三話後編 星祭の夜
ロビー、ロビー、ロビー!
闇雲に走る奈緒の瞳から溢れた涙が、宙に尾を引いていた。頭の中は、ロビーの間の抜けた表情で一杯だった。
一緒に遊んだロビー。散歩に行くといつも引っ張られてしまってまともに歩くことさえ大変だったロビー。秋に庭で寝ていたら鼻の頭にトンボが止まったロビー。降った雪に興奮して、楽しそうに庭を走り回っていたロビー。
いつも、どんな時でもロビーは笑みを絶やさなかったのではないだろうか。いつもみんなに笑顔を分け与えてくれていたのではないのか。
奈緒は目を強くつむり、強く歯を噛み締めた。暗闇の中に浮かび上がるロビーの顔に、奈緒は有らん限りの後悔の塊をぶつけた。
ごめんなさい。本当は大すきだったのに。ぬいぐるみなんかよりも、ずっとずっと大切なともだちだったのに。なのに、大きらいだなんて、しんじゃえだなんて、とってもひどいことを言っちゃった。ずっとそばにいて欲しかったのに。いなくなってから、分かったんだ。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
ごめんなさいロビー。だから、おねがい。
早く帰ってきて!
ぐらりと体勢が傾いて、あ、と思った瞬間にはもう地面が目前に迫っていた。奈緒はとっさに両手を突き出す。物凄い勢いで、地面に激突した。
頬に地面の凹凸を感じて、奈緒は目を開く。起き上がろうと突いたままになっていた両手に力を入れてみた。激しい痛みが両手首に走る。声にならないうめきが奈緒の口から漏れ出した。奈緒はうつ伏せに倒れ込んだまま動けなくなってしまった。
身体中から痛みが波のように押し寄せてくる。手首が痛い。転んだ際に擦り剥いた箇所がじくじく痛む。捻ってしまったらしい足首が燃えるような痛みを訴えてくる。
そして何より、奈緒の心が一際大きな悲鳴を上げていた。
奈緒は襲ってくる幾重もの痛みに涙を流した。
「ろびぃー……」
涙ながらに口にしたの言葉は大好きなともだちの名前だった。失ってしまった大切なともだちの名前。自分のせいで壊してしまった絆。しようとしてもしきれない底沼の後悔を抱く奈緒の嗚咽は、静かに辺りに響いていた。
「あれれ、お嬢さん。どうしたのかな。こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまうよ」
不意に奈緒の頭上から、そんな野太い男の声が降ってきた。
だれ? 奈緒は頭を動かして、声の主を確かめる。遊園地で一日中風船を配り続けているような、きぐるみのうさぎの頭の部分だけを被った人物が奈緒のことを覗き込んでいた。
「ああ、これは大変だ。ひどい怪我をしているじゃないか。早く治療をしないと。ちょっと待っててね。今薬をあげるから」
言うや否や、うさぎは肩からかけた大きなショルダーバックをごそごそとあさり始めた。大きなショルダーバックから次々に物が飛び出してくる。うさぎは、いくら大きいといっても到底全てかばんの中に入れることの出来ない程の品々を取り出すと、ようやく目的の物を見つけることに成功した。
「はは、恥ずかしいな。ぼく、片付けるの苦手なんだよね」
そんなことを呟いて、うさぎは取り出した小さな瓶の蓋を開けた。しゃがみこむと、うつ伏せになったままの奈緒にその瓶を差し出した。
「さ、これを飲んで。ささ、早く。あ、その格好じゃ飲みにくいかな。……よし、じゃあちょっと痛いかもしれないけど、体制を変えよう。すぐだから我慢してね」
奈緒は横からひっくり返すかのように身体を動かされると、仰向けに地面に転がった。傷が外気に触れて火を噴いたかのように痛くなる。涙が出た。
「ようし、じゃあ、はい。これ飲んで。すぐ治るから。ほら、早く!」
うさぎの勧めに奈緒は一応抵抗しようとした。得体の知れないうさぎからよく分からない薬を飲まされそうになっているのだ、拒まないほうがおかしいのかもしれない。けれど奈緒の弱った心と身体にはろくに力が残っていなかった。
うさぎは瓶を奈緒の口元に持っていくと、有無を言わせず傾けた。瓶の中身が奈緒の口の中へ流れ込んでいく。液体は妙に甘ったるくて、変にぬるくて、嗅いだことのない風味をしていた。奈緒の頭はくらくらした。
まずい。奈緒は率直にそう思った。出来れば味わいたくなかった味だった。胃がむかむかして、気持ち悪くなる。視界が歪んでいるような気さえしてくる。瞼が重たくなって、奈緒は暗闇の中に落ちていった。
「さて、これでひとまずは安心だ。傷は全部治ったでしょう」
飄々としたうさぎの声が聞こえて、奈緒は目を開いた。視界は正常。気分も悪くない。そういえば、全然痛みもしない。さっきまで痛くて痛くて仕方のなかった箇所が、全然痛くないのだ。奈緒はひっくり返された時にちらりと見えた擦り傷を見てみた。うそのように治っている。なにが起きたんだろう。奈緒は驚いた。
奈緒の背後でうさぎが立ち上がる音がした。奈緒の首が自然と後ろを向こうとする。傷を治してくれた不思議はうさぎが、一体どんな人物なのか少なからず気になっていた。
「ねえ、うさぎさん……」
振り返り、奈緒が目にしたのは、なんとも奇妙な格好をした人物だった。
ぼんやりと明るく浮かび上がるそのシルエットの特徴は、なんと言っても頭を覆うファンシーなうさぎのきぐるみだった。が、それ以外は全くの人そのもの。頭から下は大きなマントに身を包み、右手には小さなランタンを持っている。奈緒の声に反応して、振り向いた時に翻ったマントの中には、二つの大きなショルダーバックが存在していた。
へんな人だ。奈緒は一目でそう判断した。
「なんだい?」
固まっていた奈緒を、不思議そうなうさぎの声が呼び戻す。とっさに奈緒は、うさぎに疑問をぶつけていた。
「あ、あの、うさぎさんは、その、まほうつかいなの?」
「へ?」
「だって、その、さっきのクスリ、すぐケガなおっちゃったから……」
「ああ、あれかあ。なるほどねえ。で、魔法使いと。はは。面白いね、君。でも、少し違うなあ。ぼくは渡航者なんだ。向こう側と、こちら側を行き来する案内人なんだよ」
簡潔な説明だったが、奈緒には全くわけが分からなかった。きょとんと見上げる奈緒の反応を大して気にするでもなく、うさぎはその無表情なきぐるみの瞳で奈緒をじっと見つめ返していた。訪れる沈黙に、奈緒は居心地の悪さを感じた。
「……君は何者なのかな。外見はこちら側の人間の形をしてるけど、そもそもこちら側の人間はここに来ることが出来ないはずなんだけどな。ふむ。もしかして特例なのかな」
思い出したようにそう口にしたうさぎは、奈緒から視線を外すと大きな顔の顎に手を添えて何やら一人で考え始めてしまった。ぶつぶつと何かを口にしているものの、その声は奈緒には聞き取れない。少しの間そんなうさぎの様子を観察していた奈緒だが、うさぎがしばらくは自分に話しかけてこないだろうと思って少し安心した。奈緒はあのきぐるみの瞳で見つめられると、勝手に空中に浮びあがらせられてしまったかのような変な不安を感じていたのだ。
でも、そんなうさぎは、今は考えごとをしている。うさぎに気付かれないようにそっと立ち上がると、奈緒は辺りを見渡してみることにした。何となく不思議に思っていたことがあったのだ。
みんなどこへ行ってしまったんだろう。奈緒はうさぎと自分以外の誰かの姿をどこかに探していた。何せ、奈緒はうさぎと会うまで、人ごみの中を掻き分けてきたはずなのだ。どこかから声がしてもいいはずだった。
けれど、辺りには物音ひとつしてはいない。それどころか、見覚えのない場所に奈緒は来てしまったようだった。ここ、どこなんだろう。奈緒はそう思った。
そこは一本道の真ん中だった。両側に木の衝立が立ち並ぶまっすぐな一本道。衝立の奥には一つも明かりが灯っていない家がいくつも立ち並んでいる。頭上には満点の星空が広がる深い夜だと言うのに、道はぼんやりと明るく、街灯などどこにもないのに歩くのは苦になりそうになかった。
どこなんだろう、ここ。奈緒は急に心細くなり始めていた。気が付けば、知らない場所に変なうさぎとふたりぼっち。帰り道も分からない。そもそもどうやってここまでやって来たのかが分からないのだ。一本道にも関わらず、奈緒は迷子になっていた。
「……あ、あの、うさぎさん」
奈緒は意を決して、考え込むうさぎに尋ねてみることにした。正直なところとっても怖い。怪我を治してくれたとは言え、その正体はまったくと言っていいほどに分かっていないのだ。奈緒は母親がいつも口うるさく繰り返していた言葉を思い出していた。
『変な人には付いていちゃダメだよ』
でも、しかたないよね、お母さん。だって、お話できるの、うさぎさんしかいないんだもの。だから、怒らないでね。奈緒は胸の中でそっと母親に話しかけた。
「あの、うさぎさん。ここ、どこですか?」
もう一度、今度はさっきよりも大きな声で、奈緒はうさぎに話しかけた。その声に、ぶつぶつと何かを呟き続けていたうさぎが顔を上げる。奈緒の方に、決して変わることのない表情を向けた。
「ここ?」
うさぎは、能天気な声で聞き返す。奈緒はこっくりと頷いた。
「ここかあ。んーっと、えっとねえ、君に分かるかなあ? ここはさ、こちら側の世界と向こう側の世界を繋ぐ通路なんだ。ちょうどぼくの後ろ側をずっと進むと向こう側の世界に行ける。君の後ろをずうっと進めばこちら側の世界に行ける。そんでもって、ぼくはここを通る存在の案内を任せれている。いつもは一方向の案内しかしないんだけどね、時々向こう側の世界からこちら側の世界に案内しなきゃならない日もあるんだ。大変なんだよ、結構。……分かったかなあ」
うさぎの心配は見事的中した。奈緒はまったく話の意味が分からなかったのだ。頭の上に二、三個のクエスチョンマークを浮かべる奈緒の表情を見て、うさぎは同情するように頷いた。
「まあ、そうだろうねえ。きっと、分かんないだろうなあと思ったんだよ。ま、当然だね。君ぐらいの子じゃあ、中々分かんないと思うよ。まあ、そんなことよりも――」
そう言うと、うさぎはずいっと奈緒に顔を近づけて、まじまじと顔を覗き込んできた。それに奈緒はちょっと後ずさる。うさぎのきぐるみの頭が間近に迫ってくるというのは、中々気味の悪い経験だった。
しばらく見続けたうさぎは唐突に顔を離すと、何かを理解したようにしきりに頷いた。顔が遠ざかって胸を撫で下ろした奈緒の方を再び向くと、うさぎは淡々とした調子奈緒に話しかけてきた。
「やっぱり君は知らない間にここに来てしまったみたいだね。きっと想いが強すぎたんだろうな。目の中に青い炎が浮かぶこちら側の人間なんて中々いないんだけどね」
その言葉に、奈緒は自分の右目を手で覆った。
「はは、大丈夫さ、心配しなくても。常人には見ることは出来ないからね。そんなことより、君さ、最近ずっと考えていることあるでしょう。すっごい後悔だね。取り返しの付かないことをしてしまったんじゃないのかな。ね、それ、教えてくれないかな」
そう、うさぎの言葉を受けた奈緒の表情にさっと影が落ちる。うさぎに出会って、変なクスリを飲まされて、変なところにやってきていて、いつの間にか忘れてしまっていたロビーのことが、また顔を持ち上げてきたのだ。
「わあお、ビンゴ。今までにも前例は聞いてたけど、本当にあるんだねえ」
うさぎは嬉々として声を上げると、続けてこんなことを奈緒に言った。
「ね、ね、そのこと教えてくれないかな。もしかしたら、ぼく、その悩みを解決できるかもしれないからさ」
「……うさぎさん、ロビーを家に帰らせてくれるの?」
「へえー、ロビーって子が、家からいなくなっちゃったんだ」
うさぎが口にすると、少しだけ希望を見出したような表情を見せた奈緒は辛そうに顔をしかめて口をつぐみ俯いてしまった。その反応に慌てたうさぎは急いで言葉を続けた。
「うんうん。出来るよ。出来る。約束するよ。その話を聞かせてくれたら、ロビーを家に帰してあげるよ」
「本当に?」
「うん。約束だ」
弱々しい光を目に灯して尋ねてきた奈緒に、うさぎは力強く頷いた。右手を差し出して、小指を立てる。
「約束の印」
躊躇いつつも差し出された奈緒の小指は、うさぎの小指としっかりと組み合わさった。
「ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたーらはーりせんぼんのーます、ゆびきった!」
重なり合う元気なうさぎの声と、小さな奈緒の声。奈緒には、その時無表情のはずのうさぎの頭が優しく微笑んでいるような気がした。
さあ、がんばって。
大丈夫じゃ。お前さんならしっかりと向き合うことが出来るじゃろうて。
どこからか、穏やかな女性の声と老人の声が聞こえた気がした。息を吸って、奈緒はうさぎに一週間前の出来事を話すことにした。
そうは言っても、奈緒にとってはやはり中々すぐに話せるようなことではなかった。何しろ奈緒は、全ての責任が自分にあると思っているのだ。自分の罪を認めて、しっかりと順序だてて言葉にすることはとても辛い作業だった。
「ロビーはリビングであたしのたいせつなぬいぐるみで遊んでいたの。とってもたいせつなぬいぐるみ。誕生日に買ってもらったの。でも、それはソファーの上においたままあたしが部屋にもどったから、ロビー、遊んじゃったんだと思う」
ぽつりぽつりと口にする奈緒の話を、うさぎは時々質問を交えながら聞いていた。次第に涙声になり、聞き取りづらくなっていく奈緒の声。話は紆余曲折し、行ったり来たりを繰り返して、要領を得ることが難しいものとなっていった。でも、うさぎは辛抱強く奈緒の話を聞き続けた。
「あたし、あたしのせいなのに、しんじゃえとか、ひどいこと、ロビーに言っちゃった……。そんなこと思ってなかったのに……。あたしの、あたしの……」
そこまで聞くと、うさぎはそっと奈緒を抱きしめて優しく声をかけた。
「ありがとう、話してくれて。辛かったね。よく今まで辛抱してたね。でも、もう大丈夫だから。ぼくがきっとその子を連れてくる。絶対、絶対に向こう側から連れてきてあげるよ。心配しないで。もう大丈夫だから」
そうして奈緒から離れると、うさぎはそっと奈緒の涙を拭った。真っ赤に充血した瞳の奈緒はうさぎのことを見つめて聞いてきた。
「本当に?」
「ああ。本当だとも。さっきゆびきりしたじゃないか。任しておいてよ。もう何も気にすることはないからさ。だから、もう泣かないで」
言ったうさぎの上空で、空が大きく振動した。うさぎも奈緒も、同時に空を見上げる。うさぎは「調度時間みたいだね」と呟いた。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。ここは君のような子がいつまでもいていい場所じゃないからね。ほら、ごらん。お父さんとお母さんが君のことを探しているよ」
そう奈緒に向き直って言ったうさぎは、肩に両手を添えると優しく奈緒を振り向かせる。振り向いた奈緒の目の前にはぼんやりと歪む空中が浮かんでいた。そこに映像が映し出される。奈緒は懸命に声を張り上げ、涙ながらに奈緒のことを探し続ける両親の姿を見た。
「お母さん……お父さん……」
「もうすぐ星が降り始める。それが始まったら、ここは向こう側の世界に向かう存在で一杯になってしまう。そうなったら、君はもうこちら側の世界に戻れなくなってしまうはずだ。だから、ほら。もうお帰り。君には待っている家族がいる」
そう言ってうさぎは背後から奈緒の両目を手で覆った。
「いつかまた君がここに来る日まで。しばらくの間は絶対にお別れだよ」
奈緒の耳元でそんな声がした。奈緒は突然の出来事について行くことが出来ない。
「あ、そうそう。辛い話だったけれど、とっても興味深い話だったよ。ロビーはちゃんと届けるから。じゃあね、ばいばい」
そう最後に言い残して、うさぎの手の感触は霧のように消えてしまった。
「うさぎさん!」
奈緒はぱっと目を開く。目の前に、驚いた表情で奈緒のことを見つめる幾人もの人々が立っていた。あれ、と奈緒は思う。ここはどこだ?
疑問に思った奈緒の耳に、溢れんばかりの喧騒が戻ってくる。反射的に奈緒は耳を塞いでいた。
戻って来たのかな。ぐるりと周りを見渡して、奈緒はそう思った。たくさんの人たちがそんな奈緒に好奇の視線を注いでいた。
そういえば、あそこはとても静かだった。ゆっくりと両耳から手を外して、ぼんやり立ち尽くしたまま奈緒はそんなことを思った。うさぎさん、どこに行っちゃたんだろう。
大きく鳴き声がした。奈緒の背後でざわめきが沸き起こる。それはとても懐かしい、大切な鳴き声。奈緒が振り返ると、人だかりの中に一頭の犬がしっぽを振りながらお座りをしていた。
「……ろびー」
奈緒が呟くと、犬はまた大きく鳴いた。その声に周りの人はまた一歩後ずさる。人の輪の中に、奈緒とロビーとだけが残されていた。
ロビーが地面に置いていた一輪の花をくわえて奈緒の方へ歩み寄っていく。立ち尽くしたままの奈緒は、近づいてくるロビーをじっと見つめていた。
「ロビーなの……?」
一歩、奈緒が歩き出す。向かってくるロビーの歩調は少しずつ速くなっている。その様子に、奈緒は直感的に目の前の犬がロビーであることを理解した。踏み出した奈緒の足が更に一歩前進する。そんな、一人と一頭の出会いを見守るかのように人々は道を開けていた。
「ロビー!」
手が届く距離まで互いに近づいた時、奈緒が大きく両腕を広げた。そんな奈緒にロビーはのしかかるかのように飛びかかる。人々がざわめきをあげた。少しして、ロビーの下から奈緒の嬉しそうな笑い声が聞こえてきた。
しばらく寝転んだままじゃれあうと、奈緒が上体を起こした。ロビーはそんな奈緒の目の前でお座りをする。ロビーと見詰め合った奈緒は、懐かしい間の抜けた顔を両手で挟んで語りかけた。
「ロビー。もう、どこ行ってたの? 心配したんだよ。本当に、本当に心配でたまらなかったんだよ」
ロビーが鼻声を上げる。しっぽは激しく振られている。段々とロビーの顔が涙で滲んできた奈緒は、強くロビーの首に抱きついた。その小さな身体に有らん限りの力を込めて、ロビーを抱きしめてやった。
「もうはなさない。ぜったいにはなさないから。だから、もうどこにも行っちゃだめだよ。どこにも行かないでよ」
ロビーはじっとなされるまま奈緒の肩に顎を乗せていた。目は閉じられ、そのしっぽはゆっくりと左右に揺れていた。
「あ、流れ星……」
ずっと突然起きた犬と小さな女の子との出会いを見ていた人垣の中の誰かがそう呟いた。声に導かれて奈緒が見上げると、堰を切ったように幾つもの星が空を駆け出し始めた。いたるところから、喚声が湧き起こる。カメラのシャッター音が響いてくる。夜空に見事な流星群が流れていた。
奈緒はうさぎのことを思った。あの、よく分からない場所で出会った、とっても優しかったうさぎのことを。
「ありがと」
そう呟くと、星空の向こう側でうさぎが笑ったような気がした。
奈緒はロビーに向き返ると、にっこり笑ってこう言った。
「おかえり、ロビー」
元気よく吠えたロビーは、しかし、いつの間にか虹色の花が無くなっているのに気が付いて、少しだけ焦ってしまった。
(おわり)




