前置き
もし、時間を巻き戻せたら、時間を止められたら、全てを予知できたら、人はどうするのだろうか。
答えはいくつかあるだろうが、その大部分が、利己的な目的のためにそれを使うだろう。そうとしか思えないし、それしかないように思える。
それらがあれば、自分の不幸も回避できる、何をすれば成功するかも分かる、いくらか失敗しても簡単にリカバリーできる。
話は変わるが、「ラプラスの悪魔」というものがある。
簡単に説明すると、ものを構成する分子の運動を全て知覚できる存在がいると仮定すると、その存在は古典物理学を用いた場合、先の世界を見通せる、というものだ。さらに噛み砕いていうのであれば、「予知」できる。
これは、フランスの数学者ラプラスが説いたもので、世界の存在そのものが、あり方が決まっていると想定する「決定論」に通じるものだ。
科学的観点から言えば、観測者が違うなら、起こり得た結果もその因果も違うはずなので、「決定論」も「ラプラスの悪魔」も、ただ一つの世界観に近いものに腐り果てる。
何を言いたいのか、というと。
もし、一つの世界のあり方が「決定論」で説明でき、それで動いてるとする。そして、決まりきった箱庭に、結果が変えられる人間がいたら、「ラプラスの英知」という名の「愚行選択権」を持っていたら、ころころと回るボールのような世界は、どうやって動くのだろう……