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夏の嵐  作者: 萩尾雅縁
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 気怠い昼下がりの午後、僕は重い使命を帯びて、広い庭の片隅にある東屋で昼寝していた兄を急襲した。

 寝ている兄と僕の手をおもちゃの手錠でガチャリとつなぎ、反対の手に持っていた水鉄砲で兄をビシャビシャにしてやった!


「こら! よせよ、ジオ!」

 びっくりして飛び起きた兄を見て、僕は思い切り笑ってやった。石のベンチに腰かけたまま、兄は濡れて輝く金の髪をかき上げ、寝ぼけ眼を擦っている。でも、言葉とは裏腹にその顔はケラケラとおかしそうに笑っている。

「ジオ! なんだい、これ?」

 僕とつながれたおもちゃの手錠をカシャカシャと鳴らす。


 この一週間というもの、兄はなんだかんだと理由をつけては、皆との遊びを避けて庭の手入れに勤しんでいた。僕はそんな兄に不満たらたらの兄の友人たちにせっつかれては、蝙蝠のように兄との間をフラフラ、ヨタヨタと飛び回っていたのだ。


「エリック卿たちが、今日こそは兄を捕まえて引っ張ってこいって!」

 兄は思いっきりふくれ面をして、ブーっと、唇を鳴らす。

「べつに僕がいなくったって、みんなで楽しんでくれればいいじゃないか。夜は、カードも、ビリヤードも付き合っているんだしさ。お前、なんとか言い訳を考えて、」

「もう無理。僕もさすがに疲れちゃったよ。ねぇ、兄さん、一日くらい付き合ってよ」

 僕は兄の横に腰かけて、膝の上に両肘をついて顎を支えると、上目遣いに覗き込む。手首の手錠がカチャリと揺れる。


 兄は嫌そうに唇を尖らせた。

「これから薔薇の剪定だってしたいのに……」

「昼寝していたじゃないか」

「ちょうど起きるところだったんだよ」


 つんと気取った澄まし顔で微笑んでいる兄。これはもう、OKのサインだ。本当に駄目ならすぐにマーカスを呼んでいる。


 立ちあがり、兄はぐいっと伸びをする。

「兄さん! 痛い、痛いよ!」

 手首を引っ張られ、顔をしかめて兄を睨んだ。

「あ、ごめん、ごめん。お前の言う通りにするからさ。これ、外してくれよ」

 すぐに下された兄の手を逆に引っ張り、僕は歩きだした。

「鍵はネルが持っているんだ」

 兄が一瞬眉をしかめたのに、僕は気がつかない振りをする。

「ネル女王さまに跪いてお詫びをして、鍵をいただかなきゃならないんだ。そういうゲームをしているんだよ。つまりね、」と、僕は興奮気味に頬を紅潮させて兄に詳しくゲームの説明をした。


「跪く――」

 兄は露骨に嫌そうな顔をしている。

「ゲームだよ、兄さん」

 僕は笑ってながれた腕を振り、手錠の鎖をカチャカチャと鳴らした。兄は「ふーん」と、また、つまらなそうに口を尖らせていた。





 東屋からほど遠くない池の傍にでた。今日はここで昼前からピクニックだ。

 いつもどこか不機嫌な僕たちの女王さまは、紺のキャンバス生地を張ったデッキチェアに寝そべっていた。一番に目に飛び込んだのは、白いミニドレスから伸びたしなやかな脚。無造作に放りだされたその艶めかしさに、思わず目を伏せる。


「ディック! やっと来たか、この野郎!」

 口々に兄を呼び、やじる声が沸きあがる。池で泳いでいた兄の友人も急いで上がってきては、兄を小突いている。この一週間、兄の友人たちが日替わりでどんどん集まって、今日は十五名にまで増えている。兄が現れてからの蜂の巣を突いたような騒がしさに、ネルは、デッキチェアから身を起こして、驚いたように僕たちを見つめた。


「警部、逃走犯を捕獲しました!」

 僕は彼女の視線を意識しながら、エリック警部に敬礼する。

「早く女王陛下に謝罪してきなさい」

 エリック警部はありもしない口髭を指でなぞってゴホン、とひとつ空咳をして、こっそりと片目を瞑ってウインクする。兄も、にっと笑ってウインクを返した。


 僕たちは足並みを揃えてネル女王に跪き――かけたとたんに、兄は僕の反対の手にあった水鉄砲を奪いとると、優雅に腰かける彼女に向かって思い切りよく連射したのだ!


「僕らは自由を奪い返しにきたんだ! 独立ばんざい!」


 あの愛らしい顔の真ん中にまともに水鉄砲を食らい、彼女は紅い唇を半開きにしてぎゅっと目を瞑って細い腕で顔を庇った。兄はなおも執拗に彼女に水鉄砲を浴びせている。彼女は顔を庇いながら長い睫毛を瞬かせて、キッと睨めつけると、兄に向って手錠の鍵を投げつけた。兄が繋がれている方の手で鍵を受け止めたので、僕はまたもや引っ張られ転びそうになる。


「おっと、ジオ、平気かい?」

 兄は水鉄砲を放りだし、僕を受け止めてくれた。そしてすぐに手錠の鍵を外した。

 自由になったとたん、兄の友人たちが群がってきた。兄は引っ立てられ、担ぎ上げられて、ドボーンと池に突き落とされている。どうやら独立戦争は失敗に終わったらしい。


 ネルは呆然と、大きな目をさらに見開いて兄の姿を追っていた。僕は、彼女の白いドレスから透けるレースの下着に目が釘付けになり、まじまじと――、見つめてしまってからハッとして、慌てて近くにあった大判のタオルを掴むと、彼女を包みこむようにふわりと掛けた。


「すみません。兄が無作法をしてしまって」

 僕の声に、彼女の肩がびくりと震えた。

 彼女は、今初めて僕の存在に気がついたように僕を見あげると、「いいのよ、ゲームですもの」と、ついっと顎を突きだして首を傾げ、優雅に微笑んだ。




 

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