B 貨幣のように薄い【フィア】
B 貨幣のように薄い【フィア】
「避けて通れないとはいえ、居心地が悪いわ」
――私たちが到着したのは、ノスマ共和国。その中でも、賭博場が街の主要産業になっている歓楽街に来ている。
「鉄路を利用するという手も、無いことは無かったけど。まぁ、友好条約を結んだとはいえ、前の大戦の相手国だからな」
虚ろな目をして煙管を吹かす女や、首輪と鎖で繋がれ、襤褸を纏った男が、豪奢な格好の太り肉な男に鞭打たれて牽かさせられている荷車とすれ違うフィアとグレイ。二人は、それを見て見ぬフリをしながら話を続ける。
「治安も風紀も、良くなさそうね」
「どことなく退廃した、享楽的空気が漂ってるな。長居しないほうが良さそうだ」
「そうね。さっさと立ち去るに限るわ」
「フィアの旅券が発行できたら、すぐに出発することにしよう。さぁて。小腹も空いてきたことだし、何か食べよう。オッ。あれは、春巻きかな」
そう言いながらグレイは、半透明な皮に細かく切った肉や野菜を巻いて揚げている男のほうへ、小走りで向かっていく。
「ちょっと待ってよ、グレ、……ヒャッ」
追いかけようとしたフィアの前に、目つきの鋭い男が立ち塞がり、睨みを利かせながらフィアを壁際に追い込むと、男は片手でフィアの顎先を掴んでクイッと持ち上げ、フィアの顔を不躾にジロジロと観察し始める。フィアは、露骨に不快感を示して手を叩き落し、声音を低くして言う。
「どいてちょうだい。あなたに用は無いわ」
「そっちに無くても、こっちにはあるんだ。旅の女を生け捕りにして連れて来いと、首領から命じられてるんでね。大人しくしてるなら、手荒な真似はしない、ゾフッ」
男は頭を抱え、その場にしゃがみ込む。フィアが身体を横にずらすと、男の背後に立ち、片手に春巻きを挟み持ち、もう片方の手で箒をフェンシングの剣ように構えたグレイが見えた。
「グレイッ」
「こっちへ来い、フィア」
フィアがグレイの側へ行くと、グレイはフィアに春巻きを渡す。男がよろよろと立ち上がったのを横目で捉えたグレイは、箒の先を男の喉元に突きつけて言い放つ。
「命令だか何だか知らないが、こいつは俺の女だ。悪いが、他をあたってくれ」
「だったら、名前でも書いとけ。あばよ」
男は、ペッと道に唾を吐くと、路地の向こうへ逃げていく。フィアとグレイは、その背中が姿を消すまで見届ける。そして、グレイは箒を掲げた腕を下ろし、張り詰めていた気を緩めてフィアに言う。
「怪我は無いか、フィア」
「平気よ、グレイ。はい」
フィアは落ち着いた様子で答え、グレイに春巻きを一つ渡す。グレイは、それを片手で受け取りながら、やれやれといった調子で言う。
「ありがとう。それにしても、油断も隙もない街だな、ここは」
「本当。ゆっくりできないわね。のんびりする気も無いけど」
フィアは、グレイに同調して言った。
――助けられたのだから、こっちこそお礼を言わなきゃいけないんだろうけど、こういうときに素直になれないのが、私の厄介な性格なんだ。