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夏の嵐  作者: 萩尾雅縁
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 連日、入れ替わり立ち替わり、いろんな人たちが僕らの屋敷を訪れた。兄に会いにきているのか、それとも、逗留している美しい彼女に会いにきているのか、どちらだろう。

 彼女はいつもこの兄の友人たちに傅かれ、僕やロバートなんて話しかける機会さえないほどだ。僕とロバートは、テーブルの隅で、ピクニックの荷物持ちで、散歩の列のしんがりで、前以上によく話をするようになった。


 僕はロバートから、彼女についての様々な情報を仕入れることができた。

 まず、彼女はアメリカ人だけど彼女の母親が英国出身で、冴えないルーシー嬢の遠い親戚だということ。高校を卒業したばかりで夏季休暇で英国に遊びにきているということ。僕より三つ年上の十八歳だ。夏が終われば本国に帰って、大学への進学が決まっているらしい。アメリカのとんでもない大富豪の一人娘なのだそうだ。趣味は、ピアノ。テニス。スキー。特技は、フランス語。実に堪能。それから――。

 そんな肩書なんてどうでもいいほど、彼女は美しいのだ。僕とロバートは、いかに彼女が美しくて可愛らしいかについて、競い合うように褒め合った。この点で、僕とロバートは完全に気が合った。どっちみち、彼女の周囲は兄の友人たちがガッチリと取り巻いていて、僕たちは端の方から見ているだけだったから、彼女を眺めてその美点を見つける暇はたっぷりとあるのだ。


 僕とロバートは、冴えないルーシー嬢のことはほとんど話題に出さなかった。

 一度、「あの子、きみのガールフレンドなんだろ?」と訊いたとき、ロバートが苦々しそうに顔を歪め、ブンブンと首を振って「違う」と言ったから。僕が見た感じでは、ルーシー嬢の方はそうは思っていないようだけど。

 僕は少しルーシー嬢のことが哀れで、できるだけ彼女に親切にしてあげた。それが紳士というものだろう? そうしたら彼女、僕のことまで縋りつくような視線でじっと見つめてくるようになって、僕は困ってしまった。彼女のことは避けることに決めた。変に誤解させてしまったら、ますます可哀想だものね。


 昼間はそんなこんなで、ピクニックに行ったり、池や川で泳いだり、ボートに乗ったりで屋外で遊んだ。そして夜はカードや、ビリヤードを――、もちろん僕とロバート、同い年のルーシー嬢を除いた大人の皆さま方のみで興じて、いつもの年よりもずっと賑やかな夏が過ぎていった。

 そんな中、僕ののんびり屋の兄はというと、時々みんなの輪に加わり、でも大抵は庭の世話に明け暮れて、大変満足そうに過ごしていた。



 そんなある晩のこと。

 その日はなぜか妙に寝つかれず、寝返りばかり打ちながら彼女の事を考えていた。

 開け放った窓にかかる薄布のカーテンがそよとも動かない、風のない夜だった。煌々とした月灯りが、窓から忍び込む梢の影を、カーテンのひだの形のままにいびつに歪めて、長く、黒々と部屋の床に刻んでいた。


 夜の静寂(しじま)を破る密やかな話し声に、背中がびくりと反応する。

 女の子?

 そっと寝台を滑り降りた。足音を忍ばせて窓辺により、腰高窓の下に隠れるようにしゃがみ込んで耳をそばだてた。

 話し声は途切れ途切れで、何を言っているのか判らない。そもそも、どこから聞こえてくるのだろう? 隣の兄の部屋ではないことは確かだ。じゃあ、反対隣? それも、違う――。

 僕は静かに立ちあがり、ふわりとした柔らかい薄羽のようなカーテンに包まって、そうっと窓の外を覗き込んだ。


 眼下のテラスには誰もいない。

 それなら下の部屋のどこか? この下なら図書室だ。この推察に首を捻った。


 今頃? なんで? 灯りもついていないのに――。


 と、小さいけれどはっきり笑い声が響いた。彼女の声に似ている。

 こんな時間になぜ? 誰と? 兄も、もう部屋に帰ってきている。夜のゲーム遊びは終わっているはずなのに……。彼女の部屋は、僕のこの部屋からはずっと離れた別の階のはずなのに。


 モヤモヤとした息苦しさに襲われて、僕は床にへたり込んでいた。心臓がドクンドクンと音を立てている。ぎゅっと目を瞑り、神経を集中させてもう一度耳をそばだてる。


 だけどもう――、自分の押し殺した息遣い以外、何も聞こえなかった。

 



 


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