A お気に召すまで【グレイ】
A お気に召すまで【グレイ】
「口調が、かなり砕けてきたな、フィア。良い傾向だ」
「もうグレイは、公爵の許婚じゃないからね。慇懃無礼は、やめないと」
船のオープンデッキで、グレイは柵の上に肩肘を載せ、フィアは柵の手前にあるバーに掴まりながら、潮風に髪を靡かせつつ、朗らかに話している。
――シックなメイド服も禁欲的で素敵だったけど、こうしてブラウスとセーターを着てる姿も、清楚で可愛いよなぁ。
自分に向け、ニヨニヨと締りのない表情を浮かべるグレイに対し、フィアは怪訝な顔をしながら冷たく言う。
「言っておくけど、これで気を許したと思わないことね。女癖の悪さは、是が非でも直してもらうんだから」
フィアが言ったあと、グレイは両手の指をフィアの眉間にあて、縦皺を伸ばすように動かしながら言う。
「当たりがキツイな。ここに溝を作らないでくれよ。美人が台無しだ」
「おだてたって、無駄よ。さっきも女性から誘われてたみたいだったけど、そっちに行かなくて良かったの」
フィアが、グレイの指を叩き落しつつ語尾を上げながら言うと、グレイは、片手を左右に振りながら答える。
「あんなケバケバしいおばさんは嫌だよ。素顔がわからないくらい化粧は濃いし、鼻が曲がるほど香水は付けてるし、おまけに性格が高飛車ときてる。気力を根こそぎ吸い取られるだけさ」
「三拍子揃って駄目だったんだ。何と言って断ったの」
再びフィアが疑問をぶつけると、グレイは苦いものを口にしたような顔で答える。
「想い人が一緒だと言ったんだ。でも、なかなか引き下がらなくてさ。あまりにシツコク食い下がってくるから、辟易したよ」
「モテる男は大変ね。まぁ、要素は揃ってるものね」
そう言いながらフィアは、グレイに対してしげしげと野菜や魚を目利きするかのように視線を走らせた。
「伯爵だからか」
グレイが見当違いの疑問を投げかけると、フィアは即座に否定する。
「いや、見た目の話。鼻筋が通ってて、シャープな輪郭で、スラッと手足が長い。黙っていれば、充分二枚目よ」
「口を開けば三枚目か。うぅん、とてもハンサムだとは思えないけどなぁ」
グレイが顔の横に垂れる栗毛をつまみながら言うと、フィアは拳を握り、グレイに向かってファイティングポーズを決めて言う。
「その台詞、計算ずくで言ってるなら、アッパーカットをお見舞いするけど」
目をギラギラとさせ、今にもジャブを繰り出しそうなフィアに対し、グレイは、まるで獰猛な野獣をどうどうと宥めるかのように言う。
「素で言ってるから拳を収めてくれ、女拳闘士」
グレイの冗談を真に受け、フィアは聞き捨てならないとばかりに、冷たい声で言う。
「口は災いの元という諺を、知ってる」
「まだ食べたことないな、それは」
フィアの質問に対し、グレイが道化じみた調子で言うと、フィアは次の台詞を言いながら、顔の辺りを両手でガードしているグレイに対して、ボディーブローを打った。
「ラウンド、ワーン」
「よせよせ。グハッ」
晴れやかな顔で勝ち誇るフィアをよそに、グレイはしばらく腰を屈め、腹部を摩っていた。
――じゃじゃ馬を馴らすのは、まだまだ時間が掛かりそうだ。