘘吐いたら、針千本、のーます」
「指切ったっ。本当だよ。破ったら、本当にハリセンボンだからね」
「わかったわ。シエルも、良い子で待ってなきゃ針千本よ。約束よ」
念を押すようにヤヨイが言うと、シエルは胸を張って答える。
「任せて。良い子にして待ってるから」
――よし。また拗ね出さないうちに、出発してしまおう。
「それじゃあ、ヤヨイ。駅に行こうか。そろそろ、馬車の支度が出来たはずだ」
サーラはドアのほうへ身体を向け、廊下へ歩き出しながらヤヨイに向かって言うと、ヤヨイもサーラのあとに続きながら、シエルに挨拶をする。
「えぇ。――また会いましょうね、シエル」
「またね、ヤヨイ」
シエルは、腕が千切れそうな勢いでブンブンと手を振って見送る。
*
「はじめて名前を聞いたときから、ずっと気になっていたことなんだが」
馬車に揺られながら、サーラがそこまで言って淀むと、ヤヨイは続きを促すように言う。
「この際だから、何でも訊いて」
「ヤヨイというのは、どういう意味なんだ」
「何だ、そんなことか。そう言えば、説明してなかったわね」
「話すと長くなるか」
「ううん。ヤヨイもキサラギも、それからシワスも。みんな、私の元居た世界で、月の名前を表す言葉なの。ヤヨイは三月、キサラギが二月で、シワスは十二月よ」
「なるほど。月の異名に導かれし旅か。浪漫的だな」
「そうかな。あっ、そうだ。これは、サーラに渡しておくわ」
そう言うとヤヨイは、脇に置いたポーチから折り畳んだ紙を取り出し、サーラに差し出す。サーラは、それを受け取りながらヤヨイに訊く。
「これは、何だ」
「フルーツパイのレシピ。作る上での材料や手順と、林檎や苺が無くても、梨とか葡萄とか、他に代わりになる果物を幾つか、簡単なイラストと一緒にメモしておいたから。もし、シエルが寂しがったら、そのときに作ってあげて」
「ありがとう。助かる」
「どういたしまして」
――あぁ、どうしてだろう。今頃になって、ヤヨイと離れがたくなってきた。さり気ない心遣いに、泣きそうだ。涙脆い人間じゃないはずなのに。




